第二章 いざ魔道の国へ1
機械仕掛けの馬が引く大型の馬車が、針葉樹林の森の中を走っていた。
大人がゆうに二十人は乗れそうな車内に五人しかいないため、広々としている。ただ、座席の乗り心地は実家で乗っていたもののほうがよかったと、リアはお尻の下に敷いた手の位置を変えながら思っていた。機械仕掛けの馬というものにも当然びっくりしたけれど、リアにとっては天鵞絨張りのふかふかの座席が当たり前ではないことのほうが驚きだった。
「リア、俺の膝の上に来る? それとも、膝枕してあげようか? 国を出るまでの間、従者の彼がうるさくて休めなかったんだろう?」
もぞもぞと動くリアに気づいたローランドが、さわやかな笑顔を浮かべて両腕を広げていた。それに冷ややかな一瞥をくれてから、リアはあくびをかみ殺す。
国境までの馬車の中、ダニエラが寂しいと騒いで大変だったのだ。リアの従者である彼は、当然自分もグロヘクセレイに行くと思っていたため、供の者を連れていくことを許可されていないと聞かされて取り乱した。
リアも、それは馬車に乗りこむ直前にクラースに言い渡されたため戸惑った。でも、受け入れざるを得なかった。なぜなら、リアだけでなく王子たちですら、ひとりの供も許されていなかったのだから。
グロヘクセレイに入れば、リアたちは貴族や王族ではなく、ただの生徒として扱われる。特別扱いはされない、ということだ。
「機械の馬ってすごいよね。そんなものを考えつく人がいるなんて」
同じ馬車に乗っていてダニエラの被害にあったはずのテオドルは、興味を惹かれるものに出会ったためピンピンしている。
結局、ダニエラは国境付近で馬車を降りるときになっても納得しておらず、最後はエーリクにきつめにしかられて引きずられるようにして帰っていったのだった。
「ねえ、リア。何かの本でグロヘクセレイは改良した大トカゲが車を引いてるって書いてあった気がしたんだけど、そっちに乗ってみたかった気もするね。走るし、ちょっとの距離なら飛ぶこともできるんだって」
疲れ知らずの少年は、リアの隣に移動してきた。窓の外の景色を堪能して、今度はおしゃべりしたくなったのだろう。腕組みをした姿勢でまどろんで体力温存に努めるアルトゥルや、車窓を見つめ思索にふけるローランドとは違い、興味が尽きないうちは元気いっぱいなようだ。
「大トカゲ? 知らなかったわ。でも、車を引けるほどのトカゲなら、餌代が大変だったんじゃないかしら?」
「君、いいところに目をつけるね」
テオドルの話し相手になっていればお尻の痛みもまぎれるだろうかと相槌を打つと、突然同乗の男が会話に参加してきた。
黒いローブのフードを目深に被っている上に、伸びきった前髪に顔半分が覆われていて怪しげだ。でも、口を開くと陽気な感じがした。
「動物に車を引かせると餌と糞の問題があるし、体調とか機嫌のことを考えなくちゃならない。それに、高速移動の魔術に耐えさせるのは可哀想だし。一言で言えば、効率的ではないんだ。その点、魔導式の機械なら整備と燃料のことだけ考えていればいい。実に効率がいいだろう」
男は一気にそう言うと、ニッと不揃いな歯を見せて笑う。男はなぜか、上下の歯の一部が欠けていた。リアは話の内容よりもそのことが気になった。でも、テオドルは違った。
「あの、魔導式っていうことは、魔法か魔術で動いてるんですよね? 燃料はどんなものなんですか?」
目を輝かせて、テオドルは尋ねる。
「いい質問だ。実にいい質問だ。よく聞いてくれた。魔導式というのは、たしかに君の言う通り、魔法や魔術で動くカラクリのことだ。でも、厳密にいうと違う。魔導式を支えているのは、魔術工学というものだ。魔術が魔術師という特殊な個人や集団だけが持っている知識だとすると、魔術工学はそれを誰もが使える技術に落とし込んだものだ。この馬車だって、使い方を覚えてしまえば君にだって操ることができる。そう、まだ魔術師になっていない君にもね。あ、ちなみに燃料は簡単に言うと特殊な石です。その石を作るのは、まあ、魔術工学の基本ね」
男はほとんど息つく暇もなく一気にしゃべりきった。テオドルは、それを目を輝かせて聞いている。……リアはこの男のしゃべり方や挙動が誰かに似ているような気がしていたのだけれど、テオドルだったのだ。
同族の匂いのようなものを感じ取ったのか、男とテオドルはあっという間に打ち解けた。
「車を引かなくなった大トカゲたちは、そのあとどうなったんですか?」
このまま魔術工学の話をさせていたらテオドルの体力が尽きてしまうのではないかと心配して、リアはそっと話題の軌道をずらした。あからさまにふたりの高揚が冷めるのがわかる。
「今は庭園……植物や動物の種を保存する目的の展示施設にいるだけだね。車を引かなくなったら、ただのよく食べる大きなトカゲってだけで、別にありがたくも珍しくもないし」
「じゃあ、その庭園に行けば、大トカゲを見ることができるんですね。あの、乗ることはできますか?」
男がこの話題に興味がないのはわかっていても、気になってリアはさらに質問した。テオドルに対しての雰囲気とは違うけれど、男は一応答えてくれる。
「乗ろうと思えば、乗れるんじゃないかな。でも、そんなことを思うのはうんと小さな子供くらいだよ。うちの国じゃ、大トカゲを見るとみんな苦い気持ちになるから」
そう言って、男は本当に苦いものを食べたような顔をした。大人なのにそうやって考えていることが顔に出るのが興味深くて、リアは質問を重ねた。
「どうして苦い気持ちになるんですか?」
「それは、あの生き物を見るとアブトカハールの連中に馬鹿にされたってことを思い出すんだよ」
「アブトカハール?」
思わぬタイミングでもうひとつの大国の名が飛び出し、リアは動揺した。それはアルトゥルやローランドも同じで、彼らが男のほうに神経を集中させるのがリアにもわかった。
「え? 何? ……あ、そっか。“箱庭”の君たちにはあまり馴染みがないんだっけか……」
リアたちの反応を見て、男は戸惑っているのが伝わった。でも、しばらく考えてから、もにょもにょと口を開いた。
「かなり昔のことなんだけど、アブトカハールの連中に大トカゲを竜の模造品って馬鹿にされたことがあるんだ。俺たちが竜を欲しがってるのを知ってて言ったんだから、嫌な奴らだよ。……箱庭の子たちは知らないだろうけど、アブトカハールの連中は竜の渡りを観測する知識を持ってるんだ。それでうちの国はそういった知識や連中が飼育してる竜の譲渡を求めたことがあるんだけど、馬鹿にされて交渉にすらならなかったって歴史があるわけ」
はじめこそ言いよどんでいたけれど、話だすと男はかなり感情的になった。どうやら、アブトカハールとの関係というのは、こういった個人の感情にも影響を及ぼしているらしい。日常の会話に隣国の話題がのぼることなどめったにないリアたちにとっては、何だか不思議なことだった。
「あの国と、そういった関わりがあることが驚きだ」
それまでずっと黙っていたアルトゥルがポツリと呟いた。一国の王子として気になることだったのだろう。
「文明の発展のために、協力関係を築けたらと思った時期もあったんだけど、向こうがそれを望んでないなら難しいってことだ。君たちにはどんな印象があるのかはわからないけど、グロヘクセレイとアブトカハールは別に一触即発ってわけじゃないよ。まあ、戦争する理由がないわけでもないけど。……そのへんのことは、これから肌で感じていくことになると思う」
男は言ってから、「失敗したなあ」という顔をした。もしかすると、リアたちにこういった話をしてはいけなかったのかもしれない。もう口をすべらせまいと思っているのか、唇を真一文字に結んでしまった。
グロヘクセレイとアブトカハールの二国間の関係、竜という生き物、それからどうやらヴィカグラマルクを“箱庭”と呼ぶこと。気になることがたくさんあって、リアは頭の中が混乱していた。アルトゥルやローランドのほうをうかがうと、彼らも一様に難しい顔をしている。
ただひとり、テオドルだけが違っていた。
「あの、竜の渡りってなんですか?」
知的好奇心の赴くまま、テオドルは疑問を口にしていた。胸躍る冒険の物語が好きなテオドルにとって、聞き流せることではなかったに違いない。
聞かれて嬉しいことだったのか、話題が変わって安堵したのか、男はニッと笑って話し始めた。
「竜という生き物は時空――時間や空間といった場所を移動し、旅すると言われてるんだ。様々な時間や世界を好きに移動できるから、どこに現れるかわからないはずなんだけど、アブトカハールには竜の移動してくること……これを渡りっていうんだけど、この渡りを予測することができる技術があるらしい。渡り自体をコントロールできるんじゃないかと考えてる学者もいる。」
「すごい! いろんな世界を旅してるのかあ。ということは竜と話ができたら、彼らが旅してきた異世界について知ることができるんですね。それなら、アブトカハールとも仲良くできたらいいのになあ」
テオドルは、十五歳の無邪気さでそう言い切った。少なからず政治というものが頭をよぎるリアには、とてもできない物言いだ。それは大人になってしまえば難しいことだ。
だからだろう。男は嬉しそうに、声を立てて笑った。
「そうだな。お互い持ってないものを補い合って仲良くできるのが理想だね。……竜のことが知りたいのなら、学院の図書室に行くといい。それなりに本はそろってるから」
「わかりました!」
男の言葉に、テオドルは元気よく頷いた。その顔を見れば、彼がこれからの生活に希望を持っているのがわかる。不安は微塵も感じられない。
兄王子たちのほうをリアがチラリと見ると、ふたりとも微笑んでいた。引きこもりがちであまり接点がなくなった末っ子の成長を喜んでいるように見える。兄弟の関係を心配していたから、それを見てリアは嬉しくなった。
半分しか血のつながっていないアルトゥルは、自分とは正反対の弟に厳しいように見えたから、特に心配だったのだ。男なら、王族なら強くなければと、一時期は本を取り上げて剣を仕込もうとして大変だったのだ。
今回の留学が彼らの関係をよくしてくれればと、リアはそっと思った。
「これから学院に向けて一気に空間移動するからな。えーと、普通の移動が線上を移動するとしたら、空間移動は点から点への移動だ。速い代わりに激しい。だから酔うかもしれない。外は見るな!」
今の今まで忘れていたというふうに、男は早口で説明した。その直後、ガクンと車体が大きく揺れた。
「キャッ……」
軽い浮遊感に襲われ、リアは思わず前の座席の背もたれをつかんだ。浮いてはいないはずだけれど、お尻の下がスースーする。
それに、耳鳴りもする、キーンという高音が響くものではなく、ブブ、ブブブと不規則に、耳の奥で羽虫が通り過ぎる音を聞かされている感じだ。
その空間移動というものがいつまで続くかわからないため、リアはギュッと目を閉じた。目を開けていても、どこを見ればいいのかわからない。下手に視線をさまよわせていたら、男のいうように酔ってしまいそうだった。
どのくらいそうしていただろうか。再びガクンと車体が揺れると、うるさかった音がやんだ。そして、これまで奪われていた重さが返ってきたこのように、身体が重たく感じられた。
「はい、空間移動終わり。もう、外を見てもいいからな」
男は慣れているらしく、平然としていた。一体どのくらい経験すればこの男のように平気でいられるようになるのだろうかと、リアはげっそりした。でも、それも窓の外を見るまでだった。
「わあ……すごい!」
窓の外の広がっていたのは、荘厳な雰囲気ただよう石造りの街並み。
整然とした石畳に石の橋、背の高い石の建物。
それらを照らすように街道の両側には等間隔に街灯が並んでいる。その角灯の中の光は、魔術によるものだとわかる。火ではなく、光そのものが閉じ込められているのだ。
「リア、見て! 人が飛んでる!」
立ち上がって窓に張り付いていたテオドルが、空のほうを指差して叫んだ。リアが見上げると、本当に人が飛んでいた。箒に乗っている。
「あ、誰だあいつは。いいか、本当はこんな街中で飛ぶのは禁止されてるから、絶対に真似するなよ。校則じゃなくて法律で禁止されてるんだからな。クソ、誰だ……」
テオドルの声に反応した男は空を見て、飛んでいる人影を確認すると忌々しげに吐き捨てた。本当にしてはいけないことのようだ。
ここは、間違いなく魔術の国だ、とリアは思った。
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