本の世界『リピート・クロニクル』 1

 ビュウと音を立てて吹き抜ける風は冷たく、小高い丘の上に座ったままの一人の少女の服や髪を揺らしていく。

その風によって彼女の体温は徐々に奪われていく。


 目下に広がるのは大きな湖と、湖への侵入を拒むように周囲を囲む森。

何度瞬きしてもその風景は変わることなく、冷える体がこれが現実だと彼女に認識させた。


 彼女の名は捺瀬。

先日誕生日を向かえたばかりの17歳だ。

彼女の住んでいた世界は、忙しくコンクリートで覆われた道路を歩く人々。

空に向かって伸びるかのように建つ高層ビル、排気ガスを吐き出して走る車、人々がギュウギュウ詰めの満員電車、情報があふれる世界だった。


 けれどそんなものがない世界、所謂異世界へと捺瀬は迷い込んだ。


 「ここはどこなのです?」


 捺瀬の問いかけに答えはなく、そのまま風の音によって消された

。どうすることも出来ずに座りこんだ捺瀬はただ湖を見つめていた。

キラキラと光を反射していた湖が、徐々に夕日によって赤く染められていく。

美しく妖しくもある光景だった。

ふらりと立ち上がり、捺瀬は一歩足を進めた。

それは夕日に誘われるかのように。


 次の瞬間、バサリと布が広げられるような音がし、捺瀬の視界は黒一色になった。

同時に肩に置かれた手は冷えた捺瀬の体よりも冷たく、人の体温とは思えなかった。


 「そなたの名は?」


 捺瀬の耳に入ったのは低く落ち着いた声だった。


 「捺瀬なのです。あの…助けてくれてありがとうなのです」

 「我の名はスラスト。捺瀬、そなたを探していた。時空の迷い子であるそなたを」

 「時空の迷い子…なのです?」

 「ああ。そなたの服装はこの世界ではみなれないものでな。それに纏う空気がこちらのものとは違う」

 「そうなのですか」


 捺瀬の服装は学校の制服のままで、気づかなかったが足元にはもっていたスクールバッグも置かれていた。

わすかに捺瀬が視線をあげれば、スラストと視線が重なり、微かに微笑みながらスラストはコクリと頷いた。


 「我がいいというまで、目をつぶっていてくれ」


 スラストの言葉に捺瀬は頷いて、そのまま目を閉じた。

肩に置かれていた手が離れ、スラストが動く気配がした。

フワリと頭から布のようなものをかけられ、その直後にスラストから目を開けていいと声をかけられた。

捺瀬が目を開けると先ほどとは違い、視界は白になっていた。


 「えっと…」

 「その服装には白が似あうな」


 捺瀬は白いローブを被せられ、フードの部分は視界を遮るように深く被せられていた。

紺色のブレザーと水色のチェックのプリーツスカートの上からローブを被っている姿は、どこかの魔法学校の生徒のようだった。


 「ローブなのです?」

 「今の捺瀬には必要だからな。そなたは一度夕日に惑わされた。異世界から来たものは、夕日に惑わされる。ただ一時的なものだから、数日経てばそれもなくなるだろう。色々と説明が必要な事は分かっているが、まずは移動が先だ。日が落ちて直に夜が来る。この世界の夜は危険だ」

 「はいなのです」


 すまないとスラストが小さく呟き、捺瀬を腕の中へと包み込む。

手と同じくスラストの身体は詰めたかったが、なぜか温かく感じそれが心地よかった。


 「Métastase」


 スラストが呟いた言葉の意味はわからなかったが、どこか聞き覚えのあるものだった。

そう、それは祖母がふとした時に呟いていた言葉に近いものだった。

思い出を振り返っていると、フワリと優しい手つきで、ローブのフードがはずされた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る