第二章 いざ魔道の国へ2
街道を走り、学院についたのはすっかり日が落ちてからだった。
「強行軍だったけど、何とか夜になる前についてよかった」
馬車を一番に降りながら、男は大きく伸びをして言う。そのあとに続いてリアたちも馬車を降り、目の前の建物を見て言葉を失った。
「……学び舎というより、要塞のようだな」
アルトゥルがボソッと言う。古めかしいお城のようだと思っていたリアは、要塞がどんなものかはっきりわからないながらも何となく納得した。
「まあ、当たらずしも遠からずって感じかな。……あ!」
男はアルトゥルの言葉に解説をしようとしたけれど、誰か建物から出てくるのに気づいて口を閉じた。丸めていた背筋も、心持ち伸ばしたように見える。
「ようこそ、グロヘクセレイへ。遠いところから、よくいらっしゃいましたね」
妖艶な女性が声をかけてきたと思ったら、パッとあたりが明るくなった。宙にいくつも光の球が浮かんでいる。女性が魔法か魔術で出現させたようだ。
「マイナルドゥス先生もお疲れさま。でも、すぐに明るくしてあげなくてはだめじゃないの。この子たちを暗い中歩かせるつもりだったの?」
この男は何者なのかと思っていたけれど、ようやく正体がわかった。教師だとわかって驚いたような納得できたような、奇妙な気分にリアはなった。
「……すみません」
マイナルドゥスと呼ばれた彼は、妖艶な美女に言われ、ペコリとすまなさそうに頭をかいた。どうやら美女のほうが立場がうえらしい。
「ヴィカグラマルクよりまいりました。アルトゥル……バルテルスと言います。よろしくお願いします」
アルトゥルが一歩前に出て挨拶をするの、美女はにっこりと笑みを深くした。
「よろしく。もう少し名乗り慣れておきましょうね。この国では、王族としての名は伏せておくのですから。それで、弟さんたちの名はどうするの?」
「彼らには、彼らの母……現王妃の旧姓を名乗らせます」
美女の問いにアルトゥルが答えると、ローランドとテオドルも一歩前に出た。
「ローランド・ダールグレンと申します」
「テオドル・ダールグレンです」
少し複雑な表情を浮かべ、ローランドもテオドルも名乗った。長兄が留学先で自分たちとは兄弟ではないということで通すのに、驚きを隠せないのだろう。彼らの母親が違うと知っているリアも、少なからず驚いていた。
「そうね。三兄弟で留学というのも勘ぐられてはいけないし、そのほうがいいでしょうね」
美女はそう言ってから、今度はリアに微笑みかけた。自分の番だとわかって、リアは姿勢を正す。
「カーリア・アールステットです。立派な魔術師になりたいので、これからご指導のほど、よろしくお願いいたしますっ」
ドレスの裾をつまんでするような礼ができず、リアはとりあえずペコリと頭を下げた。それを見た美女が、クスクスと笑う。
「元気がよくっていいわね。わたくしはヴィルヘルミーナ・クライネルトよ」
「え!? あの、『暮らしの中の光』の著者の、あのクライネルト先生ですか!?」
「そうよ。まあ、ヴィカグラマルクにもわたくしの本の読者がいるなんて嬉しいわ。どうぞヴィルヘルミーナとお呼びになって」
感動のあまり両手で口元をおさえ、リアは叫び出しそうになるのをこらえた。今目の前にいるのは、言ってみればリアの師匠のようなものだ。グロヘクセレイのどこかにいるだろうとは思っていたけれど、まさかこんなにすぐに本物に会えるとは思っていなかったから、心の準備ができていなかった。
「わたくしたち、きっと積もる話があるわね。でも、それはまた今度。疲れているでしょうけれど、これからしてもらわなければならないことがあるから」
感激に震えるリアの肩を抱き、ヴィルヘルミーナはアルトゥルたちを目配せでうながして歩きだす。
ヴィルヘルミーナが近づくと、そのたび木製のドアはひとりでに開いていくから、立ち止まることはない。すべるように歩く彼女に導かれて学院の奥へ、さらに地下深くへとリアたちは進んでいった。
そしてやがて、ひんやりとした、水の気配を感じる空間にたどりついた。
部屋の中央には、井戸のように石で組んだ囲いがつけられたものがある。つるべはなく、覗きこと触れられそうなところまで水が満たされていた。
「これは“精霊の泉”といって、その人に相応しい媒介を授けてくれるの。水で手をすくって、魔力を流し込んでみて」
ヴィルヘルミーナにうながされてまず前に出たのはアルトゥルだった。
少しの間ためらうように覗きこんでいたけれど、やがて意を決したように水の中に両手を差し入れた。
「あなた、大ぶりな動きをしなければまだ、魔術を発動できなかったのよね。それなら、水に大きく息を吹きかけてみて。そのときに、魔力を流し込むのを意識するの」
「はい」
ヴィルヘルミーナに言われ、アルトゥルは大きく息を吸い込んだ。そしてそれを、手の中の水に向かって勢いよく吐き出す。
すると、水がまばゆく輝きだした。七色の光があふれて弾けて、宙に次々と浮かび上がる。それらの小さな光の粒は寄り集まって、やがて一振りの剣の形になった。
「大剣ではなく、片手剣か」
剣をつかみ、少し残念そうにも聞こえるようにアルトゥルは呟いた。
「周りと結びついて戦っていくものの証ね。そういった大きな媒介は日頃は小さくしておけるものだから」
ヴィルヘルミーナが言うと、アルトゥルの手の中の剣は小さな光となって彼の耳を貫いた。
「耳飾りになった!」
テオドルの驚いたような声にリアもアルトゥルの耳をよく見ると、そこには百合の花の紋章にも見える小さな剣があった。
「こういうときはさっさとやっちゃわないとね」
アルトゥルが与えられた媒介を見て気合が入ったのか、ローランドも泉の中に手を差し入れた。そして、すくいあげた水に息を吹き込む。
まばゆい光の中から現れたのは、大きな盾だった。それを手にしたローランドの足元にうずくまれば、テオドルやリアなら隠れることができそうだ。
「兄さんが剣で、俺が盾。うんうん、いい感じだね」
アルトゥルとは違い、ローランドは自分の媒介が気に入ったようだ。
「次男のあなたが大楯なのね。守り抜く力の証ね」
その大楯は指輪となって、ローランドの左手中指におさまった。
「じゃあ、次は僕の番だね」
本当は一刻も早く試したいのをこらえていたのだろう。テオドルがそわそわした様子で前に進み出た。そして、兄たちと同じように水をすくって、それに息を吹き込む。兄たちのときよりも元気よく光は跳ねまわり、それはなかなか寄り集まらなかった。ようやく集まったかと思うと鳥の形になり、気まぐれにその場を旋回してからテオドルの肩に留まった。
「フクロウだ! びっくりしたー。どこかに行っちゃうかと思った」
「知恵の象徴ね。持ち主のあなたの性質を反映してるから、好奇心旺盛なのね」
テオドルのフクロウは、「どこかに行っちゃ嫌だよ」という言葉に応えるように羽ペンに姿を変えた。
「最後は、私ね……」
緊張した面持ちでリアは泉のそばまで行った。三人がやったのを見ていたのだから簡単にできるはずなのに、動きはぎこちなかった。
王子たちは、それぞれ彼らの性質に相応しい媒介を得た。剣、盾、フクロウと、彼らの王子たちとしての在り方とも思える媒介の姿を目にして、リアは少し怖くなったのだ。自分には一体、どんなものがあるのだろうかと。
(アルト様のような強さも、ロルのような意志も、テディのような知識欲も私にはないから……)
媒介を授かるこの場が己を試される場なのだと気がついて、足がすくみそうになる。それでも、勇気をもって水をすくった。
(私にも、何かありますように)
祈るような気持ちで、リアは水にそっと息を吹きかける。水は輝き光になって、跳ねるように動き回った。跳ねるたびに色を変え、光の粒は一点に向かって収束していく。
そこから現れたのは、リアの背丈の半分以上はありそうな長い杖だった。象牙のような柔らかな白い素材でできた、先端に光を閉じ込めた籠を頂いた杖だ。
「“導き手の杖”ね。久しぶりに見たわ。その名の通り、周囲の者たちを導く者に相応しい杖よ」
「導き手の杖……」
握り慣れないその形にリアが戸惑っていると、長かった杖は収縮し、半分ほどの長さになった。材質も、何の変哲もない木製になっている。
「これで全員の媒介がそろったわね。媒介は魔法使いには絶対に必要なものだし、魔術を使う際にも魔力の流れを安定化してくれるの。今まで魔術を使うのは大変だったでしょう?これからは、もっと楽になるはずよ。これでようやく、魔術師として一歩踏みだしたわね」
ヴィルヘルミーナの満足げな笑みを見て、自分たちが迎えいれられたと感じた。そして、ヴィカグラマルクで行われた試験よりも、今のほうが試されていたのだと気づく。
「じゃあ、わたくしからの話は以上よ。お疲れさま。明日以降のことについては、寮の部屋に荷物と一緒においてある冊子を確認してちょうだい。それから、食堂は九時までだから気をつけてね。寮の部屋へは、マイナルドゥス先生に案内してもらってね」
再びヴィルヘルミーナに先導されて階段を上っていくと、一階に戻ったところにマイナルドゥスが立っていた。腕組みして立ったまま眠っていた彼は、ヴィルヘルミーナに杖でつつかれて慌てて目を覚ました。
「お、終わったか。お疲れさん。じゃあ、行こうか」
彼は興味がないものに関しては本当にやる気がないようで、ひどく眠たげだ。そんな彼の背中についていきながら、どうやら同族らしいテオドルがこうならないように見張っておこうとリアは決意した。
学院内は最低限の照明だけが灯されており、薄暗い。石畳の廊下に自分たちの足音が響くのが、ちょっぴり気味が悪かった。
「正面玄関から続く道をまっすぐに来ただろ? ここが寮の入り口な。東翼が男子寮、西翼が女子寮だ。で、中庭にあるのが食堂だから、迷わないはずだ。で、部屋はこの地図に書いてある。長男と次男は同じ部屋、三男は同い年の生徒と相部屋にしておいた。お嬢ちゃんもな」
外廊を渡り、寮の玄関の前まで来ると、マイナルドゥスは面倒くさそうに地図を渡してきた。アルトゥルとローランドは何とも言えない顔で地図を見つめ、テオドルは「ひとり部屋がよかった」とぼやいた。リアは誰かと相部屋なのは構わないけれど、マイナルドゥスに「お嬢ちゃん」と呼ばれたのが気になっていた。王子たちを上から順に呼ぶのもおかしい。おそらく、名前を覚えていないに違いない。……今後も覚えてもらえる気もしないけれど。
「学ぶことも新しい環境にもとりあえず慣れるしかないから俺から言えることはないんだが、この学院はあらゆる場面で生徒も自主性が重んじられる、とだけ言っておく。……じゃあ、また授業でな」
それだけ言うと、マイナルドゥスは来たときよりもさらにゆっくりとした足取りで帰っていった。
何となく含みのある言い方が気になったけれど、そんなことよりもリアは疲れていて、早く座りかった。
「えっと……一旦部屋に行って荷物をおろしたらここに集合でいい? 初めての場所でひとりで食事をするのは不安だから、一緒に行ってほしいんだけど」
不安なのは事実だった。でも、それよりも放っておくと王子たちが食事をしないのではないかということが気がかりだったのだ。
「わかった。じゃあ、すぐに来る」
「またあとでねー、リア」
「部屋でゆっくりしたいけど、リアの頼みなら仕方ないね」
リアが心配していたことなど気づかずに、王子たちは男子寮のほうに行ってしまった。男の彼らのほうが戻ってくるのが早そうだから、リアも急いで自室に向かう。
リアの部屋は寮の最上階である五階で、しかも角部屋だった。遅刻せずにいるためにはいつも時間に余裕をもって行動しなければと、階段をのぼりながらリアは思った。
長時間の移動で疲れた身体に五階までの移動はかなりこたえたけれど、何とか膝が笑いだす前にたどりつくことができた。
「こんばんは。入ってもいいかしら?」
廊下を一番奥まで歩いていき部屋の前に立つと、リアはノックしてそう声をかけた。すると、元気のいい「はいはーい」という返事ののち、ドアが開かれた。
「遅かったから、ちょっと心配したよ。ようこそ、グロヘクセレイへ」
出てきたのは、すらりとした美人だった。ヴィルヘルミーナは黒髪黒目の神秘的な美女だけれど、リアと相部屋のこの少女は、薄茶色の髪に茶色の目をした親しみやすそうな雰囲気だ。
「ありがとう。私はカーリア・アールステットよ。これからよろしくね」
少しばかり緊張していたリアは、少女の歓迎してくれている様子の身体の力を抜いた。
「私はアナスタシア・ハルトマイヤー。アナって呼んでね。あなたのことは何て呼べばいい?」
「私はリアって呼ばれてるわ」
アナスタシアは荷物を持ってくれながら、部屋の中に迎え入れてくれた。その優しさに、リアはそっと息をつく。
でも、ドアをしめた途端、アナスタシアはにこやかだった表情を引き締めた。
「ここに来るまでに、何もされなかった?」
「え? 何も……先生にはふたり会ったけれど、どちらも親切だったわ」
心配するような口調で問われ、リアは面食らった。そんなふうに尋ねられる心当たりがない。本当はマイナルドゥスもヴィルヘルミーナも厄介な人間だったのだろうか。リアの反応を見て、アナスタシアは「まだ遭遇してないのか」などと呟いている。
「今日はもう外に行かないほうがいいよ。理由は順を追って説明しようと思うんだけど」
リアのトランクを床に置くと、アナスタシアはベッドに腰かけた。どうやらゆっくりいろいろと教えてくれようということらしい。ありがたいと思いつつも、リアは困ってしまった。
「あの、私もいろいろ教えてほしいんだけど、このあと食堂に行くの」
「食堂……そっか。お腹が空いてるよね。ついていこうか」
リアが素直に言うと、アナスタシアは親切にもそう申し出てくれた。心苦しく思いながらも、リアは首を振った。
「ありがとう。でも、人と待ち合わせをしてるの。同じ留学生なんだけど」
「ひとりじゃないのか。じゃあ、大丈夫かな。とにかく気をつけて」
リアが急いでいる様子なのがわかると、アナスタシアは無理に引き留めようとはしなかった。彼女の心配そうな表情が気になったけれど、アルトゥルたちを待たせては悪いから急いで部屋を出た。
寮の玄関ホールにつくと、王子たちはすでにやって来ていた。ローランドはにこやかだし、アルトゥルも何も言わなかったけれど、眠そうな顔で立っているテオドルを見てリアは焦った。
「ごめんなさい。行きましょうか」
食堂が閉まるまでの時間も気になるし、全員疲れている。できる限り早く食事をすませてしまおうと、リアは立ったまま眠りそうなテオドルの背中を押して歩きだした。
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