第7章【マッドハッターのお膝元】

「虫が入り込んだようね」


 繊細な意匠が施された陶器のカップを揺らし、フレイディ・ハッターは忌々しげに呟く。それからカップの中に並々と注がれた飴色の紅茶に、毒々しい紅が引かれた唇をつけた。

 対面しているのは、全身を黒いスーツで包んだ優男だった。整髪料で金色の髪を後頭部に撫でつけ、穏やかな微笑を称えている。だが、その笑顔はどこか胡散臭いものがある。

 フレイディはソーサーにカップを戻すと、豪奢なソファの背もたれに全身を預けた。だらしなく全身を弛緩しかんさせる彼女は、ツンと高い鼻を不満げに鳴らす。


「虫が入り込んだところで、私はどうも思わないけれど」

「逃げた娼婦は如何いかがいたしますか?」


 優男が問いかけてくる。

 フレイディは「放っておきなさい」と短く答えた。


「どうせこの犯罪都市では、まともに生きていけないわ。三日後には死体になって発見されるのがオチでしょう」

「随分手厳しい判断ですね。自分の商品でしょう?」

「確かにあの娘は上等な商品でしょうけど、に惑わされなかったつまらない人間よ。つまらない人間は嫌いなの」


 フレイディはそう言うと、対面する優男を睨みつけた。


「本当は狂気を隠しているのに、まともな一般人の皮を被ったアンタは一番気味が悪いわ」

「お褒めに預かり光栄です」

「誰が褒めたのよ。そういうところも大嫌いよ」


 慇懃いんぎんに振る舞う優男の態度が気に食わないフレイディは、


「まあいいわ。用心棒らしく仕事をなさい。虫を摘み出して」

「承知いたしました」


 優男はにっこりと微笑むと、甘やかな部屋から足早に立ち去っていく。

 扉の向こうに消えていく金髪の男の背中を見送ったフレイディは、そっとため息を吐くとソーサーに戻したカップを手に取った。近くにあったポットを引き寄せると、その蓋を開く。

 中に詰まっていたのは角砂糖ではなく、大量の錠剤だった。ざらざらと砂糖でも入れる感覚で錠剤を紅茶の中に突っ込んだフレイディは、カップから溢れんばかりの山盛りになった錠剤入りの紅茶を傾ける。


「やっぱり【DOF】入りの紅茶は美味しいわ」


 恍惚こうこつと呟くブレイディもまた、まともではなかった。

 そもそも香炉として【DOF】をいぶして使っている時点で、まともな精神状態を期待する方がおかしいというものだ。


 ☆


 昇降機エレベーターはなんか使用中なので、ユーシアとリヴは階段を使って最上階を目指していた。

 広いとも狭いとも言えない中途半端な階段をぐるぐると上っていると、途中で従業員らしき男や娼婦の少女と出くわすことがある。彼らはまずユーシアの持つ純白の対物狙撃銃を警戒して、さらにリヴの格好を認識してから逃げ出そうとする。どこかへ逃げられるより先にリヴが急接近して、その喉笛を引き裂いていたが。

 室内戦なので、基本的に狙撃手であるユーシアの出番はない。これなら外で張り込んでいた方がマシである。


「店主はどこにいますかね」

「やっぱり最上階かな」

「あー、やっぱりですか。まあこんな趣味の悪い建物にするぐらいですからね、馬鹿と煙は高いところが好きだとか言いますし」

「辛辣だねぇ」


 相変わらずリヴ・オーリオという青年は、敵に対して非常に厳しい性格をしている。身内にはすごく甘いとか、やはり辛辣な部分もあるがその辛辣さが加減されているようにも思える。

 上階から逃げてきただろう娼婦の少女の足を引っかけてすっ転ばせたリヴは、踊り場でぶっ倒れる少女の元まで階段を下りる。鼻をぶつけたらしい彼女は、接近してくる真っ黒てるてる坊主に恐怖して「ひいいいッ!!」と引きった悲鳴を上げた。

 扇情的な赤いドレスの胸倉を掴み、リヴは乱暴にドレス の布地を引き裂く。まろび出たささやかな胸部を隠す娼婦の少女へ馬乗りになった凶悪なてるてる坊主は、ぶかぶかな袖の下から色々な凶器を取り出していく。

 注射器やナイフ、自動拳銃、それから縄――トゲのついた棒やらトゲつきの指輪やらが出てきたが、それらはなにに使うのか。


「はい、この中からどれで死にたいですか?」

「いやあああッ!! 助けて、誰か助けて!! ア――」

「はいうるさいですよ」


 娼婦の口の中にナイフを突っ込んだリヴは、血濡れた刃で少女の頬を内側から切り裂く。片側の頬が見事に裂けてしまい、少女は痛みのあまり「――――ッ!!」と言葉にならない絶叫を響かせる。

 バタバタと暴れ出す娼婦の少女の首に、リヴは注射器を突き刺した。シリンダー内で揺れる透明な液体が、少女の体内へ注入されていく。


「ぁ、……ぅぁ……」


 少女の体から力が抜けていく。痛みによる涙が浮かぶ瞳からは光が抜け落ち、だらりと舌を垂らして全身を弛緩させた。

 リヴは冷めた目で娼婦の少女を見下ろすと、傍観していたユーシアへ「すみませんね」と謝りながらまた階段を上ってくる。


「むかつく顔をしていたんで殺しました」

「世界一理不尽な殺害の理由だね」

「そうですか? 僕はこの前、天気が悪かったから人を殺したことありますよ」

「優勝だね」


 世界で一番理不尽な理由で他人を殺した殺人鬼選手権が開催されれば、ぶっちぎりの第一位を獲得することは間違いない。この真っ黒てるてる坊主、外面の色にまさしく似合っている。

 どこまでも腹黒なてるてる坊主はいそいそと取り出した暗殺道具を雨合羽レインコートの中にしまい、ユーシアを先導するように階段を上る。前衛の彼が存在しなければ、ユーシアはただのポンコツになってしまうので、彼が進んで前に出てくれるのは非常にありがたい。

 もうすぐ最上階というところまでやってきた二人だが、


「…………なんですかね、あれ」

「フラミンゴかな?」


 階段の先にピンク色で全体的に細身の鳥――フラミンゴが立っていた。優雅な立ち姿を披露するフラミンゴを階下から見上げ、ユーシアとリヴは揃って首を傾げる。

 どうしてここにフラミンゴが?

 当然のように二人して疑問に思うが、フラミンゴを野放しにする訳にもいかないので。


「通行の邪魔ですね。殺しますか」

「眠らせてあげよう。フラミンゴって食べられたっけ?」

「焼いて油で揚げればなんでも食べられますよ」


 命の危機を察知したフラミンゴが、慌てた素振りで逃げ出そうとする。

 しかし、素早く対物狙撃銃を構えたユーシアが、逃げ出そうとするフラミンゴの尻を狙って狙撃した。タァン、という極力抑えられた銃声と共に、フラミンゴめがけて銃弾が飛んでいく。

 フラミンゴを守るように降り立った金髪の少女を貫通し、フラミンゴへ銃弾がぶち当たる。これで謎のフラミンゴは永遠の眠りの世界へ旅立つはずなのだが、


「ありゃ?」

「あらら」


 ユーシアとリヴの疑問を孕んだ声が重なる。

 確かに狙撃に成功したフラミンゴだが、不思議なことに幻の如くその場で消え失せたのだ。今まで見てきたものは幻想であると言っているかのようである。

 すっかり料理の材料として使う気満々でいた二人は、ちょっとガッカリである。


「なんだ、幻影か」

「どこぞの【OD】の仕業ですかね。見つけたら殺しましょう」

「リヴ君さ、前々から気になってたんだけど、殺意すごいよね?」

「僕だってそんな誰彼構わず殺すような殺人鬼じゃないですよ。ちゃんとロリは残してます」

「…………思ったんだけど、だったらショタはお前さんの守備範囲なの?」

「範囲外ですね。シア先輩のショタ時代は見てみたいですが」

「逃げて少年時代の俺超逃げて」


 和やかに会話する二人だが、この場に常識人のスノウリリィでもいれば確実に「頭がおかしいです」とツッコミが飛んできそうである。

 二人は、ついに最上階までやってきた。最上階は『関係者以外立入禁止』とデカデカと書かれた札が下がっていたが、別にユーシアとリヴには関係ない。正面からやってきた訳ではないし、そもそもこの二人に常識を説こうなどとは大きな間違いだ。

 てるてる坊主が助走をつけると、


「はい、お邪魔しまーす!!」


 華麗なドロップキックで扉を吹き飛ばした。素直に鍵開けをしようとは思わなかったのか。

 勢いよく扉が開き、その向こうから噎せ返るような甘い香りが漂ってくる。ユーシアは思わず咳き込み、リヴは「うげえ」と顔をしかめた。


「ようこそ、私の夢の中へ――虫ケラ」


 甘い香りの向こうで待っていたのは、けばけばしいドレスで豊満な肢体を覆った妙齢の女だった。明るい茶色の髪を貴族のお姫様よろしく縦ロールにして、毒々しい赤い紅を引いた唇が弧を描く。侵入者であるユーシアとリヴを睨みつけるその瞳の色は、幻想的な紫色だ。

 女性は優雅に豪奢なソファへ腰かけると、ローテーブルの上で放置されていたティーカップを手に取る。そのカップの中には大量の錠剤が投入されていて、山盛りの錠剤が入った紅茶を彼女は悠々と傾ける。


「本当、最近の若者は礼儀がなっていないわ。でも、侵入してくる気概は褒めてあげる」

「アバズレには興味ないんで、今すぐ死んでもらってもいいですかね?」

「口を慎みなさい、クソガキ。あまり急かすとつまらない男になるわよ」


 殺意を剥き出しにするリヴに対して余裕の態度で接するとは、この女性は随分と肝が据わっている。

 部屋に満ちる甘い香りを我慢して、ユーシアは部屋の中へ足を踏み入れる。女性の対面にどっかりと腰かけると、


「アリスはどこにいる?」

「あら、会わなかった? 害虫駆除を頼んだのだけれど……あの用心棒は依頼主の言うことまで聞けなくなった駄犬のようね」

「確かにいたんだね?」

「いたわよ。もういないけれど」


 女性はカップの中に浮かぶ錠剤をボリボリと噛み砕きながら、


「アンタにも言いたいことがあるの。うちの従業員をたぶらかして楽しかったかしら?」

「うちの末っ子がメイドさんを欲しがったから、ちょうどいい人材だったよ」

「だったらその分の料金は請求しないとね?」

「あははは、面白いことを言うババアだね。俺が呼んでもない娼婦の支払いに応じるって?」

「警察に突き出すわよ」

「やってみなよ。どうせ警察に捕まるのはお前さんの方さ。薬物取締法って知ってる?」


 二人の間に火花が散る。

 アリス以上に気に食わない女のおかげで、ユーシアの機嫌は最高潮とも言えるぐらいに悪かった。目的の人物は見当たらなかったし、この女は本当にムカつく。このまま永遠の眠りに旅立たせて、全裸で市中引きずり回したっていいぐらいだ。


「やっぱり気に食わないから死んでくれる?」

「あら、できるかしら」


 そう言うと、女性は錠剤が入ったティーカップを倒した。

 ざばっと飴色の液体がテーブルの上に広がり、そしてその中から大量の虫が這い出てくる。うごうごと机の上をうごめく芋虫は、身の毛がよだつほどの気持ち悪さがあった。


「フレイディ・ハッターよ。マッドハッターの【OD】なの」

「ご丁寧にどうも。俺はユーシア・レゾナントール、眠りの森の美女の【OD】さ」


 二人の【OD】が睨み合い、そして殺し合いの火蓋が切って落とされる。


「じゃあ死んで」

「そっちこそ」

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