2016年【隼人】36 言わなくてもわかる間柄

「というわけだ、浅倉。ひとつ交換条件をのんでくれないか?」


「内容をきかせてもらってからでねぇと、なんとも言えねぇだろ」


「ごもっともだ」

 と言った有沢はタバコをくわえて火をつけた。

 煙を吐き出すのを先にして、勿体ぶりやがる。


「で、条件なんだが、女連中を逃がす代わりに、浅倉にはもれなくツラ貸してもらいたいんだが」


「上等ォじゃねぇか」


「ちょっと、隼人?」


 イエスの意味だといち早く汲み取ったのは遥だ。

 心配そうな表情を笑顔に変えるために、隼人はなにができるだろう。

 考えがまとまる前に、撫子も隼人が選んだ道を理解した。


「変態のくせに、いきがるな。あんなの、ナデがいれば」


「お? なんだなんだ。心配してくれてんのか?」


「ち、ちがう。ただ、お前になんかあったら、ほ姉ちゃんが悲しむだろ。だから、お前がどうしてもと、頼むならナデが」


「じゃあ、頼む」


「手のひら返しが速すぎるだろ。本当に情けない変態だな」


「なに勘違いしてんだ。オレのことはいいから、遥を守ってくれって頼みたいだけだ」


「え? ほ兄ちゃん」


 変態と呼ぶのを忘れるほど、撫子は驚いたようだ。

 随分と懐かしい響きだ。

 昨日までは「ほ兄ちゃん」と呼ばれていたのが、嘘のように思える。

 ああ、体中が痛い。


「そんな意外なこと頼んじゃねぇだろ。だいたい、連中が約束を守るとは限らんからな」


「てかさ、隼人。約束を守らないかもしれないんなら、一緒に逃げたほうがいいでしょ。だって、向こうには有沢もいるわけだし」


 遥には小学生時代の恨みが、有沢に対して残っているようだ。

 隼人からすれば、むしろ有沢だけは信頼できる。

 気をつかって提案を出してくれたのだろうから。

 こんな風に信じたいと思っているのは、甘さなのかもしれない。


「もしかして、暴れまくりたいとか思ってるんじゃないの? ナデナデには手を出せないから、他の連中でフラストレーションを解放しようとかじゃないよね?」


「遥に言われてみたら、たしかにそうかもしれねぇって思っちまうな」


 自分自身のことなのに、遥のほうが把握しているのではないかとさえ思える。


「話が済んだんなら、ついてこいよ浅倉」


 有沢に促されて、隼人は一歩踏み出す。

 二歩目を刻む前に、隼人は服を掴まれた。振り返らずとも、遥だとわかる。


「ごめんね。あたしが――」


「夏祭りで喧嘩売ったせいでとか思ってんだろ、どうせ?」


 言わなくてもわかるは、遥の専売特許ではない。

 隼人から遥に対しても、同様だ。それぐらいの歴史はある。


「でも」


「そんなことで謝られてたら、困るんだよ。オレは土下座しても許されない、最低なことをしちまったわけだしな」


 未遂に終わったとはいえ、開き直ってはいけない。

 まさか死ぬことはないと思うが、いま謝っておかないときっと後悔する。

 とにかく、正直な気持ちを伝えるのだ。

 謝罪よりも真っ直ぐな思いを口にしたい。


「盗撮して、本当にごめんな。次ムラムラしたら、押し倒すことに決めたから」


 頭を下げる前に、背中に衝撃が走る。

 かすかな浮遊感を覚えてから、地面に着地する。

 前のめりに倒れそうになっている。転ばないために、走るように足を動かす。


 抵抗は虚しく終わる。

 隼人は足をもつれさせながら、駐輪中の自転車に勢いよく突っ込んで倒れてしまった。


 殴られたのか蹴られたのかわからない。

 ただ、攻撃を繰り出してきたのは、撫子だと断言できる。

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