第四章 誇りをかけた戦い1
「カーリア、目をつむるな!」
アルトゥルの大声と共に飛んできたボールが、ペコンとリアの頭に当たった。
「疲れていて防壁が間に合わなかったにしろ、絶対に目をつむるな。目を開けてきちんと見なければ、避けられるものも避けられないからな」
「……はい」
さっきのが最後の一球だったようで、アルトゥルは「もうない」という仕草をした。
特訓終わりの合図だ。リアはヘロヘロになりながらボールを拾い集める。
「これはボールだからいいが、攻撃が当たると大変なのはわかるな?」
「はい」
ホイスディングに宣戦布告したことを聞いても、アルトゥルがリアを責めることはなかった。
「国の誇りを背負って戦うのに、それが私に無関係であるはずがない。我が国を馬鹿にされてただ泣くような女だったらがっかりしただろうが、カーリアは気高く、そして正しかった」
アルトゥルはそう言って、リアを褒めることすらした。そして、ホイスディングのところに試合の日時を告げに行くのにも付き添ってくれたのだ。
「試合まで三週間か……今のままでは防戦すらままならないな。防壁をきちんと張るのはもちろん、自分の身体を動かして避けられなければどうしようもない」
「もう一週間経ったんですね。……アルト様は、防壁を張れるようになるまでどのくらいかかりましたか?」
日時は一ヶ月後と決めてアルトゥルと特訓を始めてから、気がつけば一週間経っていた。その間にリアができるようになったことと言えば、少し俊敏に動けるようになったことと、たまに防壁を出せるようになったことくらいだ。
ぶつけられるのがボールだからそれでいいものの、魔術による本物の攻撃だったら大変なことになっている。
試合のルールは簡単で、攻撃を受けて地面に膝をついたら負けというもの。リアは三回までというハンデがついているから、ホイスディングに一度でも膝をつかせたら勝ちということになる。でも、今のままならリアがあっという間に三回倒されて終わりだろう。
「私のことを聞いても仕方がないだろう。日頃から身体を鍛えている私と、こんなふうに激しく動いたことがなかったお前とでは、何もかも違うのだから」
「そうですね。……エーリク兄様に剣も教わっておけばよかったです」
リアが真剣な顔で言えば、それがおかしかったらしくアルトゥルは声を立てて笑った。
「我が幼馴染は本当にお転婆だな。こんなふうに泥だらけになっていると知られれば、ご母堂がさぞ嘆くだろう。私は、悪いことだとは思わないが」
リアの膝についた泥を払ってやりながらアルトゥルは言って、肌に触れたことに気づくとやや気まずそうにした。でも、リアは気にした様子もない。
「『そんなことでは、どなたからも嫁にもらってもらえませんよ』と烈火のごとく怒ると思います。でも、女が馬に乗ったり身体を動かしたりするのを気にするような方なら、私のほうから願い下ですけれど」
リアが唇を尖らせて言えば、アルトゥルは眩しそうに目を細める。
「少なくとも私たち兄弟は、誰もそんなつまらないことは言わないな。遠乗りを一緒に出来れば楽しいし、無茶をしないでくれるのなら活発なのは大歓迎だ。……まあ、そんな考えの男は別にめずらしくないと思うが」
自分たち兄弟の誰かを選ぶこと前提の話になっているのに気がついて、アルトゥルは急いで付け足した。王の座への関心は兄弟の中で唯一持っている彼だけれど、それとリアを結びつけることは昔からしたがらなかった。ただ、王座と話を別にすると、自分たちの誰かとくっついてほしいと思うくらいにはリアを気に入っている。
「防壁というより戦い方の話だが、リアもしかるべき人に師事したほうがいいと思う」
話題を変えようとしたのか、しばらく考えてアルトゥルは言った。
「師事とは、誰か先生について学ぶということですね。アルト様は、この国でどなたか先生を見つけたんですか?」
そういえばアルトゥルは魔力を流し込んだ手刀や、風の防壁などの魔術を戦いの中に盛り込むことを身に着けていた。自主休講にしてひとりで練習していたのかと思っていたけれど、誰かに教わったのであればそのほうが説明がつく。
「そうだな。偶然知り合って、それで指導してもらえることになった。カーリアもじきに会うだろう」
「楽しみです」
誰にという話は今は掘り下げてはならないのだということがわかって、リアはそれ以上尋ねなかった。そのかわり、自分が誰かに師事するということを考えてみる。
リアが今教わらなければならないことがあるとしたら、それは魔法だろう。自身が魔法を使うことができ、そして暴走させてしまうということがこの前わかったのだから。
「……私も、どなたかに教えを請うて修行しようと思います。魔法を使えるという事実は変わりませんし、うまく使いこなせるようになれば武器になりますから」
教えを請いたい相手を頭に思い浮かべ、リアは懐の杖にそっと触れた。
「では、校舎のほうまで送っていこうか。ひとりで歩かせるわけにはいかないからな」
「大丈夫だとは思いますけど、お願いします」
ホイスディングに宣戦布告して以降、リアの学院での立ち位置は“目立つ余所者”から“生徒会への挑戦者”となった。地位が向上したわけではないのだろうけれど、水をかけられるなどのあからさまな嫌がらせはなくなった。
それに加え、校舎内の移動も寮の行き帰りも、必ず誰かが付き添ってくれている。大抵がアナスタシアが、放課後の特訓のあとはこうしてアルトゥルが一緒だ。おかげで、これまでにないほど快適な学院生活を送れている。
「終わるまで待っていようか?」
目的地までたどり着くと、アルトゥルが心配そうに尋ねてきた。意外に過保護なのだと思って、リアは何だかおかしくなる。
「大丈夫です。よし何かされたら返り討ちにしますので。そのくらいできなければ、試合で勝つことなんてありえませんから」
「どんどん勇ましくなっていくな。だが、たしかにその通りだ。それなら、気をつけて帰りなさい」
頭をポンと撫でると、アルトゥルは去っていった。その後ろ姿を見送って、リアは目的の部屋のドアを叩いた。
「どうぞ。お入りなさい」
「失礼します」
入ってきたリアの姿を見ると、まるで来ることがわかっていたかのようにヴィルヘルミーナは微笑んだ。突然の訪問が迷惑にならないか考えていたから、リアはほっとする。
「どうしたの? わざわざ放課後に訪ねてきてくれたってことは、何か内緒話かしら」
いたずらっぽい表情でヴィルヘルミーナは聞いてくる。こういう表情をすると、まるで彼女は少女のように見える。でも、著作の刊行された時期から考えて、少なく見積もっても確実にリアの母より年上のはずなのだ。見た目は姉といっても通用しそうなのに。
「内緒話というより、ご相談したいことがあって参りました。その、魔法のことで……」
もっと早くにヴィルヘルミーナの忠告を聞いていればよかったと思うだけに、リアの歯切れは悪い。そのことを見透かしているかのように、ヴィルヘルミーナは笑みを深くした。
「いつ訪ねてきてくれるのかしらと思っていたのよ。絶対に魔法が必要になっているはずだから」
どうやら、ホイスディングとの試合のことを言っているらしい。当然、教師であるヴィルヘルミーナの耳にも入っているということだ。
「はい。勝つためには魔法の練習が必要だと感じていますし、きちんと使いこなせなければ人を不用意に傷つけてしまうと実感しています……」
知られているかとも思ったけれど、リアは怒りのあまり魔法を暴走させてしまったことについてヴィルヘルミーナに語った。気がついたら発動していたことや思いのほか威力が出てしまったこと、そのとき感じた不安や恐ろしさも、あますことなく話した。
「それは怖かったし、いけないことをしてしまったわね。でも、そうして身をもって知ることができたのはすごく大事なことだったのはわかる?」
「はい。暴走させなければ、私はきっと自分の使う魔法の恐ろしさに気づかなかったと思います」
理性のたがが外れれば容易に他者を傷つける自分の一面に気づかされたことが、リアは一番怖かった。それでは、テオドルを傷つけている男子生徒たちと何も変わらない。
「己を高めることを始めたのならきっと気づいたでしょうけれど、強くなければ手加減もできないのよ。その強さっていうのは力があることもそうだし、場数を踏んでいるという経験の豊かさでもあるし、心の強さでもあるの。その中でカーリアさんに今一番大切なのは、自分の力量をしっかり知ることね」
「……はい」
どれもこれもリアには足りないものばかりだ。それは試合に勝つためだけではなく、ひとりの人間として、魔法使いとして必要なのだとわかる。
「授業でも触れたけど、魔法と魔術は根本が違うの。……授業ははっきり言って魔術師向けだから回りくどくてわかりにくい部分が多かったでしょ? これから話すことは魔法使い同士の内緒話として聞いてね」
ヴィルヘルミーナは片目をパチッとつむると、抱えられるほどの黒板を机から持ってきてリアのほうに向けた。そして、杖を振るだけでそこに図を描いていく。
「魔法使いと魔術師の違いはね、簡単に言うと精霊とお話できるかどうかなのよ。魔法使いが魔法を使うときは、杖を振って精霊に合図を送っているの。水の魔法を使うときは水の精霊に、風の魔法を使うときは風の精霊に。呪文は細かい指示を出すための呼びかけね。魔術師目線の話じゃ、このあたりがよくわからなかったでしょ?」
リアは目から鱗が落ちたという表情で、コクコクとうなずいた。
実際のところ、エーテルを受け取る器官があるなしという話では、いまいち理解できていなかったのだ。でも、「魔法使いは精霊と話ができる」と言われれば、かなりしっくりくる。そして、自分の力の暴走の理由もよくわかった。
「……私が男子生徒を思い切り吹き飛ばしてしまったのは、怒りに任せて呪文もなしに杖を振ったからだったんですね」
「そうよ。あなたの意思を感じ取って、風の精霊がそれに応えたの。精霊は魔法使いから魔力をもらえればそれでいいんだから、善悪の判断なんてないの。だから、魔法を使うときは明確に言葉に出す必要があるのよ」
ようやく理解ができたらしいリアに、ヴィルヘルミーナは新たな図を描いて見せた。人の絵から伸びた矢印の上には「魔力」、小さな粒の絵から伸びた矢印の上には「魔法」と書いてある。それを見れば、魔法使いと精霊が需要と供給で成り立っているのがわかりやすい。
「どのくらいの魔力を与えて精霊にどのくらいの仕事をさせるかというのは、慣れるまではなかなか大変だと思うの。だから、とにかく練習して数をこなすしかないのよ」
「わかりました」
ヴィルヘルミーナが話していると、黒板には意味不明な文字や形が次々と浮かび上がる。どうやら、精霊がいたずらをしているようだ。
「気になる? ためしに何か話しかけてみたら? 精霊にできることとできないことを知っておくのも大事よ」
「わかりました。……『黒板をきれいにして』」
ヴィルヘルミーナにうながされ、リアはワクワクした気持ちで話しかけてみた。すると、水しぶきがあがり、黒板の表面がちゃぷちゃぷ濡れた。
「今のは少し曖昧過ぎたのね。どの精霊に何をさせるかを明確に指示し、自分でも意識することが大切なのよ」
「……難しいですね」
思ったようにできなかったことで、リアは少しがっかりした。風の精霊に白墨の粉を吹き飛ばしてもらうイメージをしていたのに、頭の中に思い浮かべるだけでは足りないということらしい。
「魔法はよく、センスを磨く学問だと言われるけど、ようは精霊と仲良くできるか否かってことなの。だから、カーリアさんはセンスあるわ」
落ち込むリアに、ヴィルヘルミーナは優しく微笑む。お世辞かもしれないと思っても、その言葉は励みになった。
「身体を動かすことに慣れて、精霊と仲良くなることができたら、きっと試合にも勝てるはずよ」
「ありがとうございます。頑張ります」
この美しい先生はいつも自分に優しすぎるのではないかと、リアは感じた。でも、こうして期待をかけられるのも、優しくされるのも嫌な気持ちがするわけがない。
もしかすると、同族というだけで優しくしてくれるのかもしれない。生徒なら誰であっても、こうして励ましてけれるのかもしれない。そうであったとしても、この優しさに報いたいと、期待に応えたいとリアは思った。
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