Ⅲ:地下闘技場のラプンツェル

第1章【地下闘技場からの招待状】

「そこの麗しのお嬢さん!! 少々お時間を頂戴ちょうだいしてもよろしいか!?」


 なにやら仰々しい口調で呼び止められた銀髪碧眼のメイド――スノウリリィ・ハイアットは、ご丁寧にも立ち止まってしまった。常識があるならば無視すればいいのに、彼女はどうにも優しい人種のようだ。

 彼女を呼び止めたのは、燕尾服えんびふく山高帽子やまたかぼうしを被った紳士然とした男だった。ただしその顔立ちは骸骨がいこつのようにやつれていて、寝ているのか不安になってくる大きな目がぎょろぎょろと忙しなく動く。

 杖をくるりくるりと回しながら、男は立ち止まったスノウリリィに優雅な一礼を披露する。


「お忙しい中、お呼び止めしてしまい申し訳ございません。わたくし、地下闘技場コロシアムの案内人を務めておりまして」

「地下闘技場ですか?」


 聞き慣れない単語に首を傾げるスノウリリィ。彼女はメイドとして雇われるより以前は娼婦であり、さらにそれ以前は修道女シスターだったのだ。世間知らずと言っても過言ではないだろう。

 男は「そうです、そうです」とやたら胡散臭い笑みと共に頷いて、


「こちらをお渡しします」

「お手紙ですか?」

「招待状です。こちらを、お嬢さんが知る限りで一番強い人にお渡しください」


 男から手紙を受け取ったスノウリリィは、強い人に渡せという要求にどうしたものかと迷う。

 強い人、と聞いて思い当たる人は二人ほどいる。一人はとても優秀な狙撃手で、もう一人は理不尽な暗殺者だ。なにをもって強いと言えるのか疑問であり、素直なスノウリリィはその強さの条件を問いかけていた。


「どのような強い人をご所望ですか?」

「おや、心当たりがおありで?」

「ええ、まあ。二人ほど」


 そしてどちらに頼むにしても命懸けである。何故なら頭がすでに殺人鬼仕様になっているからだ。

 男は「ふぅむ」と考える素振りを見せて、


「他人を痛めつけて殺しても、また他人に痛めつけられても平然としているような冷酷無慈悲な方がよろしいですね」

「分かりました、条件は一つに絞れましたね」


 スノウリリィの脳裏には、真っ黒なてるてる坊主が浮かんでいた。今頃、美少女がたくさん出てくるアニメに夢中になっているだろうが、心からお願いすれば引き受けてくれるだろう。

 男は「ありがとうございます!!」と気持ち悪い笑みを深めてスノウリリィに礼を言い、さらに熱い抱擁を交わそうとしたところでスノウリリィは急いでその場から離脱した。

 変質者は間に合っているのだ。


 ☆


 犯罪都市ゲームルバークの片隅――安いアパートの群れが連なる町外れ。

 住んでいる人は誰も彼もが犯罪者という治安の悪い地域に、ふわふわとした少女の声が響く。


「きょーも、げーむるばーくは、へーわです」

「そう見えるのだとしたら、お前さんの目は節穴だねぇ」


 目の前で殺人鬼同士が武器を振り回しながら縄張り争いをしている光景をのんびりと傍観する、金髪の男女が二人。

 男――ユーシア・レゾナントールは煙草の形をしたチョコレートを前歯でゴリゴリと削りながら、殺人鬼同士の縄張り争いを死んだ魚のような目で観察していた。チョコレートが死ぬほど甘いのか、時折「うえっ」と嗚咽おえつを漏らしている。

 一方で血みどろの現場には似つかわしくない見事な金髪と美しい翡翠色の瞳を持った少女――ネア・ムーンリバーは、精神面とは対照的に発達した胸部を強調するように逸らして、


「これがにちじょーなのです、えへんっ」

「そうかぁ、ついにゲームルバークの日常を知っちゃったかぁ」


 ユーシアはネアの頭をポンポンと優しく撫でると同時に、少しだけ後悔した。見た目は一八歳である彼女は、麻薬の過剰摂取overdoseと父親による虐待の影響によって精神面が五歳児まで後退してしまっている。純粋無垢と言っても過言ではない彼女に、なんてものを日常として認識してしまったのか。

 とはいえ、否定はしない。何故なら彼女もまた殺人鬼の一人のようなものなのだから。ユーシアよりも酷い類ではないが。


「……明るいうちから元気ですね、殺してきていいですか」

「あ、リヴ君おはよう。もうお昼だけど」

「おはよー、りっちゃん」


 唐突に自宅の扉が開き、真っ黒なカーディガンを着た黒髪の青年が不機嫌そうに顔を覗かせた。寝起きの状態で昼間の明るい気候は厳しいものがあるのか、黒曜石の瞳をしょぼしょぼさせている。

 少しばかり寝癖が目立つ黒髪を手櫛てぐしで直しながら、黒髪の青年――リヴ・オーリオは「おはようございます」と丁寧に挨拶を返した。


「縄張り争いとか、また面白みのないことをしますね。殺人鬼に縄張りなんかあるんですか?」

「彼らにはあるみたいだよ」

「僕たちには関係のない話ですね。同業者も面倒なので、殺してきます」


 リヴの殺意は相変わらずである。味方以外は喋って動く肉人形としか認識していない彼は、綺麗な花を摘むように他人の命を摘み取っていく。凶悪な彼の殺意はすでに準備万端の状態で、黒曜石の瞳は獲物をロックオンしていた。

 相棒の暗殺者がやる気満々なので、ユーシアは仕方なしに一つの条件を提示した。


「俺がくわえてるチョコを処理してくれたらいいよ」

「…………そういえば、珍しいものを咥えていると思ったら。禁煙ですか?」

「んにゃ、ネアちゃんからお裾分け」


 本当ならのんびりと一服していたのだが、ネアが「ちょこあげる!」と言って押し付けてきたのだ。少女の純粋な好意を無碍にもできないので、ユーシアは甘いものが苦手なことを我慢してチョコレートの消化にあたっていた。

 随分前から咥えているのだが、一向に減る気配はない。前歯でゴリゴリと削っていても、吐くほど甘くてギブアップしそうだった。押し付けられるものなら押し付けたい。

 ここでリヴが「じゃあいいです」と諦めたらそれまで、自分でこの煙草の形をしたチョコレートを消費しようと考えていたのだが。


「分かりました。ちょっとこっち向いてくださいね」

「ぐぎょッ!?」


 いきなり顎を掴まれたと思ったら、リヴがユーシアの咥えているチョコレートの先端を反対側から咥えて、ポキンと大半を攫っていく。そのおかげで、ユーシアが消費するチョコレートは、唇から飛び出したほんの数ミリの部分だけで済んだ。

 リヴはポキポキと表情一つ変えず歯が溶けるほど甘いチョコレートを飲み込むと、廊下の手すりを飛び越えた。二階から飛び降りたのだが、彼はすんなりと着地する。それから足音を立てずに、縄張り争いをしている殺人鬼どもに突っ込んでいった。

 相棒のおかげで消費が楽になったチョコレートを口の中に押し込んだユーシアは、ポキポキと甘いチョコレートを奥歯ですり潰してから飲み込む。甘いチョコレートはこれっきりで勘弁して欲しかった。


「おにーちゃんとりっちゃんは、なかよしさんだねぇ」

「そうだね。こんなおっさんでも仲良くしてくれるリヴ君は、本当に優しいよ」


 ユーシアがいつも煙草を吸っている時を真似しているのか、ネアは人差し指と中指で煙草型のチョコレートを挟んで「すぱー」などと言いながら吸っている。口で言っちゃっているあたり、純粋すぎて可愛い。

 溶けかかってるチョコレートを指差して「早く食べちゃいなよ」とユーシアがネアに言うと、争う声が急に止まった。倒れた二人の殺人鬼の中心に立っているのは武器すら持っていないリヴで、どうやら彼は体術だけで二人の殺人鬼をあの世へ送ったらしい。さすがの手際である。


「ただいま戻りました。お外になにかありました?」

「あ、りりぃちゃんだ!」


 ネアは口の中に煙草の形のチョコレートを押し込むと、買い物から帰ってきた銀髪のメイドへ抱きついた。

 食材が詰まった紙袋を取り落としそうになるが、銀髪のメイド――スノウリリィはなんとかネアを抱き留める。「危ないですよ、ネアさん」とスノウリリィがたしなめると、金髪の少女は舌を出して笑った。


「お帰り、リリィちゃん。道中、変な人はいなかった?」

「全裸になって走り回ってる男性を三人ほど見かけましたが、それ以外は特に」

「変態さんがこんな白昼堂々と走り回ってるなんて世も末だね」


 スノウリリィが抱えている紙袋を代わりに受け取ると、銀髪のメイドは柔らかく微笑んで「ありがとうございます」と礼を述べた。


「ところで、リヴさんはどちらに?」

「リヴ君? なんの用事?」

「少々確認したいことがありまして」


 スノウリリィの確認したいことに、ユーシアは首を傾げる。リヴに今更なにを確認するのか。

 すると、彼女の後ろにある狭い階段からリヴが帰ってきた。あっさりと殺人鬼二名をこの世から退場させた極悪人は、スノウリリィの姿を認めると「ああ、お帰りなさい」と億劫おっくうそうに応じる。

 それに対してスノウリリィは、


「てやっ」

「うわあッ!?」


 可愛らしいかけ声と共に、リヴを階段から突き飛ばした。

 唐突のことだったのでリヴもさすがに反応できず、ゴロゴロと階段下まで転がり落ちてしまう。ユーシアとネアは、スノウリリィの奇行が理解できずに揃って顔を青褪めさせた。


「ね、ネアちゃん避難!! リリィちゃんと一緒に避難!!」

「うん! おにーちゃん、きをつけてね!」

「あの……? 何故そんなに慌てることが?」

「リリィちゃん、リヴ君を相手に暴力は自殺行為だよ!? ただでさえ殺意がフルカンストしてる状態のリヴ君なんだから、お前さんなんか一捻りで」

「――いやー、まさかアバズレから暴力を振るわれるとは思いませんでしたよ。殺してもいいってことですよねそうですよね?」


 ぐわしッ!! とユーシアの肩が掴まれ、その後ろからリヴがぬぅぅと顔を覗かせた。瞳孔が完全に開いていて、本気でキレるどころか本気で殺す五秒前の状態だった。

 悪魔にでも肩を掴まれたのかと勘違いしたユーシアは、ガタガタと震えながら「ひえええッ」と大人げなく悲鳴を上げる。この状態のリヴを相手にしたくなかった。

 ところが、リヴを怒らせた張本人であるスノウリリィは、感心したように言う。


「わあ、すごいです。二階から転げ落ちたのに、痛くないんですか?」

「アンタに対する怒りのせいで痛くも痒くもありませんねええ殺しましょうすぐに今すぐ殺しましょう」

「リリィちゃん逃げて、今すぐ逃げて!! この状態のリヴ君を押さえ込める自身が、俺にはないからぁ!!」


 ふわふわと笑うスノウリリィの頸椎けいついを叩き折ろうとするリヴを、ユーシアは必死に羽交い絞めにして押さえ込んでいた。だが、力でリヴに敵わないユーシアは、怒りの衝動に突き動かされるリヴに引きずり回されそうになる。

 その寸前、スノウリリィが怒り狂うリヴの眼前に手紙を突き出した。


「私の見立ては間違いではありませんでした。こちらはリヴさんへお渡しします」

「アンタには引導を渡してやりますよ!!」

「リヴ君!! まずは手紙を読んでから判断してぇ!!」


 ユーシアの必死の訴えが功を奏したのか、リヴは渋々とスノウリリィが差し出してくる手紙を乱暴に受け取る。きちんと封蝋が施された手紙を雑な手つきでビリビリと破いて開封すると、中にはカードが一枚だけ入っていた。

 リヴがカードに視線を走らせ、その内容を簡潔に知らせる。


「地下闘技場の招待状ですね」

「はい。燕尾服を着た気持ち悪い男性に、他人を殺しても表情一つ変えず、また痛みを与えてもその素振りすら見せない人にお渡しくださいと言われましたので」

「だから僕を階段から突き落としたんですか。痛がる素振りを見せるかどうか、判断する為に」


 それを聞いたユーシアも、ようやく合点がいった。スノウリリィのあの奇行は、無意味なものではなかったのだ。――ただ、階段から突き落とす必要があったのかと問われれば微妙なところではあるが。

 リヴはカードの裏面に記載されている地下闘技場の出場者の一覧をざっと確認すると、


「分かりました、出ます」

「出るの?」

「ええ、出ます。自分の実力を確かめるいい機会ですし、それに――」


 ぐしゃり、とカードを捻り潰しながら、リヴは無表情のまま告げる。


「少し、殺したい相手ができちゃいまして」

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