第3章【堕ちた修道女】

「う、うッ、酷い目に遭いました……」

「犯罪都市なんだからこれぐらいは覚悟してもらわないと困るんだけど?」

「全くですよ。とんだお花畑思考なんですね」

「りっちゃん、おねーちゃんのあたまにはおはなさいてないよ?」


 さめざめと涙を流す銀髪の少女に服を着せてやり、事情を聞くことにしたユーシアとリヴは、とりあえず自分たちの部屋に連れ帰ることにした。

 着せる服がなかったので、ユーシアはリヴに頼んで部屋から衣服を持ってきてもらったのだが――。


「リヴ君」

「なんでしょう」

「もっとマシな服はなかったのかな?」


 今、銀髪の少女に着せている服は、フリフリでとても可愛らしいデザインのワンピースドレスだった。肩は丸出しであり、短いスカートからは白い太腿が伸びる。ピンクと黄色などといった暖色系でまとめられた可愛らしいドレスは、明らかに女児アニメで出てきそうなキャラクターの衣装だった。

 リヴはキョトンとした表情で、


「『恋して☆えんじぇう』の主人公、エンジェルローズの魔法少女フォームの衣装です。ポチっちゃいました」

「そんなね、ドヤ顔で言われても俺は知らないんだよね」

「それと、僕が女性服を持っている訳ないじゃないですか。僕の性別きちんと把握してます?」

「それはもちろん、リヴ君って言ってるんだから男の子だよ。それでも女の子にこの衣装を躊躇いもなしに着させちゃうの――もういいか、どうせ知り合いじゃないし」

「何故そこで諦めるのですかッ!?」


 リヴに常識を説きかけたユーシアだが、どうせなにを言ったところで無駄なのでやめておいた。そもそも自分自身もまともではないので、銀髪の少女にまともな服を用意してやるという義理もない。

 大きなホットケーキを食べるという幸せな夢を壊されてご立腹中のネアは、蜂蜜を垂らしたホットミルクを飲んでご機嫌を回復しているところだった。銀髪の少女がなんの衣装を身につけたところで、彼女は意にも介さないだろう。

 銀髪の少女は少しだけ恥ずかしそうにして、スカートの裾を正しながら言う。


「助けていただき、感謝いたします。私は」

「あ、お前さんの名前とか興味ないから帰ってくれる?」

「あ、帰るならそのドレス脱いで欲しいです。限定品なので」

「だってさ。脱衣場あっちだから、脱いで帰ってくれる?」

「全裸で帰れってことですか!?」


 銀髪の少女の鋭いツッコミに、ユーシアとリヴはもう鬱陶しく感じているようだった。「この子、殺しちゃおうか」「そうですね。臓器を取り出すプロがいますので」とこそこそと話している二人を無視して、少女は堂々と名前を告げた。


「私はスノウリリィ・ハイアットと申します。聖アルテナ教会の修道女シスターでした」

「あー、あそこね。もう潰れたって聞くけれど」


 興味ないとはいえ、話はきちんと聞くユーシアである。眠気がやってきたネアの口周りを拭いてやるという片手間で、少女――スノウリリィの話を聞いてやることにする。

 犯罪都市ゲームルバークには、一応教会が存在した。だが、経営難に陥り潰れてしまったのだ。所属していた修道女は散り散りになったらしいが、まさか娼婦に身を落としていたなどとは誰が思うだろうか。

 スノウリリィは「ご存知なんですね!!」と表情を明るくさせるが、


「一緒に教会を救いましょうっていう宗教の勧誘はお断りしてます。僕、神様なんて信じてないんで」

「はうあッ!? そ、そんな、どうして神はいないと仰られるのです!? 神はいます、信じて祈り続ければ必ず答えてくれるのです!!」

「シア先輩、やっぱり殺しちゃいましょうよ」

「血が部屋に飛び散るから、お風呂場でやってね」

「ままま待ってください!! どうして殺そうとするんですか!? 尊い命をどう思っているのですか!!」


【DOF】に手を染めていないだけあって、スノウリリィという少女は実に常識的だった。――ただ、その傲慢さがなんとも言えないが。

 尊い命をどう思っているかなど、狙撃手であるユーシアと暗殺者であるリヴに説くものではない。すでに他人の命を奪うことに抵抗がない二人は、ケロリとした様子で言ってのける。


「どうって……別にただの生きて喋る肉人形的な?」

「ですね」

「酷い認識ですね!?」


 目を剥いて驚くスノウリリィだが、二人からすれば別に驚かれるようなことではない。歌でも歌うかのように他人を殺してきたので、もう常識とか犬の餌になったのだ。

 娼婦以前に修道女の一人であるスノウリリィは、なんとか邪悪な二人を改心させようと「あのですね」と話を切り出すが、そもそも話を聞く気が全くない二人はスノウリリィの言葉など無視する。すでにおねむの時間であるネアを連れて寝室へ向かうユーシアのすぐ側で、リヴが本格的にスノウリリィを殺害するべく首根っこを掴んで風呂場へ引きずっていく。

 ずるずると引きずられるスノウリリィは、甲高い悲鳴を上げて抵抗した。


「いやあああああ!! ほ、本当に殺すんですか!? 本当に私って殺されちゃうんですかぁ!?」

「本当に殺す気でいますが、なにか?」

「何故そこまで平然と言えるのです!? ま、まさか悪魔が取り憑いて……ああ、ここに聖書と聖水があれば!!」

「修道女って悪魔払いエクソシストの真似ごとまでやるんですか?」

「いえ、あの、雑誌で読んだもの程度の知識しか持ち合わせていないのですが」

「撲殺はやめておきましょうか。せっかくの健康体が台無しになっちゃいますし、臓器の鮮度が落ちてしまいます。ここはやっぱり安楽死がベストでしょうね。窒息の方がいいですか?」

「嫌です死にたくありません!! だ、誰か、誰かーッ!! 助けてください!!」


 スノウリリィは必死になって悲鳴を上げるが、それでも誰も助けになんかこない。痴話喧嘩だと思われているのだろう。

 それに、よしんば助けが入ったところでリヴの餌食になるだけだ。他人の命を奪うことに最も躊躇いがないのは、ユーシアよりもリヴの方である。

 うつらうつらと舟を漕ぐネアをベッドに寝かせてやったユーシアは、リヴとスノウリリィのやり取りを「賑やかだなぁ」などと軽い調子で聞いていたのだが。


「あ、!! どうせ見ているのでしょう!? 従業員が襲われていますよ!? アリスさん!?!!」

「あ、馬鹿!!」


 なにかを察知したリヴがスノウリリィの口を塞いだが、すでに遅かった。

 ユーシアの視界の端で笑っていた幼い金髪の少女が、まるで塩酸をぶっかけられたかのようにドロリと融解する。

 溶け落ちて、残るのは肉片。ぶち撒けられた肉片、内臓、鮮血。赤い部屋。鉄錆の臭い。生温かい。どこまでも広がる赤赤赤赤赤赤赤、

 ――今、誰が笑った?


「――ありす」


 ゆらり、と。

 幽霊の如く、ユーシアは一歩を踏み出す。向かう先はスノウリリィと名乗った銀髪の娼婦の元へ、異変を察知したリヴが素早く飛びかかってくる。

 最高峰の暗殺技術を持つ青年は、当然ながら体術も桁違いの実力を持っている。近接戦闘を苦手とするユーシアは簡単に押さえ込まれてしまい、スノウリリィに襲いかかることを阻止された。


「ありすありすなあどうして逃げるんだありす殺してやるよそうだろうだってお前は俺の家族を殺したのだから殺される覚悟があるんだろう俺はお前と同じ土俵に上がったぞお前を殺してやる殺してやる殺してやるありすありすありすありすありすありすありす!!」

「シア先輩、落ち着いてください。――ああ、クソ。いつにもまして発作が酷い!!」


 舌打ちをしたリヴは、自分用に持っていた注射器をユーシアの腕に突き刺した。シリンダーの中で揺れる液状の【DOF】を注入すると、口から唾を飛ばしてアリスに対する怨嗟を叫んでいたユーシアが大人しくなった。

 ぜえはあ、と肩で息をするユーシアは、リヴに横っ面を殴られてようやく正気に戻る。


「いい加減にアリスで暴走するの、やめましょうよ。止めるこっちの身にもなってください」

「……うん、ごめん。本当にごめん」

「ごめんで済むなら【DOF】はこの世にいらないし、【OD】だって存在しないですよ」


 厳しい口調でたしなめられて、ユーシアは反省する。どうしてもアリスという言葉に反応してしまう自分が恨めしい。

 アリスと聞いただけで、ユーシアの理性が蒸発する。本能だけでアリスを殺す生き物になってしまう。それは【DOF】を飲んでいても飲まないでいても同じ状態となり、こうしてリヴに正気に戻してもらわなければ、スノウリリィを殴り殺していたかもしれない。

 バーサク状態のユーシアを目の当たりにし、一般人の感覚を持つスノウリリィは酷く怯えていた。それよりも前にリヴが殺そうとしていたのだが、狂気に染まったユーシアはそれよりも恐ろしかったようだ。


「えーと、スノウリリィちゃんだっけ。ねえ、一つ聞いてもいいかい?」

「ぎ、銀行口座ですか?」

「むしろなんでその情報が必要だと判断した?」

「ち、違うのですか? シスター・アンジェルから聞いたのですが……」


 こんな局面でボケを炸裂させるという一面を見せるスノウリリィに、ユーシアは宣言通り、一つだけ質問をした。


「アリスをどこで知った?」


 それに対して、スノウリリィの言葉は実に簡素だった。

 当たり前のように、事実を告げる。


「娼館に出入りしている用心棒さんです。誰でも当然知っていますよ」


 その言葉に、嘘偽りなどなさそうだった。仮にも修道女を名乗る真面目な少女が、嘘を吐くとは思えない。

 以前もネアの父親がアリスの名を叫んでいたので、やはりこの街にいるようだ。ようやく近づけた。


「リヴ君。俺は決めたよ」

「なにをです?」

「娼館を潰そう」


 頭の中身を疑いたくなるような宣言に、スノウリリィが「はあ!?」と叫ぶ。常識人からすれば驚愕するべき言葉だが、こちらは常識をなくして久しいのだ。

 リヴはやれやれと肩を竦めると、


「簡単に言いますけど、どうやって潰すおつもりですか? 娼館に火でも放つんです?」

「そうだねぇ。アリスに出会えればそれでいいし、用心棒なら娼婦を殺していけば会えるかなぁ」


 口調だけはまるで明日のデートを楽しみにしている恋人のようなものだが、その話の内容は頭のネジが三個ほどぶっ飛んでいる。常識的に考えれば、あり得ない。

 平然と狂った会話を交わす二人に、スノウリリィは震えた声で言う。


「狂ってる……どう考えても、おかしいです」

「最高の褒め言葉をどうもありがとう、美しい娼婦のお嬢さん」


 にっこりと微笑んだユーシアは、


「【OD】は狂ってて当然なんだよ」

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