第一章 箱庭の子供たち3
翌日、リアは気合いを入れて訓練場に向かって歩いていた。
その日は念入りに装い、手には簡単に食べられるものと飲み物の入った籠を持っている。そして、突撃する時間はちょうどエーリクに教えてもらったお昼休みの時間だ。
エーリク曰く、アルトゥルは妻帯者や恋人のいる者がお手製の昼食を持参しているのを羨ましく見ているらしい。だから、今日は差し入れを持ってきたのだ。
それに今日は、いきなり訪ねるのではなく、あらかじめ手紙を書いてエーリクに渡してもらっている。昨日の非礼を詫びる内容と、今日も会って少し話したいということを綴った手紙だ。
エーリクの言うことを信じるなら、この呼び出しに応じるかどうかは五分五分だという。もし来てくれたなら、今日こそ確実に仕留めなければならない。
「カーリア、待たせたな」
「アルト様!」
訓練場から出てきたアルトゥルの姿を見て、リアはほっとして微笑んだ。そんなリアを見て、アルトゥルも表情をやわらげた。どうやら、昨日のことをそこまで引きずっているわけではなさそうだ。
「ごきげんよう、アルト様。昨日は、生意気なことを言って申し訳ありませんでした。それで、お詫びというわけではないのですが、今日は差し入れをお持ちしました」
「あ、ありがとう」
にっこり笑ってリアが籠を差し出せば、アルトゥルは照れた様子でそれを受け取る。
「どこか、木陰で食べるか。食事の休憩中なら、話を聞いてやれる」
「はい!」
アルトゥルに連れられて、少し歩いたところにある木陰に敷布を広げてリアは腰をおろした。ダニエラには、やや離れたところで待機してもらう。昨日のようにダニエラを騎士団に誘うという話のそらし方をさせないためにと、逢引っぽさを味わってもらうためだ。
面積の小さな敷布に腰かけると自然に距離が近くなり、そのせいでアルトゥルの頬が少し赤くなっているのがわかる。
(ここまでは、うまくいってるみたいね)
心の中でこっそり喜びながら、リアはアルトゥルにハムや野菜を挟んだパンやミートパイ、飲み物を勧めていった。
「昨日は、いきなりあのような話をして申し訳ありませんできた。でも、いろいろなことを考えて不安で、それでついあんな物言いになってしまったんです」
「不安とは、何が不安なんだ?」
しょんぼりと、しおらしくリアが話を切り出せば、すかさずアルトゥルは反応した。「かかった!」と思いつつもそれを顔には出さず、リアは続ける。
「私が不安なのは、魔術といった強大で得体の知れない力に対峙したときに、自分や周囲の者たちが何もあらがう術を持っていないのではないかということです。アルト様をはじめとした騎士様たちが日々鍛錬に励み、この国や私たちを守ろうとしてくださっているのは知っています。でも、魔術を使う者たちは空を飛び、火や水などを自在に操れるのだと聞きます。果たして、そんな人間離れした者たちに剣だけで太刀打ちできるのか……」
「それで、隣国の魔道学院に行くなどと言い出したのか」
アルトゥルの問いに、リアはうつむき気味に頷いた。
「父は、この国の未来のために私を差し出す気でいます。私も、国のためにグロヘクセレイで魔術を修めることはやぶさかではありません。必ず利益をもたらすと信じていますから。でも……不安なんです。たったひとり、異国の地で修行を積むのは辛いでしょうし、何より女の私だけでは心細いのです。だから、アルト様のような頼もしい方に共に行ってもらえればと思ったのですけれど」
きゅるるんと目を潤ませて、リアはアルトゥルを見上げた。
多少あざとくても、アルトゥルにはかわいこぶるのが有効だというのがエーリクの見立てだ。そして、彼の正義感に訴えるのが一番の攻略法だとも教えられた。
だからリアは、魔術大国を隣国に持つ怖さと魔術を学ぶ必要性をさりげなく示唆した。真っ向から伝えたのでは騎士団の存在を否定することになるし、また反発されるだけなのはわかっていた。
「そうか……そんなふうに考えていたんだな。昨日は、カーリアの不安を理解してやらなくて、すまなかった」
上目遣いで見つめるリアに、アルトゥルは真剣な眼差しを返してきた。
「それでは、あの……一緒に行っていただけるのですか?」
アルトゥルの言葉がどちらの意味なのかわからず、リアは尋ねる。それに対して、アルトゥルは力強く頷いた。
「やった! ありがとうございます! 嬉しいです」
本当に嬉しくて、リアは手を叩かんばかりに喜んだ。交渉がうまくいったということよりも、これで憧れの学びというものに一歩近づけたことが嬉しかったのだ。
エーリクの立ててくれた作戦通り、アルトゥルは落とせた。だから、ゆっくり喜んでいる場合ではないと、リアは立ち上がる。
「それでは、明日から入試に向けて魔術の特訓、頑張りましょうね!」
「えっ……」
喜ぶリアをまぶしそうに眺めていたアルトゥルだったけれど、その変わり身に面食らった。でも、リアはそんなことには構わない。
手早く食器と敷布を片づけ籠に放り込むと、そそくさと次の攻略対象のところに向かって駆けていった。
「テディ、ここを開けて」
リアが次に向かったのは、テオドルの部屋だ。正確にいうと、部屋に面した中庭の木の上。そこから窓をコンコンと叩いている。
「え? その声、リア……?」
「そうよ」
訝る声に返事をすれば、慌ててカーテンが開けられた。そして、テオドルは枝の上から身を乗り出しているリアを見て、心底驚いたという顔をした。
「ちょっと、何やってるの!? 危ないだろ!」
「平気よ。下に従者がいるもの。落ちてもちゃんと受け止めてもらえるわ」
「そういう問題じゃないだろ! 何しにきたんだ」
「魔術を見せにきたの。私ね、ちょっとだけ使えるのよ」
テオドルが窓を開けている隙にと、リアは魔術を実演してみることにした。彼を説得するには、まず興味を持たせなくては意味がないから。
「見ててね」
そう言ってリアは目を閉じると、左手の人差し指をピンと立てた。そして、気合いを入れて呪文を唱える。
「指先に星屑を」
使い慣れた魔術でも、人に見せるとなると緊張した。おまけに失敗できない。でも、リアの指先には無事に小さな光が灯った。
その光が浮遊してテオドルのところに飛んでいくのをしっかり思い浮かべて、リアはそれにふっと息を吹きかけた。すると、小さな光がまるで蛍のように飛んでいき、パチンと弾けて消えた。
「消えちゃった。もう少し長くもたせたかったんだけど」
「……これ、リアがやったの?」
「そうよ」
驚いて目を見開くテオドルに、リアは得意げに笑ってみせた。本当はすごくドキドキしているのだけれど、それを悟らせるわけにはいなかい。
「どう? 魔術ってワクワクするでしょ? 本当は箒に乗って飛んで現れたかったんだけど、まだそこまでのことはできなくて。独学じゃ、さすがに限度があるわね」
「きちんと学校で勉強すれば、飛べるようになるの?」
静かに、でも目をキラキラさせてテオは尋ねてきた。その表情を見れば、もう十分に引きつけられたことがわかる。興味を持たせることができれば、あとは何とかなるはずだ。
「そうよ。空だって飛べるし、火や水を自在に操れるようになるのよ。ちなみに、さっきのは光と風の魔術を応用したの」
「そうなんだ。……リアは、本を読んで勉強したの?」
「うん。でもね、翻訳本はほとんどないわ。ヴィカグラマルクは、そういった意味でも魔術に関して立ち遅れてるの」
「そうなんだね……」
十分に興味を持たせることはできた。でも、本を読めば十分と思わせてはいけないため、国外に意識を向けさせなければならない。
話に関心はあるようだけれど、まだ足りない。そう思い、リアはさらに畳みかけた。
「そういえば昨日、新作の構想がどうとかって言っていたけど、どんなお話を書いてるの?」
リアは、この末の王子が物語を書くのに夢中になっているのを知っている数少ない人間だ。ほとんどの人がこの王子は、部屋に閉じこもっているとしか思っていない。だから、彼の秘密を知る貴重な存在として踏み込んでみることにした。
「今は、冒険ものを書いてみたいと思ってるんだ。さすらいの剣士とかが出てくるような」
自分の創作物に興味を持ってもらえるのはやはり嬉しいらしくて、テオドルはほんのりと顔をほころばせた。
「すごく面白そうね! ねえ、その物語に魔法使いや魔術師は出てくる? 剣士を後方から支える仲間でもいいし、行く先々では立ちはだかる敵でもいいわ。出してよ! 冒険ものにそういった役どころって必要だと思うの」
楽しくてたまらないというように言えば、テオドルの瞳はわかりやすく輝いた。もしかしたら、今のリアの発言に何か着想を得たのかもしれない。「もうひと押しだ!」と思い、リアも目を輝かせる。
「魔道学院に行けば、魔法も魔術も学べるのよ。先生も本もそろってるし、何より学校にいる人みんなが魔法使いや魔術師よ。資料集めも取材もし放題ね」
テオドルを説得しているということをちょっぴり忘れて、リアは熱弁してしまった。魔法や魔術への思いは、演技ではなく素で熱く語れる。それがよかったのか、テオドルはしばらく考え込んでから口を開いた。
「学院には、すぐ入れるの?」
これはいよいよ本格的に興味を持ってくれたようだと、リアは内心で歓声をあげた。でも、それを隠して必要な説明をしておく。
「ううん。中途入学の試験があるわ。でも、たぶん形だけのものに近いと思うんだけど。厳しく審査してわざわざ落とすつもりなら、最初から他国の留学生を受けいれるなんて話にならないはずよ。恩を売る以外の利点はないし。しかも、うちみたいな弱小国に対して恩を売っても仕方がないわ」
「まあ、そうだね……じゃあ、リアと一緒に試験を受けて合格したらいいんだね」
「そうよ。明日から本格的に勉強しようと思うから、また誘いにくるわね」
言うだけ言って手を振ると、リアは枝を後ずさり、ゆっくりの木の幹を降りていった。無邪気で天真爛漫な幼馴染の登場を演出するために木の上にいたのだけれど、本当はあまり高いところは得意ではないのだ。しかも、木に登るのにまったく適していないので服装をしている。
「はあ……無事におりられましたわね。受け止められる自信はありましたけど、下で見ているのはやっぱり不安でしたわ」
「ごめんね」
待っていてくれたダニエラにもたれかかるようにしてリアは謝った。本人もハラハラしたのだ。その従者は余計にそうだっただろう。
「さて、次に行きますか?」
ダニエラはリアを横で支えながら、心得顔で言う。普通の従者なら、主人がこんな無茶をしたあとなら、すぐにでも連れ帰るだろうに。
「どうしようかしらね」
残るはローランドだ。彼の攻略法もばっちりエーリクから伝授されている。でも、リアは少し考えて首を横に振った。
「いいわ。図書館に寄って、それから帰ることにする」
「わかりました。では、参りましょうか」
腰が抜け気味のリアは、ダニエラに手を取られ、ゆっくりと歩いていった。疲れてはいるけれど、満たされた様子だ。明日からのことを考えると、自然と笑顔が浮かんでいた。
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