第4章【平和な朝など来ない】
とりあえず、スノウリリィの殺害は中止して寝ることにした。
夜中の出来事だったので、ユーシアもリヴも眠気が限界に到達していたのだ。騒ぎ立てるスノウリリィをひとまず捨て置いて、二人は眠りにつく。
一方、捨て置かれたスノウリリィは、
「あ、スノウリリィちゃんだっけ。寝るとこないから床でいい?」
「客人を床で寝させるだなんて常識はどこに行ったんですか!?」
「その辺の野良犬に食わせたね」
「あ、あの、一応女の子なんですが……気遣いとかは?」
「ネアちゃんのように可愛げがないからねぇ。あ、タオルは用意するよ。
「客人に渡すものではないですね!?」
きゃんきゃんと子犬のように喧しいスノウリリィを無視して、ユーシアは寝床にしているソファに倒れ込んだ。リヴも風呂場の浴槽に丸まって眠るというこちらも常識を疑いたくなる寝方をして、一夜を過ごした。
ユーシア・レゾナントールに、まともな朝はこない。狙撃手なのだから起きる時間は不定期だし、企業に勤めている訳ではないので遅刻という概念はない。仕事をしなければ、一日中ぐうたらとした生活をしているだけである。
だから、まともな朝食の匂いを嗅いだのは久しぶりかもしれない。
「――ん?」
鼻孔をくすぐった卵が焼ける匂いと、油が弾ける音。
家族を失ってから、ユーシアはリヴと出会うまで一人きりだった。だから家事の一通りはこなしていたし、リヴやネアと出会ってからも家事はユーシアの担当だった。ネアはもってのほかだし、なんでも器用にこなすリヴは家事だけが壊滅的にできなかったのだ。なので、自然と一人暮らしが長かったユーシアが家事を担うことになっていたが。
ユーシア以外でキッチンに立つ者がいるとは、驚きである。
「……あ、おはようございます。すみません、勝手にお台所を借りています」
「別にそれぐらいで目くじら立てるような男じゃないよ」
「それはよかったです。もうすぐで朝食ができますので、起きてくださいね」
銀髪の少女――スノウリリィが、にっこりと穏やかな笑みを見せる。魔法少女の衣装も相まって、日曜日の朝からやってる女児アニメのような雰囲気がある。本当は娼婦なのに、魔法少女も兼任しているのではと疑問に思ってしまう。
ボサボサになった金髪を掻いたユーシアは、大きな欠伸をするとソファから身を起こす。せっかく作ってくれた朝食である、きちんと食べなければもったいないだろう。作ってくれた少女の好意はどうでもいいが。
「なんかいい匂いがするんですけど、シア先輩ですか?」
「んー、おにーちゃんおはよー……」
スノウリリィの作る朝食の匂いにつられてきたのか、浴室からリヴがひょっこりと顔を出し、寝室からはネアが寝ぼけ眼を擦りながらやってくる。
寝癖のついたネアの髪を整えてやりながら、ユーシアは「スノウリリィちゃんが作ってるよ」と言うと、リヴがあからさまに嫌そうな顔を見せた。
「それって信用できるんですか?」
「食べられなかったら捨てるだけだよね」
「酷いです!! 他人がせっかく好意で作った朝食を捨てるとか、貴方がたは正気ですか!?」
心外な、とばかりに叫ぶスノウリリィは、人数分の皿を運んでくる。
白い皿に載せられていたものは、
「…………なにこれ」
「ベーコンエッグですが」
キョトンとした表情で、平然と料理名を告げるスノウリリィ。
普通のベーコンエッグであれば、目玉焼きにベーコンが重なったような料理だと思う。だが、今スノウリリィが出したベーコンエッグは、べっちょべちょに溶けた緑色のなにかだったのだ。今日び、料理下手なアニメキャラだってこんな料理は作らないだろう。
いまだ眠りの世界に片足を突っ込んでいるネアは、この悲惨な朝食を目の当たりにしていない。ユーシアとリヴは互いに顔を見合わせると、
「リヴ君」
「はい」
ユーシアが差し出した手に、リヴは小さな自動拳銃を乗せる。ただしその薬室に弾丸は入っていないただの空砲だが、ネアという純粋無垢な少女をもう一度眠らせるにはちょうどいいだろう。
ユーシアはネアの背中に自動拳銃の銃口を押し付けると、ほんの一〇分程度ぐっすり眠るように意識しながら引き金を引く。カチン、と空の薬室を叩く撃鉄、当然のように弾丸は射出されないが【OD】としてのユーシアの能力が発動する。
パタリとネアがソファにもたれかかって倒れ、すやすやと夢の世界へ旅立った。その隙に、ユーシアとリヴはスノウリリィの始末に取りかかる。
「リヴ君、お風呂場でやってね」
「どこの臓器は無事な方がいいですか? やっぱり心臓? それとも肝臓?」
「子宮の方がいいかなぁ。あと念の為に眼球も取り出しておいてね。眼球を
「了解しました。スプーンってありましたっけ」
「あったと思うよ。あとで持っていく」
「お願いします」
「ま、ま、待ってください!? な、なんでまた殺されそうになっているのですか!?」
自分が殺される理由が皆目見当もつかないらしいスノウリリィが悲鳴を上げるが、こんなスライムもどきを食わせようとする方が【DOF】を決めて常識を捨て去った【OD】よりもタチが悪い。
リヴがスノウリリィの銀髪をむんずと掴んで、ずるずると浴室まで連行していく。銀髪の少女は殺されまいと必死の抵抗を見せるが、今度はまともに叫べないように
「安楽死なので眠るように死んでいきますよ。注射の痛みぐらいなので安心して死んでください」
「むーッ、むーッ」
「はいはい、チクッとしますよ」
「むーッ!!」
リヴの飄々とした声とは対照的に、スノウリリィのくぐもった声は必死に抵抗しているのが分かる。可哀想に、尊い命(笑)がまた亡くなるのだ。
すると、すでに一〇分が経過したのか、ネアがぱっちりと目を覚ました。シャキンと飛び起きた金髪の少女は、なにかを探すように部屋中へ視線を巡らせる。それから緑色の劇物の処理をどうしようかと悩んでいたユーシアのシャツの裾をくいくいと引っ張って、
「りりぃちゃんは?」
「お星さまになったよ」
「……そっかぁ」
ネアはしょんぼりとした様子で、ポツリと呟く。
「……きにいってたんだけどなぁ」
その言葉に対して、ユーシアは迅速だった。
「リヴ君、スノウリリィちゃんどうなってる?」
「恐怖のあまり気絶しました。まだ薬品は投与していませんが」
「殺さないで、生かしておいて。うちのお姫様がメイドをご所望だ」
「了解です。素っ裸にひん剥いてメイド服の作成に入ります。シア先輩のお手を煩わせて申し訳ないですが、この女が起きないように眠らせてください」
「了解。三時間きっかりでいいね?」
「十分です」
女性用の衣服は持っていないが、なければ作ればいいじゃないの精神である。リヴは手慣れた手つきでスノウリリィが着ている魔法少女の衣装を脱がすと、朝の気配に包まれて静かな様子のゲームルバークへ飛び出していった。洋裁店に駆け込んで生地を購入するつもりだろうが、果たしてゲームルバークに洋裁店などあっただろうか。
ユーシアはリヴから貸与した黒光りする小さな自動拳銃を指に引っかけて、くるくると回しながら浴室に足を踏み入れる。水はけのいいタイル張りの床に銀髪の少女が全裸の状態で寝転がらされていて、白目を剥いて気絶していた。
「不細工だなぁ」
先程までは結構可愛い少女だったのに、今ではこんなにすっかり不細工になってしまった。
ユーシアは目も当てられない醜態を晒す少女からそっと視線を逸らすと、小さな自動拳銃の引き金を引く。
彼女が目覚めるまで、あと三時間。
☆
きっかり三時間後。
ネアとリヴは仲良く『恋して☆えんじぇう』のアニメ鑑賞して、ユーシアは愛用の対物狙撃銃の掃除をしていた。朝食もすでに終え、あとはあのメイドの少女が目覚めるのを待つだけだった。
その時、甲高い悲鳴が風呂場から響き渡る。ネアは「きゃあ!?」と驚いていたが、ユーシアとリヴは大して驚かなかった。ようやく起きたか、といったところだ。
「ああああの、あの、これは一体どういうことでしょう!? 何故私はメイド服を着させられているのですか!?」
風呂場から飛び出してきたスノウリリィは、可愛らしいメイド服を身につけていた。黒いワンピースに純白のエプロンドレス、頭のカチューシャもバッチリである。
恥ずかしそうに短いスカートの裾を押さえるスノウリリィは、キッとユーシアをまず睨みつけた。だが彼女の鋭い眼光など鮮やかに無視したユーシアは、対物狙撃銃をライフルケースにしまいながら言う。
「ネアちゃんがねぇ、メイドさんを欲しがっててねぇ」
「だからって、なんで私が……!!」
「あれ? じゃあ死んだ方がよかったかなぁ?」
ユーシアがそっと視線をリヴにやると、女児アニメを見ながらリヴは手品のように手のひらに収まる程度の自動拳銃を取り出した。命の危機を感じ取ったスノウリリィは、ぐっと口を噤む。
「ネアちゃんに感謝しなよ。あの子がお前さんのことを気に入ってくれたから、生かすことに決めたんだよ」
「ど、どこを気に入ってもらえたのか分かりませんが、とてもありがたいです……」
「あーッ!!」
女児アニメに夢中だったネアは、メイド服を着用したスノウリリィを見つけると翡翠色の瞳をキラキラと輝かせて銀髪のメイドに飛びかかる。
ちなみに、文字通りである。朝食のあとに【DOF】を服用したネアは、ピーターパンの異能力である空飛ぶ能力を使用した。虚空をふわふわと移動すると、ぽすんとスノウリリィの腕の中に収まる。
「りりぃちゃん、かわいい!」
「あ、ありがとうございます……?」
「よるにね、りりぃちゃんにあたまをなでなでしてもらったらね、おとうさんがきえちゃったの!」
「そ、そうですか……」
「だからね、ねあといっしょにおねんねしてほしいなぁ。おねがいっ」
キラッキラに瞳を輝かせる少女に、スノウリリィは断りきれずに「は、はい……」と頷いた。おそらく断ったら殺されるという要素もあっただろうが、そこはそれ、真面目な少女が精神退行したネアのお願いを断る訳がない。
ネアの鶴の一声によってメイドとして生かされたスノウリリィは、なんだか少しだけ安堵した様子だった。
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