第2章【御伽の国の麻薬】

「うーん、やっぱりチーズバーガーにしようかなぁ」


 ファストフード店のメニュー表を眺めながら、ユーシアはかくりと首を傾げる。彼の視線の先では普遍的なハンバーガーとチーズバーガーが並んでいるが、チーズバーガーの方がほんの少しだけ値段が高い。チーズにどれだけの付加価値がつくのだろうか。

 リヴは「早く決めてくださいよ」と苛立った様子で催促し、注文を聞いていた店員の少女は引きつった笑みのまま固まっている。ユーシアの後ろには長蛇の列ができており、注文が終わるのを今か今かと待ち続けていた。

 しばらく二つのバーガーの間を行ったり来たりしてから、ユーシアは「よし」と決める。


「アイスコーヒーで」

「お嬢さん、メガバーガーもう一つ追加してください。この馬鹿に食べさせます」

「ちょっとぉ!? 俺そんなに食べないんだけど!?」

「散々待たせた挙句にアイスコーヒーなんていうしけた注文しないでくださいよ。少しは売り上げに貢献しろおっさん」


 店員の少女は満面の笑みで「メガバーガー二つ入りまーす」と店奥へ呼びかけ、厨房にいた連中は大盛り上がりを見せる。この店で一番高い商品だ、盛り上がるのは間違いないだろう。

 ユーシアはそんな巨大なものに対して金を払うのかとげんなりするが、今更注文したものを取り消すのも面倒なので渋々金を払うことにする。呼び出し番号の書かれた領収証を受け取って列から外れると、他の客はようやくかとばかりに息を吐いていた。それほど待たせてしまったのなら悪いことをしたと思う。

 重たいライフルケースを引きずりながら店内をのろくさと移動するユーシアを、すでに陣取っていたソファ席でリヴが出迎える。普通の格好をしている客の中で黒い雨合羽レインコートを着た彼の姿は特に目立っていて、子供から「ねー、ママ。なんであの人はてるてる坊主みたいな格好をしてるの?」などと母親に話しかけて、そして母親に引っ張られていった。


「店の中では雨合羽脱がないの?」

「この下になにも着てないんですよね」

「裸に雨合羽とか誰得の格好なの。これからご飯なのに吐き気を催したんですけど」

「勝手に気持ち悪くなられても困るんですけど。いいじゃないですか、他人の趣味にとやかく言わないでください」


 目深に被った雨合羽のフードの下で、リヴは不機嫌そうに唇を尖らせる。

 そういえば仕事の時もこんな格好だったっけ、とユーシアは思い出す。リヴとユーシアは別々の位置で仕事をするので、彼が普段からどんな格好をして仕事をしていたか曖昧だった。ともあれ他人の趣味にとやかく言う主義ではないので、ユーシアはそこで閉口する。

 テーブルに肘をついたリヴは、窓の外に視線をやりながら言う。


「本当にこの都市に【DOF】はあるんですかね」

「全国的に大流行中だからなぁ。犯罪都市と呼ばれてるゲームルバークで使われてないなんて有り得ない話だよ」


 手持ち無沙汰に紙ナプキンを適当に折り始めたユーシアは、適当な推測を語る。

【DOF】――正式名称を【ドラッグ・オン・フェアリーテイル】という麻薬だ。直訳すれば御伽噺おとぎばなしの麻薬となり、使用者に都合のいい幻覚を見せると有名で流行している代物である。

 流行している原因は、正確には都合のいい幻覚を見せる部分が目的ではない。その先――麻薬を使いすぎてに陥ることが、使用者にとっての最終的な目標だ。

【DOF】を使いすぎて麻薬中毒状態に陥ることを、彼らは【ODオーバードーズ】と呼んでいる。薬物の大量摂取overdoseと混同されるが、実際のところ【DOF】を使いすぎて【OD】となった者にはある症状が見られるようになるのだ。

 それが、だ。御伽噺の麻薬と銘打ってあるだけあって、使いすぎて【OD】となると、御伽噺にちなんだ異能力を獲得する。その異能力はランダムで、そして解明もされていない。


「【OD】ってのは一種の壁だよ。【DOF】を使っただけだとただの使用者だけど、それを使い続けて壁を乗り越えれば【OD】っていう特別な存在になれる。若い子はそんな勘違いをしてんのよ」

「すげえいい話の途中なのに、アンタは手の中でなんてものを生み出してんですか」


 リヴが引き気味の視線を、ユーシアの手元に送ってくる。

 待ち時間が長くて暇なので紙ナプキンで遊んでいたユーシアだが、その手の中には細い体の側面から大量の脚を生やしたとんでもない化け物が創造されていた。ユーシアもなにを生み出したのか分からず、ただ首を傾げて「なんだろうね、これ?」と逆にリヴへと問いかけていた。

 すると、すぐそばから「あーッ」と子供特有の高い声がユーシアとリヴの耳を突き刺す。見れば先ほど、リヴを指で示しててるてる坊主みたいな格好を云々と言っていた子供だった。つぶらな瞳をキラキラと輝かせ、ユーシアとリヴのいるテーブルにしがみついてくる。


「すげー!! それメメロン星人だ!!」

「なにその果物みたいな名前。変だね」


 聞き覚えのないキャラクターの名前を出されても、ユーシアの無意識の領域から生み出された怪物が本当にメメロン星人なるものなのか判断がつかない。

 首を傾げるユーシアの手からメメロン星人(暫定)を奪ったリヴが、邪気のない笑みで応じる。


「はい、あげます」

「え、いらない」


 そしてにべもなく断られた。作ったユーシアもちょっと傷ついた。


「メメロン星人よりもムメンライダー作ってよ」

「無免ライダーならそこにいるよ」

「ちょっと、僕を指差さないでくださいよ。子供が真似したら事でしょ」


 ユーシアに指で示されて反論するリヴだが、実際、先ほどまで運転していた彼は免許不携帯だったのだ。本人曰く「僕が免許を取れるような仕事に就いてると思ってるんですか。こういうのは実践経験って奴ですよ」なんて言っていたが、危なっかしくてしょうがない。

 子供は「違うよ」と言うと、店内の壁を指差した。そこにはカッコいい仮面を被った男がポーズを決めて立っていて、その下にデカデカと『ムメンライダー』と書いてあった。その後ろにユーシアが無意識のうちに生み出したムカデのような生物――メメロン星人もいる。

 ああ、あれか。ユーシアは納得して、


「でもあれ作るの時間がかかりそうだからなぁ。また今度にして」

「えー」

「俺たち、これからご飯の時間だからさ。ほら、メメロン星人ならあげるから」

「……じゃあ約束ね」


 ん、と子供が小指を突き出してきて、リヴがいそいそと小指を絡めようとするので脳天を引っ叩いて阻止し、ユーシアが代わりに子供と約束する。

 指切りげんまんとは懐かしい。子供が「ゆーびきりげんまん」と歌い出す姿に、妹の面影がちらついた。彼女はこの子供より小さかったが、成長すれば同じぐらいになっただろうか。


「じゃあね、おっさん。約束守ってね」

「おっさんって呼んだから却下。全力で拒否」

「大丈夫だよー、お兄さんが責任持ってこのおっさんに約束を果たさせるからねー」

「イデデデデデデ、リヴ君待って俺のひげは引っ張るものじゃない」


 問答無用で髭を引っ張ってくる雨合羽の青年に痛みを訴えるも、その手つきに加減はなくてブチィとやはり毟り取られた。またか。

 ヒリヒリと痛む顎を押さえて呻くユーシアとは対照的に、リヴは笑顔で子供を見送った。とても爽やかな笑顔だった、ちくしょう。こっちの気も知らないで。


「あ、ほらシア先輩。番号呼ばれたので僕が行ってきますよ。だから紙ナプキンでムメンライダーを作っておいてくださいね。三〇体ほど」

「なにする気? そんなに戦隊ヒーローを量産してなにする気?」


 紙ナプキン製の戦隊ヒーローの人形を量産して商売でもする気か、この真っ黒てるてる坊主。

 ユーシアの問いかけにリヴは答えることなく、ユーシアの手から番号が書かれた領収証を引ったくって席から離れていった。呼び出し口のところではユーシアが受け取った番号を店内に向かって呼びかける店員の少女がいて、近づいたリヴが領収証を見せると商品の載ったお盆を手渡してきた。

 そのお盆に載せられた商品を見て、ユーシアは我が目を疑った。


「…………山?」

「メガバーガーって言ってましたよ。うはー、美味そう」

「リヴ君待って。俺これ食い切れる気がしない」

「気合と根性で頑張れ、以上」


 ユーシアの目の前にドンと置かれたものは、山と称するに値するほどの大きさを誇るハンバーガーだった。上のバンズにはチーズがたっぷりとかけられていて、太い串が巨大なハンバーガーを貫いて倒壊を防いでいる。肉やら野菜やらチーズやらベーコンやらが色々と挟まってるし、なんだったらちょっとはみ出している。とても一口でかぶりつけるほどの大きさではなかった。

 これをどうやって食えと。

 貧弱そうなナイフとフォークがついてきているということは、これで解体しろということなのだろうか。

 ユーシアがどうやって食べるか悩んでいる一方で、上のバンズだけを串から外して食べ始めたリヴが、ふと窓の外を見やった。それからチーズがかかったバンズを消化しつつ、


「シア先輩、僕って夢でも見てるんですかね」

「お前さんも俺と似たような存在だからね。四六時中、夢見る少年みたいなものでしょ」

「金髪の女の子がパンツ丸出しで空飛んでる」

「…………ついに壊れた?」


 この山のようなハンバーガーをザクザクとナイフで解体し始めたユーシアは、リヴの視線を追いかけて窓の外を見やった。

 誰もが足を止めて、空を見上げている。若者なんかは携帯を構えて写真撮影をしていて、異常が起きているのかは明白だ。

 本当にその通りだった。

 裸足の少女が見事な金髪をなびかせて、空を悠々と飛んでいる。まるで散歩でもしているかのような足取りで虚空を踏みつける彼女は、ひらひらと裾の短いワンピースを翻して、その下で眠らなければならない下着を大胆に晒しながら、どこかへと飛んでいく。


「シア先輩、あれって」

「間違いないね」


 ようやく解体できたハンバーガーの一片を口に詰め込み、ユーシアは言う。


「【OD】だ」

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