序章 乙女は学びの道をゆく2

 ダニエラと共に大急ぎで屋敷に戻ったリアは、メイドたちに手伝われて上品なドレスに着替えた。

 令嬢として身だしなみが大事なのは当たり前なのだけれど、父・クラースの前に出るときはいつも以上に着飾る必要がある。


「ピンクでリボンたっぷりで、ばっちり旦那様好みのご令嬢ですわね」


 用意を整え衣裳室から出てきたリアを見て、ダニエラが請け合った。彼もクラース同様、装飾過多な装いを好む。

 ダニエラの場合、自身が着られない分、主人であるリアを可愛くしたいという気持ちなため、娘を着飾らせたいクラースとは若干目線が違うのだけれど。


「さあ、旦那様がサロンでお待ちですよ」

「……正直、気乗りがしないわ」


 ダニエラにうながされて部屋を出たリアは、歩きながら溜息をついた。


「お父様がご機嫌で持ってくる知らせなんて、私にとっていい知らせだったことなんてないもの。どうせまた王子の誰かとお茶をしろとか言うのよ」


 クラースはエルヴィーラとは少し異なる望みを、リアに対して持っている。それは、三人いる王子の誰かの元に嫁いでほしいというもの。

 この国は王太子――つまり王位継承第一位の立場の者――を定めていない。だから第一子から順に、第一王子、第二王子、第三王子と呼ばれている。

 王太子を定めていないのは、子供全員を分け隔てなく扱い、優秀な人物に育てるため、というのが表向きの話だ。

 クラースと王は、リアを射止めた者あるいはリアが選んだ者を王太子にしようと考えている。

 でも、リアは誰のところにも嫁ぎたくない。なぜなら彼らが誰も王太子に定められていないのは、実際は甲乙つけがたいダメ王子だからだ。


「王子様とお茶できるなんて、素敵じゃありませんか。とりあえず、見目麗しいですし」


 うっとりと乙女チックな仕草でダニエラは言う。そんな彼を、リアは冷めた目で見つめた。


「いくら顔がよくてもね……本を読んでるほうが有意義だわ」

「殿方とおしゃべりするより本を読むほうが好きなんていうのが、リア様の可愛いところだと、わたくしは思いますわ」


 リアの色気のない発言にも、ダニエラは笑顔を絶やさない。主人贔屓だなあと呆れつつも、それがリアは嬉しかった。

 ダニエラは、リアが女性としての嗜みや年頃の女の子としての喜びより学びを優先させることに対する、数少ない理解者だ。


「失礼いたします」

 とりとめもない話をしているうちに、サロンについてしまった。ノックをして、リアは中へと入った。


「カーリア、待っていたよ」

「ごきげんよう、お父様」

「今日も愛らしいな」


 淑女らしく挨拶をすると、クラースの表情がデレッと崩れた。愛らしい装いで淑やかな仕草をするとすぐにこの父はデレデレするのだけれど、それにしても今日はそれが顕著な気がする。機嫌がいいと言っていたダニエラの言葉は、どうやら本当らしい。


「今日も美容のために馬に乗っていたのだろう? まずはお茶を飲んで喉を潤しなさい」


 席についたリアに、クラースはニコニコとお茶を勧める。たしかに喉は渇いていたけれど、すぐに本題に入らないことにリアは不安を覚える。これはきっと、リアにとって面白くない話をするためだ、と。

 その後もクラースはお菓子を勧めたり、手ずからお茶のおかわりを注いだり、とにかくリアの気分をよくさせようと甲斐甲斐しかった。これが普通にお茶をしているときなら、リアも父のその優しさを素直に受け止めることができただろう。

 でも、話があるからと呼び出された上でこんなふうにされると、逆に身構えてしまう。


「あの、お父様。私に何かお話があるのでしょう?」


 三杯目のお茶がカップに注がれたところで、ついにリアは痺れを切らした。いつまでものらりくらりとされていたのではたまらない。それに、どれだけご機嫌とりをされても、きっとクラースの話はろくでもなくて、首を縦には振れない。

 だから、自分から話を切り出した。


「おお、そうだったな。可愛い娘とお茶を飲むのが楽しくて、つい本題を忘れていた」


 ハッハッハと笑うクラースを、リアは冷めた目で見た。その笑いがますます怪しいんだけど、と心の中でつっこみながら。

 そんな娘の冷たい視線には気がつかない様子で、クラースはカップに口をつけてお茶を飲む。それから優雅にその香りを楽しむように深く息を吸ってから、ようやく口を開いた。


「カーリア、お前を学校に行かせようと思うんだ」

「……え⁉」


 父の口から発せられた言葉があまりに突飛で、リアは聞き間違いかと思った。

 学校に行くとは、つまり勉強するということ。勉強とは、リアがずっとしたかったことだ。何の不都合もないじゃないかと、思わず手放しで大喜びしてしまうそうになる。


「行き先はグロヘクセレイの魔道学院だ。まずは中途入学の試験に合格しなくてはならないが、カーリアならきっと大丈夫だろう」

「魔道学院……ということは首都にあるという、あの大きな学校ですね?」


 学校は学校でもただの学校ではなく、魔術大国グロヘクセレイの魔道学院と聞いて、リアは喜びの色が浮かぶのをもう隠すことができなくなった。

 首都の魔道学院といえば、魔術も魔法も魔術工学も学べる場所だ。本来、魔術と魔法は似て非なるもので、そのため相容れない。それをとりまとめてひとつの場で学ばせるのは思想的にも啓けているし、何より教師もそろっているということだ。

 首都に魔道学院があるのではなく、魔道学院があるところが首都なのだといわれているほど、学院はグロヘクセレイの中心なのである。

 そんな場所で学べるかもしれないということに、リアはすっかり舞い上がっていた。

 学ぶこと、特に魔術に関心があるリアとしては、またとない機会だ。

 でも、そのあまりにも良すぎる話に、しばらく喜んでから冷静になった。


「……お父様、試験に合格する以外に、どんな条件があるんですか?」

 これだけおいしい話なら、どんな無理難題をふっかけられてもおかしくない。

 もしかしたら、留学前に王子の誰かと婚約しろとでも言われるのかもしれない。

 王は、信頼する宰相であり古くからの友人であるクラースの娘を王子妃に欲しいと思っている。そしてクラースはとにかく王子の誰かに嫁がせたいと思っているのだ。

 でも、リアには王子に嫁ぎたいという夢もなければ野心もない。


「まあ、そう構えなさんな。そんなに難しいことを頼もうというんじゃないんだから」

「やっぱり、何かあるんですね」


 穏やかな笑みを浮かべたままのクラースを見て、自分の父ながらやっぱり食えない男だとリアは心の中で唸った。いくら平和な国とはいえ、見た目通りの男なら宰相など務まらないだろう。


「学院に行く条件は簡単だよ。王子殿下たちを指導して、彼らも試験に合格させることだ」


 にっこりと笑って、こともなげにクラースは言い放った。そのあまりにも軽い言い方に瞬時に理解が及ばず、少し遅れてリアは声を上げた。


「えー⁉ 無理です! お父様、それはあんまりです!」


 せっかくの希望が打ち砕かれ、リアは涙目になった。まだ誰かと婚約させられるほうがましだった。

 王子たち三人を試験に合格させるより、愛馬のディアナに「お前はペガサスなのよ」と催眠術をかけ、空を飛ばせるほうが現実的な気がする。


「おいおい。馬にペガサスと思い込ませるほうが簡単だっていうのは、さすがに言いすぎじゃないか。殿下たちもカーリアが頼めば、きっと一生懸命に勉強してくださるさ」


 あまりにショックを受けていたため、リアの心の声はすべて口から漏れていた。その声を聞いても、クラースは朗らかに笑っている。


「未来の夫を教育すると思えば、お前にとっても損はないだろう?」

「未来の夫って……」


 無事に魔道学院に行けるようになったとしてもその予定は変わらないのかと、リアの心は重くなった。

 王子たち三人はダメなだけでなく、おバカなことも関係者たちの間では有名だ。自分より賢い人の妻になりたいリアとしては、彼らとの結婚は絶対に嫌なことだった。


 第一王子であるアルトゥルは、剣術バカだ。

 三度の食事より稽古が好きで、頭を使うことより身体を動かすことを好む。幼少の頃から家庭教師との勉強より騎士団の訓練場に出入りすることのほうが熱心で、連れ戻しにきた家庭教師に対して「私に剣で勝ったら真面目に勉強してやる」と言ったという逸話は有名だ。


 第二王子であるローランドは、おバカというより女好きが過ぎる。

 兄のアルトゥルと一緒で勉強嫌いでしょっちゅういなくなるのだけれど、彼の場合はお茶会などの女性たちの集まりを覗けば必ず発見できると言われている。試しにと彼の勉強を女家庭教師に任せてみたところ、やる気になるどころか彼の美貌と口説きテクニックによって教師のほうが使い物にならなくなったらしい。十歳のときの出来事だ。


 第三王子のテオドルは、一見すると兄たちのような欠点はない。

 おとなしく寡黙で、問題行動はないように見える。でも実際はボーッとしていることばかりで、そのくせ自分の興味のあるものに出会うとそれに没頭してしまう。熱心に本を読んでいるからそっとしておいてくれと言って、放っておけば寝るのも食べるのも疎かにする子だ。


 そんな問題王子たちと、リアは幼いときから交流させられているのだ。だから欠点も、彼らといる大変さも、嫌というほど知っている。

 ピクニックをしようとアールステット家の領地の森へ出かけたとき、アルトゥルは騎士ごっこをするといって木の枝を振り回すし、ローランドはやたらとリアにくっついてふたりきりになろうとするし、テオドルは鳥の巣が気になったらしく木に登ってずっと降りてこなかった。

 親同士が信頼しあっているというだけで、子供同士の交流も否応なしに続いていく。このピクニックの逸話は彼らの起こしてきた困った出来事のほんの一部で、似たような話をすれば枚挙に暇がない。

 年齢が上がってからは集まって出かけるようなことはほとんどなくなったけれど、たまに王妃主催のお茶会に顔を出せば彼らにも会う。でも、会うたびに成長しているとも立派になっているとも思えない。

 そして王子としての、いずれ国を統べる者としての自覚があるようにも見えない。

 そのことが、リアは何より嫌だった。

 彼らのことを異性として想うことはできなくても、国を統べる者としての強い意志を持っているのなら、伴侶としては選ぶことができただろう。

 リアだって公爵令嬢として、伴侶選びは恋愛感情に重点を置くべきではないとよく教え込まれている。重視すべきなのはいかに家のためになるか、そして相手にも利益をもたらせるかという点だ。

 ……その点でいえば王子たちとの結婚は悪くないけれど、それでもまだ納得したくないのだ。


「そんな、この世の終わりのような顔をしなくてもいいじゃないか。さっきまであんなに喜んでいたのに」


 用件を告げて気が楽になったのか、クラースはより一層のほほんと笑っている。それは、リアが絶対に断らないという自信があるからだ。いつだってこの柔らかな物腰と穏やかな雰囲気で、様々な相手にも要求を飲ませてきたのだ。

 穏やかさの奥からにじみ出るその自信に圧され、リアは何も言えずにいた。

 試験があるとはいえ、こうして話を持ってくるということは、グロヘクセレイとの間では留学生を受け入れることは決まっているに違いない。それなら、この話に乗らない手はない。魔術の本場、しかも一流の学校で学ぶ機会など、こうしてお膳立てしてもらえなければ絶対に得られなかったのだから。


「これは、ヴィカグラマルク王国をあげての一大計画なんだ。優秀な人材を選んで留学させるわけではなく、わざわざ殿下たちを隣国へ行かせる意味を考えてほしい」

「……はい」


 国のためだと言われれば、さすがに頷くしかない。父の手の上で転がされているようで癪だったけれど、リアは渋々承諾した。

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