しゅうまつ
田原かける
しゅうまつ
桜も散り、木々からは少しずつ夏の香りが感じられる季節になったけれど、今夜は駅に吹き込む風が少し冷たかった。
今年で社会人三年目になる。三年目になったからといって別に何も変わらない。出世する訳でもないし、仕事が減るわけでもない。後輩も入ってこないのでいつまでも僕が一番下っ端。
朝起きて、毎日あまり変わることのない作業をこなし、周りが帰り始めたら帰る。今まで続けてきたこんな日常をこれからも続けていくのだろう。
もちろん不満なんていくらでもある。上司に嫌みを言われることなんて日常茶飯事だし、本来彼らがすべき分の仕事も僕に回ってくる。
あの薄毛集団が定時で帰る時の表情といったら、机に置いてある会社のパソコンの画面を割っても文句を言われないくらいの顔をしてる。もちろんそんなこと出来るわけもないので、満面の笑みで「お疲れさまです」ときちんと言ってあげてる。心の中で、帰り道に財布を落とす呪いをかけてるのは秘密。
今日は金曜日だけど、金曜日の顔が一週間の中で一番腹が立つので、犬のふんを踏む呪いも追加してやった。
目の前では、他人には目もくれず、一直線に家を目指す人々の群れがぞろぞろと移動している。
いつもなら、僕もこの群れに加わっているところだけど、今日はこの後高校時代からの友達と飲みに行く約束をしているので流れの外にいる。こんなに人が多いと待ち合わせも一苦労だ。そのため、このよく分からないポーズをしている銅像の前が定番の待ち合わせ場所となっている。実際僕以外にも誰かを待っているだろう人が何人も銅像の足下にいる。七時に集合という事になっているが、三分前になっても姿が見えない。
仕方なく、スマホのロックを解除し、青地に白い鳥のアイコンをタップする。
いつも通り、出てくるニュースは明るいものなんてほとんど無い。誰かが不倫したとか、薬物を使っていたとか、そんなのばっかりである。少しうんざりしつつスクロールしていると、ある衝撃的を発見してしまった。
「五月三十日、世界が滅亡する」
今日は五月二十六日金曜日であるので、どうやら滅亡までの最後の週末であるようだ。
とはいえ、この類いの、「なんとか文明」の予言を根拠にした世界滅亡の予言は毎年何回か話題になるし、見慣れた光景である。
もちろん一回も当たったことはないし、その日に大きな災害が起きたこともないので、真に受ける人なんてほとんどいないと思う。どうせ五月三十日はいつも通り終わり、いつも通り次の日が来るだけである。半年後あたりには、新たなXデーが発表されることであろう。よくもまあ、毎度毎度こんな根拠を見つける事やら。
少し喉が乾いたので鞄の中に入っている昼に買ったコーヒーを取り出した。ミルク、砂糖たっぷりの周りからはカフェオレと言われてしまいそうな甘いやつ。
そんなこと言われてもブラックは飲めないし、カルピスみたいなジュースを買うのも、スーツを着ているとなぜか少し恥ずかしいので仕方なくこれをいつも買う。こんなところで大人ぶることなんて別にないのだけど。
一口飲んで、ふう、と息を吐く。
目の前の人の群れは途絶える様子はない。人の多さに改めて感心する。
また一口飲んで、同じように息を吐く。
時刻は七時三分。待ち合わせの時間から三分過ぎている。万が一、本当に世界が滅亡するとすれば、会えるのはこれで最後かもしれないのに、本当にのんきな奴らだ。心の中で少し文句を言ってみる。五分くらいの遅刻なんていつものことだし、対して気にしてないけど。
二分後、見慣れた顔ぶれが同時に改札から出てきた。二人とも職場が違うのでたまたま合流したのだろう。くたびれたスーツに身を包み、ネクタイは少し緩めている格好がまさに仕事帰りのサラリーマンって感じだ。僕も含めて、駅にいる人の半分以上はそんな格好をしてる。
「わりいな、ちっと遅れた。金曜だし混むに前に早く行こうぜ。」
悪そびれる様子もなくそう言ったのは、身長が高く、さっぱりした顔立ちの巧だ。髪をワックスで固めているのでいかにも仕事が出来そうな雰囲気がある。
「ほんとだよ。めちゃくちゃ待ったから今日の支払いは二人でよろしく。」
待ちくたびれたように演技しながら言った。十分位しか待ってないし本当に奢らせるつもりはないんだけどね。言いたかっただけ。向こうもそう思ってるはずだ。
「おう。エリートサラリーマンの巧がばっちりはらうぜ。」
調子良くそう言ったのはお調子者の健太だ。口は達者だけど、意外と純粋。
三人そろったのでいつも利用する居酒屋に移動し始める。週末であるから満席になってしまう可能性があるので、少し早足で向かう。
「いやいや、お前も遅れたじゃん。てか、健太また太った?。」
巧が健太をイジリ始めた。確かに以前よりシルエットが丸くなった気がするので、
「うわ、まじじゃん、デブデーブ。」
と、僕もそれに乗っかる。
「うるさい、まだぽっちゃりだし。ってか、ガリガリのお前らよりもぽっちゃりの方が包容力あってモテるし。」
「いやこれはデブ。」
巧が追撃する。
「うん、デブ。」
僕も追撃する。ついでにお腹も触っておく。
二人から健太は少しいじけて怒っているそぶりを見せるけど、口元を緩ませニヤニヤしているので本当に怒ってはいないと思われる。からかわれた健太のいつもの対応だ。
そうこうしているうちに目的の店に着いた。幸いまだ席は空いてたみたいだ。
中に入るとお酒とたばこのにおいが僕たちを迎え入れた。帰りが遅くなったときの電車に充満するにおいと同じだ。奥からはすでに酔っ払っている人の雄叫びともいえる笑い声が聞こえる。
すでに料理が届いてお酒を片手に思い思いのことを話している人たちを横目に見ながら移動し、空いているデーブルの前で店員さんが「こちらへどうぞ。」と言った。
テーブルに着き、お酒のメニューを見る。
会社の飲み会では最初の一杯はビール以外頼めない雰囲気があるが、気心知れた友達だと好きなのを飲めるから気楽だ。ビールのおいしさはまだ分からない。
僕はレモンサワー、巧はジンジャーハイ、健太はビールを注文した。
今週も疲れた、働きたくない、などのサラリーマン定番の嘆きをこぼしながら、適当に料理を選ぶ。この居酒屋は揚げ物などのおつまみだけでなくご飯ものメニューも充実しているので夜ご飯を食べがてら飲むのにぴったりだ。
飲み物が届くと、おのおの食べたいものを店員さんに注文する。最近はタブレットで注文する居酒屋も多いが、この店は店員がハンディーで注文をとる。
注文を繰り返して確認したら、失礼しますと言い厨房の奥に消えていった。
届いた飲み物を配りながら、
「今の店員さんかわいくね?。」
僕たち全員が思っていたことを代表して言ったのは健太だ。確かにとても美人だった。どこかでモデルをやってると言われても全然不思議じゃない。
「だよな!。あんな人が会社にいたら毎日会社にるんるんで行けんのに。」
巧がグラスを手に取りながらそう言った。
「あんなかわいかったら絶対超イケメンの彼氏いるよな。」
僕が悔しそうにそう言うと、
「いや、美人過ぎて逆に男が寄りつかないタイプだわ。俺、次あの人が料理届けに来たらライン教えてって頼むわ。」
健太がグラスを掲げながらそう言った。今までそう言って声かけたことなんてないくせに。
「じゅあ、健太が声をかけられる訳なんてないけど、とりあえず。」
そう言いながら各々グラスを顔の高さでくっつけて声を揃えて
「乾杯」
と言いグラスを合わせた。
飲み会開始の合図だ。
健太は気合いの表れなのか、ジョッキいっぱいに注がれたビールを一気に飲み干した。
ぷはあ、と一息つく。
「いや、今回は本気の本気だ。」
「ほお、楽しみにしているよ。健太君。」
そんな茶番を繰り広げていると最初のメニューが届いた。枝豆と冷や奴。届けたのは三十代くらいの男の店員だった。
受け取った後にニヤニヤしながら二人で健太を見つめる。
「いやー、今回は運命の相手じゃなかったみたいだな。実に残念。今後に期待ですね。」
やけに自信満々に言うのがおかしくて僕と巧が吹き出す。どうせあの人が来たとしてもおどおどして声かけらんないくせに。相変わらずピュアな健太を見て少し安心する。こいつが躊躇なく女の子に声をかけてたら、僕はそいつを健太とは認めたくない。
まあ、僕も声をかける度胸なんてないけどね。あんま人のこと言えないや。
その後、続々と料理は来たが、あの子が届けに来ることは一度もなかった。もう一回見たかったのにな。健太が最初に見過ぎたせいだ。きっとそうだ。いや、多分違うけど。
その後は、同じ部署に来た後輩が少し生意気だとか、とんでもないクレームが来ただとか仕事関係の会話が続いた。毎日働いてるんだから、当然仕事の話が多くなる。
頼んだ料理が全て届き、僕たちは何杯目か分からなくなってきたお酒を注文した。一週間頑張ったので疲れているからか、お酒が回るのが早い。
「もう働きたくねえー。」
「あー、毎日しんどい。」
「ほんだよ、いい事なんて何もないよな。」
三人とも机に突っ伏しながら、ため息をたっぷり含んだ声を出す。心なしか店全体も入店した頃の活気が薄れ、重たい空気が流れているような気がする。今は丁度、働いている人全員が愚痴をこぼしながらため息をつく時間なのかもしれない。
どこかの集団の笑い声を皮切りに再び活気が戻ってくる。
「さっきさ、おもしれえ記事見つけたんだよね」
健太が机に片方の頬をつけた姿勢で話し始める。
「もしかして、来週世界が滅亡するってやつ?。」
僕も似たような姿勢のまま答える。
「俺も見たわ、どうせ当たんねーけどな。」
巧も見たらしい。
「もしほんとに滅亡したら俺は原始時代に生まれるんだ。好きなときに好きなことやって、自由に生きたほうが幸せじゃね?。」
確かに、健太は腰だけ隠す布をつけて槍を担ぐ姿が板についてそうだ。
「俺はネット無いと無理。」
「じゃあ、ネットある原始時代に生まれ変わろうぜ。」
「それだ、最高。」
「マンモス狩ったなう、とかツイートしてそうだな。」
三人であひゃひゃと声を出しながら笑う。
まったく、ネットある原始時代なんてどこにあるんだか。
まあ、こんな世の中で生きてりゃそんな現実逃避のひとつやふたつしたくなるよ、ほんとに。まじめに生きてて損する事ばっかりだ。
朝ぎゅうぎゅうの電車に押し込まれて、会社では理不尽を押しつけられ、来週の事を考えると週末だって落ち着かない。
「とりあえず飲むか。」
巧がそう言い出したので、また乾杯をした。
そんなこんなしているうちに飲み会もお開きの時間となった。
せっかく週末に集まったのだから、朝まで飲んでもいいのだけれど、巧が明日の午後から研修会があるとのことだったのここでお開きとなった。
駅まで三人で移動し、また来月会う約束をして解散した。
電車に乗り込むと、顔を赤らめてる人が多く、朝の張り詰めた感じは無くみんな思い思いに話している。
僕の家の最寄りまでは十五分位なのでイヤホンをつけて動画を見ることにした。おすすめに出てきた、最近話題の過激なことをする四人組の動画をタップする。先月起きた北陸地方の大火災に百万円を寄付するという動画だったが、内容は至極全うだった。なのにコメント欄には、「偽善者おつ」、「災害を動画のネタにするな人でなし」、などと否定的な意見が目立つ。これだけ影響力のある人が先頭に立って募金すれば続いて募金しようとする人も増えるかもしれないのに。どんなに良いことしても批判は避けられないみたいだ。おかしな世の中だ。しかも批判することが正義なんて風潮まである。応援すると「信者乙」なんて言われる始末だ。あーもう嫌だ。
少しうんざりしていると次が家の最寄り駅だった。電車が減速し、見慣れた風景が見えてくる。
車両のドアが開き、ぞろぞろと降りる人が出てきた。時間も時間なのでいつもより人は少ない。人の流れの通りに階段を上り、改札を出る。
そのまま真っ直ぐ歩き、目の前のコンビニに入った。水のペットボトルを一本持ちレジへ向かう。店員さんが、レジを打っている間に、募金箱が目に入った。先月起きた火事の復興のための募金。これを見ぬふりをしては、ネットで偽善者と言っている人たちと同じ気がしたので、生まれて初めての募金をした。少し意地になっていてのか一千円札を入れた。これで晴れて僕も偽善者の仲間入りだ。
水を受け取り店を出る。
家まで歩いて二十分はかかるが、タクシーを使わず歩いて行くことにした。いつもは億劫なのだけれど今日はなぜだか歩いて帰りたかった。
駅前の飲食店が乱立している場所には、肩を組んで歩いていたり、道端に座り込んでいる人も見受けられたが、五分も歩くと閑静な住宅街にさしかかり、歩いている人もあまり見かけなくなった。
一度立ち止まり、さっき買った水をぐいっと飲む。
息を大きく吐くと再び歩き始める。
改めて考えてみると本当に変な世の中だ。
生きていて傷つけられるのは当たり前だし、まともに生きててもいいことなんてほとんど無い。むしろ、他人に迷惑をかけることなんてなんとも思っていない奴らの方が楽しそうに生きているんじゃないかとも思う。出る杭は率先して叩かれ、どんなに社会のためになることをしたとしても必ず批判される。善悪の基準が、今の社会では人の道徳とは逆になりつつあるのではとさえ感じてしまう。他人の気持ちを考えない人ほど生きやすいおかしな世の中だ。学校だとジコチューな人は嫌われちゃうのにね、よく分かんないや。
いっそ一回滅亡してやり直した方が、次はもっと優しい人ばっかりの世の中になるんじゃないかなんて思ってしまうけど、空を見上げても四日後に迫っている滅亡の前兆なんてどこにもない。
僕の目に映ったのは、星がひっそりと輝き太陽の代わりに月が優しく包み込むように照らしてくれるいつも通りの夜空であった。
家に着くとそのままベッドに飛び込み、気がつくと朝を迎えていた。
もしかすると最後かもしれない週末を、僕はいつも通りだらだらと過ごした。
月曜日、なんとか起きたけれどベッドから出るのが本当に憂鬱だ。特に休み明けは、なんでわざわざいいことが何一つ起きないあんなところに行かなきゃならないんだって叫び出したくたくなる。
そんなことをしても誰も助けてくれないので、諦めてなんとかベッドから脱出し、いやいや仕事へ向かう支度をする。これだけでも一日分のエネルギーを使う気がする。
なんとか準備を終え、玄関を出るときにふと思った。今日は行かなくていいんじゃないか。明日になればどうせ何もかもなくなってしまうのかもしれないのだから。
ここで本当に休んだら、予言通りに滅亡すれば良いけれど、しなかった場合僕のせいで困る人が出てしまう。それは避けなければならない。
しかし、万が一にでも滅亡する可能性がある以上、いつもだらけている上司の分の仕事を僕がやる必要はないかと思った。だって本当に滅亡しちゃった場合、最後にやったことが他人のやるべき仕事の肩代わりじゃ悔しいからね。今日くらい定時で帰ることにネチネチ言う奴らを無視しても誰も文句はないんじゃないかな。いっつもサボっている上司も世界最後かもしれない日くらい少しは働けばいいんだ。
もし滅亡しなかったら明日から頑張ればいいや。憂鬱な休み明けだけれど今日は少し気が楽だった。
なんだか、明日世界が滅亡するって考えたら少し気が楽になってきた。もしかすると、時々目にする世界滅亡の予言は、正しいことが間違いになる不思議な世界では、人々救う魔法の呪文だったのかもしれない。頑張らなきゃって気張って生きている人ほど疲れるから、世界が滅ぶって考えたら、たまには嫌なことから逃げて自分の好きなことできるでしょってね。
どうせ変な世界なんだからいつ滅んでもおかしくないし、それまで楽しく生きようぜってなんとか文明の人も言っているはずだ。多分。
玄関を開けてもそこに広がるのは見慣れた光景だった。とても今日で滅亡するとは思えない、いつも通りの風景。
何も変わっていないけれど、今日は自分の歩幅がいつもより大きくなった気がした。
しゅうまつ 田原かける @sora_no_ao
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