第9章【狂う狙撃手】

「お父さんはこの先かねぇ」

「わかんない。ねあ、ここまできたことないもん」

「そっか。――リヴ君、そっちどう?」

「通路が真っ直ぐなんで、まあ順当に行けば一番奥にいるんじゃないですかね」


 真っ直ぐな廊下を進んでいくユーシアとリヴは、顔を覗かせてくる黒服の男たちをことごとく殺していった。主にリヴが声を上げるより先に殺してしまうので、ユーシアは今のところライフルケースを引きずりながら歩いているしかない。

 道のりは単純で、どこまでも続く真っ直ぐな廊下しかない。ところどころ開きっ放しの扉があり、その部屋は拷問かなにかに使われているようだった。その証拠として、打ちっ放しのコンクリートの床に鉄の椅子が螺子ねじで留められた状態で設置されていて、さらに鉄の椅子の肘置きの部分には革製のベルトが垂れている。

 賭博場カジノで借金を作った客に金を支払わせる為のものだろう、と考えると背筋に寒気が走る。ユーシアは、賭博はやらない主義なのだが、もし賭博で全財産を突っ込んでいたら、間違いなくこの部屋に連れ込まれていただろう。


「シア先輩、終着点です」

「はいはい、分かりましたよ」


 リヴからの報告を受けたユーシアは、ライフルケースから純白の対物狙撃銃を取り出した。視界の端で妹の幻影が興味深そうにライフルケースの中で横たわる純白の対物狙撃銃を観察しているが、ユーシアは彼女の視線など気にも留めずに対物狙撃銃を構える。

 念の為、ユーシアは口の中に【DOF】を放り込んだ。ぼりぼりとラムネ菓子のように麻薬を口にするユーシアは、一般人からすればだいぶ頭のおかしな部類に入るだろう。自覚はある。


「……シア先輩、僕にもくれませんか」

「注射にしなくていいの?」

「また正気を失いそうで怖いんです。僕はアンタを殺したくない」


 雨合羽レインコートに覆われた手を差し出してくるので、ユーシアはリヴへ自分の【DOF】を分け与えた。注射器の【DOF】を使えばいいのだろうが、あれを使えばきっと彼は再びユーシアへ襲いかかる。二度も最高峰の実力を持つ暗殺者の襲撃など、非力なユーシアが耐えられるはずがない。

 雨合羽の下から出てきたリヴの手のひらに、ユーシアが分け与えた一錠の【DOF】が転がる。彼は躊躇いもなく錠剤を口の中に放り込んで、よく噛んでから飲み込んだ。

 廊下の向こうに見える終着点には、黒服の男たちがなにやら自動拳銃を構えているようだった。距離があるので、有効射程の範囲に入ってくるまで待ち構えるつもりのようだ。

 しかし、こちらには対物狙撃銃がある。――ただしその弾丸は、誰も傷つけないというおまけ付きだが。


「自分で言っちゃうのもあれだけど、俺ってば結構優秀な狙撃手だからさぁ」


 対物狙撃銃の照準器を覗き込んだユーシアは、引き金に指をかける。

 その先に映る黒服の男たちの表情が、しっかりと見える。口元を引き攣らせて、この狭くて逃げ道のない廊下で撃たれる瞬間を待っている。残念なことだが、彼らには死んでもらうことにする。

 ユーシアは引き金を引いた。タァン、という細く長い発砲音のあと、射線上に立った金髪の少女を射抜いて銃弾は突き進んでいく。殺傷力を削ぎ落とされた、眠り姫の異能力を持つ銃弾が黒服の男の眉間に吸い込まれた。

 的確に額を撃ち抜かれた男は、膝からくずおれて眠り始める。「このッ」ともう一人の黒服が反応するが、排莢はいきょうして新たな弾丸を薬室に送り込む。

 滑らかに装填を終えた天才と呼ばれた狙撃手は、真っ直ぐに男の眉間を撃ち抜く。寸分の狂いもなく、外すことなく、狙ったところへ確かに銃弾を叩き込んだ。誰も傷つけない銃弾を受けた男は、やはり同じく壁に体を預けてずるずると崩れ落ちた。


「ねちゃった」

「シア先輩は、相手を眠らせる魔法が使えるんですよ」

「すごーい」


 ネアがパチパチと手を叩いてきて、ユーシアは「それほどでもないよ」と謙遜しながら排莢する。


「それじゃあ、お父さんを殺しに行こうかね」

「うん」

「ネアちゃんはいいの? お父さん、本気で殺しちゃうよ?」

「だいじょうぶ」


 ネアはしっかりと頷いた。

 彼女の中では、すでに父親は見限られているのだ。だから、殺されてしまうことに躊躇いを感じない。嫌いな父親がこの世から永遠に消えてくれるのであれば、彼女からすれば万々歳なのだろう。

 ユーシアは「お父さん可哀想」と小さく呟き、リヴが「可哀想じゃないです、殺します」とやはり物騒なことを言っていた。


「ところでシア先輩、この黒服たちはどれくらい眠ってるんですか?」

「一生目が覚めないぐらいには力を込めたつもりだけど」

「じゃあ、殺しましょうね」


 リヴはたとえ眠っている相手でも容赦はない。

 彼は血に濡れたナイフでもって眠る黒服の男たちの首を掻き切り、それからぴったりと閉ざされた最奥の扉を叩く。扉の向こうで、誰かが動くような気配を感じ取った。


「いる?」

「いますね。蹴り飛ばしますか?」

「うん。お願い」


 ユーシアのゴーサインを元に、リヴは扉を蹴飛ばした。

 施錠していたはずの鍵は容易く壊れてしまい、扉が蝶番ごと吹き飛ばされる。ごがしゃーん!! という轟音を奏でて、扉は部屋の内側へと倒れた。

 部屋の中身は、意外としっかりとしていた。革張りのソファセットがあり、ガラスのローテーブルの上には頑丈そうなガラス製の灰皿。奥には執務机が設置されて、上等な革張りの安楽椅子に男が座っている。中年か、もしくは壮年に見える男だ。ロマンスグレーの髪を後頭部に撫でつけて、娘に暴力を振るうという事実がなければ優しそうな父親ではありそうだ。

 彼の姿を認めただけで、ネアはユーシアの背後に隠れて出てこなくなった。服を掴む少女の手は、微かに震えている。


「な、なんだ……なんだ貴様ら!! 不法侵入だ、それと娘を誑かしたな!!」

「いやー、その娘さんに酷い暴力を振るっておいて、まだ父親ヅラするんですか。大した御身分ですね」


 リヴの慇懃無礼な物言いに、父親らしき男は「なんだと!!」と顔を真っ赤にして怒りを露わにする。


「娘は私が作り上げた最高傑作だ。ようやく【OD】となってくれた、その異能力さえあれば他の組に抗争で負けるはずがない!! なのに!!」


 ダン、と父親は執務机をぶっ叩いた。

 その音があまりにも大きくて、ユーシアの後ろに隠れたネアが震える。


「娘は幼児退行した!! 私の計画ではこんなことにはならないはずなのに……どうして!!」

「自分の子供を実験台にするなんて、最低な親だね」


 ユーシアは純白の対物狙撃銃を構える。銃身が長いので上手く持てないが、それでもこれだけ距離が近ければユーシアの腕前がある限り外すことはない。

 家族を【DOF】に隠された異能力の実験台にするなんて、ユーシアにとっては許せないことだった。たとえ麻薬によって正常な判断ができなくなっていたとしても、家族は大切なものであるという常識だけは捨てたつもりはなかった。

 さあ、あとは引き金に指をかけて殺すだけ。

 ――男が叫んだ名前がなければ、終わりだった。


!! おい、いるんだろう!? 高い金を払って雇ったんだ、こいつらを殺せェ!!」


 男が叫んだ名前。

 アリス。

 不思議の国のアリス。

 ユーシアの視界が歪む。すぐそばにいたリヴが「シア先輩!!」と叫ぶ。視界の端で笑いかけていた妹の幻影が、どろりと塩酸をぶっかけられたかのように溶け始める。

 五感が遠のいていき、ユーシアの頭の中で一番嫌な記憶が蘇る。血の臭い、肉の感触、原型をとどめていなかった妹、臓物、腐臭、鉄錆の臭い、赤赤赤赤赤赤赤赤赤赤、

 その向こうで笑う、青いワンピースを着た金髪の少女。


「ありす……」


 自然と、ユーシアの唇からはその名前が漏れていた。

 純白の狙撃銃を投げ捨て、ユーシアはリヴの制止すら聞かずに男へ飛びかかる。「ぎゃあ!!」という悲鳴すら、ユーシアには届いていない。

 ひたすら、飛びかかった男の顔面を殴りつける。殴り殴り殴り殴り殴り殴り殴り殴り殴り殴り殴りつける。指が痛みを訴えても、骨にヒビが入っても、相手の顔がボコボコに膨れ上がっても、ユーシアは拳を振り下ろすことをやめなかった。


「ありすありすありすありすありすありすありすああアリス!!お前は殺すよ何度だって何度だって殺してやるよ俺の家族を殺したから俺もお前のことを殺すよ殴って蹴って引き裂いてお前のことを殺してやるよありすそうだろうなあそうなる覚悟があってお前は家族を殺したんだろうありすありす!! なあ答えてくれよありす!!」

「シア先輩、ソイツもう動いてないですよ」


 リヴに押さえられて、ユーシアはようやく自分が殴っている相手がアリスではないことに気がついた。痛みを訴える拳は血に染まり、男は蜂の巣のように顔をボコボコに腫れ上がらせている。


「シア先輩、アリスを見つけるのは僕も手伝いますので。だからコイツの始末は僕に任せてもらえないですか?」

「…………いや、それはやめておこう」


 ユーシアは馬乗りになった男の上から退き、怯えた視線をくれてくるネアに言う。


「ネアちゃん、お前さんが決着をつけなよ」

「…………え、でも……」

「お前さんが自分のお父さんを殺すんだ。もうお父さんの幻影に怯えるのは嫌でしょ? だから、ここで幻影とお別れしよう」


 リヴがネアへ、自動拳銃を差し出した。

 怯える彼女は、震える手つきで自動拳銃を握りしめる。その銃口を、安楽椅子の背もたれに寄りかかる自らの父親へ向けた。

 彼女にとっては辛い選択肢だろう。

 だが、彼女自身で決着をつけた方がいい。彼女自身が、父親殺しの罪を被った方がいいのだ。

 何故なら彼女も【OD】であり、常識から外れた存在なのだから。


「さあ、ネアちゃん。お父さんの幻影にお別れしよう」

「…………うん」


 すでに目の前の男が、本当に父親であることが判断できなくなっていたネアは、ユーシアに促されるまま自動拳銃の引き金に指をかける。

 ユーシアは彼女が確実に撃てるようにと、後ろから彼女の手を包み込んだ。震える少女の手をしっかりと支えてやり、そして、


「――――バイバイって言ってあげて」

「ばいばい、おとうさん」


 引き金を引かせる。

 悪魔の言いなりとなってしまった少女は、唖然とする父親の命を簡単に奪った。

 銃声が響き、銃弾は父親の胸を貫く。父親の幻影であるはずなのに、いつまでも死体が目の前に残り続けた。

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