第10章【少女は悪党についていく】

「馬鹿ですよね」

「面目ないです」


 殴り慣れていないのに男の顔なんて殴り続けたものだから、ユーシアの指先は痛みを訴えて仕方なかった。よくもまあ狙撃手なのに、あれほどボコボコになるまで殴れたものだ。

 リヴにチクリと嫌味を言われて、ユーシアは反論さえできない。これ以上、悪化しても困るからということで指先にテーピングを施すことにする。

 大人しくリヴにテーピングされるユーシアは、視界の端で金色のなにかが蠢くのを感じ取った。妹の幻影だろうかと思ったが、違う。自らが殺した父親の死体を見下ろす、ネアの後頭部だった。

 彼女は動かなくなってしまった自分の父親をめつすがめつ観察して、それからユーシアへと振り返る。


「おとうさん、うごかないね」

「死んじゃったからねぇ」

「ねあ、これでもうぶたれなくていいのかな」

「そうだね。ネアちゃんはもう、痛い思いをすることはないよ」


 彼女に母親という存在がいるのかどうかも分からないが、少なくともこんな状態になるまで母親が放置しているとは思えない。きっと殺されたか、どこぞの娼婦に産ませた子供なのだろう。

 ネアは興味深そうに父親の死体を突いて、それから楽しそうに「かたーい」と笑っている。自分の父親を自分で殺したという自覚は、まるでないようだ。


「ネアちゃん」

「なーに、おにいちゃん」

「俺たちと来るかい?」

「えッ」


 驚いたのはネアではなく、リヴの方だった。

 ユーシアの指先にテーピングを施し終えた黒い雨合羽の青年は、目深に被ったフードの下で黒曜石の瞳を見開いている。まさかユーシアがそんなことを言うとは考えていなかったのか、彼の驚き方はそんな雰囲気があった。


「シア先輩、いいんですか。【OD】とはいえ、元は一般人ですよ。僕らは根っからの悪党ですからいいですけど」

「どのみち、あの子も悪党だよ。なんせ父親殺しの罪を背負わせちゃったからね。俺たちが責任を持ってあげないと」


 それに、とユーシアはネアへと視線をやる。

 ネアの翡翠色の瞳はキラキラと輝き、なにやら希望に満ちていた。

 彼女はこんな豪華なホテルに詰め込まれて、一人ぼっちで過ごしていた。それはとても寂しくて、窮屈なことに違いない。幸いなことにネア・ムーンリバーという少女はユーシアたちに懐いているから、連れ出すことは簡単である。


「あの子を俺の復讐に付き合わせる訳にはいかないけど、でもここに置いていくのも可哀想じゃんね?」

「…………アンタ、ネアちゃんを妹みたいに見てますね?」

「バレた?」


 舌を出して笑うユーシアに、リヴはため息で応じる。


「まあ、いいですけどね。ロリに罪はないです。僕ら悪党が、全部ひっくるめて被ればいいんですからね」

「お、じゃあリヴ君も賛成?」

「大賛成です。むさ苦しい野郎だけってのも、なんだか飽き飽きしていたので」


 リヴがネアの連れ出しに賛同すると、彼女はリヴに飛びついた。

 成熟しきっているとはいえ、中身は五歳児並みの精神年齢しかない少女である。自称紳士のロリコンが抱きつかれて耐えられるか否か。


「ありがとう、くろいおにーちゃん!!」

「いやいや、紳士ならロリの喜ぶことをしてナンボですよ」


 当たり前のように言うが、リヴの手は抱きつくネアの背中に回されていない。てっきり抱きしめ返して、必要以上にお触りでもするかと思っていたのに。

 砂色の外套から煙草の箱を取り出したユーシアは、ネアに抱きつかれた状態のリヴの背中へ問いかける。


「頭とか撫でてあげなくていいの?」

「この世には、イエスロリータ・ノータッチという格言があるんですよ」

「わあ、ロリコン界の紳士だね。そこだけは紳士と認めてあげるよ」

「めちゃくちゃいい匂い」

「脳天ぶち抜いて眠らせてあげようか?」


 そろそろ本気でリヴの精神状態が危険域に達することを察知したユーシアは、ネアをリヴからベリベリと引き剥がす。

 リヴから標的を移したネアは、今度はユーシアに抱きついてきた。ユーシアの細腰に頭をぐりぐりと押し付けて、彼女はニコニコと笑っている。


「おにーちゃんも、ありがとう」

「どういたしまして、ネアちゃん」


 少女の絹糸のような金色の髪を撫でてやり、それからユーシアは火のついていない煙草を口に咥えた。白い紙巻の煙草を口の端で器用に揺らしながら、彼はさっさと父親の死体を放置して部屋から去ろうとする。

 が、その寸前で思いとどまってピタリと足を止めた。リヴが「どうしたんですか、シア先輩」と問いかけ、ネアが不思議そうに首を傾げる。


「その前にさ、ちょっと家探やさがししない?」


 ☆


 そういう訳で。

 お父さんのお部屋の家探しを決行することになった三人は、ガサガサと金目のものを回収していた。


「シア先輩、金庫の中に大量の金がありましたよ」

「全部いただいていこうか。――あ、弾薬発見。対物狙撃銃の弾薬はあるかな」

「おにーちゃん、これなあに?」

「それは大人しか見れない絵本だからポイしてきて。リヴ君、ネアちゃんがエロ本読まないように隔離して」

「イエッサー」


 ネアが本棚から引っ張り出してきたエロ本をリヴがキャンディと引き換えに回収して、密かに処理していた。けばけばしい表紙には半裸の女の艶姿がでかでかと写っていたのだが、タイトルが『人妻物語』である。この変態ジジイ、人妻に興味があったのか。

 よく自分の娘にわいせつな行為を働かなかったな、とユーシアはある意味で感動した。暴力だけに留めておき、性的暴行まで至らなかったのは褒めてやるべきか否か。

 まあとりあえず変態であることには変わりないので、ユーシアは名前も知らないネアの父親を変態認定しておいた。分類はリヴよりもさらに下で、忌むべき変態だ。


「金と弾薬と、あと【DOF】も大量に見つかりましたね。これでしばらくは買わなくて済むかと」

「最近【DOF】も高騰こうとうしてるからねぇ。異能力を手に入れるのはいいけど、悪夢にうなされるっていいデメリットを抱えてるんだから考えものだよね」


【DOF】は、使用者に都合のいい幻覚を見せる。都合のいい幻覚はやがて悪夢となって使用者にまとわりつくようになり、その先におとぎ話にちなんだ異能力を手にした【OD】という存在になれる。

 若者はその特別な存在を夢見て麻薬に手を染めて、そして耐えきれなくなって自害する。そういった事件が頻繁に起こっている。

 普通に売人から購入すると法外な金額を要求されるので、大量に見つかったのならしばらく購入しなくてもいいだろう。


「これどうしましょうか」

「持っていける?」

「袋みたいなのってありました?」

「なんかエコバッグみたいなものは見つけたよ」


 そう言って、ユーシアは弾薬が詰められていた麻袋を差し出す。麻袋をエコバッグと称するユーシアの常識が、もはや信用ならないものと化している。

 しかし、リヴもまた常識人とは言い難い青年である。彼は「あー、いいですね」と麻袋に大量の金銭と【DOF】の薬瓶をどかどかと流し入れた。何故、麻袋をエコバッグと認識するのだろうか。


「さて、逃げましょう」

「どこににげるの?」

「遠くまでだよ。はい、ネアちゃんはお兄さんの後ろに隠れててね」


 家探しをした影響で荒れ果てたお部屋とおさらばするべく、ユーシアは背後でネアを庇いながら廊下へ足を踏み込んだ。

 ――なんか、立派にお勤め中の黒服の男ども二人と、下着姿に剥かれた中年のおっさんと目が合った。

 相手がユーシアたちを季節外れのサンタクロースだとでも思ってくれれば御の字だが、そうは問屋が卸さない。すぐさま黒服の男どもが護身用として携帯していただろう自動拳銃を引き抜き、「泥棒!!」と叫びながら発砲する。

 ユーシアはライフルケースにしまいかけた純白の対物狙撃銃を素早く構えると、まずは一人目を眠らせる。対物狙撃銃に恐れをなした残りの黒服が応援を呼ぼうと声を張り上げようとしたその背後から、幽霊のように現れたリヴがナイフで喉笛を引き裂いた。


「ひ、ひいッ」


 全てを目撃してしまった賭博場カジノの客は、へなへなとその場に座り込む。見れば下着がぐっしょりと濡れているので、おそらく漏らしたのだろう。次は自分の番だと錯覚したか。

 ユーシアは視線だけでリヴに男を立たせるように指示を出すと、雨合羽の青年は男の薄くなった髪の毛を掴んで無理やり立たせる。つぶらな瞳からは涙が溢れ、歯は噛み合っていないのかガチガチと音を立てる。


「今見たことは忘れようか。いいね?」

「は、はひ……!! 忘れます、まひゅッ」

「よし、いい子だ。あと男の尊厳として、服まで賭け皿に乗せないようにね」


 カクカクと何度も壊れた人形のように頷く男を解放して、ユーシアたちはその場を離れた。騒ぎ立てられる前に撤退しようという魂胆である。


「今日はネアちゃんの好きなものでも食べに行こうか」

「いいの? ねあ、はんばーぐがたべたい!」

「だってさ、リヴ君」

「こんなにたんまり金をいただいたんで、ハンバーグにパフェでもつけてあげましょうよ」

「ネアちゃん、食べたらちゃんと歯磨きしようね」

「はーい」


 はた目から見れば仲睦まじい兄妹にも見えるだろうが、彼らには一切の血の繋がりはない。

 それでも、そこらの家族よりも仲良く、そこらの兄妹よりも親密な悪党な彼らは、正常な判断力を失った夢見る少女を連れ去った。

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