小話【殺人鬼が二人】

 室内は荒らされていない。

 不用意に自分を密室に招き入れたのが悪いのだ。

 フローリングに横たわる女の喉元は掻き切られていて、静かに血を流している。張り詰めていた息をゆっくりと吐き出すと、リヴ・オーリオは雨合羽レインコートの袖の中に血濡れたナイフをしまい込む。

 そろそろ問答無用で殺すことにも飽きてきた。標的を見つけるのも面倒なので、明日からは手当たり次第に殺してしまおうか。


(――それにしても)


 リヴは先程の殺害を思い出す。

 運よく標的にした女は、眠っていたのだ。無用心にも窓を開けて、床の上に死んだように眠りこけていた。自分が部屋を訪れる前は平気だったのに、どうして急に寝てしまったのか。

 リヴは、窓際に金色のなにかが転がっているのを見つけた。拾い上げると、それは薬莢やっきょうだった。狙撃銃の規格のものだが、普通の狙撃銃が使うものよりも幾分か大きい。おそらく対物狙撃銃だろう。

 しかし、分からない。対物狙撃銃は対人の使用を禁じられていて、もし使おうものなら人間は木っ端微塵に弾け飛ぶ。それなのに、トドメを刺したのはリヴだ。

 リヴ以外の誰かが、この女を眠らせたのだ。外部から狙撃という方法を使って。


「――あ、これ窓ガラス割れてる」


 窓を開けたのではなく、窓ガラスが割れていることを知ったリヴは、見えない狙撃手の腕前が相当のものであると知る。おそらくだが、この部屋にまだいるリヴのことも見えているのだろう。

 リヴは雨合羽の下から携帯電話を取り出すと、懇意にしている電話番号を呼び出した。


「もしもし、僕です。ええ、少し調べて欲しいものがありまして」


 仕事の邪魔をしてくれた狙撃手を、少しばかり懲らしめてやろう。

 そんなことをリヴは思っていた。――まさか、あんなことになるとは思っていなかったけど。


 ☆


 購入した情報によれば、リヴと標的がバッティングした狙撃手がいたようだ。

 名前はユーシア・レゾナントール、元革命阻止軍所属の狙撃兵で二年前に電撃退役。以来、軍隊側は彼の消息が掴めなくなっている。

 戦績はかなり優秀。『アウグスト砦奪還作戦』や『ビリオン平原制圧作戦』などでは二〇人にも及ぶ革命軍兵士の狙撃を成功させている。まさしく狙った獲物は逃さない、百発百中の腕前を持つ狙撃手。

 純白にカラーリングした対物狙撃銃を扱うのが特徴で、一部では『白い死神ヴァイス・トート』のあだ名で有名。他の革命阻止軍の兵士からも信頼は厚かった彼が姿を消したのは、軍隊側にとっても惜しいものだったろう。


「その英雄様が、一体どうして一般人なんて殺しにかかるんでしょうね」


 ファストフード店の片隅にて、リヴは炭酸飲料のストローを噛みながら呟く。賑やかな店内なので、リヴの声は誰一人として聞いていない。

 情報屋から購入したものだが、どうにも信じがたい。革命阻止軍は今や解体されて各国の軍事機関に兵士は配属されているが、これだけの戦績を残していれば間違いなく昇格される。戦績を讃えられて国から表彰されるかもしれない。一般人からは英雄扱いだ。

 それなのに、ユーシア・レゾナントールという狙撃手は退役して、今は一般人を殺しているというのか。

 他人の生き方に首を突っ込まない性格のリヴだが、どうしてもユーシア・レゾナントールという男は気になった。理由は分からないが、こう、探らずにはいられない。


「まあ、仕事をつまらなくしてくれたので殺しますけど」


 物騒なことを呟いたリヴは、冷めたポテトを口に運ぶ。

 その時だ。


「ごめんね、相席いいかい? 他の席が全体的に埋まっててねぇ」

「?」


 ふと顔を上げると、なにやらでかい箱を背負った金髪の男が、珈琲コーヒーを片手に申し訳なさそうな表情で立っている。

 周辺を見渡してみると、どこもかしこも座席は埋まっていた。一人でボックス席を利用しているリヴに相席を頼むのは、当然の結果だろう。


「はあ、どうぞ」

「ありがとうね」


 どっこいせ、などとおっさん臭い言葉と共に、でかい荷物を抱えた金髪の男はリヴの対面に腰かける。

 リヴはさりげなく、対面の男の容姿を確認した。

 くすんだ金髪に無精髭ぶしょうひげ、切れ長の瞳の色は翡翠。どこか草臥くたびれた印象はあるけれど、身なりをきちんと整えれば異性が放っておかないような色気がある。仄かに漂う独特の臭いは、おそらく煙草――彼は喫煙者なのだろう。砂色の外套の下は量産されているシャツと細身のズボンという、簡素でありながら一般的な服装だ。

 作曲家や売れないバンドマン、と言ったところだろうか。男の素性には興味ないので、リヴはここで人間観察を終了する。


「お前さんは」

「はい?」

「今日は晴れているのに、どうして雨合羽なんて着ているの? 趣味かなにか?」


 男の質問に対して、リヴは「ああ」と合点がいく。

 黒い雨合羽を着た状態のリヴは、周辺から見ればさぞ奇怪な人物に見えただろう。なんてことはない、ただの仕事着だ。返り血がついてもすぐに洗い流せるように、という意味を込めて雨合羽を好んで着用している。


「別に、他意はないですよ」

「そっかぁ。別に俺は他人の趣味にとやかく言うことはないから」

「いや、だからって趣味で片付けられても困るんですけど」

「ん、じゃあ他に理由があるの?」

「…………」


 食えない男である。

 リヴは雨合羽の下に仕込んだ仕事道具の数々でこの男を口封じでもしようかと思ったが、ここで思わぬ事態が起こった。

 それは、近くを通りかかった少女が母親に我儘をたしなめられていた瞬間だった。


「ねえ、ママ。あれ食べたーい」

「ダメよ。お夕飯が食べられなくなっちゃうでしょ」


 なんでもない母子のやり取りで、リヴも適当に聞き流していた。

 しかし、目の前の男にとってはなにかが重要な鍵となってしまったようだ。珈琲のカップを倒してしまい、中から飲みかけの黒い液体がテーブルに広がる。


「うわッ、ちょ、なにしてるんですか!!」


 リヴが自分の食事を避難させて珈琲を倒した男を睨みつけるが、男の視線は明らかにリヴを向いていない。彼の翡翠色の瞳は虚ろになり、ブツブツと薄い唇がなにか言葉のようなものを紡いでいる。

 男の異変を感じ取ったリヴは、彼の言葉に耳を傾ける。珈琲を倒したことは周辺の席にも知れ渡っていて、客がこちらに奇異な視線を向けてきても男はお構いなしだった。


「アリス、アリス、アリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリス、アリスアリスアリスアリスアリスアリスアリスアリス!!」


 ガタン、と席を立ち上がった男は、そばに置いていたでかい箱を蹴飛ばして開ける。

 その中に寝かされていたのは、純白の対物狙撃銃だ。慣れた手つきで男が対物狙撃銃を掴み取ると、照準もくそもしないまま引き金を引いた。

 タァン!! という極力抑えられた銃声が店内に響くと同時に、アリスと呼ばれた少女のこめかみが的確に撃ち抜かれる。だが、少女のこめかみにぶち当たった弾丸はそのまま少女の足元に転がり、彼女自身には傷一つついていない。

 ところが、


「アリス、アリス!? いやあ!!」


 膝から崩れ落ちた少女を、母親らしき人物が抱きかかえる。

 少女は傷一つついていないのに、母親の呼び声は応じない。まさしく、

 少女が眠っても、男の暴走は止まらない。母親の腕から眠る少女を強奪すると、その細い首に両手をかける。一〇本の指にそれぞれ力を込めて、少女を殺してやろうとする。


「死ねよアリス死ね死んでくれ俺の為に死んでくれよなあ俺の家族を殺して殺してお前はなにを思ったなにを見た絶望か絶望だよなそうだよなだから俺もお前を殺してやるんだ殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる!!」

「やめて!! 娘を返して!!」


 母親が今まさに死にかけている娘を助けようと手を伸ばすが、


「はい、そこまでですよ」


 男が手折ろうとしている少女のこめかみを自動拳銃で撃ち抜いて殺し、母親も同様に眉間を撃ち抜いて殺した。白煙立つ自動拳銃を雨合羽の下にしまい込んだリヴは、男の足元に落ちた対物狙撃銃を拾上げると、虚ろな瞳を見開く男の襟首を掴んだ。


「じゃあ、お騒がせしました」


 お騒がせどころではない。

 大事件だ。

 他人の目につかない時間帯を選んで殺すことがリヴの殺人の方法なのだが、まさかこんな他人の目がある中で堂々と殺人に及ぶことになるとは思わなかった。男を引っ張って店を飛び出した直後、ファストフードの店内から悲鳴が聞こえてきた。

 白昼堂々、殺人などという大罪に及んだのだから当然の反応だろう。リヴは大人しく引っ張られたままの男を路地裏に連れ込み、コンクリートの地面の上に放り捨てた。


「イッタ……ちょっと、なにするの」

「それはこっちの台詞ですよ。いきなりロリを殺しにかかるとか、アンタは変態かなにかですか」

「ロリ……? ああ、確かにアリスは小さい子でアリスアリスアリスアリスアリス……」

「キリがないのでやめてもらっていいですか」


 再び暴走しかける男の横っ面を引っ叩き、リヴは深々とため息を吐いた。

 純白の対物狙撃銃――そしてロクに照準もせずに少女のこめかみを的確に撃ち抜いた正確性。それらの要素から鑑みるに、彼こそがユーシア・レゾナントールだろう。殺そうと決めていた相手なのでリヴはいつでも殺せるとは思ったのだが、


「はー、やばい……禁断症状だ。アリスって聞くとどうもねぇ」


 男は――ユーシア・レゾナントールは砂色の外套から薬瓶を取り出すと、ザラザラと中に入っている錠剤を手のひらに三錠ほど転がす。それらの錠剤を口の中に放り込むと、ラムネのようにボリボリと噛み砕いた。

 その錠剤の名前を、リヴは知っている。何故ならリヴも使っている代物だからだ。


「アンタ、それ【DOF】ですよね」

「そうだね」

「【OD】なんですか」

「うん」


 驚いた。稀代の天才狙撃手が、まさかの麻薬中毒になっているとは。

 そして同時に納得した。彼が突然、革命阻止軍から去ったのは、きっと重度の麻薬中毒者である【OD】になったからであり、またアリスという名前になにか関連があると。

 家族を殺したと言っていた。おそらく家族をアリスという何某に殺されたのだろう。つまるところ、彼が輝かしい地位を捨て去ってまでやりたいことは、家族を殺したアリスに対する復讐だ。


(――


 特にやりたいこともなく、ただ気分に任せて他人を殺していた殺人鬼のリヴとは違う。彼は復讐をするという最終的な目標がある。

 うっそりと笑ったリヴは、対物狙撃銃を箱にしまうユーシアにこう提案していた。


「ねえ、アンタ。僕を買いませんか」

「売春は受け付けてないよ」

「違いますよ、殺しの腕です。僕、結構やりますよ。アンタの望むことを望むままに、やってみせます」


 胡乱げに振り返る翡翠色の瞳が、リヴを真っ直ぐに射抜いた。彼は不思議そうに首を傾げると、


「なにが目的?」

「アンタの復讐の完遂を、特等席で観させてください」

「どうして復讐が目的だと?」

「意外と観察眼は優れているんですよ。――で、どうしますか? 僕の実力、買いますか?」


 ユーシアは少しだけ考える素振りを見せてから、


「うん、分かった。よろしくね」

「あっさり信用するとは驚きでした」

「これから信用していくんだよ。俺の復讐劇、特等席で観たいんでしょ?」

「それもそうですね」


 巨大な箱を背負い直したユーシアは、ゴツゴツとした手をリヴへ差し出してくる。リヴも同じように、彼の手を握り返した。


「ユーシア・レゾナントール、よろしくね」

「僕はリヴ・オーリオです。これからシア先輩とお呼びしても?」

「お好きにどうぞ。俺は無難にリヴ君って呼ぶよ」


 ――それから。

 手を組んだ二人の殺人鬼は車を盗み出し、犯罪が横行する大都市のゲームルバークへ向かうことになる。二人の殺害の技術は互いに足りないものを補い、いつしか殺し屋の業界ではちょっとばかり有名人となっていた。


(――特等席で観せてもらってますよ、アンタの復讐劇)


 着実に敵へ近づくユーシアの背中を眺めながら、リヴは黒曜石の瞳をすがめた。


「だから、復讐が完遂したら、それまで付き合っていた僕に対価を支払ってもらえますよね?」

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