第5章【三戦目】
「おわったー? おわったー?」
「終わったよ。あとちゃんと死体も回収されたから、もう目を開けていいよ」
「わーい」
フェンスで囲われたリングの向こうでは、凄惨な殺人が行われていた。身体的には成熟しているとはいえ、中身は五歳児まで精神が後退しているのだ。いくら臓器を抜き取るのが上手くても、さすがにこの光景を見せる訳には良心が許さなかった。
全くの善意からネアの視界を奪ったユーシアは、照明の下で佇む黒いてるてる坊主――リヴへ「なにしてんのよ」と苦言を呈する。
「リヴ君にしては珍しく下品な殺し方じゃない。もっとスマートに殺すかと思っていたのに」
「……あの、
「合法だよ。というより、ルール無用だしね」
スノウリリィがドン引きした様子で言うが、ユーシアにとっては慣れたものである。おそらく【DOF】を使う前のまともな精神状態を宿していれば、この光景には耐えられなかっただろう。
死体が運ばれていった方向をぼんやりと眺めていたリヴは、視線をフェンスの向こうへ移す。きょろきょろとなにかを探している素振りを見せているのは、おそらくユーシアたちを探しているのだろう。逆光のせいで客席はろくに見えないはずなので、探しても意味がない。
ユーシアはやれやれと肩を竦めると、
「殺さないって規則は破っちゃったね、リヴ君。まあ、俺はそっちの方が好ましいよ」
フェンスの向こうで踊るリヴは、動きが制限されていた。
自分で課した『不殺』のルールを捨てたリヴは、もう立派な殺人鬼として地下闘技場に君臨する。いつも見ているリヴの姿の方が、ユーシアはとても好ましい。
「さて、リヴ君。次はどんな殺しを見せてくれるのかな? さっきよりはもう少しマシな殺し方をしてね」
すると、地下闘技場内にひび割れたアナウンスが響き渡る。
第三試合が始まるのだ。
☆
『お待たせしました、第三試合です!!』
随分と待たされたな、とリヴは顔を上げる。観客席にいるはずのユーシアたちを見つけられるかと思って探してみたのだが、リヴが立つリングの照明が強すぎて観客席が見えなかった。逆光とかクソだ。
次の対戦相手は、筋骨隆々とした男だった。リヴよりも身長は高く、おそらく二メートル近くはあるだろうか。あと様子もおかしかった。
やたらと大きな頭をぐわんぐわんと左右に揺らして、さらに口の端から
「まるでファンタジーの巨人ですね。殺し甲斐がありそうです」
早くも『不殺』という自分自身に課したルールを破り捨てたリヴは、この巨人をどうやって殺してやろうかと頭を悩ませた。
相手は武器を持っていないので、武器を利用することもできなさそうだ。今回の相手はなかなか手強い相手だと再認識する。
「どうすればいいですかね」
ここはやはり【OD】としての能力を使うべきか。使ったところでどうやって殺せばいいのか。
ユーシアの手助けはまだ見込めない。ここは自分で切り抜けるしかないのだ。
『それでは第三試合――始め!!』
ゴングの音が聞こえると同時だった。
筋骨隆々とした筋肉馬鹿が、口から白い蒸気を吐き出すと共に暴走機関車の如く突っ込んできたのだ。だらしなく開いた口の端から涎を容赦なく撒き散らし、巨大な手のひらでリヴを掴もうとする。
リヴは余裕を持って、跳躍して手のひらを避けた。空を切った手のひらの上に着地すると、リヴはあえて相手に話しかけてみる。
「こんばんは、ご機嫌如何ですか?」
「――――しゅううううううううう」
視線が定まっていない目でリヴを見つめる対戦相手は、ライオンのような
リヴは襲いかかってきた対戦相手の大きな頭の上を足場にして、背後へ逃げる。消えたと思ったらしい対戦相手がきょろきょろとリヴを探して視線を彷徨わせ、それから背後で佇んでいることに気づくと正面から再び突っ込んでくる。
考える能力がないのか、それとも。
「なるほど。【OD】のなり損ないですね」
見覚えのある光景に、リヴはポンと手を打った。
前職でも見たことがあるのだ。
リヴが在籍していた諜報機関は、全員が【OD】になることを望まれた。異能力を手にすれば、容易く重要機関に潜入できるからというのが理由で、リヴたちは【DOF】をしこたま飲まされて【OD】になることを望まれた。
しかし、【OD】として覚醒できたのは、リヴを含めてほんの一握り。他の諜報官は、残らずああいう状態になってしまった。
「だとすれば、殺せる方法は一つだけですね」
そう言うと、リヴは
残りはまだあるが、連戦なのでそろそろ休憩の一つでも挟んで欲しいものだ。そうすれば【DOF】の補充が叶うというのに。――注射器型の【DOF】を持ってこなかったことに、今更ながら後悔した。
「さて」
リヴは大きく伸びをして、自分を見据える巨人を睨み返した。
蒸気を発する体は汗が滲み、男は涎を垂らして虚ろな目でリヴを見下ろしている。あの鋼の筋肉に対抗できるなんて思っていないが、リヴが殺せなかった相手など一人もいない。
殺すったら殺すのだ。
「殺しましょうかね」
リヴは買い物でも行こうかという主婦のような軽い言葉と共に、フッとその姿を消した。
観客席がざわめく。姿が消えたリヴを探して筋骨隆々とした男も「ぶしゅう……?」と不思議そうに周辺を見渡すが、次の瞬間、リヴが筋骨隆々とした男の脇腹めがけて飛んでくる。
弾丸のような速度で飛んできたリヴの回し蹴りが巨人の脇腹に炸裂すると、容易く巨人を端まで吹っ飛ばす。
ガシャーン!! とフェンスがけたたましい音を奏でて、大きく揺れる。それに合わせて観客も黄色い声援をリヴへ浴びせる。
「いいぞ」
「もっとやれ」
「殺せ」
「そこだ、殺せ」
リヴは「観客も殺せないかな」と思ってしまうのだが、あの人数を殺すのは骨が折れそうなのでやめておこう。
「ぶ、しゅ、しゅう……」
巨人がなんか呟いているが、それは言葉の意味を成していない。
リヴは「まだ立ち上がるんですね」と肩を竦めて、
「それでもいいです。【OD】の先輩として、色々と教えてあげますよ」
【OD】のなり損ないがリヴの言葉を理解できるとは思えないが、まあこちらの独り言として全て流してもらいたい。
「【OD】は【DOF】の幻覚を乗り越えた奴しかなれないと思いますが、正確には違います。その幻覚を『正しいものだ』と受け入れた奴にしか【OD】にはなれないんですよ」
ユーシアを例えで出してみよう。
彼は【DOF】によって、幸せな家族が目の前でアリスに惨殺されていく光景が幻覚として見えてしまうようになる。幼い妹が無惨に殺されていく様を何度も何度も見ていくうちに、彼は「これが現実だ」と受け入れることになった。
何故なら、それは確かに起きた事件なのだから。ユーシアの家族がアリスの【OD】に殺されたことも、妹が無惨に殺されたのも、それは全て事実なのだ。それを事実として受け止めると、ユーシアの幻覚は現実世界にも侵食してきた。
それが彼にしか見えない幻影の少女であり、それを認識するとユーシアは【OD】として覚醒していたのだ。
「僕も同じです。全てが敵に見える幻覚に悩まされましたが、そうです、全て正しいことだと受け入れました」
振り下ろされた拳を回避して、リヴは再び姿を消す。
今度は巨人の太い足めがけて足払いをして転ばせる。仰向けに転がる巨人の額を踏みつけて、リヴはにっこりと微笑んだ。
「だって事実じゃないですか。この世界にはろくな人間はいない。全員が僕の敵だと認識してもおかしくありませんよね? だから全員、殺そうかと思ってるんですよ。全員、全員、全員」
リヴの殺意がいつでもフルスロットルなのはこの為だ。
世界が敵に見える。人間が敵に見える。生きている全てが敵に見える。
敵に見えないのは純粋無垢な女児と、ユーシアぐらいのものか。最近はスノウリリィも平気になった。
それ以外は殺す。それ以外は敵だから殺す。殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺すのだ。
「シア先輩の復讐を邪魔する輩は殺します。僕の前に立ち塞がる相手も殺します。ネアちゃんを泣かせる奴も殺します。リリィちゃんは、まあどうでもいいけどなんかしたら殺します」
リヴは薬瓶を取り出した。
暴れる巨人の額を足で縫いとめて、リヴは巨人の大きな口へザラザラと錠剤を流し込んだ。薬瓶の中身を全部、大量の錠剤を。
「ほら、その幻覚を受け入れて【OD】になりますか? それとも拒絶して中毒死しますか? まあ、僕としてはどちらでもいいです。殺しますので」
「あぶ、ぶ、ぶああああッ」
巨人は口の中に大量投入された錠剤を吐き出そうとするが、リヴが顔面を踏みつけて無理やり喉の奥に押し込む。
吐き出された唾の中には噛み砕かれた錠剤と、少しの血液が混じっている。鼻も折れ曲がり、歯も抜け落ちて、無惨な有様を晒す。
「あー、もう死ぬしかないですね。これでは死ぬしかありませんよ。それでは死にましょうか死にましょうそうしましょう」
リヴは巨人を蹴飛ばして、大量に投入した口の中に錠剤を押し込む。
巨人は幻覚でも払うように両腕を振り回すが、リヴは飛び退いて回避する。苦しそうに喉元を掻き毟る巨人は、口の中からぶくぶくと泡を吹き出して倒れた。
「ふむ、武器がないので【OD】はこうするしか殺せないのですが、許してくれますかね」
試合終了の合図を聞きながら、リヴは首を傾げる。
またも暴力的な殺し方をしてしまったが、ユーシアは「スマートじゃないなぁ」と笑うだろうか。どちらでもいいのだが、怒られることはないだろう。
係員に運ばれていく【OD】のなり損ないを視線で追いかけて、リヴはアナウンスに耳を傾ける。
『挑戦者の快進撃が止まりません!! リヴ・オーリオ、次の四戦目も無惨に殺すのでしょうか!? 続いて第四試合は一五分の休憩を挟んでお送りします』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます