第四章 誇りをかけた戦い2


 それから瞬く間に時間は過ぎ去り、試合当日を迎えた。

 リアたちがグロヘクセレイに来て、二ヶ月が経ち、季節は夏だ。ヴィカグラマルクより北に位置するこの国はまだ涼しいけれど、それでも激しく動くと汗ばむようになってきた。


「リア、ローブは脱がなくていいの? きっと動くと暑いし、邪魔なんじゃないかな」


 控え室として与えられた教室で、リアたちは最終調整をしていた。調整といっても主にはアナスタシアがリアの身づくろいをしているだけだ。自分で着替え髪を整えるということにまだ不慣れなリアとしては、アナスタシアにおまかせでいいと思っている。物申したがっているのは、ローランドだけだ。


「って女たらしが言ってるけど、リアはどうしたい? 私は、やっぱり戦いにおいては魔法使いや魔術師の正装であるローブは必須だと思うんだけど」


 リアの髪を一本に束ね、それを高い位置で結いながらアナスタシアは言う。彼女は基本、ローランドには冷たい。


「寒いときならまだしも、季節は夏だよ? 肌を見せなくてどうするの? 故郷では決して見られなかったリアの活発な姿! 美しい素肌を見せつけて戦うリアの勇姿を、俺はぜひ目に焼きつけたいね」

「……着ておきなさい」


 ローランドの熱弁にリアもアナスタシアも軽蔑して言葉も出ないのに対し、アルトゥルが静かに言った。リアの膝小僧についた泥を払ってやるのにも恥じらいがあった彼とローランドとでは、同じ兄弟であっても人間としての格が違うようだ。


「ちょっと! そんな冷たい目で見るけど、俺は戦いのときの服装って大事だと思うんだよ」

「僕も、それについてはローランド兄さんに同意する」


 再びローランドが熱く語ろうとしたとき、教室のドアが開いた。そして入ってきた人物に、一同は驚く。


「僕は、今日の戦いにおいてリアは“女の子であること”を前面に押し出したほうがいいと思うよ」


 言いながら、テオドルはリアの足元にかがんだ。


「ちょっとごめんね。スカートの内側に仕込みたいものがあるから」

「うん。……テディ、元気そうでよかった」


 テオドルはキュロットの内側に何か石のようなものを取りつけていっている。それが少しくすぐったかったけれど、きっと重石か何かなのだろうとリアはこらえた。何より、久しぶりにテオドルに会えたことが嬉しかった。


「僕は、今日まで逃げてたわけじゃないよ。リアの戦いはうちの国の戦いだ。だから、僕も戦う」


 取りつけ作業が終わって立ち上がったテオドルは、リアを正面から見つめた。その目を見れば、彼の内面に変化があったことがわかる。以前からあった芯の強さが、より一層強くなった感じだ。


「ありがとう。自分だけの戦いじゃないと思うと心強いわ。私、絶対に負けないから」


 その意志に応えようと、リアも力強くうなずく。アルトゥルに厳しく特訓してもらったし、魔法の練習もした。付け焼き刃であっても、やれることをやったという自負がある。


「負けないんじゃない、勝つんだ。向こうは何人がかりでもいいって言ったんでしょ? それなら、本当に僕たち全員でかかろう。リアを矢面に立たせることに変わりはないけど、僕たちが全力で支えるから。勝てるよ」


 これまでにないほどはっきりした口調で言って、テオドルは兄二人を呼びつけた。それから、こと細かく試合中の行動について指示した。

 それは、それぞれの特技や属性を活かして綿密に練られた戦略だった。そして、それを実行するための魔術の用意も整っている。それによって、テオドルが引きこもっている間、本当に逃げていたのではないとわかる。

 そこにいた一同は試合開始まで、感心しながらその頼もしい軍師の言葉に耳を傾けたのだった。




「逃げ出すのかと思ったのにな。きちんとこの場に立ったことは褒めてやる」


 試合の会場は演習場ではなく中庭。その中央で腕組みをしたホイスディングは、今日も不敵に笑っていた。

 中庭をぐるりと取り囲むように生徒たちが並んでいるだけでなく、中庭を挟んで建つ男子寮・女子寮の両方の窓からも見物の生徒たちがずらりと顔を覗かせている。

 その雰囲気はあきらかにホイスディング側で、それを肌で感じるから彼が余裕の表情なのがわかる。

(張り切って前髪を後ろに流してるわ。誰かが整えてくれたのかしら。でも、あの髪型って額が美しくないと映えないわね。ロルって、年頃の男子と比べるとやっぱりお肌がきれいなんだわ)

 対するリアも、目の前のホイスディングを観察してそんなことを考えられるほどには落ち着いていた。


「ずいぶんと軽装だが、破られたら困るからか?」


 ブラウスにキュロットというリアの服装を見て、ホイスディングは馬鹿にするように笑った。でも、その視線はリアの眩しいほどに白い太股に注がれているようにも見える。


「いいえ。動きやすい格好が一番だと思って。そういうあなたは、そのローブの中に魔術陣をたくさん仕込んであるのでしょう? 魔術は下準備が大切ですものね」

「……それじゃあお前、自分が丸腰だと言っているようなものだぞ」


 今さらになって、リアの軽装の意味を考えたのだろう。軽装のリアと長いローブに身を包んだホイスディングとでは、まるでリアのほうが実力のある格上に見えなくもない。


「改めてルールを確認するけど、一度でもあなたに膝をつかせたら私たちの勝ち、私に膝を三回つかせたらあなたの勝ち。それでいいわよね?」

「ああ。楽勝だな」


 どうやら、リアの言ったことの意味をホイスディングは理解しなかったようだ。彼が自信過剰でよかったなとリアは思う。少しでも慎重さがあったのなら、きっとリアの思う通りには進まなかっただろうから。

 ほっと胸を撫で下ろし、リアは試合開始の合図を待った。そして、合図とともに飛び出す。


「風よ、私に何も当てさせないで!」


 走りながらリアは叫ぶ。これは風の精霊に盾を作らせる指示だ。こう言えば、精霊は全方位を守ることができる。リアに飛んできた攻撃をすべて跳ね返せばいいだけなのだから。

 それと同時に、リアはホイスディングの後ろに回り込んで風の魔術を発動させた。この陣はまっすぐに勢いよく風を飛ばすためのもので、テオドルが用意してくれたものだ。試合の間、基本的にリアは精霊に全方位を守らせ、こうやって風の魔術を使うことに専念すればいい。それ以外は、他の人がやってくれる。


「やられるか、よ!」


 先手必勝とばかりにリアが放った攻撃は、狙い通りホイスディングの膝裏に当たった。しかし、彼は前のめりになった身体を素早く風の魔術で支え、倒れることを防いだ。

 膝を地面につかせるということだけに注目すると、背後から攻撃を撃ち込み前に転ばせるというのが一番簡単だというのが、アルトゥルたちの意見だった。相手の後ろを常にとるようにしていれば、リアが正面から攻撃されるということもない。力量差があきらかな今回のような戦いで、正々堂々とすることには何の意味もないというのがテオドルの主張で、それについてはアルトゥルも渋々ながらうなずいていた。

 リアは走り回り、常にホイスディングの背後を狙った。そして隙だと思えば二度三度と風の魔術を撃ち込んだ。

 でも、向こうもただのいち生徒ではない。力によって生徒会のトップについている彼には、一度目の不意打ち以外はまったく通用しなかった。


「走り回るだけしかできないのか」

「キャッ!?」


 ずっと後ろをついて回るリアにうんざりしたのか、振り返ることなくホイスディングは媒介である石製のナイフを振るった。その瞬間、地面が割れ、岩がボコボコと突き出てきた。

 全方位を風の精霊に守らせているつもりだったけれど、彼らに足元にを守らせるのは難しかったらしい。もしくは、岩はリアに飛んできたわけではないから、防御の対象ではなかったのかもしれない。とにかく、鉄壁だと思っていた防御は崩れ、リアは岩につまずき、前のめりになった。

 転ぶ前に手をつこうと、リアは両腕を突き出した。でも、その手が地面につくより先に、柔らかなものがリアの身体を受け止めた。

 風の魔術だ。ローランドの放った魔術が、リアの身体が地面につくのを防いでいた。

 テオドルは役割分担をきっちりし、風はローランド、土はアルトゥル、水はテオドルが担当ということに決めたのだ。そうすることによって戦術を簡素にし、どんな場面で誰が何をすればいいかわからなくなるのいうことを防いでいる。

 転倒を免れたリアだったけれど、もう走り回るだけというわけにはいかなくなった。全方位守られているわけではないとわかったし、後ろからただ攻撃を放つだけでは当たらない。

(どうしよう……簡単に倒すことができると思ったのに……風以外で攻撃した方がいいのかしら)

 そんなふうに思考したほんの一瞬を、ホイスディングは見逃さなかった。


「そろそろ転べよ!」


 ナイフを振るうと、水流が現れ、リアに向かってきた。水だけなら踏みとどまれるかと考えたけれど、水は先ほど生み出された岩を砕き、濁流となって足元に押し寄せた。


「……うっ」


 足元をすくわれ、なす術なくリアは地面に倒された。予想を上回る攻撃に王子たちも支援が間に合わず、ぬるんだ地面に無様に崩れ落ちる。

 しばらく動きのない試合だったからか、リアが膝をついたことで観客たちからは歓声があがった。ホイスディングを讃える声と、リアに対する暴言も聞こえてくる。

 「さっさと負けを認めろ」「早くもう二回転べ」――そんな声が。

 負けることを望まれているとわかって、リアの心は軋んだ。でも、リアは決してひとりではない。


「立ってリア! まだ負けてない! 一度でも膝をつかせれば勝ちだ!」


 観客たちの最前列で、テオドルがそう叫んだ。大声を出すことなどない彼が、リアのために声を張り上げている。そのことに奮い立たされ、リアは起き上がった。

 まだ負けていない、一度でも膝をつかせれば――その言葉は、折れかけたリアの心をもう一度つなぎ合わせた。野次に耳を傾けると集中力が削がれるから、意識は仲間と目の前の相手だけに向けることにする。


「ボーッとするくらいなら降参しろ!」

「しないわ!」


 煽るように放ってきた攻撃を受け流し、リアも風の魔法を撃った。馬鹿のひとつ覚えと言われても、リアができるのはこれだけだ。そして、決して無駄ではないはずだ。

 魔法と魔術とでは、消費する魔力の量が圧倒的に違う。魔法は精霊に働きかけることで発動できるけれど、魔術は発動させるための行程すべてを自身の魔力でやらなければならない。

 だから、理論上ではホイスディングのほうが先に体力が尽きるはずなのだ。……あまりにも時間がかかるけれど。


「えっ……何!?」


 この拮抗し、相手の体力切れを待つだけの消極的な状況をどうにか打開できないかと頭を悩ませながら走っていると、突然キュロットの内側から風が巻き起こり、それをめくり上げた。恥じらい焦ったリアだったけれど、ホイスディングも目を見開いてリアの脚を見ているのに気づいた。

(これが狙いだったのね)

 キュロットの内側に仕込んであったのは、風のエーテルの石だったようだ。テオの意図を察位したリアは、素早く杖を振った。


「あの人を転ばせて!」


 風の精霊にそう指示を出すと、つむじ風がホイスディングにぶつかった。防御よりも攻撃に魔法を使ったほうがいいと判断したのだ。


「うわっ……と!」


 不意をつかれたホイスディングは、足払いされる格好になって転倒しかけた。しかし、手をついてきれいに前転することで、膝を地面につくことを回避したのだ。

(ただ転ばせるだけじゃだめだわ。でも、不意打ちは有効ね)

 リアのめくれた裾に気を取られるなんてとんだ不届き者だけれど、おかげで隙ができた。隙さえあれば勝てると見込んだリアは、どうやればその隙を生み出せるか考える。


「アルト様、テディ、泥団子を!」


 視界を奪ってしまえと、リアは叫んだ。土と水を担当しているふたりはすぐに意図を理解し、次々と泥団子を作り出して投げつける。


「やけでも起こしたのかよ!?」


 当然、リアの声が聞こえているホイスディングは風の盾でそれを防ぐ。でも、そのこともリアの計算の内だ。


「光よ、弾けて!」


 杖を振り、光を生み出す。それをリアはホイスディングの目にぶつけた。あまりの眩しさに、ホイスディングは目をつむる。

 その一瞬の隙を、リアは見逃さなかった。

(魔術が防がれる、それなら――)

 駆けていって背後に回り込み、リアはホイスディングの膝裏に自分の膝を押し込んだ。そして、そのまま体重をかける。


「うわっ」


 ホイスディングの足元はぬかるんでいて、彼は踏ん張ることもできずに倒れ込んだ。膝どころか顔まで、泥の中にめり込んでしまう。

 その瞬間、試合終了を告げる合図と、歓声があがった。続いて、割れんばかりの拍手も巻き起こる。


「勝った……!」


 会場の盛り上がりを耳にして、少し遅れてリアは勝利を実感した。ホイスディングと一緒になって転んだから泥だらけになっているけれど、そんなことは気にならないほど喜びが身体の奥から湧き上がってくる。


「リア、やったね!」

「すごいわリア!」


 テオドルとアナスタシアが駆け寄ってきて、リアを助け起こした。泥がつくことをいとわず、アナスタシアは抱きついてくるおまけつき。


「カーリア、立派だった」


 近づいてきたアルトゥルは、自分のローブを脱いでリアの肩にかけてくれた。きっと脚を隠しておけということなのだろうと思い、リアはローブの前をそっと合わせた。


「よく頑張ったね。リアならできると思ってた」


 ローランドが後ろから抱きついてくる。


「ちょっと……それはやめて」


 さすがにリアはそれを拒む。図書室のときは特別な事情があっただけで、いつもそれを許すわけではない。


「ホイスディング……」


 未だに起き上がらない姿を見て、リアはそっと呼びかけた。誰も起こしに来ない。あれだけ取り巻きがいるのに、誰ひとり彼に手を差し伸べない。それは、あまりにも悲しい光景だった。


「よいしょっと……大丈夫?」


 リアは泥の中からホイスディングを引き抜いた。動かないし何も言わないから気絶しているのかと思ったけれど、彼の目はしっかり開いていた。身体を起こすしかなくなった彼は、ヨロヨロと立ち上がった。


「あの……よかったらこれを使って」


 あまりにも無残に泥だらけなホイスディングに、リアはハンカチを差し出した。しばらくためらってから、彼はそれを受け取る。そして、静かに言った。


「……お前たちの勝ちだ」


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