顔のない獣 その① 最低の夜をこえて

郷倉四季

2016年【隼人】01 遥と共に、最高の夜を


 花火大会にかける浅倉隼人の思いが、財布の中で一万円札という形になっている。


 いつもは百円玉とレンタルビデオ屋のカードを握り締めて、久我遥を遊びに誘っている。

 そんな隼人が、百円玉で百枚分の価値がある金額を用意したのだ。

 百円あれば、近所のレンタルビデオ屋で旧作のDVDを一本借りてもお釣りが出る。


 毎回、一枚ずつDVDを借りていけば、遥を百回以上、家に呼ぶことができる計算だ。

 その度に、ベッドの上にノートパソコンを置いて、映画鑑賞にかこつけて、添い寝したり出来なかったり、そういうのを楽しめる。百回も。


 本日の軍資金は一万円。いつもより百倍以上、楽しんでみせる。

 遥と共に、最高の夜にするのだ。


 具体的な一万円の使い道はわからない。

 もしかしたら、近所のラブホテルへの宿泊代が大部分をしめるかもしれない。


 花火大会の影響でホテル側が足元を見て、日曜・祝日料金になっていたとしても大丈夫。

 一万円あれば、支払いできるのも調べてきている。

 ゆえに、この金だけは守らねばならない。


「五百円玉がありました。これで、勘弁してくれませんか?」


 ガタイのいい不良に、隼人は百円玉の五倍の価値があるものを差し出す。

 なかなか受け取ってくれない。はやくしてくれないと、隼人がビビっているのがバレてしまう。

 小銭入れや五百円玉を持っている手の震えは、いっこうに止まらない。


「あー、なんか勘違いしてないか? 俺はさ。もうカツアゲとかは、卒業したわけだよ。だからさ、これは友達として金を借りてるだけなんだ。これでも、レンタルビデオは、ちゃんと期限を守って返すんだぜ」


 レンタルビデオは、延滞料金がある。

 だから、返しているだけだろ。隼人から借りた金は、一生返さないつもりだろ。わかってんだよ、死ねよ。


「それにほら。お前と有沢は、小学校の頃からの友達ってきいた。で、俺と有沢も友達だ。つまり、お前と俺も。な?」


 ガタイのいい不良の脇で、茶髪の有沢暁彦がこちらを睨んでいる。

 いつから、隼人は有沢と友達になったのだろうか。

 

 こいつが主犯格となって遥をいじめていたから、小学生時代から敵だ。

 仲間になるイベントなんて起きてねぇぞ。


「諦めろ、浅倉。この人は、中谷勇次の再来って呼ばれてる人だ。とりあえず、財布の中を空っぽにして、今日はもう帰れ」


 中谷勇次、誰だそいつ?

 それはそれとして、隼人はひと安心した。

 今の口ぶりだと、小銭入れと札を入れる財布を別に持っているのは気づかれていないようだ。


「わかりました。じゃあ、オレはここで、はい。家に帰るだけなら、お金なんて、いりませんし、貸しときます」


「おお、いいこと言うな。アサクラくん」


 カタコトで、名前を呼ばれた。

 この調子だと、三十分後には隼人の名前はおろか金を借りたことも忘れているだろう。

 それでもいい。とにかく、いまはここから解放されるのを最優先させる。


 そうと決まれば、隼人の動きは速い。

 小銭を全て取り出す。

 幾らあるのか把握せずに差し出す。


 これで、もう用はないはずだ。

 公衆トイレに向かった遥も今ごろは隼人を探しているだろうし、そろそろ帰らせてください。


「そこにいるの隼人だよね? なにしてるの?」


 聞きなれた声に反応して隼人が振り返ると、浴衣姿の遥が立っていた。


 後ろ姿でも、隼人だとわかってくれるのか。

 さすが、幼馴染みだ。

 嬉しい。が、タイミングが悪すぎる。

 そもそも、遥が向かった公衆トイレから、かなり離れた位置でカツアゲをされていたはずだ。


 人が集まる夜店からも遠く離れている。

 ここにいると、ソースの匂いがいっさい漂ってこない。一番近くにある夜店が、たこ焼き屋、お好み焼き屋、焼きそば屋の並びにも関わらずだ。


 何の情報なしに、よく見つけてくれたな。

 これも、隼人と遥の運命か。はたまた、遥の巫女としての強運が発揮されただけか。


「あれ? ちょっと暗いから確信は持てないけど。この女、結構かわいくないか?」


 ガタイのいい不良に教える義理はないので、隼人は黙っている。

 だが、言ってやりたかった。


 結構ではないぞ。

 遥は抜群にかわいい。

 今日はボブカットをセットし直して、浴衣も着ているし最高。週間少年なんとかで、表紙グラビアを飾れるアイドル級だ。

 よし、いまの褒め言葉は、遥に直接伝えることにしよう。


「じゃあ、オレたちはこれで。はい、どうぞ」


 言いながら、隼人は小銭をガタイのいい不良に手渡す。そしてすぐに、遥の腰に手を当てて、早歩きで逃げていく。


「ちょっと待って。いまなに渡したのよ?」


「いいから、いいから。それよりも、浴衣似合ってるな、遥。グラビアの撮影って間違われて、困ったりしてない?」


「間違われるか、バカ。よくもそう、何回も別の言葉でほめてくれるよね。ありがとう。素直に嬉しい――って、そうじゃなくてさ」


「わかってる。はやく移動して、花火を見る場所を確保しないとな」


「ちょっと待てよ。カサクラ」


 随分と歩いたつもりだったが、呼び止める声は鮮明に聞こえた。

 無視するのは自由だ。そもそも、カサクラではないから振り返る義理もない。

 カサクラは、AVのメーカーだ。隼人には関係ない。


「浅倉ですよ、先輩」


「おお、そうだったな有沢。てなわけだ。アサクラ、待て」


「いや、待ったところで。いま。これ以上は、なにも持ってませんし」


 反論するために、立ち止まってしまった。

 もしかして、財布の本体に感づいたのか。まさか、遥の財布までも狙っているのか。


「実はな。俺のツレが、射的で熱くなりすぎたんだ。女にいいところみせようとして、スッカラカンになっちまってよ。ひどいもんで、それが原因で一緒にいた女に逃げられたところでな。で、金か女を集めてるところだったんだが。ナイスなタイミングだ。わかるよな。両方とも貸せ」


「隼人、あいつらにお金を?」


 遥の顔を見えない。情けない。カッコ悪い。死にたい。

 でも、死ぬ前に童貞は捨てたい。ならば、男として立ち向かうべきものから逃げるわけにはいかない。

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