第一章 箱庭の子供たち2

 その日の夜、リアがしょんぼりとして本を開いていると、ドアがそっとノックされた。


「エーリク兄様」


 ダニエラによって部屋に招き入れられたのは、兄のエーリクだった。


「よっ」


 本来なら兄とはいえ、年頃のレディの部屋に夜に訪ねてくるのは感心できないことだけれど、エーリクはそういったことは一切気にしない人だ。


「アルトゥル殿下の説得に失敗したんだってな。その顔は、ほかの王子たちにもふられたんだな」

「……そんなにはっきり言わなくても」


 エーリクは、年頃のレディの心の機微というものに一切の配慮がなかった。どうしたものかとしょぼくれていたリアの心は、さらに落ち込む。


「いや、凹ませにきたんじゃないんだよ。俺はさ、男を説得するにあたってのコツを伝授してやろうと思って」

「コツ、ですか……?」


 勧められる前に椅子に座ったエーリクは、元気のないリアにニヤッと笑ってみせた。どうやら落ち込んだ妹をからかいに来たのではないとわかって、リアもエーリクの近くの長椅子へと移動した。


「カーリア、今日お前はどんなふうに殿下に話をしたんだ?」

「回りくどいのもどうかと思ったので、単刀直入にお話しました」

「あちゃー」


 エーリクは額に手を当てて、身体をのけぞらせた。その「失敗したな」と言いたげな大袈裟な反応にリアはムッとしたけれど、自分でも失敗した自覚はあったから文句は飲み込む。


「お前、ただ事情を話したんじゃ、説得じゃなくて説明だ。それじゃ、殿下たちの気持ちは動かせないだろうよ」

「じゃあ、どうすればよかったの?」

「カーリアは正直すぎるんだよ。それでも、この国の宰相クラース・アールステットと美貌の才媛エルヴィーラの娘なのか? ――もっと頭を使うんだ。そして、男心をくすぐりにいけ」


 エーリクは人差し指でこめかみをコンコンと叩き、ニヤリと笑った。母エルヴィーラの美貌は長兄が受け継いだけれど、こうして見ると父似のこの次兄もなかなかに男前である。そんな兄に「男心をくすぐりにいけ」と言われ、リアは心持ち前のめりになった。


「その男心とやらは、どうすればくすぐれるんですか? ぶりっこですか?」


 自分の弱点が可愛げのなさだと自覚しているから、リアの口調はついすねたものになる。

 母のエルヴィーラを見ていれば、愛らしい女性でいるというのがひとつの技術であることはわかる。ただ美しく生まれつくだけでは足りない。気づかいと観察力と演技力がいる。異性を魅了し、同性に敵を作らないというのは、並の努力でできるわけではない。


「ぶりっこといえば、たしかにぶりっこだな。でも、ただ可愛いぶるだけじゃだめだ。カーリアに今回足りなかったのは、相手の気分をよくしてやろうっていう、言ってみればもてなしの気持ちだな」


 むっつりと面白くなさそうな表情をしているリアの頬をつついて、エーリクは諭すように言う。


「今日お前は、自分の話をしにいっただけだよな? 父上に言われて、その内容をそのまま伝えに。それじゃだめなんだよ。その話に乗ることで相手にどんなうまみがあるか説明しないと。それが交渉の基本な」

「……じゃあ、父様の本当の目的は王子たちのグロヘクセレイ留学で、私はおまけってこと?」

「そういうことだ」


 エーリクから話を聞いて、リアはようやく自分が見落としていたことに気がついた。よく考えれば、国をあげての一大計画であるのなら、その中心が王子なのは当然のことだ。でも、クラースの話しぶりではまるでリアの留学がメインで、王子たちはそのための試練か、もっというのならついでのように聞こえた。


「さすが父様。すっかり騙されてたわ」

「でも、悪い気はしなかっただろ? 父上の目的は、殿下たちをグロヘクセレイに送り込んで使い物になるようにすること。その説得役にお前を使えば効果てきめんなのはわかってるけど、ただ頼んだんじゃ当然、お前は動かない。というわけでお前にも留学許可が出たってわけだ」

「うぅ……私って、馬鹿なのかしら」

「おい。俺の妹が馬鹿なもんか。カーリアはまだ子供で、裏を読むことになれてないだけだ」


 あまりにも父の手のひらで踊らされていることに気づいて、リアは激しく落ち込んだ。エーリクは、そんな妹の髪をくしゃくしゃと撫でる。


「説明するだけじゃだめだ。ただ頼むだけでも。相手が喜ぶことを言わないと。……このあたりの交渉術や駆け引きを、母上はお前に教えたいんだろうけど、お前はこれまで知らんぷりをしてきたもんな」

「うー……」


 痛いことを言われ、リアは思わず両手で耳を覆って首を振った。エーリクの話を聞きながら、エルヴィーラならきっとうまくやるだろうと思っていたのだ。クラースの交渉相手を彼女が先にお茶会などでもてなし、懐に入り込んでおくというのはよくやることだ。それこそがリアによく言う、「女には女の政治への参加の仕方がある」というものなのだろう。

 母が伝授しようとしているのにこれまで拒んできたものが必要な場面に直面し、リアは自分に腹が立っていた。

 でも、己の浅はかさを悔やんでばかりいても仕方がないとも、わかっている。


「本当はお母様に頼んで素晴らしい交渉術を仕込んでもらうべきなのはわかってるんだけど、頼んだら最後、本当にみっちり仕込まれちゃうと思うの……だから兄様、今回は私に知恵を貸して! お願い!」


 自分の力不足を自覚したら、素直に誰かを頼ることが大事だとリアはわかっている。

 ペコリとした頭を上げてエーリクを見ると、微笑んではいるけれど、まだ満足していないのがわかった。その表情を見て、まだ足りないのだなとリアは理解した。だから、小首をかしげて思いきり可愛い顔をしてみせる。


「あのね、こんなことはブルーノ兄様には頼めないんだよ? 頼れるのは、エーリク兄様だけなの。……だめ?」

「はい、合格ー! いや、あざといけどいいや。ツボは押さえてた。ちゃんと、俺が何を言われれば喜ぶか考えたんだもんな」


 リアの不慣れなかわいこぶりっこを、エーリクはお腹を抱えて笑った。笑いすぎて目尻から涙までこぼしている。でも、ひとしきり笑うと、力強くうなずいた。


「よし、お兄様に任せとけ。殿下たちのおとし方、しっかり教えてやるよ」


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