Ⅱ:穢れた白百合は傲慢に咲き誇る
第1章【犯罪者に夜はない】
ゲームルバークに夜はない。
空は紺碧に染まっていても、空気汚染の影響にあるのか、白銀の星々が見えることはない。おそらく紺碧の空の下に広がる
昼も夜も変わらず賑やかで、いつでも犯罪が横行する無法都市。それがこのゲームルバークという都市なのだ。
「――ちゃんといる?」
『気配はあります』
犯罪都市と名高いゲームルバークにも、安全地帯が存在する。
それがこの
背の高いビルが乱立し、車のライトが忙しなく道を右から左へ移動する。ビルの明かりは高みから見下ろすと宝石箱をひっくり返したかのように美しく、女の子を口説き落とす為の材料としても使えそうだ。
そんな煌びやかなビルの屋上は、どこもかしこも明かりがついていない。その為、狙撃手が隠れるにはちょうどいいのだ。
『でもやたらと鬱陶しい声が聞こえてきます。聞きますか?』
「どうせ女の子の嬌声でしょ。高級娼婦を連れ込むなんて、いい趣味してるよねぇ」
双眼鏡を使って隣のビルを覗きながら、くすんだ金髪の狙撃手――ユーシア・レゾナントールが言う。彼の耳には携帯電話が添えられていて、きちんと通話中になっていた。
通話相手は、ユーシアの相棒である黒い
「まあでも、お金持ってるんだから殺されても文句は言えないよねぇ」
『ついでに【DOF】も使ってるみたいなので、貰っていきましょうよ』
「賛成」
ユーシアは苦笑で応じ、双眼鏡の先にいる黒い雨合羽の青年を視線で追う。青年はなにか首筋に注射器のようなものを突き刺すと、フッとその姿を掻き消した。
【DOF】――正式名称をドラッグ・オン・フェアリーテイルという。使用者に都合のいい幻覚を見せる麻薬だが、その幻覚はやがて悪夢となって使用者を自殺に追い込むという厄介な効能を抱えていた。
しかし、近年の若者が求めているのは麻薬がもたらす幻覚ではなく、
【OD】が発現させる異能力は、おとぎ話にちなんだものが多い。【OD】であるリヴが獲得した異能力は自分の身長や持ち物を親指程度まで自在に縮めることができる『親指姫』であり、視界から掻き消えたのは身長を縮めたからに他ならない。
『じゃあ、予定通りに』
「うん、了解」
通話は切れる。
携帯を砂色の
「んん!?」
ユーシアは顔を上げる。
ひゅお、と冷たい風が少女の髪を揺らしている。豊かな金色の髪は美しく見事なもので、風に
可愛らしい猫耳がついたパステルピンクの寝間着をまとった少女は、プカプカと浮かんでいた。悠々と空を飛んでユーシアの顔を覗き込んでくる少女は、不機嫌全開でユーシアに訴える。
「おにーちゃん!! またねあにないしょでおでかけしたでしょ!!」
「ネアちゃん、お願いだからお留守番しててよ……お仕事だって言ったじゃん……」
「ねあもいくの!!」
「我儘言わないの」
金髪の少女――ネア・ムーンリバーはユーシアのお願いなど聞く様子は一切ない。「やだやだいくのー」と我儘を叫んで、ユーシアの狙撃の妨害をしてくる。
彼女もまた【DOF】を過剰摂取して【OD】となり、その異能力はおそらく自由に空を飛ぶことができるピーターパンだとされる。だが、麻薬の影響により本来であれば一八歳の少女は、五歳まで精神年齢を退行させてしまっていた。
ユーシアはガシガシとくすんだ金髪を掻くと、携帯をぽいとネアに投げて渡す。不思議そうに首を傾げるネアに、ユーシアは言う。
「じゃあ、携帯に入ってるパズルゲームで俺の記録を超えることができたら、お仕事を手伝わせてあげる」
「いいの!? ねあ、がんばるね!!」
携帯にインストールされているパズルゲームのアプリを開いたネアは、愉快な音楽と共に色とりどりのパズルを消していくゲームを開始する。
これでしばらくはゲームに夢中になってくれているだろう。ユーシアは画面に食いつくネアを一瞥し、照準器を再び覗き込む。
すると、
「おにーちゃん」
「なぁに、ネアちゃん」
「りっちゃんからおでんわだよ」
画面には確かにリヴの電話番号が表示されていた。
ユーシアはネアから携帯を受け取り、通話ボタンを押す。それからスピーカーを耳に当てると、リヴの声が聞こえてきた。
『シア先輩、大変です』
「なにが大変なの?」
『標的の男が殺されていました。娼婦が【OD】だったんです』
「げ」
ユーシアは顔を
【OD】同士の戦闘が起きることはままあるが、まさかこんなところで早々に【OD】と対決するとは思わなかった。面倒なことになってきた。
『多分、赤ずきんの異能力です』
「赤ずきん? どんなよ」
『正確には赤ずきんの猟師っぽいです。僕は小さくなってやり過ごしましたが、猟銃を出現させる異能力のようです』
猟銃、と聞いてユーシアのスイッチがカチリと入る。
こちらには狙撃手としての矜持がある。猟銃を自在に出現させる異能力を授かったところで、本職の狙撃手であるユーシアを果たして越えられるだろうか。
本当ならば、ユーシアは逃げた家主を狙撃する担当だった。リヴが見せしめとして娼婦を殺害し、逃げたところをユーシアが狙撃して終わり。あとは金品を奪えば終了という手筈になっていた。
順番が前後し、標的が変わっただけ。――ユーシアは自分の中にある標的を切り替える。
「分かった。じゃあこっちまで誘導して、廊下に出るだけでいい」
『了解です』
「あとそっちにネアちゃんを行かせるから、金品と【DOF】を盗んだら回収してもらって」
『え、ちょっと待って。なんでネアちゃんがいるんですかシア先輩――』
「じゃあね」
今度はユーシアが一方的に通話を切り、一時中断されていたパズルゲームを閉じる。
自分の名前が出たことに翡翠色の瞳を輝かせたネアに、ユーシアは彼女の頭を撫でてやりながら言う。
「いいかい、ネアちゃん。リヴ君があのビルにいるから、終わったらリヴ君を回収してきてくれる? 玩具は持ってるよね?」
「んっ! 持ってるよ!!」
そう言って、ネアが懐から取り出したのはナイフだった。
柄の部分には天使のモチーフが刻まれているが、きちんと切れ味の鋭いナイフである。本当はこの五歳まで精神年齢を退行させてしまった少女に武器を持たせたくなかったのだが、少女にせがまれて仕方なく
見せつけるようにナイフを掲げるネアに、ユーシアは「いい子」とだけ言う。
「危ない人がいたら、そのナイフで刺すんだよ。一思いにね」
「うんっ」
「よしよし、上出来だ」
基本的に、ネアには危ないことは一切させない。
ナイフを持たせたのも、護身用が目的だ。善悪の区別がつかない少女なので、ユーシアとリヴ以外の言葉は聞かないように言いつけてある。
そもそもネアは虐待の影響で人見知りが激しく、特に大人の男を怖がる傾向がある。誘拐を目論むなら女の人に警戒した方がいいだろう。
ネアに「じゃあそこで気をつけ」と言いつけると、ユーシアは照準器を覗き込んだ。
冷たい
「完全に目がいってるな、あれ」
「おめめがわるいの?」
「意識がないんだよ。動物さんと同じような状態なのかな?」
「そうなのー」
ネアは特に相手の状態には興味がないらしい。
照準器の先の世界で、リヴが全裸の女と戦っているのが見えた。猟銃を鈍器のようの振り回す女は意識がなく、せっかく【OD】となったのにこれでは意味がない。
まあ、意識のある【OD】など珍しいものだ。大抵はその幻覚が嫌になって自殺するのだから。
「りっちゃん、つよいね」
「リヴ君は鍛えてるからね。運動神経がとてもいいんだよ」
「はしるのも、はやいんだよねぇ」
「そうだね」
照準器の先にいるリヴは、意識のない【OD】を相手にしているにもかかわらず、随分と余裕がある。突き出される猟銃を体術だけで捌き、涎を垂らして襲いかかる女の顎に
女の姿勢が崩れる。背筋を仰け反らせたその瞬間が、ユーシアにとってのチャンスだった。
「――じゃあ、おやすみ」
ユーシアの視界には、確かにそれが映り込んでいた。
金髪の、幼い少女である。白いワンピースを身につけて、花飾りをしている愛らしい少女。曖昧な笑みを浮かべた少女は、背筋を仰け反らせた全裸の女の肩にふわりと乗っかる。
それは、ユーシアだけが見える幻影だった。少女はユーシアの射線を邪魔するように立っていたが、構わず引き金を引く。
タァン、と極力抑えられた狙撃銃の銃声。
射出された弾丸が薄い窓ガラスを貫通し、幻影の少女ごと女のこめかみを撃ち抜く。幻影の少女は掻き消えて、全裸の女の手から猟銃が滑り落ちると同時に廊下へ倒れた。こめかみを撃ち抜かれたはずなのに、彼女には傷一つない。
ユーシアもまた【OD】であり、その異能力は眠りの森の美女である。効力は狙撃した相手を眠らせるもので、ほんの少しの眠りから永遠に目が覚めない昏睡まで自在に眠気を操れる。
「りっちゃん、だいじょうぶかなぁ」
「無傷っぽいから平気だと思うけど、一応電話してみようか」
電話をかけると、すぐに応答はあった。
『……なんでネアちゃんがいるんですか』
「ついてきちゃったんだよ。お叱るならネアちゃんにしてね」
『いや、僕は叱りませんよ。紳士なので』
「じゃあそれは俺の役目じゃん。俺もやだよ、ネアちゃんはまだなにもしてないしね。邪魔もしてないし。――それより、回収は?」
『任せてくださいよ。やってきます。――あ、この女って殺していいんですか?』
「永遠に目が覚めないようにしたから、殺しても問題はないよ。今そっちにネアちゃんを行かせるね」
『はいはーい……はあ、全く。幼女には、こんな血なまぐさいところにいてほしくないんですけど……』
リヴがやれやれと肩を竦めて通話を切り、待機していたネアに視線を投げる。
「じゃあ、行ってあげて。窓ガラスの破片には気をつけるんだよ。リヴ君の言うことをしっかり聞いてね」
「はーい」
元気よく返事をしたネアは、宝石箱をひっくり返したかのような中央区画の空を悠々と飛んでいく。高度はかなりあるので、おそらく誰にも気づかれないだろう。
少女が安全に隣のビルの元まで飛んでいったところを見計らって、ユーシアは対物狙撃銃をライフルケースにしまい込んだ。そして重い腰を持ち上げて、ライフルケースを引きずりながら屋上を撤退していく。
「【DOF】なんてものに手を染めたなんて言ったら、エリーゼは怒るだろうなぁ」
そんなことをポツリと呟くユーシアの背中は、どこか寂しそうなものだった。
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