第三章 学院の洗礼2


 アナスタシアが言うには、生徒会は一応は「学院の秩序を守る」という名目で存在しているらしい。つまり、出すぎた真似をしている者にはその制裁を加えても、そうでなくなれば叩かれることもないということだ。

 リアは同室であってもまだその実力がいまいちわかっていないけれど、おそらくアナスタシアは叩くこともできないほどの実力があるのだろう。

 アルトゥルもそうだ。魔術の腕はいまいちでも、剣の腕と魔力のコントロールによって大抵の生徒のことは伸してしまえるため、仕掛けてくる者さえいなくなった。

 ローランドは、人当たりの良さを女子以外にも発揮し、何だかんだ友人を増やしているようで、いじめの対象からは外された。

 だからリアは、そのうち何もかもうまくいくのではないかと楽観視していた。苦労という苦労を知らないリアは、人間の心の弱さや嫌な部分というものがよくわからなかったのだ。



 学院にやってきておよそひと月が経ち、講義も実践的なものが増えてきた。そのため、できなければ居残りをしたり、翌日までに練習してきたりする必要が出てきた。


「できました」


 放課後の講義室。蝋燭に灯した火をポツリと浮かんだ小さな闇が隠しているのを見て、リアは安堵の息を吐いた。


「はい。暗闇を作り出す、ということには少し慣れることができたんじゃないかしら。どうしても、自分の属性と相克する属性の魔術は難しいのよ」

「そうなんですね。……それを聞いて、少し安心しました」


 “浮いている闇を作り出す”という魔術だったのだけれど、昨日講義で習ったときには闇を作り出すことすらできなかったのだ。

 リアは光属性で、必然的に闇属性の魔術を苦手とする。だから、完全に火を隠し切ることができない闇でも、リアにとっては十分に進歩したと言える。

 ちなみに、アルトゥルは土属性、ローランドは風属性、テオドルは水属性ということがわかっている。


「魔術の勉強もいいけど、ちょっとずつ魔法の練習もしてみたらどうかしら? せっかく魔法が使えるんだもの。頭を硬くする必要はないのよ」


 フッと息を吹きかけるだけで火と闇を消し去ったヴィルヘルミーナは、いたずらっぽく笑ってリアを見つめた。マイナルドゥスがテオドルを気に入って魔術工学コースに必ずや引き入れようとしているのと同じように、ヴィルヘルミーナは何かとリアを気にかけてくれている。今も本当ならマイナルドゥスに補習についてもらうところを、わざわざ代わりに見ると申し出てくれたのだ。


「そうですね。でも、今は魔術の基礎でいっぱいいっぱいなので……」

「魔法使いにとっては、魔術って難しいのよ。右手で食事をすることに慣れているのに左手で食べる練習をしているみたいなものだもの。まっさらな状態で左手での食事の練習をするのとワケが違うのはわかるでしょ?」

「はい」


 ヴィルヘルミーナの言わんとすることはよく理解できた。魔術を使いながら、何となく枷がつけられているように感じているのだ。利き手とは逆の手で食事をするようなものだというたとえを聞いて、リアは今ものすごく納得していた。


「あなたの魔術を修めて国に帰りたいって気持ちは、もちろんわかってるのよ。でも、両利きもいいじゃない。魔法はあなたを守り、高めてくれるもののひとつだってことを覚えておいてね」

「わかりました」


 ヴィルヘルミーナにやわらかく微笑まれると、リアは自分が頑なになっていることに気づかされる。それでも、やはり譲れないことなのだ。

 リアが魔法ではなく魔術にこだわるのは、王子たちのこともある。父クラースの狙いは最初から彼らだったとはいえ、リアが学院まで連れてきたようなものだ。だから、王子たちと同じ道を歩むのが自分の責任だとリアは思っている。

 魔法を学んでいたら、王子たちが魔術でつまずいたときに手を差し伸べることができないかもしれない。そのことが、二の足を踏ませていた。


「じゃあ、今日はここまでにしましょうね」

「ありがとうございました」


 リアは礼を言って講義室を出た。

 空はすっかり赤く染まっている。混む前に食堂に行くために急がなければならない。


「テディ……!?」


 アナスタシアを待たせているからと廊下を小走りに移動していると、とんでもないものを見つけてしまった。テオドルが宙に浮いているのだ。驚き、怯えている表情を見れば、それが彼の意思によるものではないとわかる。

 それに、すぐ近くにニヤニヤして紙を手にしている男子生徒数人を見てしまったのだ。


「何をしてるのっ!?」


 リアも杖を取り出し、思わずそれを振るっていた。鋭い風が魔術陣と思しき紙を、そして男子生徒たちを弾き飛ばしていく。


「危ない!」


 魔術の切れたテオドルの身体が落下するのがわかり、咄嗟にリアは大きな水の球を放った。球は落下地点に滑り込み、テオドルの身体を受け止めた。その重みと落果の衝撃で、全身ずぶ濡れになってしまったけれど。


「何をしている!? 問題行動として報告するぞ」


 怪我をさせずに済んだことにほっとしたのも束の間、そんなふうに怒鳴りつけられ、リアの身体は跳ねた。

 声のしたほうを見れば、マグヌス・ホイスディング率いる生徒会の連中がいた。初日ほどではないけれど、今日もぞろぞろとメンバーを引き連れている。


「報告するって、私のことかしら?」

「そうだ。カーリア・アールステット」


 ホイスディングはリアを睨みつけている。吹き飛ばされて伸びている生徒には目もくれない。


「先に手を出したのは彼らのほうよ。テオドルを彼らが宙に浮き上がらせていたから、力づくで止めただけ」

「それなら、本人がどうにかすればよかったんだ。本人以外が仕返しをするのは、不当な暴力行為だぞ」

「そんな……」


 思わぬ正論に、リアは言葉につまった。それを見て、ホイスディングは馬鹿にするような笑みを浮かべる。


「それに、お前がそうやって代わりに仕返しすると、そいつは庇ってもらわなければならない出来損ないの弱者だと喧伝することになるぞ」


 ホイスディングに言われリアがテオドルのほうを見ると、意識はあるはずなのにテオドルはうずくまったまま動かなかった。

 その姿を見て、リアは自分のしでかしてしまったことを悟った。助けたつもりで、恥をかかせ傷つけてしまったのだ。

 それでも、黙って何もしないでいたら大怪我をしていたかもしれないと思うと、間違っているとも思えなかった。

 とはいえ、リアがやり過ぎたのは誰の目にもあきらかだった。魔術陣を破壊するつもりが、怒りで制御ができずに男子生徒ごと吹き飛ばしてしまったのだから。


「はいはーい。ちょっとごめんね。リア、お待たせ。特訓終わった?」


 このまま行動の正当性を主張できなければ学院に報告されると、リアが頭を必死で悩ませていると、よく通る声がリアの名を呼んで近づいてきた。


「生徒会のみなさん、何かもめてるみたいだけど、これは誤解なのよ。そこで伸びてる彼らはまだ学院に慣れていないダールグレン君を特訓してくれていただけなの。リアもそれに混ぜてもらっていただけなんですよ。ほら、向こうは三人、こっちはふたりでちょうどいいでしょ。本当は私も加わるはずだったんですけど。今から続きやる?」


 かけつけてきたアナスタシアは生徒会を、それから意識を取り戻した男子生徒たちを見た。アナスタシアと目が合った男子たちは、ふるふると首を振った。


「というわけで、これは生徒たちが自主的に行った特訓で、争いではないのでご安心ください」


 にっこりと、アナスタシアは美しさの際立つ笑顔をホイスディングに向けた。美人の自信にあふれる笑みは、凄みすら感じさせる。


「……特訓なら、演習場などの人の迷惑にならない場所でやれ」


 無理やりではあっても、アナスタシアが場を収めてしまった。これ以上の騒ぎにはならないとわかったからか、取り囲んで見ていた野次馬たちも散り始める。それを見て、ホイスディング率いる生徒会は去っていった。


「……アナ、ありがとう」

「いいのいいの。それより、彼はいいの?」

「あ……!」


 リアがアナスタシアに声をかけているうちに、テオドルが走り去ってしまった。追いかけようかと思って、それができないでいるうちに彼の背中は見えなくなってしまった。


「余計なことをして、またテディのことを傷つけちゃったみたいだわ……」


 力が抜けて溜息のようにリアは呟いた。でも、小さなその声をアナスタシアは聞き逃さない。


「自分の幼馴染が痛めつけられてるのを見て止めに入るのは、余計なことじゃないよ」


 ねぎらうように肩を叩かれ、少しだけ慰められる。


「あの彼も気が弱いってわけでもないから、ちょっと厄介かもね」

「どういうことなの?」


 何か知っている様子のアナスタシアの口ぶりに、リアは首をかしげた。答えるより前に彼女は歩きだしてしまったから、そのあとを追う。


「彼ね、今ルームメイトがいないらしいよ。というのもね、もめごとの発端はルームメイトが彼を下に見て、子分になれとか言いなりになれとか言ったみたい。それでダールグレン君も腹を立てて突っぱねて、嫌がらせをされるようになったらしいの。結果的にルームメイトを部屋から追い出してるから、ダールグレン君も大したもんだよ」

「そういうことだったのね……」


 あまり人に聞かせる話ではないから、アナスタシアは歩きながらにしたようだ。一国の王子であるテオドルが下に見られているという話は気分のいいものではないから、彼女の気遣いはありがたかった。……もっとも、彼が王子であることなど誰も知らないけれど。


「そんなことがあったなんて知らなかった。どんどん元気がなくなってるとは思ってたけど……」

「幼馴染の女の子に、自分がいじめられてることなんて知られたくないよ。年頃の男子だもん」

「そういうものなのね」


 このひと月、テオドルがどんな思いで学院で過ごしていたのだろうと思うと、リアの心は沈んだ。授業中にも覇気がないのは気づいていたけれど、慣れてきて目新しさがなくなってきたからなと思っていたのだ。


「……テディがルームメイトに下に見られるようになったのって、生徒会が関係してるのよね?」


 怒りやもやもやした気持ちがおさまらず、リアはそう考えてしまった。それに対して、アナスタシアもうなずく。


「無関係とは言えないね。『生徒会から認められていない=軽く扱っていい』って意識なのはたしかだと思う。ただ、生徒会がけしかけてるわけではないんだよね。あいつらは通すべき筋は通してるから。一応、喧嘩は禁止してるの。喧嘩っていうか、私闘ね」

「秩序を守るってことね……」


 喧嘩はだめでいじめはいいというのはどうにも腑に落ちないけれど、それがこの学院のルールなのだろう。納得がいかなくても従う必要があるのは、リアもわかっている。


「リアが気に病んでも仕方ないよ。さあ、夕食に行こう。食べたら少しは元気になるかも。お腹空いてると悪いふうに考えちゃうもんだし」


 アナスタシアに言われ、それもそうかとリアは思うことにした。テオドルのことは心配だけれど、過保護にしてもよくないと理解したのだ。

 それに、猛烈にお腹が空いていることに気づいてしまった。魔法を激しく使うと、ものすごくお腹が空くものらしい。

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