第2章【隣の娼婦】

 ゲームルバークの端は、比較的安いアパートが群れをなしている。

 居住者の大半が金のない貧乏人で、そしてそのうちの九割が犯罪者である。主にスリや詐欺などで生計を立てているようで、特に詐欺師なんかは代わる代わる異性を連れ込んではファイト一発を楽しんでいるので鬱陶しくて仕方がない。

 当然、この安アパート群で一番の悪党といえば、狙撃手であるユーシア・レゾナントールと暗殺者のリヴ・オーリオの二人組なのだが。


「うあああああああああ!! ちょっとリヴ君起きてぇ!!」


 早朝のゲームルバークに、ユーシアの悲鳴が轟く。

 壁の薄いアパート群の居住者は、もしかしたらこの悲鳴によって目が覚めたかもしれない。それぐらいにユーシアの悲鳴は特大のものだった。

 決して広いとは言えない安アパートに、ユーシアとリヴ、そしてネアの三人が仲良く暮らしている。いくら【DOF】を過剰摂取して人間離れしてしまった【OD】であっても、雀の涙程度の常識は残っているのだ。

 閑話休題。


「…………なんなんですか、朝っぱらから」


 眠気を孕んだ声で、リヴが何故か風呂場から出てくる。艶のない黒髪は濡れそぼり、ポタポタと毛先から滴が落ちた。半裸でいるところを考えると、おそらくシャワーでも浴びていたのだろう。

 一方でユーシアは、キッチンに立っていた。この三人の中でまともに家事ができるのがユーシアしかおらず、自然と食事の用意もユーシアの担当になっていた。そして朝食を作ろうと冷蔵庫を開けた途端に、なにやら血生臭い香りが鼻を突いたのだ。

 ユーシアは冷蔵庫の中身を指で示して、


「なんで冷蔵庫の中にモツが入ってんの!?」

「あー……」


 リヴは非常に面倒くさそうに、濡れた黒髪を掻いた。

 そう、なんと冷蔵庫の中には誰かの内臓が冷やされていたのだ。生肉かと思ったら驚きの誰かの臓物である。こんなものを食べるなど、いくら【OD】であるユーシアでもそんなことはしない。

 すると、騒ぎを聞きつけて起きてきたらしいネアが、寝ぼけ眼を擦りながら「なぁに、おにーちゃん……」とやってくる。いくらマフィアの娘だからと言って、こんな純粋培養の子供に冷蔵庫で冷やされた内臓など見せたくないと思ったユーシアは、急いで冷蔵庫の扉を閉じた。


「なんでもないよ、ネアちゃん。まだ眠いなら寝ておいで」

「うん……」


 ネアは素直にユーシアの言葉を聞き入れ、寝室らしき部屋に戻ろうとする。

 寸前で彼女はピタリと足を止めると、くるりとユーシアへと振り返って「あ、おにーちゃん」と呼びかけてくる。人形のような顔立ちをにへらと崩して笑った金髪の少女は、とんでもないことを口走った。


「れいぞーこのおにく、ねあがとったの。ごはんにできるかなぁ?」

「冷蔵庫の……」


 冷蔵庫を開くと、やっぱりそこには内臓が置いてある。なにやらビニール袋に入れられた内臓が、素晴らしい鮮度を保ったまま冷蔵庫で冷やされている。

 冷蔵庫のお肉と言えば、この内臓以外に存在しない。ユーシアは嫌な予感がして、おそるおそると言ったような風にネアへ問いかける。


「……もしかして、誰か人間さんのお腹の中から取ってきた?」

「うん。おにーちゃん、おにくほしいかなっておもって」


 ネアはそれだけ言い残すと、フラフラとした覚束ない足取りで寝室に戻っていく。

 完全に金髪の少女の姿が消えてから、ユーシアは視線だけで相棒の暗殺者に「どういうこと?」と問いかける。濡れた髪を薄っぺらなタオルで拭いながら、リヴは肩を竦めた。


「もう一種の才能ですよ。倒れてた【OD】からモツを抜き取っちゃうんですから」

「俺はもうびっくりだよ……ネアちゃんの意外な才能を見ちゃったなぁ」


 腐ってもマフィアの娘ということか。あのクソ親父、娘のいるところで仕事でもしていたのだろうか。

 あと三発ぐらい殴ってもよかったな、などと物騒なことを考えているユーシアの耳に、どこからか甲高い悲鳴が聞こえてきた。アパートの壁が薄いので、どこから悲鳴が上がったのかよく分かる。


「まーたお隣さんかなぁ。今月で何人目の女の子よ」

「色男はモテるって言えばいいのか、それとも単に娼婦でも家に呼んでるのか。どっちなんでしょうね」


 リヴはロリに関すること以外は興味を示さないので、今回の隣室から聞こえてきた女の悲鳴も特に興味はないようだ。面倒くさそうに風呂場へ戻っていくと、遅れてドライヤーを使うガー!! という音が部屋中を満たした。

 この音でよくネアは起きないものだ、とユーシアは密かに感心する。冷蔵庫を開けてネアが取ってきたという内臓は無視して、卵と牛乳を取り出した。必要ないとはいえ、ネアが内臓を取ってきてくれたのだ。これは闇医者にでも売り払ってやろう。

 器用に片手だけで卵を割り、泡立て器でかき混ぜる。さらに牛乳を追加で投入して――。


「オラ、大人しくしろ!!」

「いや、やだ、誰か助けてぇ!!」

「娼婦じゃねえのかよ!! こっちは高い金を払ってんだぞ!!」

「知りません!! 私は聖職者です、修道女シスターです!! 娼婦なんて薄汚い存在ではありません!!」

「なんだよそういうプレイかァ? じゃあ堕落させてやるから来いっての!!」

「きゃああああああああ!!」


 今度は玄関先で騒ぎ始めた。

 ユーシアは料理の手を止めて、胡乱げに玄関へと視線をやる。玄関に程近い風呂場からはドライヤーの音がいつのまにか消えていて、リヴがひょっこりと顔を出していた。

 相棒の感情が、ユーシアには手に取るように分かる。――あれは、殺すべきか殺さないべきか考えている時だ。


「リヴ君」

「なんですか」

「殺さない」

「……分かりました」


 リヴは渋々といった様子で、ユーシアの言葉に従った。きっとゴーサインを出した途端に消え去り、すぐに隣人を殺しにかかるだろう。おそらく娼婦も一緒に殺されるに違いない。

 娼婦と客が揉め事を起こすことなんて日常茶飯事なので、そう目くじらを立てることでもない。聖職者だと宣う娼婦には悪いが、きちんと役目は果たしてもらおう。

 ユーシア・レゾナントールという男は、相手に一切の同情をしない。それは狙撃手としての性格なのか、あるいは【OD】になったからこそ良心が壊れてしまったのか、定かではない。


 ☆


 その日の夜。

 時刻は深夜、午前二時過ぎ。

 内臓を闇医者に売り払ったおかげで金が転がり込んできたので、今日は中央区画から強盗をするのはやめようという話になったので、ユーシアたちは早々に寝床に入った。ユーシアは普通に黴臭いソファで眠り、ネアは寝室をあてがい、リヴはなんと風呂場の浴槽の中で眠るという何とも言えない部屋割りだった。

 犯罪都市にしては珍しい、静かな夜である。誰もが寝静まり、夜の闇に犯罪都市が沈んでいる。

 ――そのはずだったのに。


「ふざけないでください!! 私は聖職者です!!」

「昼間に来た女もそんなことを言ってたなァ。まさかそういうプレイが流行ってるのか?」

「は、はやッ……!? ち、違います、私は本当に神の使いで……!!」

「はいはいそういうのいいから」

「まさか、シスター・フラガラルを辱めたのは貴方ですね!? おのれ、暴漢め!! 私は絶対に屈しない!!」


 玄関先で、どこかで聞いたことあるようなやり取りが展開された。何度も言うようだが、壁が薄いので会話が全て筒抜けの状態である。

 そのおかげでユーシアとリヴは目を覚まし、ネアは安物のベッドから落ちた。


「……さすがにさぁ、夜中に痴話喧嘩されると頭にくるんだけど……」


 寝癖が目立つくすんだ金髪を掻き上げたユーシアは、ソファの下に隠してあるライフルケースを引っ張り出した。すぐ近くにある薬瓶から錠剤を二錠ほど手のひらに落とすと、コップに入れたまま放置されていた水で流し込む。

 視界の端からやってきた幼い少女の幻影から視線を逸らし、ユーシアはライフルケースに横たわっていた純白の対物狙撃銃を手に取った。深夜に銃声は目立つので、今回は銃弾を使わないことにする。銃弾がなくても、ユーシアは【OD】としての異能力を行使することができるのだ。

 すると、寝室から天使のモチーフがついたナイフを手に、ネアが飛び出してきた。その翡翠色の瞳は明らかに怒っていて、全身で怒りを表現するように「むー!!」とナイフを掲げて唸る。


「うるさいの!! おっきなほっとけーきをたべるゆめをみてたのに!!」

「全くですよ。一度ならず二度までも……近所迷惑をしなきゃ生きていけない人種なんですかね」


 朝方は抑えてくれたが、元々沸点の低いリヴもとうとう我慢の限界が訪れたようだった。闇に解ける黒い雨合羽レインコートを身にまとい、ぶかぶかの袖にはナイフを装備していることだろう。

 かくいうユーシアも、我慢してやる義理は毛頭ない。娼婦諸共眠らせて、内臓を引きずり出して売り払ってやる。


「リヴ君、綺麗に殺してね。なるべく内臓は傷つけないように。ネアちゃん、お隣さんのモツを引きずり出してくれるかな?」

「了解です。綺麗に殺すのは慣れていますので」

「うん!! わかった!!」


 リヴは自信満々に言い放ち、ネアは快諾する。ちなみに指示は全て小声で行われている。

 ユーシアはなるべく足音を殺して室内を移動し、建付けの悪い扉を開けて外に出る。狭い廊下からでも、隣室の痴話喧嘩がよく聞こえてきた。


「放して……放してください!!」

「うるせえぞ、カマトトぶってんじゃねえ!! いいからさっさと股を開けっての!!」

「私の純潔を穢すつもりですね!? い、いつか貴方には天罰が――!!」

「そういう頭のおかしなのはいいから。今流行りの【DOF】でもキめてんのかよ……」


 ユーシアは、扉を半開きにした状態で顔を覗かせるリヴとネアに目配せする。リヴは「いつでもいいです」という意味を込めて頷き、ネアはナイフを見せつけてきた。

 壊れかけたインターフォンを鳴らすと、キンコーンという間抜けな音が扉越しに聞こえてきた。家主である男による「――あ?」と機嫌悪そうな声が、ユーシアの鼓膜を揺らす。


「チッ。お前のせいで隣人が起きただろ」

「助けてください!!」

「黙ってろ、殺すぞ!!」


 男の怒号が聞こえた直後に、鈍い殴打があった。多分、娼婦の女を殴ったのだろう。

 それから足音が近づいてきて、申し訳程度に施錠された扉が開かれる。のっそりと顔を覗かせた蛇のような男に、ユーシアは愛想のいい笑みを見せた。


「どうも、こんばんは。隣のレゾナントールなんですけど……お楽しみ中のところすみません」

「で、なんだよ」


 不遜な態度で応じる蛇のような男に若干の苛立ちを覚えたユーシアは、背後に隠していた純白の対物狙撃銃を素早く構える。

 顔を引き攣らせた男が慌てて扉を閉めようとするより先に、至近距離からの早撃ちでユーシアは男を眠らせた。

 撃鉄が落ちるものの、銃口からは銃弾が射出されない。だが、例外に漏れることなく異能力によって永遠の眠りの世界へ旅立った男は、ガクリとその場で崩れ落ちた。


「リヴ君、ネアちゃん。この男の人をよろしくね。俺は娼婦の方を片付けてくるから」

「狙撃手なんですから、殴りかからないでくださいよ」

「分かってるって」


 リヴの軽口に対して適当に返答すると、ユーシアはゴミが転がる汚い廊下に土足で踏み入る。酒の瓶とあと想像したくないが丸められたティッシュがゴミ箱から溢れ返っていて、やっぱり殺して正解だったと自分でも判断する。

 廊下の先にある部屋は、やはり荒れ果てた様子だった。火事は一切しないのか、キッチンは食器が積み重ねられている。ゴミも袋が山積みの上体で部屋の隅に放置してあり、随分と汚い生活を送っていたらしい。

 そして寝室らしい部屋を覗くと、


「――ぁ」


 助けが来たと錯覚したらしい銀髪の少女が、裸に剥かれた状態でベッドに転がされていた。少女の薄い腹には殴られたような青痣があり、頬にも幾筋の涙の跡が見て取れる。

 淡雪のような銀髪は乱れ、涙が滲む青い瞳は宝石のよう。なるほど、娼婦をやればたんまり稼げるだろう顔立ちと体つきである。残念ながら、ユーシアの趣味ではないが。


「あ、あの、助けていただきありが――」

「お前さんは麻薬とかやってる? 特に【DOF】って奴」

「ま、まや……!? いいえ、そんなものには手を染めていません!!」

「そっか。疾患とかないよね?」

「もちろんです。私はいたって健康体です――が、あの、なんでこのような問答が必要なのでしょうか?」


 不思議そうに首を傾げる銀髪の少女がベッドから身を起こしたところで、ユーシアは対物狙撃銃を少女の額に突きつける。

 状況がよく読み込めていない様子の少女に、優しいユーシアは宣告してやる。


「いやー、健康体の女の子だと高く売れるんだよね。ばらさない方がいいかな? 上玉だし、どこかの娼館に」

「まままま待ってください!? 助けにきてくれたんじゃないんですか!?」

「うん? 叩き起こされた腹いせに、君と家主を殺しに来たんだけど。俺たちを正義の味方だと思い込んだら大間違いだよ」

「待って!! お願いですから待ってぇ!! 殺さないでぇ!!」


 数分前までの強気の姿勢はどこへやら、情けなく銀髪の少女が泣き始めたので、ユーシアは仕方なしに彼女の殺害はやめてやることにした。

 ただ、黙らせる為にやはり眠らせたが。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る