第一章 箱庭の子供たち4
空の端がうっすらと赤く染まりはじめるまで、リアはたっぷり図書館にいた。今日はいつもみたいにただ読むだけではなく、手続きをして借りるつもりだったから時間がかかってしまったのだ。
教科書になりそうなものを何冊か選んだ。試験はおそらく形だけのものとはいえ、まったく魔法や魔術が使えないと話にならない。だからといって、そんなに時間をかけてはいられないから、わかりやすい本を参考に、座学も実技も詰め込んでいくしかない。
「ダニエラ、遅くなってごめんなさい。退屈じゃなかった?」
下のほうの階で待っていたダニエラに声をかければ、ハンカチで目頭を押えてふるふると首を振る。どうやら、何か感動する本を読んでいたらしい。
「それも借りてきましょうか?」
「いいんです。借りて帰ったらきっと夜通し読んでしまいますもの。そしたら、泣きすぎて朝には干からびてますわ」
「それは困るわ」
そんな軽口を叩いて笑いながら、ふたりは図書館を出た。そして、馬車を待たせている場所へ向かう。今日はコソコソしていないから、堂々と馬車に乗って帰ることができるのだ。
愛馬に乗っての移動も好きだけれど、今日みたいに疲れた日はやはり馬車が楽だ。
帰宅したら、エーリクに成果を報告しなければ。上々だと言って安心させることができるだろう。
そんなことを考えていたから、行く手を阻むように現れた人影に、リアは驚いてしまった。
「ローランド殿下。こんな時間に供の者もつけずにどちらへ行かれるんですか?」
思いのほか動きが早かったなと思いながら、リアは目の前の人物に声をかけた。
「あれ? リアが意地悪を言う。もしかして俺に声をかけ忘れたんじゃないかと思って待ってたのに」
「そうでしたか。お忙しいのに、お待たせしてしまって申し訳ありません。でも、特に殿下に御用はありませんよ」
「俺に用のない女の子なんて、この世界にいるはずないんだけどなあ」
冷ややかに言い返すリアに対して、ローランドは一切めげない。この女性に対する軽さが、リアが彼を苦手とする理由の一つだ。この部分が直らないのなら、ローランドん王太子にしてはならないと思っている。女性問題が頻発するだろうし、きっと側妃や公妾を養うために国の財政が圧迫されるに違いない。
「兄様やテオを学校に誘ったんだろ? テオが久しぶりに部屋から出て、侍従たちがちょっと騒いでたから知ったんだけどさ。どうして俺のことは誘ってくれないの?」
すねたように唇を尖らせて、ローランドはリアを見つめる。顔立ちのとびきり美しい彼がやれば、その表情は色気と少年っぽさが同居する。きっとこれをされたら多くの女性が彼の意のままに動くのだろう。馬鹿みたい、とリアは心の中で吐き捨てる。
「昨日お誘いしたときに、『ときめきがないならやらない』とおっしゃっていたじゃありませんか。隣国に学びに行くのはきっと退屈で、ときめきなんてないでしょうから、お誘いしませんでした」
にっこり淑女らしく微笑んで、リアはローランドの横を通り過ぎようとした。でも、それをローランドは許さない。
「それって、仲間外れじゃない? リアがそんなにいじめっこだったなんて知らなかった」
リアの腕をつかみ、耳に唇を寄せて囁く。さすが色男。兄弟で声は似ているはずなのに発声が違うわ、とリアは鼻白む。
「仲間に入りたいんですか? 留学なんて、きっと楽しくないですよ」
「リアがいるなら、それだけで楽しいって気がついたんだ。それに、学校生活ってものもいいかなって思うし」
リアの目が冷たいことなんて気にせずに、ローランドはキラキラの笑顔で言う。こういう軽薄そうな表情がリアに嫌われていると、まったく理解する気がないらしい。
「真面目に勉強しますか?」
「リアが褒めてくれるなら」
「時間がないから、容赦はしませんよ?」
「リアになら厳しくされるのもいいなあ。リアは手のかかる子のほうが好きでしょ?」
「……明日から勉強を始めるので、また細かいことが決まったら連絡するわ」
どれだけ冷たくあしらっても、ローランドはめげない。真面目な態度をとることもない。それがわかったから、リアは溜息をついて話を打ちきった。
「リア、頑張ったら、俺のこと好き?」
歩きだしたリアの背中に、追いすがるようにローランドは声をかけた。軽薄をよそおいながらも、その声には不安そうな響きがわずかにある。
今回の仲間外れ作戦がよほどこたえたのだろう。
ローランドにだけ声をかけなかったのは、エーリクの立てた作戦だ。
ローランドは兄弟の真ん中のせいか寂しがり屋で、昔からちょっとでもリアがアルトゥルやテオドルのほうにばかり構っていると思うと大変だったのだ。
だから、あえて彼にだけ声をかけなければ勝手に食いついてくるのいうのがエーリクの見立てだったのだけれど、その通りだった。作戦は成功した。
でも、少しやりすぎたのかもしれない。そう思い、リアはローランドを振り返った。
「そうね。私は頑張れる人が好きよ、ロル」
そう言って、微笑んで手を振る。
たったそれだけのことで、ローランドは嬉しそうに、ほっとしたように笑った。
いつの頃からか頑張ることをやめてしまったけれど、彼は兄弟の中で誰よりもリアに褒められるのが好きなのだ。
昔、まだ小さな子供だった頃、リアはローランドに一番期待していた。
彼が三人兄弟の中で一番頭がよく、また王に相応しいと思っていたから。
子供の頃は、自分が相応しいと思った人が王になるのだと、そんな傲慢なことを思っていたのだ。
『私、大きくなったらロルと結婚するわ。だって、あなたが一番、王様に相応しいと思うんだもの』
本当は様々なことの能力が高いのに、何かとやる気を出さない彼を奮い立たせようと、リアはそんなことを言ったことがある。
頑張ってほしくて。
本気を出してほしくて。
能力があるならそれを隠さず、国のために使うべきだと思っていた部分もある。
でも結果は、彼を傷つけ、今のような彼にしてしまっただけだ。
ローランドが軽薄になってしまった責任の一端は、リアにあるということだ。
そのことをずっと後悔しているから、もう二度と失敗しないとリアは決めている。
それに今では、自分が王太子を選ぶなんておこがましいということもわかっている。
リアにできることは、王子たちがそれぞれ立派な王子になるための、ほんのわずかな手伝いをすること。
その結果、王太子が決まり、その人がリアを妻にと求めたなら、嫁ぐこともやぶさかではない。
今回の留学は、そういったことが決する前の猶予期間のようなものだ。
それがわかっているのは、きっとリアだけだけれど。
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