第8章【殺戮遊戯】

 雑音がぶつかり合う。

 煌びやかな照明が目に眩しく、しかし全体的に賭博場カジノの照明は暗い。まるで遊園地のイルミネーションを見ているような気分になるが、随分と趣味の悪いイルミネーションである。

 ユーシアは目頭を揉みながら、ふかふかの絨毯が敷かれた床を履き古したブーツで踏みしめる。足元が安定しない感覚に慣れないが、見れば客どもは磨き抜かれた革靴を履いていた。遊ぶ為の衣装もばっちり用意しているのか。


「さーて、お父さんの家はどこかねぇ」

「従業員の通用口を見るのが最適かと思いますよ」


 ほら、とリヴが大規模な賭博場の奥を指で示す。

『staff only』と札が下がった壁の向こうから、黒い服の男たちが出たり入ったりを繰り返している。なるほど、あそこが最も適していると言えようか。

 肩に掴まったままのネアは嫌そうに身じろぎするが、ユーシアに頭を撫でられて「ふにゃぁ」と猫のような声を出す。


「大丈夫。きちんと殺しに行こう?」

「うん」


 娘には、父親に対する愛情がすでに残っていなかったようだ。ここにくるまでに心変わりしているものかと思ったが、ネア・ムーンリバーは父親を殺そうとしている。

 雨合羽レインコートのフードの下からリヴが恨めしそうな視線を投げてきたが、ユーシアは無視した。どうせろくなことを考えていないので、言及しないでおいた方がいいだろう。

 その時だ。


「お客様、少々よろしいでしょうか?」

「はい?」


 ユーシアの前に、賭博場の従業員らしき男が立ち塞がる。

 気持ち悪い愛想笑いを浮かべたその従業員は、ユーシアの肩に掴まる金髪の少女を示す。


「お嬢様の身分証明書を見せてもらってもよろしいでしょうか? 未成年は賭博場に入ることができないものでして……」

「あー、やっぱり二〇歳じゃないとダメな感じ?」

「そうですね。法律で定められておりますので」


 法律。

 こんな犯罪の楽園みたいになっているゲームルバークで、法律が適用されるだろうか。確かに法律は世界各国様々なものがあるが、そもそもこんな無法地帯に法律なんてものはないに等しい。

 ユーシアは思わず笑ってしまった。リヴもフードの下で笑いを堪えている様子である。この従業員もそうだが、このゲームルバークには良識的な従業員も多いようだ。


「いやー、この犯罪都市でそんな常識人がいたとはねぇ」

「びっくりですよ」

「…………あの、警察を呼びますよ?」


 従業員が忠告してくるが、ユーシアとリヴからすればむしろ「やってみれば?」という訳であって。

 リヴに手を差し出せば、ユーシアの手に拳銃が乗せられる。自動拳銃を従業員に向ければ、彼は「ひいッ」と喉元を引き攣らせて両手を挙げた。


「きちんと仕事をしているようで俺は大変嬉しいんだけどね、実は俺たちは【OD】な訳さ。だからお前さんを殺すことになんの躊躇いもない」

「あ、あ……」

「ボスのところに連れて行ってくれる? 大人しく従ってくれたら、殺さないであげる」


 自動拳銃という物騒なものを目の当たりにした従業員の男は、可哀想なことに得体の知れない殺人鬼を相手に自分の雇い主を売り渡してしまうことになる。誰だって、命が助かるなら別の人物を喜んで差し出すだろう。

 コクコクと壊れた人形よろしく何度も頷いた従業員に連れられて、ユーシアとリヴは着実に父親殺しの道を進んでいく。


 ☆


「はーい、ありがとう。もういいよ、お休み」

「え、だって殺さないって殺さないって言った殺さないって!!」

「殺さないよ?」


 大人しく従業員専用の通用口まで案内したというのに、従業員の男は哀れ撃たれてしまう。だが、眠り姫の異能を発現させた【OD】のユーシアによる弾丸は、誰も傷つけることはない。

 案の定、射線上に侵入してきた幼い妹の幻影がユーシアの放った弾丸の殺傷力を落とし、弾丸にぶち当たった従業員の男は膝から崩れ落ちた。顔を覗き込めばすやすやと安らかに眠っている。

 七時間は起きないように仕込んだので、これで起きたら彼はスッキリとした気分で働けるだろう。


「どうする? いつもの奴でいい?」

「いいですよ。僕はどちらでも」

「じゃあそれで」


 ユーシアは小瓶から【DOF】を取り出して、口の中に放り込む。ボリボリと錠剤を噛み砕いて飲み込み、自動拳銃を静かに構える。

 リヴは雨合羽の下から注射器のようなものを取り出した。シリンダーの中で揺れる液体は、やはり【DOF】である。彼は首筋に針を容赦なく刺すと、液体の中身を押し込んだ。


「対物狙撃銃は使わないんですね。置いてったらよかったのに」

「いやー、室内戦になるとどうしても邪魔になっちゃうよね。でも商売道具だから離しておくのもアレだし」

「そういうものなんですね」

「リヴ君だってナイフがなくなったりとかしたら嫌でしょ?」

「別に気になりません。僕はあらゆる暗殺の技術を身につけていますので、体術でも問題なく殺せます」

「ハイスペックめ」


 ユーシアが吐き捨てるように言うと、リヴはフードの下で微笑むと同時にユーシアの視界から消えた。

 急に消えたリヴの行方を探すように、ネアがキョロキョロと賭博場内を見渡した。それからユーシアの髪の毛をちょいちょいと引っ張って、


「ねえねえ、またくろいおにいちゃんがきえちゃったよ」

「大丈夫。ちゃんといるよ」


 ユーシアは『関係者以外立ち入り禁止』と書かれた扉を、ノックもしないで開けた。不用心なことに鍵をかけてなかったらしく、簡単に扉は開いてしまう。

 ちょうどまさに出ようとした黒服の男と目が合い、扉を開けたユーシアは朗らかに笑いながら問いかける。


「ムーンリバーさんのお宅ってここであってます?」

「関係者以外立ち入り禁止の文字が見えなかったのか、おっさん」


 吐き捨てるように言う黒服の男の背後に、いつのまにか雨合羽の青年が幽霊のように佇んでいた。視線を感じて振り向いた時にはすでに遅く、ぶかぶかな雨合羽の袖に隠された小さなナイフで男の喉元を掻き切る。

 鮮血が溢れ出し、あっという間に男は絶命する。一連の流れを見ていた黒服の男たちが騒ぐより先にリヴの姿は再び消失し、気がつくとまた一人の男が命を絶っている。

 消えたり現れたりするリヴに、ネアは「おばけみたーい」と素直な感想を述べた。


「リヴ君も【OD】なんだよ。ネアちゃんは親指姫を知ってるかな?」

「しってる! おやゆびのおおきさしかない、おひめさま!

「そうそう」


 リヴが発現した異能は、親指姫である。自分の身長を親指程度の大きさまで自在に縮めることができ、また持ち物も同じ身長に合わせて伸縮させることができる。

 暗殺者としてこの異能は大変便利であり、小さくなって視界から外れれば一瞬で裏に回ることもできる。また建物の中に侵入することも可能で、あまりの小ささからセキュリティに引っかかることもない。彼を最高峰の暗殺者として後押ししているのは、ひとえにこの異能のおかげといっても過言ではないだろう。


「ほら、お注射打ってたでしょ。あれがネアちゃんも飲んでるお薬なんだよ」

「おちゅーしゃ、いたいよ?」

「ああいうのがいいんだって。俺も錠剤にしたらって何度か言ってみたんだけど、リヴ君ってばそこら辺に強いこだわりがあるみたいでねぇ」


 あまり理由を言わないので、ユーシアも疑問に留めるだけで解決しようとは思わない。深く踏み込んでほしくないところなのだろう。

 当の本人はというと、立ち向かってきた黒服の男を残らず殲滅したところだった。血溜まりの中にひっそりと立ち尽くす黒いてるてる坊主は、全身が赤く濡れている。俯いて足元に転がった物言わぬ死体をぼんやりと眺めているので表情は見えず、まとう雰囲気は緊張感が漂うものだ。

 あー、。ユーシアが自動拳銃を握る手に力を込めると、


「くろいおにいちゃん……? だいじょうぶ? どこか、いたい?」

「あ、ダメだネアちゃん!! 今のリヴ君に声をかけたら!!」


 ふわふわと浮かぶネアは、リヴのもとまで飛んでいこうとした。

 だが、ユーシアが急いでネアを引っ張って背中へ庇うと同時に、リヴがユーシアの眼前まで迫ってくる。足音もなく、ただ最初からその場にいたかのように出現し、袖の中に隠した血濡れのナイフを眼球めがけて突き出してきて――。

 寸前で、ユーシアはリヴの腕を掴んでナイフによる刺突を阻止していた。だがリヴはユーシアの眼球めがけてナイフを押し込もうと、さらに力を込めてくる。


(正気を失ってる……【DOF】を使いすぎだろ!!)


 ユーシアは舌打ちをする。

 リヴは【DOF】を連続で投与すると、敵味方関係なく襲いかかってしまう厄介な欠点を抱えていた。これまで幾度となくユーシアもリヴに殺されかけたが、まだこうして首の皮が繋がっているのは寸前でリヴが正気に戻ったからだ。

 暗殺者としては優秀だが、敵も味方も関係なく殺してしまう欠点は考えものだ。

 両腕で必死にナイフを押さえ込むユーシアは、自分の唇を噛み切った。それからナイフの軌道を逸らして腕の力を抜き、血塗れの刃が頰を掠めたところでユーシアはリヴの胸倉を掴む。自然とフードが取れて、虚ろなリヴの瞳が露わになる。

 幾度となくリヴに襲いかかられたユーシアだが、何度か呼びかけても正気に戻らない時があった。そういう時に、ユーシアは。


「んッ、ぐ」

「きゃー」


 リヴのくぐもった呻きと、ネアの恥ずかしがるような悲鳴。

 ユーシアは、血が滲む唇でリヴの口を塞ぎ、彼の口の中に少量の血液を流し入れた。すぐにリヴはユーシアを突き飛ばし、口の中に入ってきた血液を吐き捨てる。

 目元を押さえて「きゃーきゃー」と言うネアの額にデコピンを叩き込んだユーシアは、肩で息をするリヴに言ってやる。


「正気に戻った?」

「……おかげさまで」


 まだ口の中に血液の感覚が残っているのか、唾を血の海となった床に吐き捨てるリヴは忌々しげに呟く。


「本当、自分が恨めしいですよ。なんで周りを殺しちゃうんだか」

「張り切りすぎじゃない?」

「……【DOF】を使うの控えようかな……」

「無駄だよ。どうせ三食のあとに注射を打つことになるんだから。錠剤にしたらって言ってるのに」

「味気ないんで嫌です」


 ようやく血液の味から回復したリヴは、最初襲いかかろうとしていたネアに、申し訳なさそうに謝った。


「あー、その、ごめんなさい。お騒がせしました」

「くろいおにいちゃんと、おにいちゃんは、こいびとどうしなの?」

「「は?」」


 本気でそんな声が出た。

 ネアはぷかぷかと浮かびながら、なにやら楽しそうである。


「だって、ちゅーしてたもん」

「あー、確かにそうですけど僕とシア先輩は恋人じゃないですよ」

「ちがうの? じゃあ、なんでちゅーしてたの?」

「僕、血の味が苦手なんです。さっきみたいに正気に戻らなかった時は、シア先輩がああやって血液を飲ませて正気に戻してくれるんです」


 別に深い意味ではなく、ただ単に正気に戻す為の作業に過ぎない。人工呼吸と同じだ。

 ネアにはあまり理解できなかったようだが、この話はあまりしない方がよさそうだ。一八とはいえ、情操教育に悪い。


「ほらリヴ君、行くよ。前行って前」

「はいはい、分かりましたよ」


 前衛では本当に役に立たないので、さっさと有能な相棒を前へと押し出すユーシア。自分の役割をきちんと理解しているので、リヴも文句は言わない。

 屍が塞ぐ地獄のような道を突き進む二人は、やはりどこまでも常識から外れていくのだった。

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