第9章【白百合は悪党の色に染まる】

『家に置いてきて大丈夫なんですか』

「大丈夫でしょ。あの子、おかしな言動をする割には真面目な女の子なんだから」


 眼下に広がる摩天楼まてんろうを眺めながら、ユーシアは携帯電話の向こう側で会話するリヴに言う。『不安要素はありますけどね』とリヴはなにやら不満そうだが、それでも排除しようとしない辺りは彼女のことを認めつつあった。

 ユーシアの視線の先には、ガラス張りのビルが建っている。どうやら企業のようで、いまだ仕事をしている社員がいるのか書類を抱えた草臥くたびれた男やら電話をしながら走り去っていく女の姿が、ガラスの向こうから見えた。時刻は夜の一〇時を回っているのだが、そんな時間帯まで仕事をしているとはご苦労なことである。

 無差別に他人を殺して奪う悪党のユーシアであるが、今回ばかりは事情が違っていた。


「珍しいよねぇ、俺たちに依頼ってものがくるなんて」

『本当ですよ。どういう経路から拾ってきたのかよく分からないですけど、殺しが世の為人の為になることってあるんですね』

「しかも惨たらしく殺してくれときたものだ。――思ったんだけど、相当恨まれてるんじゃないの?」


 ユーシアは苦笑する。

 今回は、殺しの依頼を遂行する為に中央区画までやってきたのだ。なんでもこの企業の親玉がセクハラなりパワハラなりがあまりに酷くて、しかも業務形態も変えようとはせず従業員は定時になっても帰れないことなんてザラにあるとか。ついには自殺した従業員を「根性なし」と吐き捨てる始末であり、依頼人の我慢が限界を迎えたようだ。

 それなら会社を辞めればいいじゃん、とユーシアは思ったのだが、福利厚生と給料の額がいいらしいので辞めるに辞められない状況になっているのだとか。世の中とは実に面倒臭いしがらみがあるものだ。

 依頼内容からもはや愚痴になっていき、ナイフを構えたリヴを懸命に押し留めながらユーシアは依頼を引き受けた。どのみち殺すことが仕事なのだから、別に引き受けない理由はない。


「おにーちゃん、まだー?」

「まーだだよー」


 電話中のユーシアの外套を引っ張りながら、白いワンピース姿のネアが退屈そうに言う。

 今回の依頼には、彼女も連れてきたのだ。臓器を綺麗に抜き取る技術は目を見張るものがあるので、標的を殺した暁には臓物を抜いてもらおうという魂胆である。その為、彼女にてがったメイドさんはお家でお留守番という訳だ。


「りっちゃんがいないのー」

「りっちゃんはね、あのビルの中にいるよ。今日は雨合羽レインコートじゃなくておめかししてるよ」

「おめかしー?」


 首を傾げるネアに、ユーシアは隣のビルを指で示した。

 その先には、電話を片手にした女性が歩いている。タイトスカートを穿き、少し高めのヒールを鳴らしながら堂々と歩く黒髪の女性は、ふとピタリと足を止めてガラスの向こうに視線をやった。彼女は黒曜石の瞳をにんまりと歪めて、ひらひらと小さく手を振る。

 ユーシアは通話をスピーカーモードに切り替えると、ネアにもリヴの声が聞こえるように仕向けてやる。


『はろー、僕でーす』

「りっちゃんだ!! おんなのこだったの?」

『女の子に変身してるんですよ。いつもは男の子です』

「きれいー」

『ありがとー』


 見た目は大人でも中身がロリであれば、リヴは砂糖菓子よりも甘くなる。電話越しに聞こえてくる声なんてもうデレデレである。

 基本的にリヴは目的の為なら手段を選ばない性格の人間である為、こうして女装して潜入することに対しても抵抗はない。元々線が細い青年なので、少しばかり化粧をすれば女性に変身することなど容易い。「相手は古狸なんですから、誘惑する為に女の格好をした方がやりやすいでしょう?」というのがリヴの意見である。

 さすが元諜報官である。様々な重要施設に潜入するだけの腕前は、わざわざ【OD】の異能力を使わなくても健在のようだ。


「ところで、標的はどこにいるか分かる?」

『最上階の社長室らしいです』

「大丈夫? ここまで連れてくる?」

『問題ありません。暗殺なんて目をつむってでも――あ、標的だ』


 女性社員に変装したリヴの視線が移動する。

 ユーシアも同じように移動させると、廊下の向こうからやや太り気味の壮年の男が歩いてやってきた。美人秘書も一緒に歩いていて、なんだか悪の親玉という感じがすごく漂っている。これは依頼主もブチ切れるだろう。

 標的は電話中のリヴを目ざとく見つけると、


『君、いつまで電話をしているつもりだ。さっさと仕事に戻れ』

『申し訳ございません。打合せがまだ……』

『いつも言っているだろう。現地・現場・現物主義なんだとな。現地に行って現場を見て、現物を見なければ仕事にならないだろう!! 電話で打合せなどするな!!』

『はい、申し訳ございません』


 平身低頭で謝るリヴに対して怒鳴り散らす標的――これから殺されるということも知らないで、よくもまあそんな態度がとれるものである。隣にいる美人秘書は、自分も一緒に怒られているのではないかとばかりにビクビクした様子だった。

 ユーシアは老人の怒声を電話越しに聞きながら顔をしかめ、男の怒声に対して心的外傷を持つネアは「ぴええッ」と怯えていた。


「こ、このおじちゃんこわい!!」

「これから殺すから怖くないよ」

「りっちゃんがかわいそう!! はやくころそっ?」

「可哀想だもんね。早く殺してリヴ君を自由にしてあげないと」


 というより、そろそろリヴの方も我慢の限界がきているのだろう。電話越しに聞こえる標的の怒声に対して『はい、はい』と人形のように単調な答えを返すリヴだが、その声にどこか苛立ちが混ざっているようにも見えた。

 おそらく、今必死になって殺人の衝動を押さえ込んでいるのだろう。秘書に見られたら大変だからだ。


「さて、お仕事お仕事」


 ユーシアは携帯電話をネアに持たせ、屋上の落下防止の柵に対物狙撃銃の銃身を置く。照準器スコープを覗き込み、十字線レティクルの向こうに美人秘書を配置した。

 まずは目撃者の排除からだ。社長を見かけた途端に「巻き込まれたくない」と悟ったらしい社員が、一斉にリヴのいる階層からいなくなったのが好都合だった。よほど嫌われているらしい。


「ごめんね、恨みはないけど死んでもらうよ」


 ユーシアの視界に、幻想の少女が映り込む。

 射線の上に立つ彼女は、なにも見えていない美人秘書にまとわりついた。構わず引き金を引くと、夜空にタァン!! という銃声が響く。抑えられた銃声は、喧騒の中に消えていく。

 弾丸は最初に幻想の少女を貫いて、次に美人秘書にぶち当たった。幻想の少女のせいで殺傷力を削ぎ落とされたことにより、美人秘書には傷一つなく眠りへと誘う。

 窓ガラスが割れ、突如として糸が切れた操り人形よろしく倒れる美人秘書に驚いたそぶりを見せる標的は、ユーシアのいるビルを睨みつけてきた。


『警察……警察をッ!!』

『警察を呼んで、どうしますか?』

『君ッ、なにをしている!! それはなんだ!! やめろ!!』

『やめませんよ。アンタを殺すことが僕の仕事なので』


 リヴは屁っ放り腰になって逃げる標的の喉笛を、容赦なく切り裂く。流れ出る鮮血、標的の儚い命は簡単に手折られる。

 通話状態を維持したままの携帯電話を耳に当てたリヴは、


『終わりましたよ』

「俺も確認できたよ。今からネアちゃんがそっちに行くから」

『了解です』


 そして通話が切れる。

 ユーシアは怯えた状態で待機していたネアに振り返り、


「これから、あの怖いおじちゃんを解体してきてね」

「おまかせ!」


 むん、と力こぶを作ったネアは、自分の【OD】としての意能力を使って宝石箱をひっくり返したような摩天楼の上を悠々と飛んでいく。

 空を散歩する彼女の背中を見送ったユーシアは、携帯電話である場所に電話をかけた。三度ほどの呼び出し音のあとに、通話が繋がる。


「もしもし。お仕事終わったから、帰るよ」


 ☆


「肝臓は使い物になりませんが、心臓や腎臓は売れますね。あと肺と胃腸も」

「お酒の飲みすぎなのかなぁ。まあ肝臓も売れるだけ売ってみる?」

「おにく、おにく」

「そうだね、お肉だね。でもこれは食べられないから、売っちゃおうね。リヴ君、明日には売りに行きたいんだけど」

「いいですよ。買取業者に伝えておきます」


 たくさんの臓器を手にして、ネアは満足そうである。ちょっと返り血がついてしまっているが、彼女が気にした様子はない。

 今回も鮮やかに臓器を抜き取った彼女の手腕は見事なもので、皮と骨だけ残った標的はそのまま焼却炉にポイしてきた。美人秘書は病的ではないので、今回は殺さないでおいた。

 優秀な性能の高級車から降り、ゲームルバークの片隅にある安アパートの階段を上る。ネアが先に上ると、自分たちの部屋の前で「はやくはやく!」とユーシアとリヴを呼んだ。


「りりぃちゃん、おかえりしてくれるかな?」

「メイドさんなんだから、それぐらいしてくれるでしょ」

「むしろしなかったら、メイドを解雇でいいんじゃないですか?」

「それもそうだね」


 扉や壁が薄いので会話が聞こえているだろうが、これは脳内お花畑な相手に対する警告である。

 ――「やらなかったらどうなるか分かるよな?」という意味を込めての行動だが、悪党にはパワハラもセクハラもないのだ。

 ユーシアが扉の鍵を開けると、ネアが先に部屋の中へ駆け込んでいく。「りりぃちゃん、ただいまー!」と元気よく挨拶。彼女に時間帯など関係ない。


「お帰りなさい、ネアさん。お仕事お疲れ様です」

「りりぃちゃん、ねあ、がんばったよ! ほめてほめて!」

「はい、ネアさんはいい子なのでたくさん褒めてあげちゃいますね」


 やや薄暗く狭い部屋に、銀髪碧眼のメイドがネアの頭を優しく撫でていた。彼女はユーシアとリヴの存在にも気づくと、ネアに向けていたものと同じく柔らかな笑みを浮かべる。


「ユーシアさんとリヴさんも、お帰りなさい。お仕事お疲れ様です」

「いや、あの、うんただいま」

「あー、はい、ただいまです」


 二人して拍子抜けした。

 常識人である銀髪碧眼のメイドことスノウリリィが、まさかのねぎらいの言葉と共に笑顔を向けてきたのだ。他人を殺して害するユーシアたちに常々「常識が云々」と叫んでいたのに、ものすごい変わりようである。

 二人の生返事を不思議に思ったのか、ネアを撫でながらスノウリリィが首を傾げる。


「どうしましたか?」

「いや、あのね、俺たち人を殺してきたんだけど。それ、リリィちゃんからすれば非常識でしょ?」

「ですが、お仕事でしょう?」


 スノウリリィはネアに「汚れた服をお洗濯しますので、お着換えしてきてください」とネアを寝室へ向かわせ、


「好き勝手に他人を殺すことは非常識ですが、今回はお仕事であるということはきちんと理解しています。正しいこととは言い難いですが、労働者に対して労いの一つもしないでどうしますか」

「変なところで真面目なんですね。普通に『人殺し、お前なんか地獄に落ちろ!!』と怒鳴られるかと思ったんですけど」

「私はそこまで怒りっぽくありませんよ!?」


 心外な、とでも言いたげに叫ぶスノウリリィに「はいはい」と適当な返事をしたリヴは、冷蔵庫に抜き取ってきた臓器を放り込む。

 あまりに自然に溶け込む銀髪メイドさんに、ユーシアは苦笑するのだった。


「なんだ、全然修道女シスターっぽくないんだね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る