第4章【二戦目】
「すぐに決着がつきましたね」
「リヴ君って強いからね」
ユーシアはのほほんとなんでもない調子で言うが、問答無用で他人の腕の骨を折るとか結構なことである。
高いフェンスに囲まれた闘技場に仁王立ちする黒いてるてる坊主は、係員になにかを言われていた。おそらく「次の対戦者がくるまでお待ちください」とでも言われたのだろう。
ネアは「りっちゃん、つよいねぇ」とパチパチと拍手していた。その小さな拍手をあのロリコンてるてる坊主に聞かせた暁には、やる気を出して対戦者の三人ぐらいは殺してしまいそうだ。
「まあ、
「……どういうことですか?」
スノウリリィが
地下闘技場と呼ばれているのだ。地下に隠れなければならないのだから、この戦場は非合法なのである。当然ながらスポーツマンシップがどうのなんて、知ったことではない。
基本的に武器の持ち込みは禁じられているが、そのルールを馬鹿正直に守る対戦者などいないだろう。秘密裏に武器を持ち込んで、リヴへと襲いかかるかもしれない。先程の対戦者はまだ真面目な方だったが、次の対戦者は一体なにをしてくるか。
「まあ、でもリヴ君が負けるはずないもんね。いざとなったら殺せばいいし」
「そんな歌うように殺さないでもいいじゃないですか。他人の命をなんだと……」
「少なくともリヴ君には言葉を喋る肉人形に見えてるみたいだよ」
ユーシアが笑いながらそう言うと、ひび割れたアナウンスが会場内に響き渡る。
観客が声援でもって試合会場に迎え入れたのは、リヴよりも細いだろう男だった。痩せこけた頬にぎょろぎょろと忙しなく蠢く、ガラス玉のような眼球。蛇のような顔でニタニタとした笑みを貼り付けた男は、相対するリヴを観察してニィと笑った。
鶏ガラのように細い男だが、あれで二戦目に出てくるのだからよほどの実力者か。――あるいは、
「武器を隠しているのかねぇ。ここからは殺さず勝つのは難しいかな?」
武器を持った相手に、リヴが殺さず勝てるはずがないのだ。
☆
二戦目にして気持ちの悪い男が出てきた。
リヴは
もしかしたら【DOF】ではない、なにかの合成麻薬でもキメているのだろうか。頭がラリった結果、あんな感じになったのか。
(嫌だな……これ相手にするんですか? あり得ない)
こんな細い相手など、殴っただけで死んでしまいそうだ。それに反則してきそうである。
反則をしてきた場合、殺さずに勝てるほどの理性が残っているかと問われれば微妙な線である。そもそも先程の戦いも殺してしまおうかと
『それでは第二試合――始め!!』
カーン、というゴングの音。
フェンスの向こうから聞こえてくる野次や歓声が鬱陶しい。
ふらふらと頭を揺らす鶏ガラのような男へ
「あの、もう試合が始まっていますが」
「…………」
「あ、無視ですかそうですか」
早くも殺意が沸いた。
リヴは飛びかかってこの男の
賞金も出ることだし、先程は三〇秒で終わらせてしまったので三分ぐらいは持たせたいものである。
ナイフの一本でも仕込んでおけばよかった、と早くも後悔するリヴは、対峙する鶏ガラのように細身の男が動く気配を感じ取った。彼はニタニタとした余裕の笑みを浮かべたまま、一歩踏み出している。
「ウヒヒヒィ」
気味の悪い笑いと共に、もう一歩。
ずりずりと
ダイビングスーツのような伸縮自在の全身タイツをまとい、そしてボロボロのポンチョをおざなりに巻いている。肋骨が浮かび上がるほど肉はなく、リヴよりも細くて軽いだろう。今にも栄養失調や摂食障害で倒れそうなのに、ゆらゆらと重い頭を揺らしながら両足で歩くことができている。
まるで壊れた人形のようにふらふらと覚束ない足取りで歩み寄ってくる男に、リヴはようやく気が付いた。
「……アンタ、なにか仕込んでいますね」
「ウヒヒ、ヒヒヒヒヒィ、ヒヒヒヒ」
「あ、もう言葉も分からない感じですね分かりましたなにも言いませんしなにも聞きません」
リヴは鶏ガラの男と会話を成立させる努力を、あっさりと諦めた。
これはリヴの予想だが、あのポンチョの中に武器を隠し持っているのだろう。ナイフか、あるいは拳銃か。リヴもよくやる常套手段である。
相手が武器を所持するというルール違反をした以上、リヴも自分に課した『不殺』のルールを守る義理はない。遠慮なく殺させてもらおう。
「恨みはないですが死んでください」
「ヒハーッ!!」
鶏ガラ男は奇声を上げると、おざなりに巻いたポンチョを剥ぎ取った。
ダイバースーツのような全身タイツにこれでもかと巻き付けられていたのは、なにやら小さな瓶のようなものだった。その一つ一つで液体が揺れていて、男は筋張った指でその小さな瓶をもぎ取る。
全身タイツに直接縫い付けてあったらしい小さな瓶は、ぶちぶちと音を立てて全身タイツから引き剥がされる。
血走った目で小さな瓶を
「ヒーヒー、ウヒヒヒヒィ」
男は小さな瓶を握り込むと、リヴめがけて投げつけてくる。
放物線を描いて飛んでくる小さな瓶を、リヴは飛び退いて回避した。瓶は床に落ちた衝撃で呆気なく割れて、中身の液体を撒き散らす。
じゅうう、と床が溶けた。白煙のようなものが揺らぎ、リヴは合点がいく。
「濃塩酸ですね」
これは厄介なものを武器として出してきた。
フェンスの向こうから聞こえてくる野次に「汚いぞ!!」だの「卑怯だ!!」だのと批判が相次ぐが、中には「いいぞ!!」とか「もっとやれ!!」だとか卑怯な手を許容する声も上がる。
この試合を見ているユーシアは、ネアは、スノウリリィは、一体どんな気持ちを抱くだろう。「卑怯だ!!」と憤るか、それとも「お前の実力はこんなものか?」と冷酷な反応をするか。
(ま、どうせ笑ってるんでしょうけど)
やれやれと肩を竦めるリヴ。
鶏ガラのような男が、二つ目の小さな瓶を投げつけてくる。ポンと放り投げられた小さな瓶を、
「ありがとうございまーす」
リヴは、お礼を言いながら空中で受け止めた。
誤って握り潰さないように気を付けながら小瓶を回収すると、ぎょろりとした目を見開く男の顔面めがけて
パァン、と額に当たった小さな瓶は破裂し、中身を振り撒いた。容赦なく顔面の皮膚を溶かす濃塩酸の痛みに、男は耐え切れずに悲鳴を上げる。
「あぎゃあああああああああああああああああああああああああ」
「ははははは、無様ですね。自分の武器で死ぬ感覚はどうですか?」
溶けた顔面を押さえてのたうち回る男を嘲笑い、リヴは彼の細い足を掴んだ。
この男を殺すのは簡単だ。なにせ自分から大変なものを体全体に巻き付けているのだから、満遍なく割ってやればいいのだ。
「あ、こっちに方がいいですね。失敬失敬」
「あぎゃあああああああああああああああああ」
「うるさいですよ。死にたくないなら命乞いの一つでもしてみたらどうですか」
すでに皮膚がずる剥けの状態の男に無茶を押し付けると、リヴは両脇で男の足を固定する。
それから次の行為は、至極簡単なものだった。
「せぇーのッ」
男の骨と皮と内臓しかない体を持ち上げると、床に勢いよく叩きつける。
ずる剥けの顔面で床にキスをする羽目になった男は、前歯をへし折られて絶叫する。ついでに彼の全身に巻き付けられていた小瓶たちは、残さず割れてしまって全身タイツを溶かしにかかる。
「あぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
この世の終わりかと思う断末魔を響かせ、男は陸に打ち上げられた魚よろしくビクンビクンと
これでも死なないとは驚きだ。顔面の皮膚も体の皮膚も溶かされているのだから、もうそろそろ死んでもいいはずなのに。
もう一度、床に叩きつけてみる。ビタン、と再び顔面から床へ飛びついた男はなおも悲鳴を上げて、喉から血を流していた。
「驚いた。まだ生きてる」
もしかしたら【DOF】を服用しているのかもしれない。【OD】の場合だと意外としぶといのだ。
そろそろ動きも鈍くなってきた男を解放して、リヴは男を蹴飛ばして仰向けに転がす。全身タイツどころか皮膚すらも溶けてその向こう側が見えてしまっていて、とてもとても痛そうだ。
「はい、折りますよ」
「あぎゃああああああああああああああああああうああああああああ!!」
血反吐を吐きながらも言葉らしい言葉は発さずに、断末魔ばかりである。リヴは面白みのなくなった男の膝を踏みつけると、体重をかけて膝の皿を踏み割った。
ゴキン、と硬いなにかが足の下で割れる。痛みでのたうち回る気力すらないらしい男は、すでに虫の息だった。焦点の合っていない瞳でリヴの顔を見上げ、ひゅーひゅーと隙間風のような呼気を漏らし、懸命に薄い唇を動かす。
「コ、ロ、セェ……」
「その前に一つ、お聞きしたいことが」
リヴは男の体を
「アンタは【OD】ですか?」
その問いに対して、男はゆっくりと首を一度だけ縦に振った。
「そうですか」
なんの異能力を発現させたのか分からないが、疑問は解消できた。
リヴは懇願された通りに、崩壊しかけた男の顔面を踏み潰す。渾身の力を込めて踏めば、頭蓋骨がゴキゴキと音を立てて割れた。頑丈なはずの頭蓋骨がこうも簡単に割れるとは、やはり【DOF】による影響だろうか。
カーンカーンカーン、と試合終了を告げる鐘が鳴り響く。胡乱げに顔を上げたリヴは、雨合羽の下から薬瓶を取り出した。ザラザラと錠剤を手のひらに転がすと、ラムネよろしくボリシャリと貪る。
「僕にしては随分と品のない殺し方をしました。反省反省」
全く反省の欠片も感じさせない言葉は、歓声を上げる客たちの耳には届かない。
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