第7章【無垢なる少女を堕とす悪魔の所業】
娘はとても優秀な子だった。
大人しくて、頭もよくて、人望も厚い子供だった。だからこそ彼女は到達できるのではないかと思ったのだ。
優秀な娘だからこそ、特別であってほしい。そんな親心だった。
――その親心で、まさか
「人格がやはり邪魔だな」
父親たる男は、革張りの椅子に深く腰掛けながら言う。
優秀な娘は、とんだ不良娘へと変貌を遂げた。父親の命令は聞かず、昨日も今日も監禁した部屋から逃げ出す始末だ。いっそ鎖で繋いでしまえばいいかとさえ考えたが、特別な彼女のことだから鎖さえも引き千切って逃げてしまうに違いない。
やはり、従順になるように人格を取り払ってしまい、人形のようにしてしまうのが一番だろうか。
「どう思う?」
「【DOF】によって精神年齢が退行しております。通常よりも多めに摂取すれば、おそらく廃人になるのでは」
部下の男がそう答える。
全身を黒いスーツに包み、整髪剤によって金色の髪を後頭部に撫でつけている。優男という雰囲気だが、浮かべた笑顔がどうにも胡散臭い。
男はどこからか取り出した薬瓶を逆さにして錠剤を手のひらに落とすと、ボリボリと美味そうにそれらへ食らいつく。口の端からこぼれ落ちた白色の薬品の正体は、巷で有名な魔法の薬【DOF】である。
満面の笑みで大量の【DOF】を噛み砕いて飲み込む優男は、主人である男に「失礼しました」と
「禁断症状が起きてしまいました」
「……ふん。まあ、あの娘の扱いについては貴様に任せる。原型は留めておいてくれ。あれでも見た目はまだ可愛げがあるだろう」
「かしこまりました」
深々と頭を下げた優男は、静かに部屋を出ていく。
入れ違いになるように、別の部下が部屋にノックもせず飛び込んできたのはその時だった。なにやら息を切らした様子の部下は、主人に「た、大変です!!」と叫ぶ。
「カチコミです!! たった二人のくせに、馬鹿みたいに強い!!」
「なんだと?」
今や向かうところ敵なしと言われていた男の組だったが、一体どこの馬鹿が喧嘩を売ってきたのだろうか。
革張りの椅子から立ち上がった男はチッと聞こえるように舌打ちをすると、駆け込んできた部下に怒声と共に命令を叩きつける。
「馬鹿娘を連れてこい。あんなでも【OD】だ、少しは使い物になるだろう。飴でもチラつかせれば言うことぐらい――」
「そのカチコミにきた奴と一緒に、娘さんがいるんですよ!!」
「――ああ?」
割と本気で低い声が出た。
まさかあの馬鹿娘、誰かに唆されて父親を裏切ろうと言うのか。
ギリ、と歯軋りをした男は、絞り出すような声で部下に命じた。
「――――馬鹿娘ごと、喧嘩を売ってきた奴らを殺せ」
☆
――時は一五分ほど遡る。
「おとうさんは、ちかにすんでるんだよ。なんか、じむしょけん、おうちだって」
「へえ。まあ犯罪都市だもんね、そのぐらいあってもおかしくないよね」
舌ったらずなネアの言葉を信じて、ユーシアとリヴは最上階の部屋から一階のロビーまでやってきていた。普通の
門番よろしく立ち塞がる警備員の横には、金属探知機のゲートがドンと鎮座している。このホテルの地下は大規模な賭博場になっているようで、煌びやかなドレスやタキシードに身を包んだ男女が次々とゲートを通っていく。遊ぶほどの金があるなんて羨ましい限りであるが、一体どんな犯罪を経て得た金なのか知りたくもない。
遠目からゲートを観察しながら、ユーシアは「うーん」と首を捻る。
「馬鹿正直に侵入なんてできないよね」
「十中八九、捕まりますね。お父さんを殺すどころの話じゃないですよ。殺しますか?」
「すーぐ殺そうとする。あの人はまだ一般人だよ、殺さない。リヴ君はあの警備員さんの気を逸らしてきて」
リヴは不満そうにしていたが、ユーシアが「あとで殺す奴がたくさん出てくるから」と言うと、渋々といった足取りで警備員にまで近づいていく。
ちょうどそこへ、大量の人混みがリヴを覆い隠すように通り過ぎる。人混みが解消された時には、すでにリヴの姿は視界から消えていた。
ユーシアが引きずってきたライフルケースを手元に引き寄せる側で、ネアがリヴの姿を探してキョロキョロとロビーに視線を巡らせる。プカプカと虚空を漂う彼女は、偽装の為にユーシアに肩車されている。バタバタと生足を暴れさせながら、ネアはユーシアに問いかけた。
「おにいちゃん、くろいおにいちゃんがいなくなっちゃったよ。どこにいったの?」
「警備員さんとお話しに行ったよ。ほら、あれ見てごらん」
ユーシアが指を示した先にいたのは、黒い
苦笑したユーシアは、ライフルケースを開いた。
「おにいちゃん、おっきいねぇ」
「ネアちゃんはきちんとお兄ちゃんに掴まっててね。暴れないように」
「はーい」
ネア・ムーンリバーという少女は、意外と聞き分けがいい。あの暴力的な父親の支配下にあった影響か、それとも【DOF】の大量摂取による幼児退行が原因か。
それでも大人しく頭に少女がしがみついたことを確認して、ユーシアは純白の対物狙撃銃に取りつけた照準器を覗き込んだ。
絢爛豪華なロビーには似つかわしくない、物騒な代物が他人の命を狙っている。照準器の向こうにいる警備員は、気づかずにリヴと会話していた。なにやら会話が盛り上がっているようで、警備員の意識は完全にリヴが掌握している。
そんな男に、幻想の少女がふわりと抱きついた。幼い少女。煌めく金色の髪に、青いワンピースと黒いカチューシャで、不思議の国のアリスのような――。
「――――――――ッ」
得体の知れないぞわぞわとした不快感が、胃の中にとぐろを巻く。
引き金にかけられた指が固まる。恐ろしくて引き金を引くことができない、という訳ではない。殺したくて堪らないという衝動を抑える為に、ユーシアの理性が駆け出そうとする本能を制御しているのだ。
あれは幻想だ。
いや、あれは本物だ。
ユーシアは歯を食いしばり、こちらへ振り向いた少女の顔面めがけて銃弾を叩き込んだ。タァン、と極力抑えるように設計された銃声。射出された銃弾は不思議の国のアリスの少女を貫通して、警備員の男の眉間にぶち当たる。
ユーシアが放った弾丸は、たとえ大口径の狙撃銃によるものだとしても傷一つつかない。眉間をぶち抜かれた衝撃で背筋を大きく仰け反らせながら、警備員の男は眠りの世界へと旅立っていった。
「……おにいちゃん? だいじょうぶ?」
「……ああ、平気。ちょっと嫌なものが見えたからさ」
幻影の少女を払い落とすようにして頭を振り、ユーシアは砂色の外套のポケットから錠剤が詰まった瓶を取り出す。ザラザラと五錠ほど手のひらに出すと、水も飲まずに錠剤を飲み干した。
まるでラムネでも食べるようにボリボリと噛み砕くそれは、巷で有名な麻薬である【DOF】だ。無味無臭の錠剤が胃の腑へ落ちれば、自然と落ち着きを取り戻すことができる。
「……じゃあ行こうか。リヴ君が待ってるし」
「うん」
ユーシアは純白の対物狙撃銃をライフルケースにしまい込むと、倒れた警備員のもとまで歩み寄っていく。すでに怪しまれないようにゲートの影へ警備員を押し込んだリヴが、タキシードの上から黒い雨合羽を羽織りながら不機嫌そうに出迎えた。
取り繕うようにへらりと笑ってやると、彼はユーシアの
「ちゃんと飲めって前にも言いましたよね。ちゃんと飲んでもアンタはおかしくなる時あるんだから」
「面目ない」
「謝るぐらいなら自分の状況をきちんと把握してください。狂って背後から狙撃してきたら、アンタを道連れにして死んでやりますからね」
「分かったから、さっさと行こうよ。警備員さんは一〇分しか眠らないようにしちゃったんだから」
ぶつくさと文句を垂れるリヴの背中を押し、ユーシアは金属探知機が搭載されたゲートを通らずに賭博場フロアへと侵入する。リヴもゲートを通らずに柵を飛び越えて侵入し、金属探知機を回避する。彼の場合は洒落にならないぐらいの金属を抱えているので、金属探知機はご法度だ。
一方で、金属探知機など初めて見るらしいネアは、ふわふわと浮かびながらゲートを興味深げに観察していた。センサー部分の前で手を振ってみたり、ゲートの前を右へ左へふわふわと移動する。
「ネアちゃん、通っておいで」
「うん!」
元気よく返事をした彼女は、ユーシアの言葉通りゲートを通り抜けてくる。危険物なんて持っていないはずだから、おそらく簡単に通り抜けられるだろう。
――と、思っていたのだが。
『【DOF】の所持を確認。通行できません』
「ふにゃあ!?」
けたたましく鳴り響く
しまった、これは【DOF】まで検知できるゲートだったのか。最新技術は恐ろしいものである。
「ネアちゃんはこっち!! リヴ君、地下への道は!?」
「こっちですよ。昇降機もばっちり確保済みです」
すでに一台の昇降機を呼び出しておいたリヴが、ひょっこりと昇降機の扉の向こうから顔を覗かせて言う。
ネアの腕を引いたユーシアは、警備員が駆けつけてくるより前に昇降機へと飛び乗った。行き先は地下の賭博場で固定されていて、すでにボタンが押された状態である。
「――待て!!」
「逃がすか!!」
警備員の怒号が、閉ざされようとしている昇降機の扉の向こうから聞こえてくる。
『閉じる』のボタンを連打していたユーシアは、もはや定型文のようにお決まりの言葉を叫んだ警備員たちへ正論を突きつけた。
「いやー、待てって言われて待つ阿呆はいないと思うんだけど」
「同感ですね」
壁に寄りかかったリヴも、ユーシアの言葉に同意を示す。
警鐘を鳴らしてしまったことに負い目を感じているのか、ネアは怒られるのではないかと怯えた様子だった。昇降機の隅で身を縮こまらせている金髪の少女へ、ユーシアは「大丈夫だよ」と言う。
「誰にだって間違いはあるんだからさ。俺もまさかあんな機能がついてるだなんて思ってなかったしさ」
「そうですよ。
「変態は黙ってなさい。勘違いするでしょうが」
「僕は変態ではありません。紳士です。幼女に優しい紳士です」
「そういうのを世の中では変態って言うんだよね」
「世の中の僕みたいな紳士に謝ってください」
ロリコンを紳士だと宣う馬鹿と睨み合うユーシアは、安堵したような表情を見せた少女を確認して胸を撫で下ろした。
こう言ってはあれであるが、女の子は笑っている方がいいのだ。
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