第三章 学院の洗礼1

 魔道学院は週に一日の休み以外、平日はびっちり講義が入っている。

 週末前夜に学院に到着したリアたちは、アナスタシア案内のもと、休日を使って学院内を歩き回り、建物の構造と大まかな決まりごとについて頭に入れていった。

 たった一日の休日を自分たちのために使ってもらうのは心苦しかったけれど、リアの幼馴染を見たくてたまらなかったらしい彼女は終始ご機嫌だった。

 アナスタシアの語る決まりごとというのは大したものはなく、食堂を使うコツや不文律として語られる「〜するべからず」といったことが多かった。

 大変だったのは、学院内を歩き回ることだ。

 学院はとにかく広い。そのせいで構造を覚えることよりも、単純に歩き回るのに骨が折れる。アナスタシア曰く、次の講義の場所が遠いときは走らなければ間に合わないこともあるという。

 とはいっても、今のリアたちにはあまり関係のないことだった。

 なぜなら、中途入学のリアたちは他の生徒たちと同じ講義を受けることができず、一室でずっと基礎課程の講義を受けているからだ。



「水と土といった、異なる属性を一緒に使おうと思ったとき、魔法ならそれらふたつを意識して杖を振れば済む。だが、魔術はそうはいかないからな。だから陣を書くんだ。前の内容のとき言ったが、陣っていうのは魔力を流す強さや方向を定めた水路みたいなものだ。書き間違うとうまく発動しなかったり、暴発したりするから慎重に書く必要がある。じゃあ、黒板の例の通り書いてみろ」


 講義室にマイナルドゥスの気怠げな声と、黒板に白墨が滑っていく音が響いている。

 手の空いている教師たちがリアの特別講義を受け待つことになっているため、必然的に下っ端の彼が担当することが多いのだ。


「ゆっくりでいいから、とにかく丁寧に書けよ。こんなのは数をこなせば早く書けるようになるから、今はとにかく慣れることだ」


 机の間を縫うように歩きながら、マイナルドゥスは生徒たちの手元を見守る。


「お嬢と次男は、まあいざとなったら陣がうまく書けなくても問題ないけどな。お前たちは魔法使いだから、杖を振れば魔法が使える」


 ゆっくりとしたリアの手元を見て、マイナルドゥスは思い出したように言う。言われて、リアもローランドも手を止めた。


「先生、何かそれって俺たちが人間じゃないみたいに聞こえるなー」


 何となく不満そうにローランドは言う。器用な彼は、もうすでに陣を書き終わっていた。そんなローランドを、マイナルドゥスはやや鋭い表情で見つめた。


「はい、それ。差別発言な。魔法使いは言ってみれば二重関節(ダブルジョイント)みたいなもんだ。世の中には、やたらと手とか指とかの可動域が広いやつがいるんだ。それを二重関節って呼ぶ。魔法使いもその二重関節みたいに、ちょっと変わった身体をしてるってだけ。だから、魔法使いと魔術師のどっちが偉いとかもない。今みたいな発言は、特にヴィルヘルミーナ先生が嫌うから気をつけろ」

「わかりました」


 厳しい口調で言われ、さすがのローランドも少ししゅんとしていた。でも、リアも彼の言わんとすることはわかる気がしていた。

 この魔道学院には魔法、魔術、魔術工学の三種類のコースがある。リアたちは全員、魔術もしくは魔術工学のコースを選択するつもりだったのだけれど、リアとローランドがまさかの魔法使いだったのだ。

 魔法使いとは血筋で守られ、生まれつくものだという印象が強かったから、未だに信じられない気分でいる。そのせいで、ローランドもさっきみたいな発言をしたのだろう。

 可能性がないわけではないとはわかっていたけれど、自分が魔法使いなのだという事実をリアはまだうまく受け止めきれずにいた。


「まあ、国のために魔術を修めて帰りたいって気持ちは立派だと思う。そのためには、もっとうまくなんなきゃなあ」 


 リアの手元を覗きこんで、マイナルドゥスは苦笑した。リアの絵心のなさは、こんなところでも存分に発揮されている。


「長男、お前も下手だな」

「……細かな作業は苦手なんです」

「慣れ、だな。まあ、頑張れ」


 アルトゥルのそばまでやってきたマイナルドゥスは、リアのとき以上に複雑な顔をした。アルトゥルの場合、机に向かって何かをすることが苦手だ。だから、陣を丁寧に書いているうちに集中力が切れてしまうという由々しき状態にあり、紙の上に独創性あふれる線の集合体ができあがっている。


「いいか。魔法コースはとにかくセンスを磨くコースだ。杖を振るという単純な動きで発動できるぶん、その振り方ひとつとっても重要になる。魔術コースは座学と体力作りが肝要だ。理論を頭に入れること、知識をつけることが何より重要になる。それと、複雑な魔術を使う分、準備に時間がかかることもあるから体力も必要だ」


 実践よりも座学ばかりで、アルトゥルの顔には明らかに「何でこんなことを……」と書いてあった。そのことに注意をうながすためか、マイナルドゥスは何度めかの説明をした。彼はことあるごとにコース分けの説明をするため、リアはこのあとに続く言葉もしっかり覚えてしまっている。


「で、魔術工学は、魔術を普通の人にも使える技術に落としこむものだ。魔術は便利だが、修得するのが難しいだろ。魔術を使えない人間にも魔術の恩恵をもたらすのが、魔術工学の目指すところだ。いいだろ? 未来をゆく学問だ」


 魔術工学の話をするときばかりは、マイナルドゥスは生き生きとする。声に力がこもり、長い前髪の奥の目も輝いているのがわかる。

 でも、それを目を輝かせて聞いているのはテオドルだけだ。


「泥団子の中に水の魔術を仕込んでおけば、投げてぶつかったときに水が弾けるものにできるなあ……」


 席が近いリアは、テオドルがそう呟くのを聞いてしまった。未来をゆく学問も、結局は使い方次第ということだ。



「……ひと足遅かったわ」


 食堂の入り口で混み合う室内を見て、リアは溜息をついた。

 昼休みを告げる鐘が鳴ってすぐに向かわなければ混むとは聞いていたけれど、どうやら中に入るのも難しくなるらしい。

 今日は講義が終わって廊下に出たところで、ヴィルヘルミーナに呼び止められたのだ。彼女の著作を含むおすすめの本を貸してもらえるということで、もったいなくて断ることができなかったのだ。

 それに、ヴィカグラマルクで読んだものは、魔法には杖が必要なことなどの重要な内容が省かれていたことも判明している。そのあたりの不備についての話を聞いていたら、すっかり遅くなってしまったのだ。


「アナはどこかしら……あ」


 席を取ってくれているはずのルームメイトを探してキョロキョロすると、気がかりな存在を見つけた。テオドルだ。遠目からでもずぶ濡れになっているとわかる彼の姿に、リアは慌てて人混みをかき分けた。


「テディ……ひどいことになってるわね」


 声をかけても、テオドルはリアをちらっと見ただけだった。授業中とは違い、生気がなくなっている。リアのように、ルームメイトとは親しくなっていないようだ。

 生徒会に目をつけられた影響で、リアたちの学院生活はまったくもって平穏ではない。

 水を頭からかけられることなんて日常茶飯事だし、土壁を出現させて道をふさがれたりもする。

 でも、アルトゥルはそんなことをしてきた者を魔力をこめた手刀で片っ端から昏倒させていったし、食堂に来たら邪魔される前にさっさと食事を済ませるようにしている。嫌がらせをしているのは今のところ生徒会と直接関係のない小者ばかりだから、そうやって付け入る隙さえ与えなければ問題なくらしい。

 ローランドは女たらしの能力を活かし、この状況を切り抜けている。彼に何かしようにも、女子の壁を突破することができないのだ。彼はまず常に女子生徒たちと一緒に歩いているし、食堂でも囲まれているため、嫌がらせをすることが難しい。万が一水でも浴びせようものなら女子たちがその何倍もの報復を相手にするし、あっという間に乾かしてしまうから、やらないほうがマシだと思われたようだ。

 学院に来て数日、兄王子たちはそうやってうまく切り抜けているのに、テオドルがそれをできていないのがリアは心配だった。リアは運良くルームメイトに恵まれただけだから、何とも言えないのだけれど。


「テディ、乾かさないと風邪をひくわ」

「……放っておいて」


 目も合わせずに突き放してくるテオドルに、リアはためらった。でも、ずぶ濡れの身体で冷たくなってしまった昼食をのろのろと口に運んでいるのを放っておくことなどできなかった。

 だから、杖を手に覚えたばかりの風の魔術を使う。


「冷たい風でごめんなさい」


 言いながらしばらく風をあびせていくと、何とか見られる程度には乾いた。しかし――。


「キャッ!」


 乾いたと思った直後、頭上に水球が出現し、弾けた。テオドルを狙ってのものだったのだろうけれど、リアも一緒にずぶ濡れになってしまった。


「だから放っておいてって言ったんだ!」

「テディ……!」


 一度目はよくても二度目は耐えられなかったに違いない。テオドルは席を立って、リアを押しのけるようにして走り去っていった。テーブルの上に残された食事には、ほとんど手がつけられていない。


「リア、大丈夫だった?」

「……アナ」


 トレーを手に駆け寄ってきたアナスタシアの姿を見て、リアは少し泣きそうになってしまう。濡れた身体は冷たいし、何より余計なことをしてしまったという思いが胸を刺していた。


「はい、食事。おすすめのを頼んでおいたから。……濡れてないところに行って食べよう」

「うん」


 何とか笑顔を作って、リアは風の魔術を発動させた。こういうときのために陣を書いた紙を懐に忍ばせていたのだけれど、自分に使うのは初めてだ。リアのそばには大抵、実力者のアナスタシアかそばにいるから、手を出されることはなかったのだ。


「この風、冷たいわ……」

「早く温風を使えるようにならないとね。便利だから、今度使い方を教えてあげる」

「ありがとう」


 過度に同情しないけれど親切なこの友人の優しさに、リアは感謝した。

 この学院のあり方は気に入らない。でもそれは、己がまだ弱いからだとわかっている。いつか実力をつければ……と思っているから、同情はリアには必要なかった。

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