第五章 学園の日常とざわめき4
アシュガルの言葉の通り、夜会の正式な告知とキング・クイーンの発表があってから、リアのところへは多くの男子生徒たちがダンスの申し込みにやってきた。
大勢の生徒と同じ講義を受けられるようになってまだ日が浅いし、おまけに基本的に行動はアナスタシアをはじめとした女子と共にしているため、ほぼすべての男子生徒が初対面で接点のない人たちだ。
それなのに、あまりに熱烈に声をかけてくるし、それが時と場所を選ばないためリアはすぐに辟易し、疲れてしまった。見かねたアナスタシアが「ダンスの腕を磨いて、しっかりおめかしして、当日申し込んできなさいよ」と言ったため散らすことには成功したけれど、男子たちの間ではダンスの練習に打ち込む者たちが増えたらしい。
休み時間や放課後をダンスの練習にあてる者が増えたためアプローチも減ったものの、それでも声をかけてくる者がゼロになったわけではない。おかげでリアは、女友達の壁に囲まれるようにしているときが唯一のんびりできる時間になってしまっていた。
「カーリア、いるか?」
そんなある日の昼休み、友人たちと昼食とおしゃべりを楽しんでいるところに、血相を換えたアルトゥルが現れた。
「アルトさ……どうしたんですか?」
うっかり敬称をつけそうになって、リアは言いつくろった。関係性を勘ぐられるから、人前では呼び捨てにするように言われているのだ。
「あの、私たち、席を外しましょうか?」
好奇心を咬み殺した笑みを浮かべ、アナスタシアがアルトゥルに問う。アナスタシアの中では、相変わらず王子三人がリアを取りあっていることになっているようだ。
「いや、いい。カーリア、呼ばれているから行こう。急ぎの用事らしい」
アナスタシアの視線には気づかず、アルトゥルはリアを見ている。その真剣な眼差しに、リアはただごとではないと理解した。
「呼ばれてるって、誰からですか?」
「マイナルドゥス氏だ。おそらく、国からの連絡か、それに関することだ」
食堂から移動しながら話を聞いて、何やら深刻なことなのだろうとリアは悟る。そんなふうに急いで呼ばれることなど簡単には思いつかないぶん、歩きながら不安になってくる。
「どこに呼ばれてるんですか?」
「学長室だが、おそらく学長は不在だろう。たびたび不在にしているらしいからな」
「そうなんですか……」
そういえば、留学してきてから一度も学長なる人を見たことがない。たびたび不在にするというのが気になるけれど、今はそれより呼ばれた理由だ。
「失礼します」
ノックして中に入ると、すでにローランドとテオドルは来ていた。彼等もまだ呼ばれた理由はわからないようで、怪訝そうにしていた。
「よし、集まったな」
マイナルドゥスが学長室に入ってきた。彼の後ろには、なぜかアシュガルが続いていた。
「話って、マイナルドゥス先生からですか?」
「そうだ。内緒話をするためにここに呼んだだけだから、別に学長に関係ない。安心しろ」
いつもの気だるげな口調だけれど、まとう気配は緊張している。それを感じて、リアも身構えた。
「今日呼び出したのは、お前たちに関係することで重要な知らせがあったんだ。……イルハ、いいか?」
表情を引き締めたマイナルドゥスが、隣に立つアシュガルに問う。アシュガルはうなずき、一歩前に出た。
「竜の渡りが観測された。ヴィカグラマルクとグロヘクセレイの国境に、だ。おそらく、アブトカハールに向かうためにヴィカグラマルクを横切るだろう」
「そんな……!」
静かに告げるアシュガルの言葉に、リアは叫びそうになるのをこらえた。平和な故郷の空に竜の影がよぎるのを想像するだけで、身体の芯が冷たくなる心地がする。
動揺し、言葉もないリアたちに、アシュガルはさらに言葉を続ける。
「しかも、報告を受けた情報から判断する限り、現れたのは攻撃性の高い火竜だ。なかなか観測されたことはないが、アブトカハールで過去に現れたときは、その一帯を火の海に変えたらしい……」
それまで淡々としていたアシュガルの顔に、沈痛な表情が浮かぶ。それを見れば、彼が嘘を言っていないのがわかる。
「その情報の信憑性はどのくらい? 俺たちはこれまで、竜なんていない世界で生きてきた。なぜなら竜なんて隣国の専売特許だからね」
平静を装って、ローランドはアシュガルに尋ねた。その口調は疑っているというよりも、受け入れるのを拒んでいるようだ。
「それに関しては俺が答えよう。俺はな、個人的に竜の渡りに興味があったんだ。でも、アブトカハール人じゃないから竜が来るのを予知する能力はないし、竜に関する知識も不足してるしで困ってるところに、ちょうどイルハが留学してきた。といっても彼もアブトカハール人の中では特殊な立ち位置らしくて、竜の渡りについて知る能力も技術も持っていなかったから、何とか力を合わせて予知する装置を作ったってわけだ」
今回の情報を得るに至った経緯を語るとともに、アシュガルが潔白であることをマイナルドゥスは証言した。アブトカハール人は竜を使役することができて、他国にけしかけていると信じている者も世の中にはいるのだ。だから、彼にはそんなことできないと言いたかったのだろう。
「すごい……アッシュさんも先生の弟子だったんだね」
「力を合わせたと言っても、俺は先生に『竜が現れるとき時空が歪み、磁気が生じるらしい』のいう話をしただけだ。それを聞いた先生が、ひとりで装置を作ってくれた」
テオドルに尊敬の眼差しを向けられたアシュガルは、照れる様子もなく説明した。どんな装置なのか気になったのだろう。テオドルは目を輝かせ、感嘆の溜息をもらす。
「竜が別の世界からは現れるのを予知できるのはわかった。でも、それが火竜であるという確証はどうやって得たんだ?」
すべて理解できなければ気が済まないというように、ローランドは質問を重ねた。きっと、どこかで嘘や冗談であってほしいと思っているのだろう。その気持ちは、リアにも痛いほど理解できた。
「国境になってる山があるだろ? あそこにはああいった場所でしかできない研究をしてる魔術師たちがいるんだ。そいつらから通信……遠くにいる相手に高速で情報を伝達する仕組みがあるんだが、それで連絡が入ったんだ。そいつらが見た竜の特徴をイルハに伝えたら、凶暴な火竜だと」
アシュガルへのローランドの問いは、マイナルドゥスが代わりに答えた。それを聞いて、ずっと黙っていたアルトゥルが反応した。
「先生、その連絡手段は私にも使えますか? 国に、今すぐに連絡したいのですが」
すがるように必死で尋ねられ、マイナルドゥスは苦い顔をして首を横に振る。
「ごめん。通信のための装置を相手が持っていなければだめなんだ。こんなことなら、お前たちを迎えに行ったらときにでも設置の許可をとっておけばよかった……」
「兄さん、どこに行くんだ?」
悔やむようなマイナルドゥスの言葉が終わるよりも先に、アルトゥルは学長室から出て行こうとしていた。
「どこへって、帰るに決まっているだろう? 急ぎ帰り、知らせなければ」
「帰るって、ひとりで? 馬鹿言うなよ。焼け焦げになる気?」
「では、お前は故郷を焼け野原にさせる気か?」
「ひとりで行かせないよ。俺も行く」
思いは同じらしく、ローランドは今にも飛び出して行きそうなアルトゥルの腕を掴んだ。強く握り、決して振りほどくことを許さない。しばらく鋭く見つめ合って、やがてアルトゥルはあきらめたように溜息をついた。
「盛り上がっているところ悪いが、帰ると言っても移動はどうするつもりだ? 馬は竜を恐れ、役に立たないぞ。歩いていけば、当然間に合わない」
熱くなっているふたりに水を差すように、アシュガルが冷静に言い放つ。馬か馬車で行くつもりだったらしいアルトゥルは、それを聞いて歯噛みする。
「ここへくるとき乗った機械の馬もおすすめしない。車体がでかいぶん、的になるぞ」
「打つ手なしか……」
マイナルドゥスに先回りして言われ、ローランドもがっくりとうなだれる。
でも、リアの頭にはひとつの考えが浮かんでいた。テオドルの顔を見ると、彼も兄弟の中でただひとり希望をなくしていない顔をしていた。おそらく、同じことを考えているに違いない。
「あの、馬はだめでも、大トカゲならどうでしょうか? かつては機械の馬の代わりに使われていたわけですから、移動速度に関して言えば問題ない気がしますけど」
少し悩みながら、リアは思いついたことを述べてみた。男たちが思い悩む中、それはあまりにも場違いな考えに思えたのだ。でも、それを聞いたマイナルドゥスの顔はパッと明るくなるなった。
「それならいけるかもしれないな。大トカゲの改良前のトカゲの種類、かなり気性が荒いんだ。だから、竜を恐れずに進めるかもしれない」
「それなら先生、庭園に連絡を取って貸し出しの許可をもらってください。僕、いつか大トカゲにリアと乗ろうと思って、鞍と手綱を作っていたんです。竜騎士を主人公にした小説を書くための取材に行こうと思ってたから」
目を輝かせ、テオドルは言う。好奇心の前では恐怖なんてものは感じないようだ。
「おう、わかった。何頭借りる?」
「では、四頭でお願いします。無理なら三頭で。私とテディのふたりで乗れないこともないでしょうから」
「ちょっと待った! 勝手に話を進めるな。私は、カーリアとテオドルを連れて行くことを認めないぞ」
てきぱきと話を進めるテオドルとリアに、慌ててアルトゥルが口を挟んだ。リアの突拍子もない思いつきについていけたのはテオドルとマイナルドゥスだけで、アルトゥルもローランドもまだ頭が追いついていないらしい。ただ、危険な道中にふたりを突き合わせてはいけないということだけはわかっているようだ。
「認める認めないの話ではありません。これは、私たち全員の問題ですから。それともアルト様は、故郷が危険にさらされ、脅威にアルト様たちが立ち向かうのを指をくわえて見ていろとおっしゃるんですか?」
アルトゥルの言葉に気分を害したのを隠しもせず、リアはキッと彼を睨んだ。リアは男の帰りを泣きながら待つ女ではない。ましてや、危険な場所に赴く男を黙って見送る女でもない。リアに常に淑女たれと厳しい母エルヴィーラも、楚々としていても芯の部分はリアと一緒だ。
「そういうことを言ってるんじゃない。それに、私たち全員で行ってもしものことがあったらどうするんだ? ……何かあってはいけないから、お前とテオドルを残していくんだ。わかってくれ」
なだめるように、懇願するようにアルトゥルは言う。それに対してリアはさらにムッとしたけれど、先に言い返したのはテオドルだった。
「僕は兄さんの予備じゃない! これ、前に兄さんが言ったんだからな。それなのに、こんなときだけ自分の代わりみたいに僕をリアに押しつけて行くな! 止めても無駄だ! 僕は勝手に大トカゲに乗って行くからな!」
めったに声を荒らげることのないテオドルだから、言い終わる頃には少し息切れしていた。でも、彼の瞳には強い力意志が宿っているのがわかる。ただ好奇心に任せて駄々をこねているわけではないのだ。
「では先生、大トカゲは五頭借りてください。俺も、小さな者たちを護衛するために行く」
静観していたアシュガルが、ふいにそう口を挟む。それに対してローランドがいきり立つ。
「リアのことを止めてくれるならまだしも、何でついて来ることになってるんだ? 君もリアが大事なんだろ? 気に入ってるんだろ? それなら危ない真似しそうなときは止めてくれよ!」
「お前様の想いはわからんな。箱に入れて触れもせず眺め回したい男の気持ちなぞわからん。俺は、好きなことをさせてやれるよう力を貸してやるのが、男の務めと思っている」
リアに言っても聞かないとわかっているからか、ローランドはアシュガルに詰め寄る。でも、アシュガルはローランドの必死な訴えを退けた。その相容れなさに、ローランドは唇を噛む。
「ちょっと待って! 先生、トカゲは七頭でお願いします!」
話が膠着状態に陥っていると、突然バンッと学長室のドアが開き、快活な声が響く。そして入ってきたのは、アナスタシアとホイスディングだった。
「ごめんなさい。リアが深刻な感じで呼び出されて行ったのが気になって、あとをつけて、話を聞いちゃいました。それでもう黙ってられなくて……時間ないんでしょ? それで、リアが危険じゃなかったらいいんでしょ? それなら、私と会長がついて行って守ります! 絶対!」
疎外感を覚えて居心地が悪かっただろうに、アナスタシアはハキハキと自分がここにいる理由と意見を述べた。彼女に首根っこをつかまれ連れてこられたホイスディングは、不満そうにゴニョゴニョ言っている。
「何? 何か文句あるの? あんた、ここでついて行ってきっちり護衛したら、『会長、里帰り中の留学生を竜から守る』とか言って株が少しは上がるんじゃないの? 心配だったから立ち聞きしてたくせに」
「……行く」
アナスタシアに乗せられ、ホイスディングはうなずいた。一緒に立ち聞きしていたくらいだ。彼もきっとリアたちのことが多少は心配だったのだろう。
「じゃあ……七頭借りられるか聞いてくるからな」
話はまとまったとばかりに、マイナルドゥスは学長室を出ていった。
リアたちがどうあってもついてくるとわかったからか、アルトゥルもローランドももう何も言わなかった。
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