小話【この物語はバッドエンドではありません】

 世の中に浸透した麻薬【DOF】――正式名称をドラッグ・オン・フェアリーテイルと呼ぶ。

 その麻薬を過剰摂取することによって、おとぎ話の異能力を獲得した超人的存在【OD】が世の中に出現し始めた。

 この物語は、その【OD】によって家族を殺された男による復讐劇である――。


「そんなシリアスなものじゃないよ」

「どこに向かって言ってるんですか」


 車窓の向こうを流れていく住宅街をぼんやり眺めていた金髪の男――ユーシア・レゾナントールが、なにやら突然寝ぼけたことを言い出した。

 運転席に座る黒い雨合羽レインコートを着た青年――リヴ・オーリオのツッコミにより、ユーシアは「どこだろうねぇ」と首を傾げる。彼もまた、なんで先程の発言に繋がるのかよく分かっていないようだった。


「ただ、どシリアスな紹介を受けたから『別にそんなバッドエンド前提の復讐劇じゃないよ』って意味を込めて言ったつもりだったんだけど」

「寝言かと思って絞め殺そうかと考えたところなんですけど」

「寝言だけで俺は命の危機にひんしていたの?」

「冗談ですよ、冗談」

「ねえ、今雨合羽の中になにをしまった? 出してごらん? 紐みたいなものが見えたんだけど、出してごらん?」


 この真っ黒てるてる坊主、まさか運転しながら絞め殺そうとしてきたのか。――ユーシアは相棒の器用さと、それを実行しようとする思考回路に戦慄した。

 巧みなハンドル捌きを披露しながら、リヴは前を向いたままなんでもないような調子で言う。


「ところでシア先輩、起きたんなら後ろの警官をどうにかしてくださいよ。さっきからアクセル全開で振り切ろうとしてるけれど、なかなか振り切れないんですよね」

「それはね、リヴ君。お前さんがアクセル全開で公道を突っ走ってるからだよ。何キロ出てる?」

「見たくないです。あとブレーキも踏みたくないので、飛び出してきた奴らはき殺してもいいですねそうしましょう」

「俺まだなにも言ってないんだけど、リヴ君にとってこの世の人間は全員ゴミカスにでも見えてるのかな?」

「喋る肉人形ですかね」

「あ、これ俺の表現の方がダメなパターンだね」


 物凄い速度で後方へと流れていく車窓の景色を楽しむ余裕もなく、ユーシアは「どうするの?」とリヴに聞いてみる。


「だからどうにかしてくださいってば」

「どうにかしてほしいなら拳銃を貸して」

「はい」


 一体どういう仕組みになっているのか、ぶかぶかの黒い雨合羽の袖から自動拳銃を滑り落とすリヴ。黒光りする拳銃をユーシアの太腿の上に落とすと、再び運転へと戻った。

 ユーシアは自動拳銃の弾倉をあえて抜くと、車の窓を開ける。開け放たれた窓からはごうごうと風が吹き込んで、窓から身を乗り出せば吹っ飛ばされそうな勢いの暴風が襲いかかってくる。

 暴れるくすんだ金髪を押さえると、ユーシアは自動拳銃を追いかけてくるパトカーへと向けた。猛スピードで逃げるユーシアたちを乗せた車を見失わないように必死に食らいついてくるパトカーだが、彼らの頑張りはここで終わらせる。


「じゃあね、おねんねしててね。――


 ユーシアの視界には不思議なことに、この世のものではないものが映り込んでいた。

 つまり、猛スピードで走るパトカーのフロントガラスに寄りかかる幼い少女だ。豊かな金色の髪が荒れ狂う風になびく気配はなく、明らかに危ない場所に寄りかかっているというのに転がり落ちる様子すらない。少女は曲芸師か、幽霊の類であるとしか説明がつかない。

 そう、彼女は幻影だ。ユーシア・レゾナントールだけが見える、忌々しくも愛しい幻影。

 穏やかな笑みを保ったままの少女めがけて、ユーシアは自動拳銃の引き金を引く。あらかじめ弾倉を抜いていたせいで、撃鉄が落ちても銃弾が射出されることはない。だが、それでいいのだ。

 パトカーに乗っていた少女の幻影は掻き消え、パトカーが蛇行運転を始める。ふらふらと運転するパトカーは、歩道に乗り上げて近くのビルに突っ込んで止まった。車の前がぐちゃぐちゃに潰れてしまっているので、おそらく運転手たちは助からないだろう。


「はい、リヴ君。終わったよ」

「相変わらず使い勝手のいい異能力ですよね」

「お前さんの異能力も、暗殺には打ってつけじゃない」


 自動拳銃に弾倉を戻してやりながら、ユーシアは言う。ゆったりと車の椅子に背中を預けると、大きめの欠伸をした。

 視界の端では先程消えたはずの幼い少女が笑っているが、ユーシアは気にせず瞳を閉じた。まるで、その少女の幻影から逃げるように。


【OD】によって家族を殺された男は、自らも【DOF】の過剰摂取によって【OD】となった。

 この物語は、どこか頭のネジが吹っ飛んだ男による、愉快な復讐劇である。


 ☆


「ところでネアちゃんは大丈夫?」

「うつ伏せになってますよ」

「大丈夫じゃないね!?」


 バックミラーで後部座席を確認したリヴがやはりなんでもない調子で言うので、ユーシアは慌てて後部座席へと振り返った。

 後部座席を一人で陣取るのは、金髪の少女だった。絹糸のような金色の髪はうつ伏せになっている影響で方々に広がり、純白のワンピースから伸びる太腿ふとももは付け根まで見えてしまっている。体調が悪いことは明らかだった。

 この猛スピードで走る車に耐えられずに、車酔いでもしたのだろうか。ユーシアは少女のことを気遣うように、優しく声をかける。


「ネアちゃん、大丈夫?」

「――――いたいぃ!!」


 金髪の少女――ネア・ムーンリバーはガバリと飛び起きると、痛みを訴え始めた。少女の右頬は痛々しく腫れ上がっていて、翡翠色の瞳には涙が滲んでいる。

 ネアは「いたいの!!」と腫れ上がった頰を押さえて、子供のようにユーシアに叫ぶ。別に頰が腫れているのはユーシアが少女へ暴行した訳ではなく、これは完全に彼女の自業自得だった。

 成熟しきった少女であるが、さながら五歳児のように振る舞うネアに、ユーシアは肩を竦めて言う。


「食べた後に歯を磨かないからだよ。だから虫歯になるの」

「ちゃんとみがいてたもん!!」

「じゃあ磨き方が足りなかったんだねぇ」


 ネアはぼふぼふと車の椅子を叩くが、それでも虫歯になってしまった事実は覆らない。

 ユーシアたちが車を飛ばしていたのは、ネアの歯の治療の為に歯医者へ急ぐ為だった。幼い少女を好むリヴがネアの歯を一刻も早く治療する為に速度を出しすぎて、途中で警察官に追いかけられることになったのだ。おかげでやらなくてもいいカーチェイスをする羽目になった。

 喋ると歯の痛みが増すのか、ネアはパタリと椅子の上に倒れると「うう、ううう……」と唸る。よほど痛いようで、ネアは辛そうだった。


「やっぱり闇医者に頼るしかないかなぁ」

「妥当でしょうね。僕ら、保険証って持ってましたっけ?」

「だよねぇ。俺も前までは入ってたけど、今は保険料すら払えないからね」


 保険証がないので、必然的に正規の医者ではない存在――闇医者を頼ることになる。医師免許を剥奪されたか、あるいは医師免許を持っていないけれど医療の知識だけでなんとかやっているかのどちらかだが、ユーシアとリヴはネア自身の安全を考えて医師免許を剥奪された闇医者を頼ることにする。

 というか、すでに闇医者にはアテがあったのだ。ユーシアやリヴが怪我をした際に、よく駆け込む病院である。優秀な医療の腕を持っているので、安心してネアを預けられる。

 ――ただ、問題が一つ。


「改造馬鹿なんだよねぇ。ネアちゃんの口から火を噴くような改造されなきゃいいけど」

「そうなったら殺します。全力で微塵にします」

「リヴ君、殺すのはいいけど脳味噌は残しておいてあげてね。あれでも優秀な医者だから、脳味噌が高く売れそうじゃない?」


 平然と頭の中身を疑いたくなるような会話を繰り広げる二人だが、幸いなことは話の内容が少しもネアが理解できなかったことだろうか。

 飛ばしていた車の速度は徐々に落ちて、やがて路肩に車を停める。ユーシアが後部座席のネアに「着いたよ」と言うと、倒れていた少女は億劫そうに身を起こした。歯の治療が心底嫌そうだが、歯を治さなければまともに食事ができないので腹を括ったようである。

 ぶっすりと膨れっ面で車を降りたネアは、ユーシアの着ている砂色の外套の袖をちょっとだけ掴む。可愛らしい仕草を見せてくれる少女にほんの少しだけ同情してやると、ユーシアはリヴに呼ばれるがまま歩き出す。

 車を停めた箇所から、少しだけ歩いた路地裏にその病院はあった。


「…………ねえ、悲鳴が聞こえるのはなんでなの?」

「先客がいるのでは?」


 薄暗い道にある『アルテノール医院』と看板が掲げられた病院から、なにやらくぐもった悲鳴が聞こえてきていた。

 リヴはあっけらかんと先客であると片付けるが、病院なのに悲鳴が聞こえるとはこれ如何に。ユーシアは可愛い妹のような存在であるネアを、この病院に預けたくなくなった。


「…………リヴ君」

「なんですか」

「診察室まで同行してあげてね。小さくなって」

「無論です」

「危ないことをやりそうになったら殺してね」

「それはもう、バレないように殺しますよ」

「さすが暗殺者」


 そんな訳で。

 病院から聞こえてくる悲鳴を聞いて逃げ出そうとしていたネアを引っ掴むと、ずるずると引きずって病院へと入っていった。

 ――ネアの甲高い悲鳴が病院に響き渡ったのは、その一〇分後だった。



 治療は問題なく成功したものの、ネアはしばらくユーシアとリヴとは口を利かなくなった。

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