第6章【インターバルからの四戦目】
一五分の休憩と称して試合会場から退出したリヴは、選手の控え室にて手渡された水を頭から被る。口に入れる気分ではないので、濡れた黒髪を掻き上げて息を吐いた。
おそらくあと二戦――その果てに決勝だろうか。そこまで勝ち進まなければ同業者を始末できないのだが、残り二戦を【DOF】なしで乗り切るのは辛い。錆びたベンチに腰かけた真っ黒てるてる坊主は異様な雰囲気を発している為、
すると、屈強でつるっぱげな係員がズンズンとリヴに歩み寄っていく。近寄る相手はみんな殺すとばかりのオーラを発していたリヴだが、係員の一言に安堵したような表情を見せた。
「お前に渡したいものがあるんだとよ」
選手の控え室の入り口から顔を覗かせたのは、くすんだ金髪に無精髭の相棒――ユーシア・レゾナントールだった。ひらひらと手を振って「やっほー」とご挨拶。それから彼は薬瓶を掲げると、
「さっき使い切っちゃったでしょ。追加を持ってきたよ」
「ありがとうございます。まさか中毒死させることになるとは思いませんでしたよ」
苦笑したリヴは、ユーシアから薬瓶を受け取った。彼なら観客席から見てくれていると思っていたが、やはり相棒、きちんと【DOF】を使い切ったところを見ていてくれていたらしい。
ユーシアは「それからこれもね」と係員の死角になるように立つと、彼は砂色の外套の下から注射器を三本ほど渡してくる。
「リヴ君だけ律儀に規則を守る必要はないんだよ。ここは非合法の殺し合いしかやらないんだから、リヴ君も遠慮する必要はなくない?」
「……シア先輩って、意外とワルなんですね。考え方が」
「あらー、俺は悪党だよ。そうじゃなきゃこんな状況なんて楽しんでないでしょ?」
けらけらと笑うユーシアは、
「それで――どうする? 四戦目と五戦目はいるかい?」
「今のところは必要ありません。自力でどうにかしてみせますよ」
手渡された三本の注射器を
「前に」
「うん?」
「シア先輩が言ってたじゃないですか。対物狙撃銃は商売道具だから、離しておくのもアレだって」
「言ったね」
それはネアの父親を殺しに行く際のできごとだったか。
ユーシアは狙撃手であるが故に狙撃銃を商売道具とし、純白の対物狙撃銃をいつでも持ち歩いている。室内戦で使えない状況になっても、彼が対物狙撃銃を手放す瞬間はあり得ないだろう。
リヴもなんとなくだが、その気持ちが分かったような気がした。暗殺道具がないと、少しだけ落ち着かない。
「戦術の幅が狭まるのは、僕としても許容できかねましたね。ここに武器があったら少なくとももう少し
「注射器だけで大丈夫? 自動拳銃も持ってきてるけど」
「そこまではさすがに、怪しまれます。大丈夫です、注射器だけで乗り切りますよ」
雨合羽のフードを被り直し、リヴは相棒の狙撃手に笑いかけた。
「シア先輩は最終戦まで温存をお願いします。――四戦目と五戦目も、楽しませて見せますよ」
☆
『さあ、一五分の休憩の果てに挑戦者はどう動くか!? 四戦目、間もなく開始です!!』
ひび割れたアナウンスへなんとなく耳を傾けたリヴは、高いフェンスで囲まれた試合会場に戻ってくる。割れんばかりの歓声がリヴを歓迎し、鬱陶しそうにリヴは耳を塞いだ。
対戦者としてやってきたのは、
「……あらまあ」
リヴは驚愕する。
なんと、四戦目にして初めての女性が相手である。しかも自分よりもだいぶ年下で、適当に切られただろう長い前髪の隙間から、鋭い
華奢でスレンダーな体躯を強調するようなぴったりとした黒い衣服は、地下闘技場の戦士というよりスポーツマンのような印象がある。彼女の拳には棘付きのメリケンサックが装着されていて、余裕で武器を持ち込んでいた。スポーツマンシップがどうのという常識は、頭の中にないらしい。
「えーと、失礼ですが。おいくつですか?」
「一三」
自分よりも六歳も年下だ。しかも
眩い天井を仰ぎ見るリヴに、対戦者である少女が「オイ」とやや乱暴な言葉で言う。
「オレを女と見てんじゃねえよ。――殺すぞ?」
「…………いいでしょう」
リヴはユーシアから貰った薬瓶から【DOF】を取り出すと、口の中に放り入れて噛み砕く。無味無臭の錠剤を唾液と共に流し込み、麻薬が全身に行き渡るのを感じる。
自分のことを棚に上げて「薬物の使用は禁止だぞ」と訴えてくる少女を無視して、リヴは綺麗な笑顔で応じた。
「人生の先輩が『殺すぞ』の言葉の重みについて教えてあげましょう」
同時に、試合開始を告げるゴングが鳴り響いた。第四試合、開始である。
少女がメリケンサックを構え、リヴは【OD】の力を使って姿を掻き消す。幽霊のように姿を消した黒いてるてる坊主の行方を追って、少女は試合会場全体へ視線を巡らせる。
しかし、リヴが現れたのは少女の背後だ。音もなく出現した黒いてるてる坊主に後ろから突き飛ばされて、少女は前につんのめる。
「倒れるように突き飛ばしたんですけど、残念です。運動神経はいいみたいですね」
少女の身体能力の高さに、リヴが感心したように呟く。
勢いよく振り返った少女は銀灰色の瞳をギラリと輝かせ、メリケンサックを嵌め込んだ拳を突き出してくる。リヴは首を捻って少女の拳を回避すると、彼女の無防備な鳩尾をぶん殴った。
少女の腹は殴っちゃいけないだとか、そういう紳士的な常識はもはや彼女に適用されない。何故なら女と扱った時点で『殺すぞ?』なのだから。
膝をつき、鳩尾を殴られた苦しさに喘ぐ少女は、
「ぐぇッ、げほッ」
「膝をつきますか。ちょうどいい高さに頭がありますね」
リヴは膝蹴りを少女の顔面に叩き込み、少女は短い悲鳴を上げる。
鼻血がリヴの真っ黒な雨合羽に付着して、それから少女の欠けた前歯が飛んだ。少女はリヴから離れようとメリケンサックを振り上げるが、さらに膝を顔面に叩きつけてやると攻撃する気力さえも失ったようだった。
「【OD】ではないので、手加減してあげましょうか?」
少女の顔面はすでにボコボコだった。目も当てられないぐらいの酷い状態だった。
嫁入り前の少女になんという乱暴を、と常識人なら考えるだろうが、地下闘技場の観客など頭のおかしな奴らしかいない。「少女を殺せ」と叫ぶ観客もいるぐらいだ。
リヴは少女の髪を無理やり掴んで、乱暴に放り投げる。眩い光で照らされる床の上に転がった少女の薄い腹を踏みつけてやると、彼女は「ぅあああ……」と呻く。
「分かりましたか? これが『殺すぞ』の言葉の重みです。自分がいつでも優位に立っていると思ったら大間違いですよ」
「ぞ、れは……お、お前も、言えてる……けど、な」
「…………僕が慢心していると?」
腹を踏まれながらも、少女は何故か大胆不敵に笑った。歯が抜け落ち、鼻血を流して、顔中をボコボコに腫らした少女の凄絶な笑み。
つまらなさそうにリヴはフンと鼻を鳴らし、少女を殺すかとその細い首に手をかける。
すると、
「ッ」
背筋を撫でる冷たい気配に、リヴは慌ててその場から回避する。
リヴが今まで立っていた床の上には、弾痕が残されていた。なるほど、リヴと考えることは同じということか。
外部からの協力者――それも銃声が聞こえなかったので、狙撃手か。この高いフェンスに囲まれた状態で、よくもまあ狙えるものである。
「狙撃の腕前はシア先輩と同じぐらいってところですかね。なかなかの腕前の狙撃手ですよ」
リヴの中で、最も腕のいい狙撃手はユーシア・レゾナントールただ一人だ。誰も傷つけられない狙撃手であるが、その腕前は折り紙付きで英雄を名乗れるほどの戦績も残っている。
それと同程度と言っているのだから、これは立派な褒め言葉だ。
傷ついた少女は自慢げに笑って「オレの兄貴だ」と言う。
「兄貴はなァ、超凄腕の狙撃手なんだよ。どこから弾丸がくるか分からねえだろ!!」
「分かりませんね。ここからじゃ、観客席は見えませんし」
リヴはそう言うと、少女の胸倉を掴んで無理やり立たせる。
それから彼女の背後に回り、その細い首にリヴは腕を絡めた。
「な、なにするんだよ!! 離せ!!」
「予定変更です。アンタはここで殺します」
「は!?」
すっかり勝利を確信していたらしい少女は、驚愕の表情を見せる。そして殺されたくないが為にリヴの腕から抜け出そうともがくが、リヴは絞め殺すか殺さないかの微妙な力加減で少女を拘束しているので少女は抜け出せないでいる。
リヴが背中を見せると、再び弾痕が足元に刻まれた。どうやら相手はリヴを背後から狙っているようである。
ここでユーシアの助けを借りることができれば、きっと少女を眠るように殺すことができたかもしれない。だがリヴは「最終戦まで温存しておいてください」と言ったのだ。
ならば、有言実行するべきだろう。
「――ぁ、かはッ」
少女の首を絞める力が増していき、腕の中でもがき苦しむ少女は苦しさに喘ぐ。
リヴは意識をフェンスの外へ集中し、狙撃の瞬間を待った。観客たちが殺せ殺せと連呼する中、研ぎ澄まされた殺意が高いフェンスの向こうにいるリヴを貫き――。
(――今)
リヴは少女を突き飛ばす。
咄嗟のことで反応できなかった少女はよろめいて、リヴは急いで少女から距離を取る。
弾痕は、少女の腹に作られた。彼女の薄い腹に風穴が開き、真っ赤な鮮血が溢れ出す。
「あ――ぁぁあああああああああ!?!!」
痛みのあまり、絶叫を上げる少女。
リヴは「うるさッ」と呻くと、少女の絶叫から耳を塞ぐ。
「なんで、痛い、どうして、どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてだよォ!! なんでこんなに痛いんだチクショウ!!」
「アンタのお兄さんとやらを利用させてもらいました。今は罪悪感で震えてるんじゃないですか?」
少女の腹に開いた風穴を踏みつけて、さらにぐりぐりと押してやるリヴ。かなり性格の悪いことをしている。
「どうしますか? このままだと確実に死にますが。降参するならお好きなように、これ以上戦うのであれば
「い、いだ、だ、だい、だい、いだい……やめ、もう、やめろ、やめてェ……!!」
「降参でよろしいですね?」
少女が何度もコクコクと頷き、試合終了を告げるゴングが鳴り響く。
係員が担架を片手に飛び出してきて、少女を回収していく。さあ五試合目、とリヴがアナウンスに耳を傾けると、
『なお、五試合目ですが。選手が棄権しましたので、このままリヴ・オーリオ選手は決勝に進出となります』
「――え、マジか」
まさかの不戦勝で五勝目も勝ち進んでしまったリヴは、予想よりも早くやってきてしまった決勝戦に苦笑するのだった。
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