第五章 学園の日常とざわめき3

 ブルーノの戦略通りお茶会は成功をおさめ、おそらく彼の狙った成果を上げられたといえるだろう。

 今回招かれなかった人々は次のお茶会はいつになるのかとリアたちにしきりに尋ね、招かれた人たちも出された食べ物やお茶の味について思い出しては吹聴した。

 つまり、リアたちのお茶会に招かれることは学院内で一種のステータスになっているということだ。

 それに伴って起きたことがもうひとつある。農業への関心の高まりだ。

 ヴィカグラマルクの作物のようなおいしいもの食べられるようにしたいと(主にマイナルドゥスが)思うようになり、農業に魔道の技術を活かそうという動きが生まれたのだ。

 というわけでリアは今、農業研究会発足のための書類の作成に追われていた。

 お茶会のあとでマイナルドゥスは一念発起して農業改革を思いついたはいいけれど、「書類は苦手だからよろしく〜」とリアに丸投げしてきたのだ。そして許可が下りる前からせっせと畑のための魔術を構築し始めた。

 部活動や研究会というのは、わずかではあるものの学院から補助金がもらえる。場所を使うことが許される。それを悪用して資金と場所を得て溜まり場を確保しようとする輩もいるため、許可を求めるための書類は極めて煩雑で、記入事項や添付書類は多岐に渡っているということらしい。

 それは理解できるのだけれど、いざ自分が作らなければならないとなると、そんなことどうだっていいじゃないかと言いたくなる。

 とはいえ、楽しみにしているのはマイナルドゥスだけではないから、リアもやる気になっているというわけだ。リアは昔から、幼馴染の甘えん坊のお願いには弱い。


「あのさ、リア」


 ある日の夕方。食堂でアナスタシアを待つ間、揃えた書類や資料の最終的な確認をしているリアのところへテオドルがやってきた。


「どうしたの? テディ?」

「リアにお願いしたいことがあって……」


 ややこしい書類を作らせた張本人がまた性懲りもなく可愛い甘えん坊フェイスを引っさげてやってきたことに、リアは身構えた。

 農業研究会をマイナルドゥスが発案したときは、リアはちっとも関心を示さなかった。けれども、テオドルが熱心にやりたいと言い、この可愛らしい顔でお願いをしてきたから参加することを決意し、力を貸すことにしたのだ。

 籠りがちなテオドルが外に出たがるのはいい機会だからとか、農業改革は多くの人々の役に立つことだからとか、言い訳はいろいろあった。でも結局、どんな理由を並べ立てようと、リアがテオドルに甘いという事実は変えようがない。そしておそらく彼も、リアが自分に甘いことを知っているのが厄介だった。


「お願いって……農業研究会のための書類なら今作ってるところよ。それとも、また何か欲しい本でもあるの? 竜についての本だったら、ヴィルヘルミーナ先生に頼んで貸してもらった本はこの前ので全部よ。あれ以上詳しいものとなると、もっと上級生にならないと閲覧許可が下りないのですって」


 甘えん坊には屈しないぞと、リアはとりあえず思いつく限りのことを並べてみた。けれども、テオドルは首を横に振る。


「違うよ。書類のことはリアにお任せしてるから急かしたりしないし、本は別ルートで調達するからいいよ。そうじゃなくて、休暇前の聖誕祭でのダンスの相手になってってお願いしにきたんだ」

「聖誕祭? ダンス? 何のこと?」

「あれ? 聞いてない? 魔道の始祖であり学院の創設にも関わった偉い人の誕生日を祝う日だとかで、その日に盛大な夜会が開かれるんだって。男子寮はこの話題で持ちきりだったから、てっきり女子寮もそうかなと思ったんだけど」

「そういえば、アナが何か言ってたし、そわそわしてた気がする」


 少し前にアナスタシアが言っていた“お楽しみ”とはこのことだったのかと、リアは合点がいった。


「それでね、夜会のときは絶対に一回は誰かと踊らなきゃいけないって話だから、お願いにきたんだ。マイナルドゥス先生が『ドレスを着たら喜ばれそうだな』とかわりと真剣な顔で言ってきたのが嫌でさ」

「……何それ。そんな消極的な理由でダンスを申し込まれて嬉しい女の子がいると思う? 当日にならば相手くらい見つかるわよ。あなた、実は女子に人気があるんだから」


 やっていられないと思って、リアはプイッと顔をそむけた。ローランドのように口ばかり達者でも困るけれど、こんな言い回ししかできないのでは先々のことが不安になる。それにひとりの年頃の娘としては、道端の石ころを適当に見繕って「これでいいか」と言うみたいに誘われても嬉しくないというものだ。

 ところがテオドルは失礼なことを言ったつもりはないのか、キョトンとしてリアを見つめる。


「僕はリア以外の女子に興味はないし、踊りたくもないよ。踊りたくはないけど踊らなきゃいけないと言われたから、相手はリアがいいと思っただけだよ?」


 小首をかしげた拍子に、長い金の前髪の向こうから美しい青色の目が覗く。その目に無邪気に見つめられ、リアは不覚にも自分がときめいてしまったことに気がついた。


「そ、そう言うなら別に踊ってあげてもいいけど……」

「ちょっとお待ちなさい。クイーンたるもの、そのように安売りするのはいけなくてよ」


 リアがテオドルの誘いに応じようとしたそのとき、独特のオーラとたくさんの女生徒を率いてヴィルヘルミーナが現れた。たくさんの女子たちの中からアナスタシアも手を振っている。


「テオドル君、ダンスの申し込みはキングやクイーンの発表のあと、正式に夜会の告知があってからですよ。抜け駆けはいけませんわ。男の子たちはひと足先に盛り上がっているみたいですけど」

「え? そうなんですか?」

「それに、クイーンをそんなふうに気安く誘っちゃだめだよー」

「クイーンって?」


 リアとの会話を邪魔されて戸惑い若干ムッとするテオドルに、ヴィルヘルミーナもアナスタシアも次々にいさめる言葉をかける。何を言われているのかわからず、リアとテオドルは首をかしげた。


「キングやクイーンというのは、定期考査で一番を獲った者へ与えられる称号ですよ。そして、今期のクイーンはあなたです、カーリアさん」


 ヴィルヘルミーナがそう告げた途端、女子たちから割れんばかりの拍手が起こった。どうやら、クイーンの称号というのはとても栄誉あることらしい。


「私が、一番……? それは女子で一番ということですか?」


 リアは喜ぶよりも先にひどく驚いた。状況が飲み込めないうちは、うまく喜ぶこともできない。


「いいえ。初期課程のすべての生徒のうちで一番ということです。ちなみに中期、後期にもそれぞれ一番がいるから、その三人のうちの一人ということになるわね」

「すべての生徒の中で、一番? 信じられません。私が、クイーン……?」


 ヴィルヘルミーナに説明されてクイーンの意味は理解できても、やはりリアの中では喜びよりも驚きが大きな割合を占めていた。

 こんなことは、これまで生きてきた中でなかったことだ。ヴィカグラマルクでは、男女が共に評価されることなどない。男は男の中で、女は女の中で評価される。男は男の世界で生き、女は女の世界で生きることが当然とされているし、何となく女は男よりも下位であるという空気すらある。

 でもどうやら、この魔道の国グロヘクセレイではそうではないらしい。


「クイーンっていうのは便宜上だよ。だって、努力や頭の良し悪しに性別は関係ないじゃん。とりあえず、一番ってことをもっと喜びなよ。リア、ばんざーい!」

「ば、ばんざーい」


 アナスタシアにバシバシ肩を叩かれ、リアは形ばかりの喜びを示す。けれどそうして喜んでみると、じわじわと嬉しさがこみ上げてくる。


「というわけでクイーンはこれから当日の衣装選びやダンスの練習で忙しいのだから、テオドル君は男を磨いて出直してらっしゃいな」

「……やだな。クイーンになったからって群がってくる男たちと競うなんてしたくない。でもだからって、そんなやつらとリアが踊るのを黙ってみてるなんて嫌だし……うわぁー! 何か道具作ってくるー!」

「テ、テディ!?」


 ヴィルヘルミーナに追い払われて何かスイッチが入ってしまったのか、テオドルは悶絶したあと食堂から走り去っていった。取り残されたリアはあわてて声をかけようとしたけれど、追いかけられないようアナスタシアたちにがっちり腕を掴まれてしまう。


「だめだよ、リア。これからあなたにはあたしたちの着せ替え人形になってもらうんだから」

「え……どうして?」


 たくさんのキラキラ、いやギラギラした目で見つめられ、リアの身体は強張る。疑問を素直に口にすると、彼女たちはくわっと目を見開いた。


「だって! 中期はクイーンじゃなくてキングなんだもの!」

「本当は自分たちの同期にクイーンが出ればよかったんだけど、そうじゃないからせめて関わりのある誰かを着飾らせたいの!」

「後期もキング! 中期もキング! そんなの、放っておいたら華のない夜会になっちゃうじゃない! 男が着飾ったって限度あるし、どうせあいつら何もしないし」

「ドレスを着せたいの! 誰かをフリルとレースとリボンの海に沈めたいの! いい? わかる? 我々は日頃、制服というものに抑圧され、おしゃれを楽しむことができない。だから! 年に一度の夜会でその欲望を解放する! そのためには! 自分ひとりのドレスの支度だけじゃ足りない!」


 女生徒たちは口々にドレスへの思い入れを言葉にする。公爵家の令嬢として着飾ることに慣れているというかむしろ義務のようなものであるリアにとっては、ドレスなんて騒ぐようなものではない。むしろ活発に動き回れるこの制服のほうが好きなくらいだ。

 だからリアは彼女たちの熱狂を理解できないけれど、好意は受け取っておくことにした。


「それなら……よろしくお願いします」


 リアがペコリと頭を下げると、再び拍手が起こる。そして何人かが巻尺や定規を手にリアを取り囲み、各部のサイズを測っていく。


「採寸してるってことは、もしかしてみなさんが仕立ててくださるんですか?」


 もしやと思って尋ねると、女生徒たちは誇らしげに顔を輝かせた。


「彼女たちは服飾研究会のメンバーなんです。夜会のドレスは彼女たちにお任せするからいいとして。もうひとつ気になることと言えばダンスよね。ヴィカグラマルクで仕込まれたでしょうけれど、この国にはこの国のステップがありますから」

「そうか……そうですよね。どうしましょう……私、実は踊りは苦手なんです」


 ヴィルヘルミーナに言われて、リアはそのもうひとつのことのほうが深刻だと気がついた。

 リアの母は淑女としての教育にうるさい人ではあったけれど、ダンスについてはことさら厳しくされた。夜会で美しく踊れることも教養や礼儀と同じくらい重要だからということらしい。どれだけ美しく、どれだけ教養豊かであっても、踊る姿が無様であればひどく見劣りするから、と。

 それなのにリアはダンスの才能が全くなくて、男性役の講師にへばりついてくるくる回るのがやっとだ。リードするのがうまい人と踊れればいいものの、そうでなければ相手の足を踏んでしまうことは間違いない。


「大丈夫よ、カーリアさん。練習相手にぴったりな人に声をかけておいたから。これから時間のあるときに、一緒に練習してみてね」


 ヴィルヘルミーナが言うと、みんなが意味深な笑みを浮かべた。

 それが何なのかわからないものの、確かめるためにもその相手に会いに行かなければとリアは考えていた。




 翌日、リアは指定された場所へ赴いていた。

 そこは空き教室のひとつで、机や椅子などが取り除かれて広々としている。ここでなら踊りの練習も存分にできるだろう。

 そんなことを考えて教室内を見渡して、見つけた人物にリアはひどく驚いた。


「練習相手って、あなただったの……?」


 窓辺に佇んでいたのは、ローランドだった。彼はリアに気づくと、ふわりと優美な笑みを浮かべる。


「いかにも、君の愛しいローランドだよ。どうしたの、リア?」

「どうしたのじゃないわよ。ダンスの練習よ」

「ダンス? 俺と踊りたいの? いいよいいよ、お姫様。さあ、お手をどうぞ」


 ローランドは榛色の目をいたずらっぽく細めて、リアの手を取る。それから慣れた様子で腰に腕を回した。身体がぐっと近づいて、リアはにわかに緊張する。


「構えは、ヴィカグラマルクのものと一緒なのね。って、ロルはいつの間にグロヘクセレイの踊りなんて覚えたのよ」

「いつの間に、かな。踊る相手には事欠かないし」

「……あっそ」


 ローランドは軽やかにリードして、クルクルとステップを踏む。時折身体を離してはリアをひとりで回らせたり、ぐっと腰を掴んで持ち上げたりする。

 この国の踊りを知らないリアはただされるがままなのだけれど、彼がこれを修得するまでに何人の女子と踊ったのかと思うと何だかむしゃくしゃしてくる。それは王子としての自覚のない振る舞いについての憤りで、やきもちなどでは断じてない。

 

「ちょっとリア。むくれないでよ。クイーンなんだから、笑って」

「こんな振り、絶対ないでしょ? 何これ? 下ろして!」


 リアの両脇に手を入れて高い高いをする要領で抱えあげてクルクル始めた。驚き慄くリアに、ローランドは楽しげに笑うだけだ。

 

「リアがクイーンか……夜会当日は、たくさんの男が君にダンスを申し込むんだろうなぁ。あーあ。君が俺だけの女王(クイーン)だったらよかったのに」


 ローランドはそう言ってからリアを下ろして、少し寂しそうに笑った。ヘラヘラとしたよそいきの笑顔が取り去られた素顔に近いその顔に、リアの胸はちくりと痛くなる。


「……ロルは、私をダンスに誘ってくれないの?」


 思わず言ってしまってから、リアは恥ずかしくなった。ローランドの顔に得意そうな笑みが戻ってきたのを見て、ますます恥ずかしくなる。


「それはもちろん、申し込ませてもらうけどさ。……そうじゃなくて、一番(クイーン)になれるほど優秀な君を、俺たち馬鹿王子たちが縛りつけてる状態が嫌だって話だよ」

「んぶっ!」


 言ってから、ローランドはリアの鼻を指先で軽く弾いた。不意の攻撃に、リアは変な声を上げてしまう。それによって元気を取り戻したらしいローランドはリアから離れ、ひらひらと手を振った。


「どうやら本当の練習相手が来たみたいだから、俺は行くね」

「え? どういうこと?」

「ここは俺のお気に入りの隠れ場所で、そこにたまたまリアが来たんだよ。ダンスの練習相手を待ってるみたいだから、ちょっと話を合わせてだけ」

「ということは、さっきのダンスはでたらめ?」

「そういうこと」


 してやったりという顔をしてローランドが教室から出ていくところへ、ちょうどアシュガルが入ってきた。すれ違うローランドとアシュガルは一瞬鋭く視線をぶつからせるけれど、どちらも何か言うことはなかった。何だか剣呑な……とリアが感じたときには、ローランドは廊下に、アシュガルはリアのそばに来ていた。


「マーキングをしていったか。……自分のものだと主張もできないような振る舞いばかりのくせに、難儀な男だ。リーアも苦労が多いだろう」


 ローランドが出ていったほうを振り返り、アシュガルは呆れたように言った。リアはそれには答えず、ただ肩をすくめた。


「ヴィルヘルミーナ先生が言っていた練習相手って、アッシュだったのね」

「遅れて悪かったな。俺は留学してきた年にみっちり仕込まれたから、教師役には適任ということらしい」

「それなら安心だわ。私、ダンスは本当に苦手だから。でもクイーンの称号を得た以上、無様な姿はさらせないからよろしくね」

「責任重大だな。それなら、さっそくやっていくか」


 不敵に笑ってから、アシュガルは恭しく腰を折り、リアの手を取った。


「この国の代表的な踊りの振りは大きく分けて三つだ。こうしてお辞儀をしあって手を取ったら、まず女性がクルクルクルと回される。そのあと男のほうも回される。それから向かい合って両の手を握って移動しながら回る。基本はこれだけだが、変則的な部分もあるから慣れろ」

「わかりました……」


 アシュガルは淡々と教えてくれるけれど、その分シビアだった。戸惑うリアを容赦なく回転させるし、彼のことを回すのをためらうとやり直させられた。さらに手を握るのも身体をくっつけることにも迷いはなく、褐色肌の美形な顔をこれでもかと近づけてくるのだ。そのことにリアが内心あわあわしていることなど、全く気づきもしない様子だ。


「夜会当日は、何も気にせず好きな者と踊るのだぞ。お前様は、すぐいろいろなことを我慢するからな」


 アシュガルに身を任せ動きを覚えることに専念していると、彼は不意にそんなことを言う。


「どういうこと?」

「クイーンやキングの称号は栄誉あることだ。また、夜会でその者と踊ることも同様に栄誉だ。というわけで多くの者から誘われるだろうが、興味のない者のことは遠慮なく切り捨て、踊りたい者の手を取れ。そうでなければ、身が保たぬぞ」

「は、はい……」


 そのときリアは、何と不吉な予言なのだろうと思ったけれど、それからほどなくしてこの言葉が脅しでも何でもないということを嫌というほど思い知らされるのだった。

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