第一章 箱庭の子供たち5
「それじゃあ、授業を始めるわね」
アールステット家の応接室に集まった顔ぶれを見て、リアは満足そうに頷いた。
昨日の今日で集まるか不安だったのだけれど、城に使いを走らせるとちゃんと王子たちは全員来てくれた。もし来てくれないようならダニエラに頼んで、摘まんでポイと馬車に放り込んでもらおうと思っていたから、手荒な真似をせずに済んだとホッとしている。
「まず、魔法と魔術の違いから説明しようと思うんだけど、わかる人はいるかしら?」
先生になりきってリアが問えば、テオドルがそっと手を挙げた。
「魔法は魔法使いが使うもので、魔術は魔術師が使うものってことかな」
意気揚々と答えた末っ子に、兄たちがキョトンとしたのがわかる。たぶん、そんなことは誰でもわかると思ったのだろう。でも、非常に的を射た答えだったため、リアは満足そうに微笑んだ。
「そうね。そういうことで合ってるわ。ここで重要になってくるのが、魔法使いと魔術師の違いよね。これは、身体の作りの違いと言われているわ。魔法使いにはエーテルと受け取る器官があるんだけど、普通の人間にはないの。エーテルっていうのは、魔法や魔術を使うときに必要なものね。だから、普通の人間はエーテルを利用するために陣を書いたり呪文を唱えたりするのよ」
リアはテーブルの上に広げた図を指差しながら説明していく。ふたつの人型の上には○と×が書かれている。
「ちょっと待って。それじゃあ、魔法使いに生まれつかなければ魔法は使えないってこと?」
手を挙げ、ローランドが尋ねた。少し不服そうだ。
「そういうことらしいの。だから、魔法使いが魔術を学んで使うことはできるけど、その逆は無理ってことね。普通の人間は魔術を使うしかないわ」
「それを聞くと、魔法使いに生まれついたほうが有利に聞こえるのだが、どうなのだろうか」
しばらく眉間に皺を寄せ考え込んでいたアルトゥルも、弟たちに倣って質問した。
「そういうわけではないみたい。魔法使いに生まれついても魔術の才能がない人もいるみたいだし、魔術師ができることは陣や呪文などを使う分、細かく多岐に渡るの。魔法使いは身ひとつで魔法を使うから、能力を底上げしようとすれば身体を鍛えるしかないけど、魔術師は媒介や陣とかを工夫すれば弱点を補ったりできるらしいの」
「何か、魔法使いは筋力系で、魔術師は学力系って感じなんだね」
「そういうことかしらね。魔術師は、覚えなくてはいけないことも多いしね」
テオドルの言葉にリアが頷くと、ローランドがアルトゥルをチラッと見た。たぶん、自分の兄は系統的に見れば魔法使いだと言いたいのだろう。それについてはリアも同じ意見だ。というよりも、アルトゥルは座学をやれるのだろうかという不安があるのだ。覚えるもの満載な魔術よりも、感覚的な魔法のほうが断然に彼向きだ。
「学院には魔法使いの課程、魔術師の課程、魔術工芸の課程があるんだけど、課程分けは入学後にされるから、ひとまず入試のために魔術の練習をします。どのみち、私たちは魔法使いの素質があったとしても魔術を修めて帰ることになるし。使う人を限定しない魔術のほうが、持ち帰ったときこの国の力になるはずだから」
「リアはやたらと詳しいし、そんなことまで考えてたんだね」
「……前からちょっと興味があっただけよ」
付け焼刃の講義でないことは、誰の目にもあきらかだ。でも、わざわざローランドはにこやかにそのことを指摘した。別に隠すことでもないけれど、男装して図書館に通い詰めていたことはあまり知られたくないため、リアは適当に流しておく。
「リア、座学もいいけど、僕は魔術を早く使ってみたい」
「そうよね。今、道具を持ってくるから待ってて」
ちょうどよくテオドルが急かしてくれたから、リアは必要なものを取りに席を立った。そして、燭台を手に戻ってくる。
「まず、蝋燭に火をつける練習から始めましょう。生活の中に密着したもののほうが、魔術として扱いやすいらしいの」
そう言って、リアは王子たちの前にひとつずつ燭台を並べていく。それ自体は、何の変哲もない燭台だ。
不思議そうにしているのがおかしくて、リアは少し得意な気持ちになる。魔術でこれに火をつけたら、きっと彼らは驚くだろう。
「見ててね。――火を灯しましょう」
蝋燭をジッと見つめ、それから目を閉じた。頭の中に、マッチをすったようにポッと火がつく様子を思い浮かべる。それと同時に、身体の中の魔力が外へと流れていくのも意識する。
すると、ジッと短く爆ぜるような音がして、火が灯った。
「すごい! 本当に火がついた!」
最初に感激の声をあげたのはテオドルだった。その声に目を開け、魔術の成功を確認してリアは安堵した。これで失敗してしまったら、先生役としての威厳に関わることだった。
「何だか手品を見ている気分だ。へえ、これが魔術か」
「これを私たちもやれるようになるのか?」
ローランドとアルトゥルは、まだ他人事のようだ。そんな兄たちとは違い、テオドルは早速、蝋燭に向き合っていた。
「火を灯しましょう……あれ? 何も起きない」
「慣れるまで、目を閉じてしっかり頭に思い浮かべるのが大事なんだって。それと、体内の魔力が呪文を唱えるのに合わせて外に流れ出すのも意識しなくちゃいけないのよ」
わからない様子のテオドルに、リアは図を描いてみせた。
「魔術を使うときには、魔力を放出するの。呪文を唱えたり陣を書くのは、魔力の流れやその量を制御するためでもあるの。こう、ね。外に出ていくのを意識して……」
「外に、ね……」
リアはエルヴィーラの淑女教育の賜物で、それはそれは美しい文字を書く。でも、絵心はないのだ。美しい文字の横に並ぶ、かろうじて人体だとわかる図を見ながら、テオドルは困惑顔になっていく。
「魔力を外に……火がつくのを想像して……火を灯しましょう。わ、ついた! あれ、消えた……」
リアの図解がよかったのか、それとも頭が混乱する前に修得してしまえと頑張ったのか、テオドルは蝋燭に火をつけるのに成功した。でも、ポンとすぐに消えてしまった。
「何で消えちゃったんだろう? 蝋燭の芯がだめになってたのかな?」
テオドルは悔しそうに蝋燭を睨む。そんな弟を見て、兄たちは途端に色めき立った。
「ちょっと待って。テオ坊が一番乗りか。俺も負けてられないな」
「テオドルにできたのなら、カーリアが特別だとか何か仕掛けがあるとかではないのだな。……やってみよう」
ようやくやる気になったらしく、ふたりは姿勢を正して蝋燭に向き合う。それにホッとして、リアは改めてテオドルを見た。
「今の、魔力に関しての意識はよかったんじゃないかしら。あとは、たぶん集中力ね。芯にしっかり火がつくまで、ほかのことを考えちゃだめよ」
「集中力か。それなら、アルト兄さんが一番かな。剣は集中力が大事でしょ……って!」
テオドルがふたりの兄をのんびりと観察しようとした矢先、隣に座っていたローランドのろうそくから火柱のような炎があがった。
「あっつ! ……ふうー、びっくりした……」
火の勢いが強かったのは一瞬のことで、すぐにちょうどいい大きさになったけれど、残念なことに前髪が少し焦げてしまった。
「気をつけてね。ロルはたぶん、魔力の放出が多かったんだと思うわ。息を吐くときに唇をすぼませたり開いたりして息の量を調節するみたいに、意識すれば量を制御できるらしいの」
「うー前髪が……これじゃ、女の子たちとお茶会できないじゃないか」
「そんな暇はないから。百発百中で蝋燭に火をつけられるようになるまで、毎日特訓ですからね」
「そんなあ。これ以上、前髪が失われたら困る」
「それなら、本気出してくださいね」
「リアが優しくない……」
前髪を燃やしても不真面目なローランドと、それを冷たい目で見るリア。ふたりが言い合っているのを横目に、テオドルはアルトゥルを心配そうに見つめた。
アルトゥルは目をギュッと閉じ、必死な様子でブツブツ呪文を唱えていた。どれだけ力んでいるのか、じんわりと汗までかいている。
「兄さん、お腹痛いの? 席を外してもリアは怒らないと思うけど」
「……違う。出ないんだ」
「あ、まだってことなんだね」
「そうじゃない……! 火が出ないんだ!」
「そういうことか……」
アルトゥルのあまりの苦戦ぶりに、テオドルは言葉を失った。腹痛に苦しんでいるかに見えるほど力を入れているのに、彼の前の蝋燭には一向に火がつかない。焦りのあまりどんどん力んでいき、ついに顔が真っ赤になった。
「アルト様、あの、力んでも火はつきませんから! 手から出すんじゃないのよ! 魔術で、この芯に火を出現させるんです」
そばに行ってなだめるように背をさすり、リアはアルトゥルを落ち着かせようとした。まだ何の成果もあげられていないのに、力を入れすぎてもう疲れている。
「身体を動かなさいことは、苦手なんだ。剣の鍛錬でも体術の稽古でも、身体を動かさずにいることはないからな」
手の甲で汗を拭いながら、唸るようにアルトゥルは言う。それを聞いて、テオドルが何かひらめいた顔になった。
「それなら兄さん、身体を動かしながら呪文を唱えてみたらどうかな? それと、大きな声で呪文を唱えたらいいのかも。訓練場からいつも雄叫びが聞こえてくるのって、声を出したほうが力が出るからでしょ?」
「そ、それはそうだが……」
チラリと、アルトゥルはリアのほうをうかがう。
「いいと思うわ。力の出し方も集中の仕方も、人それぞれだもの。でも、さすがに室内で剣を振るってもらうのは困るから、何か棒を借りてくるわね」
他の兄弟と違う方法を試すためらいや、室内で大きな動きをすることへの遠慮があったのだろう。でも、リアが笑って部屋を出ていくと、アルトゥルはホッとした顔をした。
おそらく、身体を動かしてもいいのなら、うまくいきそうな気がしたのだろう。それはリアも同じで、棒を手に、軽やかな足取りで戻ってきた。
「これ、壊れた箒の柄ですって。剣と比べると重さが足りないでしょうけど、大丈夫かしら?」
「ああ、やってみよう」
リアから柄を受け取ると、アルトゥルは席を立った。そしてテーブルから距離を取り、目を閉じた。
腰に佩いたようにした柄を、すらりと抜く動作をする。それを両手で握って高い位置で構え、スッと勢いよく振り下ろした。
「――火を灯しましょう!」
見入っていたリアたちが思わずビクッとするほどの大きな声を出した直後、アルトゥルの蝋燭にはそっと火がついた。それは揺らめくことも、大きく燃え上がることもなく、ほどよい大きさで灯っている。
「すごいわ……! 一番安定してる!」
ちょうどよく灯っている蝋燭を見て、リアは感嘆の声をあげた。つい、小さく手も叩いてしまった。はしたないと思い、すぐに表情を引き締めたけれど、本当は叫びたいほど嬉しかった。
「よかった。馬に催眠術をかけるより簡単で」
心底安堵して、うっかり本音がもれてしまった。その意味をわかる者はその場に誰もいなかったのが救いだった。
「うまくいって、そんなふうに喜んでもらえて、よかった」
とりあえず幼馴染の少女が喜んでいるのはわかった王子たちは、一様に嬉しそうにした。
こうして、平和な小国の王子たちの魔術修行は始まったのだった。
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