第一章 箱庭の子供たち1

(やってやろうじゃないの!)

 クラースから話を聞いた翌日。

 さっそく朝からリアは、気合いたっぷりに歩いていた。


『殿下たちには魔道学院のことも、試験のことも話していないからね。彼らに事情を説明して試験に臨ませるのも、お前の役目だよ』


 クラースには昨日、のほほんとした笑顔でそんなことを言われてしまった。国をあげての一大計画などと言いながら、ほとんどリアに丸投げということだ。

 内心かなり憤ったリアだったけれど、魔術を学ぶためだと割り切ることにした。

 縁組みのことは、とりあえずおいておくつもりだ。大事なのは、まず試験に合格すること。そのためだけに、リアはバカ王子たちを何としてでも説得しようと考えている。


「一番最初は、アルト王子よ!」


 順当に長男から攻略していこうと、鼻息荒くリアは騎士団の訓練場に向かって歩いていた。


「よっ、カール! ……今はカーリア嬢か」

「エーリク兄様!」


 訓練場の前までやってくると、運良く見慣れた顔に出会うことができた。リアがきちんとドレスを着ている姿がおかしいのか、次兄のエーリクはニヤニヤしている。


「今日は図書館はいいのか? 俺の弟のカールは勉強熱心で自慢の子なんだよなあ」

「……いつもお世話になってます」


 男装をして取り繕っているといっても、リアが城内にすんなりいつも入ることができるのはエーリクのおかげだ。衛兵に三男坊のことを尋ねられれば口裏を合わせてくれているし、「うちのカールはさ……」などと周囲に弟の存在をちらつかせてくれている。知っている人が聞けばお転婆な妹を茶化しているのだと思うし、知らない人が聞けば弟がいるのだと思うだろう。

 そのおかげで今のところ、リアの図書館通いが母たちの耳に入ることはない。


「で、今日はどうしたんだ? まさかお兄様に会いに来たってわけじゃないだろ」

「会えたのは幸運だったけど、用があるのは兄様にじゃないわ。アルト王子にお会いしたいんだけど、中にいらっしゃる?」

「あーはいはい。俺、ちょうど休憩終わるから、呼んできてやるよ」


 妹にきっぱり用はないと言われても、エーリクに気にした様子はない。爵位を継がない次男の彼は、医者か学者になれと言われていたところを騎士団に入ってしまった人だ。頭を使うより身体を動かす方がいい、と。だから人に言われたことをいちいち気にしたりしない。

 エーリクが騎士団の訓練場の中に入っていってからしばらくして、すごく慌てた様子でアルトゥルが走り出てきた。


「ま、待たせたなっ!」

「い、いえ」


 呼吸の乱れこそ大してないものの、手の甲で汗をぬぐい、頬を上気させる様子は何だかおかしい。


「お呼びたてして申し訳ありません」

「いや、いいんだ。エーリクが走ってきたときは驚いたが、カーリアが私に会いたくて訓練場の戸を叩いて今にも泣きださんばかりと聞いて、急いで来た次第だ」

「そ、そうなんですか……ありがとうございます」


 おのれエーリクめと思ったけれど、リアは上品な笑みの下にそれを押し隠した。アルトゥルは困っている人に弱い。だから、エーリクの呼び出し方は間違っているわけではないのだ。それに、自分を頼ってリアが会いに来たと聞いて嬉しそうにしているアルトゥルを見ると、水を差すのも申し訳なくなる。

 それにしても、アポなしでこうして王子と会えてしまうこの国ってどうなの?とリアは思う。警備の面でも気持ちの面でも、この国は緩すぎやしないかと心配になる。でも、そのおかげで面倒な手続きを踏まずに面会できるわけだけれど。


「それで、用があったのだろう? 私にできることなら力になるぞ」

「え、えーっと……」


 リアがどんな頼みごとをしてくるのだろうと、アルトゥルは期待に満ちた眼差しを向けてきた。

 男として、騎士として、乙女に頼られ活躍したいという願望をアルトゥルが持っていると知っているリアは、複雑な気持ちになる。用件を話せばこのキラキラした目から光が失われるのはわかるけれど、話さなければ前には進めない。

 だから少し悩んで、リアは思い切って口を開いた。


「あの、アルトゥル殿下。今日はお願いというよりお話があって参りました」

「何だ、そんなにあらたまって。それに殿下はいらない。子供のときのようにアルトでいい」

「では、アルト様……」


 リアのかしこまった物言いに、アルトゥルも少し緊張している様子だ。でも、その目から期待の色は失われていない。

(ごめんなさい! そんなにキラキラした目で見られても、魔物にさらわれた友人を助けてとか、伝説の宝石を一緒に探しに行ってとかじゃないのよ……!)

 子供の夢を打ち砕くようでつらいけれど、相手は十九歳だ。もういい大人だから大丈夫と言い聞かせ、リアはアルトゥルをしっかり見つめ返す。


「アルト様に、私と一緒にグロヘクセレイの魔道学院に行ってもらいたいんです! 父から、中途入学の試験に合格したら留学していいと許可をもらったのですが、その条件がアルト様たちも一緒に勉強して合格するというものなんです!」


 包み隠すことなく、正直にリアは事情を話した。

 国をあげての一大計画だなんだといっても、リアにとっては結局自分のことだ。だから、自分が勉強するためにアルトゥルたちを説得する必要があるのなら、それがリア自身の都合であることを言っておくのが誠実だろうと考えたのだ。

 でも、あまりに正直すぎたからか、アルトゥルは苦い顔をしていた。予想通り、目から光は失われている。


「勉強、か……私には不要なものだな」


 ふっと、遠い目をしてアルトゥルは言う。ここで引いてなるものかと、リアは畳みかける。


「そんなことはありませんよ! アルト様、勉強がお嫌いだからって、不要なだなんて言ってはいけません。騎士として戦うには戦略も必要です。戦略には知識がいる、知識をつけるには勉強です!」

「あああー聞こえないー!」


 勉強が不要だという主張を打ち砕こうと正論をぶつければ、アルトゥルは耳をふさぎ大声を出してリアの声から逃避した。そのあまりにも子供じみた行動に、たまらずリアは閉口する。


「ところで、カーリアの従者よ。騎士団に入ってその体格を活かさないか?」


 リアが口をつぐむと、アルトゥルはキリッとした表情に戻り、空気のようにリアに付き従っているダニエラに声をかけていた。


「ちょっと! アルト様、そんなことより入試の勉強のことを……」

「では、私は剣の道を極めねばならないから、もう訓練に戻る」


 リアが再び口撃をしかけようとすると、やってきたときよりも素早い動きでアルトゥルは訓練場の中に戻っていった。


「ああ、行っちゃった……」

「スカウトされちゃいましたわ」


 リアとダニエラは肩を落とし、頬に手を当ててうなだれた。ダニエラは今日はきちんと男装しているのに、乙女らしいリアの仕草とシンクロしているのがおかしい。そのことに気がついて、下向きになっていたリアの気持ちは少しだけ持ち直した。


「落ち込んでても仕方ないわね。次、行きましょうか」

「はい、リア様」


 気合いを入れ直し、リアはダニエラと連れ立って次の目的地に向かって歩きだした。



 次男・ローランドを攻略しようと、リアは城の中庭を歩いていた。

 取り次ぎを頼もうと城の使用人に尋ねると、中庭でお茶をしていると言われたのだ。

 よく手入れの行き届いた庭は春の訪れを喜ぶように様々な花が咲き乱れている。ただ眺めて歩くだけでもウキウキするその美しい景色の中を歩くリアは、むっすり顔だ。


「リア様、笑顔ですよ」

「……憂鬱なのよ」


 お茶をしているというのなら、ローランドがいるのは東屋だろう。その東屋の光景を想像して、リアの表情はどんどん険しくなっていく。ローランドが、たったひとりでお茶をしているわけはないから。


「見てよ、あれ……」


 東屋が見えてきたところで足を止め、リアは思いきり顔をしかめて指差した。その先にあるのは、女性を侍らせ楽しそうにしているローランド王子の姿。


「心の準備をしてきたつもりだったけど、目の前の光景が想像を上回ったときって、どうしたらいいのかしらね」


 せいぜい二、三人の女性たちを侍らせているだけだろうと思っていたのに、ローランドを囲む女性の数は五人。王城に行儀見習いのために勤めに来ている若いご令嬢から、王妃付きの侍女までいる、女性たちは皆一様にとろけたような表情でコロコロと笑っている。そしてローランドも、その中心で楽しげな様子だ。


「目の前にあるものを、そのまま認識するしかありませんわね」

「……そうね」


 東屋の様子に呆れ気味のダニエラに背中を押され、リアは妙に華やいである東屋へと近づいていった。


「やあ、リア。君もお茶会に混ざりに来たの?」


 リアが声をかけるよりも早く、気がついたローランドが手を挙げて微笑みかけてきた。それはそれは嬉しそうに見えるその笑顔を見て、さすがタラシだわとリアは渋い気持ちになる。


「お茶をしにきたのではなくて、お話があって参りました」


 このふわふわとした桃色の空気に流されてなるものかと、リアは努めて硬質な声で話を切り出した。その真面目な様子をさすがに茶化すことはできなかったのか、ローランドも心持ち表情を引き締める。


「カーリア嬢が大事な話があるみたいだから、今日のお茶会はここまでにしよう。みんな、またね」

「では、また。ローランド様、ごきげんよう」


 ローランドが笑顔で散会を告げると、女性たちも笑顔でそれに応じた。楽しい時間を邪魔してしまったリアに対しても、彼女たちは嫌な視線を向けることはなかった。そうやって侍らせる女性たちの感情を制御できているあたり、ローランドは本当に天性のタラシだなあとリアは感心した。


「それで、リアはどんな用事で来たの? もしかして、結婚の申し込みだったりして」


 感心したのも束の間。ふたりきりになった途端、甘さ増し増しでローランドは囁きかけてきた。話をするために仕方なく隣に腰かけたリアは、のけぞってそれを避ける。


「残念ながら、私からあなたに結婚を申し込むことはないわ」

「本当に残念だなあ。別に王位継承権なんてどうだっていいけど、君のことは欲しいんだけどなあ」

「私を得た者が、もしくは私に選ばれた者が王太子になるんですよ。つまり、王位継承権がいらないということは、私のこともいらないということですよね」

「そうなのかなあ」


 リアの嫌味が響いた様子はまるでなく、ローランドは榛色のきれいな目を細めて微笑んでいる。この甘い顔立ちや柔らかな声に女性は軒並みメロメロになるらしい。でも、リアはこの軽薄な感じが好きではなかった。


「殿下には、グロヘクセレイの魔道学院の入試を受けていただきたいんです。私も、アルトゥル様もテオドル様も一緒なんですけど」

「へえ。俺たちも一緒に合格することが、リアが留学を許される条件ってわけなんだね?」

「う……そうです」


 リアは、甘い空気に流されてなるものと話を切り出してみたけれど、伏せていた情報まで言い当てられてギクリとする。

 ローランドは人あしらいがうまいぶん、相手の心を読むのにも長けていることを忘れていた。


「リアの願いを叶えてあげたいのはやまやまなんだけどねえ」


 にんまりと、ちょっと悪い顔をしてローランドはリアを見つめる。隠していたことを言い当てられた気まずさと相まって、不覚にもドキッとしてしまった。

 アルトゥルのように真っ向から拒絶していないから、もう少しきちんと話せば承諾してくれるだろうかとリアは期待した。何か、ひと押しがあれば「いいよ」と言ってくれそうに思えたのだ。でも、笑みを浮かべたままローランドは首を横に振った。


「そこにロマンがあるの? たくさんの女の子たちと楽しく過ごすようなときめきがないなら、俺は絶対にやらないよ」


 ローランドはグッと顔を近づけたかと思うと、チュッと音を立ててリアの前髪に口づけた。そして、ひらりと立ち上がる。


「殿下!」

「もー、まずその呼び方がなってないよね。……俺に言うこと聞いてほしかったら、もっと可愛くおねだりしてごらん?」


 そう言うと、ローランドはひらひらと手を振って去っていってしまった。追いかけたかったけれど、リアはすぐには動けなかった。前髪にキスをしたのは、おそらくそれを考えてのことだったのだろう。


「リア様、ケモノは去りましたわ! もー、何なんですの!? あの方は女性とあらば誰でもあんなことをするのかしら? 信じられませんわ!」


 ダニエラは懐から取り出したレースのハンカチでリアの前髪を拭きつつ、猛牛のように怒っていた。リアはしばらく怒りと執着で混乱していたけれど、自分の従者が一生懸命怒ってくれたことで冷静になれた。


「大丈夫よ、ダニエラ。次、行きましょう」


 助けを借りながら立ち上がり、リアは次の目的地へと歩きだした。



 中庭から再び城へと戻ったリアは、ある一室に通されていた。

 本や地図、天球儀などたくさんの物が雑多に、でも不思議な秩序を保って並べられている部屋。第三王子・テオドルの部屋だ。

 使用人に取り次いでもらうと、テオドルはすんなり自室に通してくれた。そして、お茶とお菓子の用意が整うと、「少し待ってて」と机に向かった。

 アルトゥルとローランドのところに突撃してふられて疲れていたリアは、出されたお茶にほっとして、ありがたくお菓子をいただいていた。でも、喉が潤い、甘いお菓子に疲れがすっかり癒やされた頃になってもこちらを振り向かないテオドルに不安になってくる。


「あの、テオドル殿下。今、お話してもよろしいですか?」


 真剣な様子で机に向かって何かを書き散らしているテオドルの背中に、リアはおそるおそる声をかけてみた。その声にテオドルはピタッと動きを止めたけれど、すぐにまた手を動かしはじめてしまう。


「手を動かしながらでもいいので、聞いていただきたいんですけど」

「今、忙しいんだ」

「殿下、そう言わずに、ちょっと耳を貸してください」


 やっと応答してくれたことに安堵してリアが席を立って近づいていくと、机に向かったままのテオドルは首だけで振り返った。その愛らしい顔には、不満そうな様子がありありと浮かんでいる。


「久しぶりにリアが会いにきてくれて嬉しかったから部屋に入れたのに……そんな変な呼びかけをしてくるってことは、どうせ僕にとって面白くない話なんでしょ?」

「う……面白くないかどうかは、わからないですけど」


 早くもご機嫌を損ねてしまい、リアは焦った。テオドルは三兄弟の中で機嫌を損ねると一番厄介だし、興味がないことにはとことん興味がない。


「私と一緒に、グロヘクセレイの魔道学院を受験してほしいんですけど。あの一流の学校に、特別に中途入学で入れることになったんです」

「面白くない!」


 テオドルが自分のほうを向いているうちにと用件を告げたリアだったけれど、興味を引くことができなかった。それどころか、さらに機嫌は悪くなり、また背を向けられてしまった。


「魔術が学べるんですよ? この魔道学院は、魔術も魔法も魔術工学も学べる、すごいところなんですよ?」

「興味ない! 僕は今、新作の構想で忙しいんだ!」


 再びこちらを振り向かせようと、リアは努めて楽しそうな声で話しかけてみた。元々、テオドルは知的好奇心が強い。だから、うまくやれば兄達とは違って攻略できないこともないだろうと思ったのだ。

 でも、それからどれだけリアが声をかけても、テオドルが振り返ることはなかった。無視して手を動かすうちに、本当に没頭してしまったらしい。

 だから仕方なく、リアは城をあとにした。昨日、クラースから話を聞いてみなぎっていたやる気は、今はすっかりしおしおにしぼんでしまっていた。


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