第五章 学園の日常とざわめき2

 数日間に渡る試験を戦い抜き、リアは自室の机で真っ白な灰になっていた。

 王子たちの尻を叩いてきちんと勉強させ、何とか試験を受けさせられて気が抜けたのもある。自分の試験よりもそちらのほうが大変だったと言える。

 アルトゥルは長男で第一王子らしくしっかり者に見えるけれど、学問に関していえばからきしだ。興味がないから集中力が続かないし、集中できないから覚えられない。身体を動かすなら、何の問題もなくこなすのに。

 というわけで、リアはアルトゥルに剣の素振りをさせながら必要なことを覚えさせていった。初歩的な学習では単語を覚えさせることが肝要だ。だから、リアが説明文を読み上げてボールを投げ、アルトゥルがそれに答えながらボールを斬りつけるという勉強法をとった。間違えばボールが弾け水が飛び出す仕掛けにしていたため、アナスタシアには「犬のしつけ」と笑われていたけれど、そのせいかアルトゥルの覚えは早かった。

 テオドルのほうも同じように彼に合う方法で勉強に取り組ませた。彼の場合、興味を持ちそうなものをちらつかせ、“鼻先にニンジン”状態で机に向かわせたらあっという間だった。

 ……ローランドのことは、心配ないだろうということで放っておいた。女子たちがこぞって彼に勉強を教えたがるということもあるし、もともと頭がいいことをリアは知っている。ローランドは兄弟の中で一番優秀なのだ。本人は認めたがらないけれど。


「リア、どうしたのー? 手紙を持ったまま放心しちゃってさ。不幸の手紙?」


 部屋に戻ってきたアナスタシアが、便箋を手に伸びているリアを見て驚いた声を上げた。

 リアが疲れ果てていたのは、手にある手紙のせいでもあった。


「不幸の手紙じゃないの。兄からの手紙」

「お兄さんから? 何て書いてあったの?」

「ヴィカグラマルクの食材を送ったから、それでお友達とお菓子を作りなさいって。……私、お菓子なんて作ったことないのに」



 手紙は長兄ブルーノからで、そこには彼からの〝指令〟が書かれていた。表向きはホイスディングとの決闘の勝利を讃えることと初めての試験を終えたことを労う内容だったけれど、実際はそれが彼の戦略なのだとわかる。だからこそ、リアはげっそりしていたのだ。


「なあーんだ。そんなことで凹んでたんだ。だったら手伝ってあげるよ。みんなも試験が終わった解放感とこれからのお楽しみに浮かれてるだろうから、声をかけたら絶対に集まってくれるよ」


 リアの手から手紙をひょいと奪い取り、目を通しながらアナスタシアは言う。


「お楽しみって?」

「いいのいいの。そのうち正式に話があるだろうし、そのうち準備が忙しくなるからさ。そんなことよりお菓子作りの準備とパーティーの手配だー」


 リアの質問には答えず、アナスタシアは楽しげに部屋を出ていった。

 それからほどなくして、彼女は何人かの女子を引き連れて戻ってきた。



 食堂の奥の厨房。

 集められた食材と初めて見るレシピに、女子たちがワイワイと騒いでいる。それを目にして、リアは兄ブルーノの戦略とやらに深く感心した。

 兄からの手紙には、『親しい女子生徒を集めてお菓子作りをし、そのお菓子を使ってお茶会を開きなさい。お茶会に誰を呼び誰を呼ばないか、そこからすでに駆け引きは始まっている。特別なお菓子を食べられる特別なお茶会、そしてそれを開ける特別なお前と、そんなお前に招かれた者……という駆け引きだ。心してやりなさい』と書いてあった。

 母エルヴィーラがお茶会の招待状に神経を注いでいることから、誰にお茶会に招かれるかが重要なのは理解していたけれど、学院生活の中でそんなことに頭を悩ませるとは思っていなかった。


「お菓子作りとか、ドキドキするね。しかもヴィカグラマルク直送の材料を使えるなんて!」

「ヴィカグラマルクのお菓子って美味しいんでしょ? 楽しみ」


 お茶会の準備の手伝いだというのに楽しげにしてくれる女子たちを見て、リアはほっとしていた。十人ほどアナスタシアの仲のいい子を集めてもらったのだけれど、みんな不満を口にするどころか大喜びしてくれた。年の近い友人とお菓子作りを楽しむなんてリアにはなかったことで、喜ぶ彼女たちを見て新鮮だった。


「実は私もあまり作ったことなくて、戦力にはならないけど、よろしくお願いします」

「リア、かたいよー」


 真面目に礼を言うリアに、アナスタシアが笑った。それにつられてみんなも笑う。


「そうだよ。年も同じなんだし、いつまでもかしこまらなくていいの」

「こうしてお菓子も一緒に作る友達なんだしさ」


 気さくに笑いかけてくる女子たちに、リアも微笑み返した。こういう気のおけない感じは、ダニエラとのやりとりを思い出す。……性別が違うけれど、リアにとって真に打ち解けた友人は彼女だけだった。


「それにしても、ロル様が食べるお菓子を作れるなんて光栄だわ。しかも、彼のふるさとのお菓子を作れるなんて」

「私はテオドル君に食べてもらいたいなあ。金髪碧眼の美少年なのに、眠そうで髪もボサボサなのが可愛いの」

「断然アルト様派ね、私は。あの、女子なんて興味ないぜってクールな雰囲気がたまらないの」


 レシピとにらめっこしながら、女子たちはキャッキャと騒ぐ。どうやら、王子たちはそれぞれに人気があるらしい。


「カーリアは誰狙いなの?」

「リアはあのアシュガルがお目当てに決まってるでしょ? だって、会長とかち合うことになっても彼を呼びたいっていうくらいなんだから」


 女子のひとりがリアに水を向ければ、アナスタシアがすかさず口を開いた。お茶会に誰を呼ぶのかということも一緒に考えてくれたため、アナスタシアはリアがアシュガルを呼ぶと言ったことをずっと冷やかして来るのだ。


「そんな、狙ってるとかじゃなくて、せっかくアブトカハールからの留学生がいるんだから、呼んだほうがいいかなって。そしたら、ヴィカグラマルクとグロヘクセレイとアブトカハールの三国のお茶会になるじゃない」


 ニヤニヤと面白がって見つめてくる視線に恥ずかしくなって、リアは慌てて弁解した。言い訳のために言ったのではなく事実なのだけれど、女子たちはまるで聞いていない。


「へえ、あの砂漠の貴公子をね。もー、どこで知り合ったのよー」

「ロル様たちに一切なびかないからどういうことなんだろって思ってたけど、ああいう野性的な人が好みとは」

「ドキドキするー! カーリアちゃんの恋の成就をかけてお菓子作りするんだもん」


 当のリアをおいてけぼりにして、女子たちの会話は進んでいく。誰かが誰かを好きなのが当たり前で、それを気ままに口にできるという自由な空気がリアには眩しい。

 だから手よりも口のほうがよく動く彼女たちのことを、なかなか注意できなかった。


 ***


 お茶会に誰を招くのかというのは悩ましかったけれど、それ以上に難しかったのは席次だった。

 ヴィルヘルミーナなどお世話になっている先生はリアの近くに座ってもらえばいい。問題は、ホイスディングたちだ。


「何でお前も招かれてるんだ……」


 斜め向かいの席に座ったアシュガルを不満そうに見つめ、ホイスディングが呟いた。

 隣に座らせるのはまずいとはわかっていたけれど、視界に入るのまでだめだとは思わなかった。そうはいっても、これ以上席を離すのも難しかったのだ。


「こういう場で行儀よくできないのは、招いてくれた人に失礼だと母君に習わなかったのか?」


 アシュガルは涼しい顔をしてホイスディングを一瞥すると、主催としてテーブルの端に座るリアに目顔で「大丈夫だ」と知らせてくれた。相手を牽制しつつも大人の対応をしてくれたアシュガルに、リアは感謝した。


「ささやかではありますが、日頃の感謝の気持ちをお伝えしたくてご招待いたしました。どうぞごゆっくりお楽しみください」


 顔ぶれがそろったのを確認して、リアは主催らしく挨拶した。エルヴィーラが知り合いを招いて開くお茶会を見ていたつもりだったけれど、やはり自分が主催になるのは初めてで緊張する。


「ヴィカグラマルクのお茶とお菓子をお楽しみください」


 リアの緊張を感じ取って、ローランドが微笑んでそう言ってくれた。それを合図に、リア、アルトゥル、ローランド、テオドルは自分の近くの席の人のカップにお茶を注ぐ。

 本来ならメイドに給仕をしてもらうのだけれど、今はそれができない。かといって、主催のリアが席を立ってすべて注いで回るのも難しい。だから王子たちにも協力してもらうことにした。

 でも、招かれた人のほとんどがこういった集まりに慣れていないから、この方法のほうがよかったようだ。緊張してガチガチになっていたマイナルドゥスも、慣れない手つきのテオドルにお茶を注がれるうちに笑顔になっていた。


「お茶もお菓子も、すごく美味しいわ」


 しばらく黙々とお茶とお菓子を楽しんでいたヴィルヘルミーナが、とびきりの笑顔を浮かべてリアを見た。

 並んでいるのは、材料を混ぜて焼いただけの簡単なお菓子ばかりだ。台所に立った経験のないリアのために、仕込みに時間のかかるものや混ぜる加減でできあがりに差が出るような高等な技術のいるもの以外のレシピを、ブルーノがこだわって用意してくれたのだ。手書きのレシピには、ところどころにブルーノからのひと言アドバイスが書かれており、「カーリアのお兄ちゃんってば過保護ー」と笑いを誘っていた。


「凝ったお菓子ではなく、簡単な家庭のお菓子ですけれど、気に入っていただけてよかったです」


 うまくできたのはブルーノが粉類も果物もふんだんに送ってくれたのと、手伝ってくれた子たちが総じて製菓能力が高かったからだ。リアはほとんど何もできていない。それでも、褒められるとやはり嬉しかった。


「簡単な家庭の菓子ということは、一般の人も普通にこんなにうまいものを食べられるのか……」


 ポツリと、アシュガルが呟いた。目を輝かせているのを見る限り、彼も気に入っているようだ。食文化が全く未知だったから、彼についてはとても心配だったのだ。


「お口に合ったみたいでよかった。ヴィカグラマルクとアブトカハールではとれる作物も全然違うから、食べ慣れないものじゃないかって心配だったんだけど」

「誰かが心を込めて作ってくれたものなら、何でも喜んで食べる。リーアが作ってくれたものならなおさら」


 安堵する様子のリアに、アシュガルは柔らかく微笑んで言う。ブルーノから送られてきたものの中には農業というか植物の育成についての本があり、それを渡してから一層親しくなった。


「うちの国のお菓子は美味しいけど、パンも美味しいんですよ。リア、今度はパンも焼いてよ」


 美貌を笑顔でさらに輝かせて、ローランドがリアを見る。お菓子作りも初めてだったリアに、そんなに簡単にパンを焼けるはずがない。意地悪を言われたのだとわかって、リアはムッとした表情になる。


「そうか、パンもうまいのか。それなら今度作るときは俺も手伝わせてもらおう」

「いやいや、お客人はお気遣いなく」


 なだめるようにアシュガルが言えば、ローランドがなぜかリアの代わりに答える。どうにもローランドがアシュガルに絡んでいるようで、リアは呆れた。


「俺たちもまずいって自覚して食ってるパンなんだから、留学生のお前たちはさぞつらかっただろうな……」


 しみじみとマイナルドゥスが言った。よほど気に入ったらしく、自分の分のお菓子を平らげ、テオドルの分までもらっている。


「うまいって、どううまいんだ? 生まれてからずっとあのパンしか食べてないと、うまいパンってのが想像できないんだが」


 考え込むようにしてホイスディングは言う。彼の言葉に、リアも考え込む。実物のない状態で美味しさの話をするというのは、考えてみればすごく難しい話だ。


「そうだな……まずこの国のパンよりとても柔らかいな。だから厚く切ってバターを塗って食べるだけでもうまい」

「何だそれ! 硬さのあまり薄切り必須なうちの国のパンとは大違いだな! 柔らかいパンか……」


 アルトゥルが考えながら答えると、想像したのかマイナルドゥスが悶絶した。

 何も知らなかった頃のリアが、顎を鍛えるための特別な食べ物なのかと思っていたくらいグロヘクセレイのパンは硬い。だから、柔らかいパンを思ってマイナルドゥスが悶えるのも理解できた。


「バターもいいけど、僕はジャムを塗るのが好きだな。ベリーとオレンジと梨のジャムを重ねて塗ると美味しいんだよ」


 甘党のテオドルがうっとりしながら言う。彼はピクニックのとき、兄たちがハムサンドを食べる横でジャムたっぷりのパンをいつも食べていた。

 ヴィカグラマルクを離れてふた月。おそらく彼が一番、食に関して不自由しているだろう。そう考えると、テオドルたちのこともブルーノは気遣っていたのだろうなと気づかされる。


「ジャムが何種類もあるだと!? 何て豊かな国なんだ! うちの国は食えるもん少なすぎて、かつて毒キノコを塩漬けにして毒を抜いて食う方法まで編み出したんだぞ!」


 ヴィカグラマルクの食文化が羨ましくてたまらなくなったらしいマイナルドゥスが、地団駄を踏む勢いで自国の食事情を嘆いて笑いを誘う。

 毒キノコまで食べなければいけなかったということに驚きつつも、それはそれで技術と知恵だなとリアは感心した。


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