第四章 誇りをかけた戦い3


 ホイスディングに試合で勝ってから、リアの学院生活は一変した。

 まず、アナスタシア以外にも話をする相手ができたのだ。

 これまでリアに興味があっても、生徒会の手前、話しかけられなかったのだという。隣国からの留学生に興味があっても話しかけることができなかった生徒たちは、アナスタシアやローランドからもたらされる情報だけで満足しなければならなかったらしい。ローランドが女子たちに囲まれていたのはそういう理由もあったようだ。

 「バルテルスさんのことだけ様づけってことは、彼がカーリアの恋人なの?」「どうして留学してきたの?」「誰が好み?」「ヴィカグラマルクの男の人って、みんな美形なの?」などなど、興味のおもむくまま、みんな質問する。

 特に王子たちとの関係はみんなの気になるところらしく、「親同士が親しいの」と毎度答えるようにしていても、なかなか納得してもらえなかった。

 そんな感じで平和になったものの、騒がしくて静かな生活が恋しく感じる日々が始まった。



 そんなある日。

 授業が早く終わったリアはひとりで図書室に向かっていた。

 詰め込みで行われた基礎課程の講義は終盤に差し掛かり、そろそろ他の生徒達と一緒に受けられるという話もでてきているくらいで、早く終わることも増えてきたのだ。

 だから、アナスタシアたちと夕食に行くまでの間、リアは図書室で束の間のひとりの時間を楽しむ。


「あ……」


 目的の書棚の前に先客を見つけ、リアは足を止めた。その人物も、リアに気づいて振り返る。


「あの……この前は、ありがとうございました」


 褐色の肌に銀髪が目を引くあの青年に再び会い、リアは頭を下げた。

 弱さを自覚し、しっかりと特訓してから試合に臨むことができたのは、彼の言葉があったからだ。


「魔術で吹き飛ばしてきた相手に礼を言うなんて、代わったやつだな。まあ、勝ててよかった。俺の国では男でも女でも、力がなければ生きていけないから、ついきつい言葉をかけてしまった」

「いえ……言ってもらえなければ気づくことができませんでしたから」


 青年の言葉や行動はたしかにきつかったけれど、リアを蔑んだり馬鹿にしたりしたものではなかった。だから、リアも聞き入れることができたし、感謝もしている。


「うちの国のことで、何か気になることでもあるんですか?」


 青年がいたのは、ヴィカグラマルク関連の書籍が並ぶ書棚の前だった。だから、リアは興味半分、警戒半分で尋ねた。


「ああ。教えてほしいことがある、リーア」


 リアの警戒する様子には気づかず、青年はほっとしたように書棚を指差した。


「植物の育成について書かれた本はあるだろうか。ヴィカグラマルクは食べ物が豊富にある。だから、よく育てるための知識と技術があるのではと思ったのだが、これだけ本があるとわからない」

「えっと……」


 真剣な表情で聞かれ、リアは戸惑った。

 たしかにヴィカグラマルクは農作物がよくとれるけれど、それは気候に恵まれ土壌が豊かだからに他ならない。

 畑仕事をする人々それぞれに工夫や努力はあるはずだ。でも、それがリアに伝わってくることはないし、他国に知識として輸出されているかどうかもわからない。


「ここにはそういった本はないみたいです。今度、国の家族にそういったことがわかる本や資料を送ってもらいますね」


 せっかく尋ねられたのに力になることができず、リアは申し訳なくなった。

 それを聞き、青年は柔らかく微笑んだ。そんな表情をすると鋭さが抜けて、優しい顔になる。


「ありがとう、リーア」

「あの……私の名前はリアです。カーリア」

「そうか。リーアとは、俺の国の女神の名だ。人間に肩入れして元の世界への帰り方を忘れた、おっちょこちょいだが親切な神の名だ」

「そうなの……」


 いつの間にか名を知られ、覚え間違われていたのだろうと思っていたリアは、そういうことかと納得する。でも、いくら神の名といっても、それはあまりありがたくないなと苦笑いがこぼれた。


「あなたの名前は何ていうんですか?」

「アシュガル・イルハ。他国の人間には呼びにくいようだから、アッシュでいい。それと、かしこまらずともいい」

「アッシュね。じゃあ、私もリーアでいいわ。神様じゃないけど」

「神ではないが、親切だからそう呼ぼう」


 名乗ったことで打ち解けたふたりは笑い合った。

 リアはこれまで男性とは、家族か王子といった限られた世界でしか接したことがなかった。貴族の令嬢にとって結婚するまではそれが当たり前だし、結婚してからも交友関係が限られていることに変わりはなかった。

 だから、アシュガルとのこの交流はリアにとっては新鮮で、そしてちょっぴり刺激的だった。


「では、俺はもう行く。またな、リーア」

「ええ、またね。アッシュ」


 打ち解けたからといって不必要に馴れ合うこともなく、アシュガルは去っていった。社交の場で出会う男性はほとんど、アールステット家とのつながりが欲しいか、リア自身に興味があるかだ。

 アールステット家の娘と言うもの抜きに、ただひとりの人間として接してもらう心地よさは、アナスタシアと話すときに似ている。そういった気安い関係の人間が増えたことに、リアは嬉しくなっていた。


「あいつと、何を話していたんだ?」

「え?」


 アシュガルと話していた余韻にひたりながら読書をしていると、突然声をかけられリアは飛び上がった。振り返るとそこには、ホイスディングの姿がある。そのことに、リアはさらに驚いて身構えた。


「……私に何かご用ですか?」

「いや、その……アブトカハールの人間と話していたから、気になって」

「立ち聞きしてたんですか」

「大丈夫かと心配しただけだ。……本当に悪意があってのことではない」


 歯切れは悪いけれど悪意がないのは伝わって、リアは身体の緊張を解いた。

 試合後に変わったことといえば、ホイスディングとの関係もある。相変わらず彼は生徒会の取り巻きを引き連れているけれど、廊下や食堂で会えば会釈してくるし、敵意むき出しの態度を取ることはなくなった。だからリアも、上級生に対する礼節を弁えた態度で接している。


「何を心配しているのかわかりませんけど、大した話はしてません。ヴィカグラマルクの農業についての本のことを尋ねられただけです」

「そうか……それならいいんだが」


 質問に答えても、ホイスディングは立ち去ろうとしない。アシュガルといたときには感じなかったような面倒臭さを感じ、リアは自分から立ち去ろうかとも考える。生徒会のメンバーを引き連れていない彼とふたりきりでいるのが落ち着かないのかもしれない。敵意がなくなったからといって、進んで親しくしたい相手ではない。


「ちょっと会長さん、うちのリアに告白? それとも生徒会へのお誘い? どちらにしても、まず俺を通してくださいね」

「ロル!」


 どこから現れたのかと尋ねたくなるけれど、ローランドがちょうどよく現れた。とりあえず馴染みの顔の登場に、リアはほっとする。


「こ、告白ではない! 生徒会への誘いは、たしかにその通りだが、お前の許可はいらないだろう、ダールグレン! すべての女子は自分のものだとでも言いたいのか!?」


 リアへの敵意はなくなっても、ローランドに対しては別らしい。ホイスディングは情けなく吠えた。

 それに対して、ローランドも冷やかだ。


「他の女の子のことは知らないけど、リアは俺たちの大切な子だ。だから、気安く近寄らないでもらえますか、会長さん」


 丁寧な言葉遣いであっても、ローランドがホイスディングを重く扱っていないのがわかる。というよりも、かなり邪魔だと思っているのが伝わって、リアは首をかしげた。


「アブトカハールの男を近づけさせておいてよく言うな。彼女はさっきまでアブトカハールからの留学生と親しく話していたんだ。だから俺は、忠告しなければと思っただけだ」

「ちょっと……」

「ふぅん」


 まるで浮気現場を押さえたかのような物言いにリアは抗議しようとしたけれど、ローランドが剣呑な雰囲気をまとったことで口をつぐまざるを得なかった。


「リアがその彼と何を話したのかはたしかに気になるけど……それより、あの国の人間をそうして警戒している理由を教えてもらえますか?」


 鋭い空気をまとったまま、ローランドはホイスディングを見つめた。美貌とは人の心をほぐすことにも有効であるけれど、威圧するのにも効果があるのだと感じさせる。


「それは……単純にうちの国とあの国が友好関係にないからだ。アブトカハールはいつだってうちやお前たちの国に攻め込みたいと思ってるんだぞ。そのくらいのことは、さすがに平和ボケのヴィカグラマルク人でも知ってるだろ?」


 ローランドの視線に気圧されつつも、呆れたようにホイスディングは言った。

 平和ボケと言われ、リアは内心ムッとする。リアはそのことを意識してこうして魔術を学びに留学してきたのだし、王子であるローランドも知らないはずがない。


「でも、それならなぜ彼は留学してきているんです? 留学生を受け入れる程度には友好な関係というわけではないんですか?」


 ホイスディングに馬鹿にされたことは気にもとめず、ローランドは質問を重ねた。突かれたくない部分だったのか、ホイスディングは苦いものを食べたような顔になる。


「学院は、すべての学びたい者に門戸が開かれているからな……表向きは。この国に縁のある者なら受け入れてるんだよ」

「ということは、その彼はグロヘクセレイに関係があるってことだね。一体どんなつながりが?」

「……魔術が使えるのが証拠だ。アブトカハール人は魔法も魔術も使えない。だが、あいつは使える。それが、あいつがグロヘクセレイ人の血が入ってる証だよ。広い意味でも同族なら、学院は拒まないってこと」

「……ふぅん」


 ローランドの詰問口調に、ホイスディングは渋々ながらも答えていた。これが逆なら無理だったに違いない。やはり、ただ威張り散らしている人間と日頃から人を使い慣れている人間は違うなと、リアは妙なところに感心した。


「でも、彼がヴィカグラマルクとの混血って可能性はないんですか?」


 ふと、ホイスディングの言葉を聞いて思ったことをリアは尋ねた。

 アブトカハール人が魔法や魔術が使えないということは理解できても、アシュガルがグロヘクセレイ人の血が入っていると判断するに至る理由がわからなかったのだ。リアたちヴィカグラマルク人だって、魔法や魔術が使えているのだから。


「それは、大昔まで遡ればグロヘクセレイとヴィカグラマルクはご先祖が一緒だからだな。つまり、あいつがヴィカグラマルクとの混血であったもしても、グロヘクセレイとの混血と変わらないってことだよ」

「そういうことですか……」


 引っかかりを覚えながらも、リアはそれを胸の奥にしまっておくことに決めた。ホイスディングの言っていることに疑問を持ったり納得できなかったりしても、それをいちいち口に出しているうちにうっかりリアたちの素性についてバレてしまってもいけない。

 それに、彼のグロヘクセレイ至上主義というか、アシュガルに対する敵愾心や差別がにじむ発言は聞いていていい気分ではなかったから。


「今の話を聞いてわかったと思うが、あいつよりも俺たちと仲良くする理由のほうがあるから。それに、うちの国も農作物が豊かとは言えないから、そちらの国の農業について教えてもらえるとありがたい。……食堂でうちの国の料理を食べて、自国の料理との違いに驚いただろ?」


 ホイスディングに言われ、食堂での食事が質素なのなそういう理由なのかと納得した。パンは硬いし、イモ中心の献立なのは、きっと生徒たちの精神鍛錬か何かなのだと思っていたのだ。


「農業支援か何かできたらいいんですけれど……」


 これまでヴィカグラマルクで当たり前のように享受できていたものは決して当たり前ではないのだと理解できると、ありがたいと感じると同時に強みなのだということもわかる。だからリアは、国の強みをどうにか活用していけないかと考える。


「……時々、王族か貴族みたいな物言いをするよな、アールステット嬢は」


 ホイスディングは目を細め、訝るようにリアを見る。


「え? 俺の王子様っぽさがにじみでてて大変だって? そうなんだよね。女の子が放っておいてくれなくて困るんだ」

「ダールグレン、お前は黙ってろよ! これだから顔のいいやつは嫌いなんだよ」


 ひやっとしたリアだったけれど、ローランドがごまかしてけれたからよかった。

 家族やダニエラたちとは、当たり前にしていた話だ。でも、どうやら普通はしないらしいと理解する。


「じゃあ、国の家族に頼んで、何かいい本を送ってもらえたらお見せしますね」


 これ以上何かを勘ぐられないようにと、適当に話を打ち切ってリアは図書室を出た。



「生徒会のこと、俺が勝手に断っちゃったけど、よかった?」


 寮に向かう道中、ローランドはポツリと尋ねた。めずらしく女子の取り巻きがいない。リアはてっきり図書室を出た途端、彼が女子たちに囲まれて別行動をすることになると思っていたのに。どうやらローランドは今、お忍びの自由行動中らしい。


「いいのよ。むしろああして断ってくれて助かったわ。生徒会って、生徒の自治的な組織というより、あの会長さんに仕える会みたいな感じだから興味ないわ。私が仕えるのは国であり、王だもの」


 あまり自覚のない王子をからかうようにリアは言った。見上げられたローランドは、どこかが痛むような表情をする。


「……それじゃリア、国と結婚するみたいだ」

「そう望まれて育てられたもの。王に相応しい人のところに嫁ぐようにって」


 リアが平然と答えると、ローランドは更に眉根を寄せた。いつも飄々としているのに、この手の話題になると彼はこうして苦しそうにする。

 その理由をリアも何となくはわかっているけれど、受け入れてしまうのは嫌だった。

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