第五章 学園の日常とざわめき1

 ある週末、リアは図書館にこもって一心不乱に本に目を走らせていた。そして、気になったことや役に立ちそうなことは疑問点と共に片っ端から帳面に書き留めていく。これをあとで先生や同室のアナスタシアに質問するつもりだ。

 本当は談話室でアナスタシアと一緒に勉強したかったけれど、ほかの生徒たちであふれ返って席の確保が難しかった。何より、勉強よりもおしゃべりに興じている生徒が多くて、とても集中できる雰囲気ではなかった。……試験前といっても、関係ないらしい。

 リアは今、生まれて初めての定期考査を前に追い詰められていた。集中講義を終え、ほかの生徒たちと同じ講義を受けられるようになったばかりなのに。

 この学校に入るまでは学校という学びの場と縁のない生活を送っていたから、リアは試験を課せられるということ自体に慣れていない。一応家庭教師をつけられていて、習熟度を試すために課題が出されることはあったけれど、それはあくまでリアのためのリアのことをよく知る人が作ったもの。できて当たり前のもので、難易度もお察しというものだ。

 でも、定期考査は違う。学院が、教師が、大勢いる生徒たちの現時点での到達度と理解度を試すために課すものだ。そこに忖度も情けもない。それによって出された成績は容赦なく突きつけられる。


(国に成績表を送られるなんて言われたら、絶対に手抜きできないじゃない……!)


 リアは泣きそうになりながら、必死に本の山と格闘した。

 本当なら、王子たちの勉強の面倒も見るべきなのだろう。彼らは放っておいても勉強するタイプではない。かといって一緒に留学してきている手前、知らんぷりというわけにもいかない。けれども、まずは自身の勉強をしっかりとして好成績を修めなければ示しがつかない。

 というわけで、要点をまとめたものを試験の数日前に渡して、それであとは自分で頑張ってもらうしかないと考えている。


「リア、自習室が空いたからおいでよ。ここ、息が詰まるでしょ?」

「アナ。うん、集中はできるんだけど」


 うず高く積んでいた本の山からあらたかやっつけたところで、タイミングよくアナが現れた。ローブを羽織っているところを見ると、リアを呼びに来るためにわざわざ着替えて来てくれたらしい。この学院内では、寮のある棟以外では私服での行動が許可されていない。


「これ、片すの手伝うよ」

「ありがとう。じゃあ、こっちの山をお願い。初歩魔術の棚ね」

「了解。全部読んだの?」

「流し読みだけどね。気になるところを書きだして、それらを質問していこうと思って」

「うわぁ、大変。受ける試験が違うから助けてあげられないのが悔しいよ」


 ひょいひょいと風の魔術で本を棚に戻しながら、アナは眉間に皺を寄せて言う。そんなものぐさをせず一冊一冊梯子を使って棚に戻しながら、リアは首を振った。


「仕方ないよ。アナは中期課程で、私は初期課程なんだから」


 十三歳の頃に入学して順当に学習を進めているアナスタシアは今、中期課程という本格的な魔術を学ぶ段階にいる。それに対してリアは、まだ学び始めたばかりの年下の子たちと一緒の課程にいる。もっとも、特別な講義を受けてやっと追いついたという感じなのだけれど。


「それにしても、今回の試験は見送らせてくれてもよかったのにね。リアたち、入ってからしばらくは勉強どころじゃなかったんだから」


 本を片付けて図書館を出た途端、アナスタシアが盛大な溜息と共に言った。あまり人がいなかったとはいえ、一応は館内で気を使っていたようで疲れたみたいだ。


「落ち着いて勉強どころじゃなかった……確かにそうなんだけど、あれはあれで必要な経験だったかなって。実戦で魔法や魔術を身につけることができたし」


 アナスタシアに言われてホイスディングとの模擬試合にことを思い出し、リアは苦笑いした。学院に来て早々あんな目に遭わなければもっと学べたのではないかと思う一方、そうして誰かのせいにしたくないなとも思う。それに結局、王子たちはあの件があってもなくても勉強しなかっただろう。


「ちょうどいいところに。アールステッド嬢、君に渡したいものがあったんだ」

「げっ……会長、何でこんなところに」

 

 寮へと戻るために渡り廊下を歩いていると、ひょっこり現れたホイスディングと出くわした。向こうから歩いてきたというわけではなく、柱の陰から現れたため、アナスタシアのように口に出さないまでもリアも驚いていた。女子二人にドン引きされていることには気づかず、ホイスディングは近づいてきて紙束をズイッとリアに差し出した。


「え……何ですか、これ?」

「初期課程の過去五年分の試験問題だ。これを読み込めば少しは傾向が掴めるだろうと思ってな」

「あ、ありがとうございます。でも、どうしてこれを……?」


 紙束を受け取って、その厚さにリアは戸惑った。ひと口に過去問と言っても、五年分もだ。これだけ集めるのは簡単ではなかったはずだ。ありがたいけれどこれだけのことをしてもらう理由が思い浮かばず、リアは首をかしげた。


「せめてもの罪滅ぼしだ。俺が邪魔したせいで成績が悪かったなどと言われたらかなわないからな」


 それだけ言い放って、ホイスディングは去っていった。取り残されたリアは茫然とし、何かを感じ取ったアナスタシアはニヤニヤした。


「あいつ、リアに惚れたね」

「え?」

「めっちゃアプローチされてるじゃん。気の強い子がタイプなんだろうなぁ。その上、魔術の腕もなかなかとなると、もうたまんないって感じじゃない?」

「そうなの?」

「だってあいつ、模擬試合でリアたちに負かされてから変でしょ? リアの周りをコソコソうろついたり、生徒会に誘ってきたり」

「そう言われたら、そうだけど……」

  

 好かれても困るんだけどなと思いつつ、リアはもらった紙束に視線を落とす。リアが今気になるのは他人あの好意や色恋ではなく、この試験をいかに乗り切るかということと、王子たちがきちんと勉強しているかということだ。王子たちについては本気で期待できないから、なるべく早くこの過去問を精査して対策を練って、それを彼らに渡せればと思う、


「ねぇリア。今もしかして同郷の彼らのことを考えてるの? 彼らも彼らでリアにべったりだもんね」


 考え込むリアを見て、アナスタシアはまた楽しそうにする。まさか彼らが一国の王子たちでリアはそのお目付け役などと言えるわけはないから、リアは苦笑するしかない。


「考えてたよ。あの人たちが赤点を回避できるかなって。みんな地頭は悪くないから、私がこの過去問をもとに傾向と対策を考えてまとめれば、何とかなるよね。というより、何とかしなくちゃ……」

「うわ……全然甘くない。甘酸っぱい話を期待したのが間違いだったわ。世話が焼ける人たちだねー」


 頭を抱えるリアに、どうやらアナスタシアもうんざりしたみたいだ。年頃の少女としては誰かの恋の話で盛り上がりたいのだろうけれど、残念ながらリアにそういったことは期待できない。


「さて、談話室に行ったら問題にひと通り目を通して、夕食後にはまとめ始めなきゃ。一晩で片付くかなあ」

「……リアってそういう子だよね。嫌いじゃないけど、ちょっと心配」


 勉強のことで頭がいっぱいになっているリアを見て、今度はアナスタシアが苦笑する番だった。恋よりも何よりも勉強のことで頭がいっぱいというのは、学生としては正しいのだろう。でもやはり、息をつめるように気を張っているのを見ると、周囲には気にされてしまうものだ。

 それがわからないあたり、しっかりして見えるリアもまだまだということだ。


 ***


 アナスタシアに手伝ってもらって一晩で過去五年分の定期考査の精査を終えたリアは、その成果を手に男子寮の前にいた。

 当然のように、男子寮と女子寮の行き来は認められていない。だから用があるときは管理人室に行って呼び出してもらうのだけれど、あいにくアルトゥルもローランドもテディも出かけているとのことだった。

 というわけで、仕方なくリアは少しの間待つことにした。管理人の見立てでは、アルトゥルの帰りは早そうだということだった。


(こんなことなら、アナに伝書紙鳩の作り方を教えてもらうんだったな。恋人たちの秘かな連絡手段って聞いたときは、全くもって必要ないと思ったんだけど……)


 このまま待ちぼうけの時間が長引くと嫌だなと考えていると、お目当ての人物が現れた。でも、思わぬ人を伴っていたことにびっくりする。


「アルト様と、アッシュ。どうして一緒にいるの? 知り合い?」

「俺が彼と知り合いではおかしいか?」

「おかしくはないですけど」


 リアの質問には答えず、アシュガルは面白がるようにしている。そこへアルトゥルが割って入る。


「リア、彼がこの前言っていた剣の師だ。偶然裏庭で素振りをしていたところを目撃され、それがきっかけで手合わせをして、それからいろいろ教わっている。いずれ紹介しようと思っていたのだが、まさかもう知り合っていたとは」

「あ、そういうことだったんですね。そうか、アッシュが……」


 アシュガルがアルトゥルに戦い方を指南していたというのは、リアとしては妙に納得する話だった。出会い方がひどいものだったとはいえ、リアもアシュガルと出会ったことで結果的にホイスディングに勝つことができたのだから。


「ところでリア。もしかして私を待っていたのか?」

「そうでした! 過去問をいただいたので、試験の役に立つかなと思ってまとめてきたんです。ロルとテディにも渡してもらえますか? きっと勉強していないだろうと思いまして」


 アルトゥルの出で立ちを見る限り、彼も勉強していた様子はない。アシュガルを相手に剣の稽古をしていたとわかるけれど、アルトゥルはリアがこっそり溜息をついたことには気づいていない。


「ありがどう。とても助かる。ローランドは女生徒たちに囲まれていろいろ教わっていたから大丈夫だとは思うが、テオドルのほうがな……。マイナルドゥス氏からいろいろ教わって、すっかり夢中になっているようだ。竜のこととか、そのあたりのことを」


 リアから紙を受け取ったアルトゥルは、自分のことを棚に上げて弟王子たちのことを困った顔で話す。それを聞いて、リアの表情が険しくなった。


「だったらその紙、ロルには渡さなくていいです。いらないでしょう、親切な女の子たちに囲まれてるわけですから。テディのほうは、私からうまく言っておきます。問題の大元のマイナルドゥス先生を突くか、それでだめならヴィルヘルミーナ先生に頼んでみるとか」

「リーアは手厳しいな」


 ローランドの話に顔をしかめ、テオドルの話を聞いて頭を抱えるリアを見て、アシュガルがおかしくてたまらないというように声を立てて笑った。


「そのロルとやらへの当たりがきついのは仕方がないとして、テディという者への対処は優しくしてやれ。知識に取り憑かれた者にとっては、試験よりも大切な探究があるのだろう。それに竜は、魅力的なものであり、学ぶことは人間にとって役立つことだからな」


 ひとしきり笑ってから、アシュガルは取りなすように言う。テオドルの知的好奇心を尊重してやれということなのだろうけれど、リアはすぐに肯定もできず首をかしげた。


「竜の知識が魔術の勉強や試験より大事だとは思えないんだけど……自主性を大事にするしかないのかな。その興味が、試験に役立つ方向に向かってくれたらいいんだけど」


 溜息まじりに言ってから、リアはアルトゥルとアシュガルに手を振ってその場を辞した。

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