第3章【夢見るティンカーベル】

「あー、くそ。リヴ君め、先に行きやがって……」


 重たい胃をさすりながら、ユーシアはライフルケースを引きずって犯罪都市を徘徊する。一人でいれば間違いなく狙われそうなものだが、ライフルケースというとびきりのお守りがあるので、強盗にも襲われない。

 一緒にいたリヴは、先にあの巨大なハンバーガーを消化すると、さっさとあの金髪の少女を追いかけて店を飛び出してしまった。残されたユーシアは四苦八苦しながらようやく巨大ハンバーガーを食べ終わり、覚束ない足取りで店を出てきた次第である。

 正直なところ、今ものすごく吐きそうだった。歩くたびに胃が揺さぶられて、口から出てきそうな勢いがある。消化されかけた肉や野菜が逆流しそうで、ユーシアは砂色の外套コートから煙草の箱を取り出した。

 白い紙巻の煙草を咥えると、安物のライターで火を灯す。視界の端で『歩き煙草はご遠慮ください』という看板が掲げてあったが、ユーシアはなにも見なかったことにした。


「さて、リヴ君はどこへ行ったんだか……」


 獲物を見つけた時のリヴは、実に迅速である。

 彼の本職は暗殺者――いわゆる殺し屋であり、依頼された相手を殺すことで生計を立てていた。身体能力が非常に高く、何ヶ国語も話すことができて、雨合羽レインコートを脱げば変装だってこなす万能人間である。あ、なんだかムカついてきた。

 湧き上がる苛立ちを紛らわせる為に煙草を吹かせていると、ユーシアの砂色の外套から『おにいちゃん、電話だにょん。おにいちゃん、電話だにょん』とやたら高い女児の声が響いた。どうやら携帯の着信音のようで、画面にはリヴの番号が表示されていた。


「リヴ君、また俺の携帯の着信音変えた?」

『お気に召しました?』

「周りの視線が痛い」


 電話口のリヴはなんでもないような口調で言うが、いわゆるアニメ声の着信音が設定されているだけで、なんか周囲からの視線がザクザクとユーシアを容赦なく刺してくる。困ったことにユーシアは機械音痴なので、携帯の着信音を変えられてしまうと戻すことができないのだ。

 リヴは『今人気の「恋して☆えんじぇう」ですよ』などと、ユーシアの分からない番組名を出してくるのでもう訳が分からない。とりあえず、大の大人が見るような番組ではないことは確かだ。


「というかリヴ君さ、今どこにいるの?」

『シア先輩の向かって左側にあるビルの屋上です』

「左側に……」


 ふと左側を見やると、可愛らしい女児向けの洋服やら小物やらの店が入った商業ビルだった。今も客足は途絶えることなく、子供に連れられて店の中に入っていく親の姿が確認できた。

 ピンクや水色、黄色などといった柔らかい色彩の店に、まさか入っていけと言うのではなかろうか。明らかに子供を連れていない、老けて見える無精髭のもうすぐ三十路の男が。


「リヴ君」

『なんです?』

「どっかにエレベーターない?」

『店内にありますよ』

「リヴ君はどうやって屋上まで行ったの?」

『普通に壁伝いに行きましたよ。この辺り、ビルの群れですからね。配管や窓枠なんかを伝えば簡単ですよ』

「リヴ君が人間じゃない」

『アンタもでしょう。とにかく待ってますよ』


 ブツ、と通話は一方的に切られる。

 ユーシアはやれやれとため息を吐くと、キャッキャと賑やかな店内を胡乱うろんげに見やった。ユーシアの視線に気づいたらしい大人たちが警戒するように動くが、別にユーシアの目的は子供の誘拐でも強盗でもないのだ。

 あの針のむしろに、これから飛び込まなきゃいけないのか。

 ユーシアはくすんだ金髪をガシガシと乱暴に掻くと、


「やっぱり引きずってきてほしいなぁ」


 おそらくリヴだったらまだ若いし、やたらとイケメンだから女の子のハートをがっちり掴んで離さないだろうが、ユーシアでは無理がある。幼い娘に誕生日プレゼントを、という理由がしっくりくる。実際には結婚もしていない独身三十路間近の男なのだが。

 さて。

 ユーシアは咥えていた煙草を、仕方なしに足元へ落として小さな炎を踏み消すと、頼りない足取りでメルヘンな店内へと向かった。

 自動のガラス扉を潜り抜けると、ざわめく店内を円滑に進む為に、ユーシアはあえて店員を捕まえて周囲に聞こえるような声で言う。

 視界の端でニコニコと笑う、幼い妹の幻影を一瞥して、


「すんません。七歳の幼い妹がいるんですけど、もうすぐ誕生日なんですよ。どんな誕生日プレゼントをあげたら喜ぶか、参考にさせてもらってもいいですか?」


 ユーシアは、何一つ嘘は言っていなかった。

 しかし、


 ☆


「シア先輩、なんですかそれ」

「聞くな。そして何も言うな」


 電話からおよそ一〇分後、ユーシアはようやくリヴが待つ屋上までやってきていた。屋上は遊園地となっているようで、安っぽいメリーゴーランドやガタガタと動く熊の人形とかが置かれていた。子供はそれだけでも嬉しいようで、古びた遊具でも存分にはしゃいでいた。

 水色のベンチを陣取るリヴは、やってきたユーシアが背負う大荷物に雨合羽のフードの下にある瞳を細めた。正直なところ、言及してほしくないのだが、その気持ちは分かる。

 店内を移動する際に怪しまれないように、とユーシアは「幼い妹の誕生日プレゼントを探している」と工作した。結果、犯罪都市に住んでいるとは思えないぐらいに人のいい店員のおねーさんが、あれやこれやとユーシアに提案してくれたのだ。

 その末に購入したのが、ユーシアが背負う巨大な熊のぬいぐるみだった。もこもことしていて可愛らしく、ご丁寧に頭の上にはリボンまで装着している。


「バラバラにしていい?」

「金返せよ。二万もしたんだよ」

「ぬいぐるみ如きに二万も払うとか、馬鹿の極みですね」

「お前さんがこの前買ってたメルヘンちっくなお人形も、三万弱はしてたじゃん。あとこれあげる人いないんだけど、どうしよう」

「知りませんよ燃やせば?」

「酷いことを簡単に言ってくれる……」


 で、とユーシアは熊のぬいぐるみを足元に下ろしながら、リヴの隣でお行儀よく座っている少女を見た。

 大きな熊のぬいぐるみに視線を釘付けにされている少女は、おそらく一〇代後半程度だろうか。艶やかな金色の髪は腰まで届くほど長く、翡翠色の瞳はキラキラと輝いている。人形のような顔立ちではあるものの、浮かべる表情自体は幼い子供のそれと似通っている。

 純白のワンピースに熊のポシェットを提げ、そしてなんと驚いたことに彼女は裸足だ。打ちっ放しのコンクリートの上にぺたりと裸足でいるが、彼女の足が汚れた気配はない。


「この子が空を飛んでたって?」

「そうですよ。暴れて大変だったんですから」

「あらー、もしかして乱暴でもしちゃった? 大人げない」

「なに言ってんですか。ロリに乱暴したら紳士の僕の株が爆下がりでしょう。ちゃんとキャンディで買収しました」


 雨合羽の下から武器よろしくいくつもの可愛らしいキャンディを取り出し、リヴが誇らしげに言う。

 よく見たら、少女の手には溶けかけた星型のキャンディの棒が握られていて、時折思い出したかのようにキャンディを舐める。だが、彼女の視線は熊のぬいぐるみに固定されたままである。


「このお嬢さん、どこからどう見てもロリとは言いがたいんだけど」

「シア先輩の目は節穴ですか」

「職業柄、目はいいんだよね。まだ老眼でもないしね」


 飴を舐める少女だが、どこからどう見ても子供ではない。

 白いワンピースの布地を押し上げる胸は豊かで、裾から伸びる太腿は艶かしい。華奢な体躯だろうが、出るところはきちんと出て、締まるところは締まったいい体をしている。子供ならもう少し寸胴体型だと思うのだが、この少女は体格だけは大人びているのだ。

 少女はいまだに飴を舐めながら熊のぬいぐるみを凝視していて、ユーシアは試しに熊のぬいぐるみの短い腕を取ってピコピコと左右に動かしてみる。ぬいぐるみが手を振ってくれたと思ったらしい少女は、小さく右手を振り返した。


「あげようか?」

「いいの?」


 少女の純粋な翡翠色の瞳に押し負けて、ユーシアは彼女に巨大な熊のぬいぐるみを手渡す。もこもこなぬいぐるみの腹に顔を押しつけた少女は、実に幸せそうに微笑んでいた。


「お嬢ちゃん、お名前は? 俺はユーシア、よろしく」

「……ねあ」

「ネアちゃんって名前なの?」

「うん」


 少女は頷く。

 ネアと名乗った少女はユーシアを怪しんでいるようだが、ユーシアは構わず彼女の隣を陣取ったままの雨合羽野郎に耳打ちする。


「見た目が大人っぽいのに、中身が子供っぽいんだけど」

「だから言ったでしょう、ロリだって。【ODオーバードーズ】だから精神年齢も退行しているんだと思いますよ」


 なるほど、一理ある。

 少し考えたユーシアは、熊のぬいぐるみに抱きつくネアに向き直る。


「ネアちゃんはどうして空を飛んでいたの?」

「おとうさんに、おこられたくなくて」


 ポツリとネアが空を飛んでいた理由を話すと、彼女は怯えたように翡翠色の瞳を向けてきた。正確には、ユーシアの背後を見つめている。

 なにかいるの? と振り返ったが、ネアは「いや……!!」と叫ぶ。


「いや……やだ、おこらないで、おとうさん!!」


 父親に怯える少女だが、屋上には彼女の父親らしき人物すら見当たらない。母親と幼い女児たちが遊ぶ屋上で、異性と呼べる存在はユーシアとリヴの二人だけだ。

 彼女は【OD】――【DOF】を使用しすぎて、異能力を発現させてしまった超人。

 その証拠に、ネアという少女は存在するはずのない父親の幻影に囚われていた。

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