第一章 箱庭の子供たち6
一月半という、ほとんどないに等しい準備期間を過ぎ、あっという間に試験当日を迎えた。
試験会場は王城の広間。
グロヘクセレイの使者の立ち会いのもと、与えられた課題をこなすのだという。
共に特訓に励み、それぞれ何とか魔術を使いこなせるようになった。図書館の未翻訳本の中から魔術陣や魔術に使用する古代文字に関するものをテオドルが見つけてきてからは、格段に進歩した。
風や水の魔術でつまずいていたリアも、古代文字を使うようになって無事に発動できるようになった。本来、ほとんどの魔術が陣や文字なしには発動できないということを知らなかったゆえのつまずきだったのだ。
「緊張しているのか?」
王族らしい礼服姿のアルトゥルがリアの隣に立ち、そっと尋ねた。
「はい。すごく緊張しています」
答えながらアルトゥルをそっと眺め、これはこれで凛々しくていいなとリアは思う。いつもは式典でも、騎士団の礼服姿がほとんどなのだ。
ローランドもテオドルも、揃いの礼服に身を包んでいる。使者とはいえ他国の人間を前にする、最低限の礼儀というわけだ。髪色も瞳の色も、顔つきすらもまったく異なるけれど、こうして揃いの衣装に身を包むと、王子たちがたしかに血を分けた兄弟なのだとわかる。
意外なほど落ち着いたその三兄弟を見て、リアも強張っていた表情をわずかに和らげた。
「あまりお役に立てず、申し訳ありません。殿下たちは、やはり堂々としてらっしゃいますね」
今日までにできたことを心の中で指折り数え、リアは深呼吸した。そして、とりあえず全員、基礎とされる火、水、風、土の四属性の魔術は使えるようになったから大丈夫だと自分に言い聞かせる。
大丈夫なはずなのだけれど、リアはものすごく緊張していた。
「カーリアはよくやってくれた。お前がいたから、私たちは今日までやってこられたんだ」
「そうだよ。リアが先生役だったから、僕もやろうと思ったんだ」
リアの緊張をほぐそうと、アルトゥルとその隣にやってきたテオドルが微笑みかける。彼らの優しさに微笑み返すことはできたけれど、ギュッと握りしめたリアの手はじんわりと汗で湿っていた。
「今日のドレスの裾はたっぷり膨らんでて、よくめくれそうだ!」
「キャッ」
深呼吸を繰り返し、心を落ち着けようとしていると、ビュンと風が吹き、リアのドレスがめくれあがった。後ろを振り返れば、ヘラヘラ笑うローランドがいた。
「な、何するのよ……!」
エルヴィーラがこだわって選び、メイドたちが気合いを入れて着せてくれた若草色の優美なドレスの裾を慌てて整えながら、リアはローランドを睨みつける。
「リアがこういう場に不慣れだから、緊張をほぐしてあげようと思ったんだよ。ほら、笑顔笑顔」
この場にダニエラがいれば、飛んできて手刀を食らわせそうな言い分だ。でも、たしかにリアの緊張はすっかりほぐれていた。
「それでは、これより試験を始めます。一同、前に」
グロヘクセレイの使者が、そう厳かに宣言した。それまでゆったりとしていた王子たちも表情を引き締め、指示された場所までいく。
広間の中央には、使者たちが用意した巨大な魔術陣がある。その陣を囲むようにして、四角く白い線が書かれている。
「四人それぞれ、陣を囲むように立ってください。分担はご自分たちで決めて構いませんので、火、水、風、土の魔術をこの陣に向けて発動してください。成功すると、陣が光ります」
魔法使いか魔術師の正装なのか、くるぶしまで覆う黒いローブに身を包んだ使者は、それだけ言うと口を閉じてしまった。もっと長い説明をされると思っていたリアたちは、そのあまりにさの簡潔さに拍子抜けしてしまった。
「あの……魔術は全員同時に発動しなければならないのでしょうか?」
リアはおずおずと手を挙げ、質問した。
「いえ。同時でも、バラバラでも構いません。ただ、バラバラに発動した場合、すべての属性が陣に揃うまで状態を維持しなければなりませんが」
「わかりました」
もしかすると、すでに試験は始まっていて質問すると減点されるのではとリアは不安だったけれど、使者はあっさり答えてくれた。でも、今度は別の懸念事項が出てくる。
「どうしましょう? 同時は無理よね?」
所定の位置から離れ、リアの手招きに王子たちはコソコソと集まった。簡単な試験なのはわかる。でも、打ち合わせなしにはできそうになかったのだ。
「集中力が続く兄さんがやっぱり一番手じゃないかな。そのあとに俺とテオが続いて、最後はリア。そして属性は兄さんから順に火、水、風、土でいいかな」
実に適当な感じでローランドが言う。でも、時間もかけられないため、こういう場面では助かると全員が思っていた。
「わかった。私はそれで構わない」
「リアはそれでいい? 僕と順番替わってもいいよ?」
「大丈夫よ。……やりましょう」
最後に指名したのはローランドの気遣いだとわかったため、緊張しつつもリアは頷いた。
王子たちの集中力が途切れる前に発動すればいいだけ――そう意識し、再び所定の位置につく。
「では、行くぞ」
アルトゥルが、持ち込みを許可された箒の柄を構えた。それから、剣技のような流麗な動きでそれを振りかぶる。
「火を!」
柄に彫った火を表す文字をひと撫でして叫べば、火が現れる代わりに陣が炎のような赤色に光った。
無事に発動したのだとわかり、ローランドも続いた。
「いでよ、風」
ローランドは、指先で宙に何か書いてみせた。それは、風を意味する古代文字。彼は紙に書く代わりに宙に書くことで魔術を発動できるようになったのだ。
「水よ、出てこい」
テオドルはしゃがみこみ、持ち込んだ神にペンで文字を書いた。彼は紙に書くのが一番安定して発動できるのだ。
魔術陣が青く、ついで緑に光ったのを確認し、リアは構えをとった。
「土よ、この声に応えよ」
長い裾に隠れで見えないけれど、リアは足で土を意味する文字を書いている。呪文がエーテルに対する呼びかけだと知ってから、リアはより念じるようにそれを口にするようになった。
最後のリアの魔術が発動した瞬間、魔術陣は赤から橙の見事なグラデーションを描く光を放つ。
「わあっ……」
「そこまで。成功ですね」
リアが思わず声をあげたのと、使者が終了を告げたのは同時だった。
立ち会っていた王や宰相のクラース、そのほかの国の要人たちからも歓声があがった。
「では、結果は追って知らせますので。お疲れさまでした」
「あ、はい……お疲れさまでした」
使者たちは床に敷いていた魔術陣を回収すると、始まりと同じくらいあっさりと広間から出ていってしまった。
その場で合否を言い渡されると思っていた一同は取り残され、しばらく呆然とする。
「これは……うまくいったのだろうか」
「まあ、喜んでいいんじゃない?」
モヤモヤしているらしいアルトゥルの肩を、ローランドはポンポン叩く。リアとテオドルは、とりあえず顔を見合わせて微笑みあった。
***
試験のことを知る関係者たちがかなりやきもきしたにもかかわらず、その結果はこれまたあっさり手紙によって知らされた。試験からちょうど一週間後のことだった。
手紙には学院生活に必要なもの一式と、制服とローブの仕様書も同封されていた。グロヘクセレイ側が用意することもできるけれど、ヴィカグラマルクで仕立てて持たせても構わないということだった。送り出す側には送り出す側のこだわりや事情があると汲んでのことだろう。
国の威信をかけ腕のいい仕立て職人たちが集められ、大急ぎで準備が整えられていった。ギリギリまで向こうの好意を受け入れるかどうかで政治的な駆け引きがあったようだけれど、女性たちが押し切ったのだ。
元々留学に乗り気でなかった王妃とエルヴィーラがさめざめと涙を流して、「遠い異国へ送り出す我が子の身支度もさせてもらえないなんて……」と訴えれば、周囲は聞き入れるしかなかった。
「レースもリボンもないし、裾がこんなに短いのね」
出来上がった制服一式に身を包んだリアを見て、エルヴィーラはそっと眉をひそめた。グロヘクセレイの魔道学院指定の制服のデザインは、実用性に優れ、活動的なのだ。
「動きやすくて、すごくいいわ。それに、スカートのように見えて、短いズボンなんですよ。だから、裾がこれだけ短くても下着が見える心配は少ないです」
着ているリア自身は、その身軽さにご機嫌になっていた。白のブラウスに格子模様のベスト、それと共布でできた膝上の短めのズボンという出で立ちは、男装と同じくらい動きやすいのに乙女心をくすぐる可愛らしさがあった。
「お兄様たちの服を引っ張り出して男装なんてしていたあなたにしてみれば、こんな格好なんて大したことありませんでしょうけど。私には信じられないわ……嫁ぐ前の娘が、こんなに肌をさらすなんて」
「え……」
心配する風を装って、リアの隠し事を知っていることをこの母はしっかり明かしてきた。まさかの事態に、リアはロングブーツを履いた足をもじもじさせる。
「支度にどれだけ時間をかけるつもりだ。できたのなら、早く下に行きなさい。迎えがくるだろ」
ノックもなしにドアが開けられると、リアのもうひとりの兄であるブルーノが不機嫌そうに声をかけてきた。リアはこの兄の機嫌のいい顔というものを見たことがない。エルヴィーラに似た美貌を持ちながら笑顔を浮かべることなどないため、氷の貴公子などと呼ばれている。
「あら、もうそんな時間なの。カーリア、行きましょうか」
「はい」
エルヴィーラも、長子であるブルーノの顔を立てるつもりなのか、めったに反論しない。笑顔で促され、リアはトランクを手に部屋を出た。
「お前が自分で持っていく荷物はそれだけか」
「え、ええ。あとのものはすべて馬車に積んでありますので」
「そうか。それなら、持ってやる」
ぴったり隣について歩いてくると思っていたけれど、どうやらこれが目的だったらしい。ブルーノはぶっきらぼうに言って、リアから半ば奪い取るようにしてトランクを受け取った。
「アールステット家の誇りを忘れず、この国のために精一杯励みなさい」
「はい」
「くれぐれも殿下たちの、この国の恥になるようなことは慎むように」
「わかっています」
リアのほうをチラリとも見ずにブルーノは言った。しばらく会えなくなる妹にもこれか、とリアは何だかがっかりする。そんなふたりのやりとりを聞いて、すぐ後ろを歩いていたエルヴィーラがクスクス笑った。
「カーリア、ブルーノはね、『頑張ってね』と『女の子なんだから、いろいろと気をつけるんだよ』って言いたかったのよ。困ったお兄様ね」
「母上っ!」
エルヴィーラの通訳に、そんなまさかとリアは思ったけれど、焦るブルーノを見る限り外れてはいないらしい。
階段を降りきって玄関ホールにたどり着くと、ブルーノは先に待っていたエーリクにトランクを押しつけて、さっさと外へ出ていってしまった。
「あの様子だと、また素直になれなかったんだな。リア、あの人は素直になれないだけだから、まあ許してやれ」
どうやら事情を察したらしいエーリクは、ニヤニヤ笑っている。そう言われても、リアはにわかには信じられなかった。
「兄様、その格好ということは」
「そうだ。今日は騎士団として護衛する」
今日のエーリクは、日頃はややだらしなく着崩している団服をきちんと着て、腰に剣を帯びている。胸や肩にはプレートメイルもつけている。
「グロヘクセレイが何か特別な移動手段を貸すと言ってきたらしいけど、とりあえず国境付近までは見送らせてもらうことにしたから。安全面というより、寂しいからな」
「うん。よろしくお願いします」
くしゃくしゃと髪をかきまぜてくる次兄の笑顔が寂しげなことに気づいて、リアは頷いた。
玄関を出ると、前庭の中ほどで立ち止まっているブルーノが見える。その背中が寂しげなことにも、リアは気がついてしまった。そんなことに気づいてしまったら、それまで平気だったのに、途端に鼻の奥がツンと痛くなった。
(嫁ぐときは、きっと今より寂しいのよね)
そう考えて気持ちを上向かせようとしてみたけれど、どうしてもしんみりしてしまった。
「リア、行こうよー!」
ブルーノ、エーリク、リアの三兄妹が何も言葉を交わさずに並んでいると、馬車が近づいてくる音がした。その音が止まったかと思うと、にぎなかな声が聞こえてくる。
馬車から一番に駆け下りてきたのはテオドルだった。黒の詰め襟の上着に格子柄の長ズボンという揃いの制服に身を包んだアルトゥルとローランドが、そのあとに続いている。彼らの顔は一様に希望に輝いていた。
それを見て、リアはこれから自分が行く場所のこと、そこで何をなすつもりなのかを思い出した。
国の発展のために、魔術を修めにいくのだ。嫁に行くのではないし、ましてや今生の別れではない。
「……行ってまいります!」
気合いを入れて笑顔を作り、リアは家族に向かって元気よく手を振った。
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