3階

 次の日

 起きたら現実に戻ってました、なんていう展開を淡く期待していたがそんなことが起こるわけもなかった。

 メニュー画面の装備欄を操作して寝間着からいつもの長衣に着替える。ピシッと身を引き締めてからルラが寝ている部屋に向かった。朝の弱いあの子はきっとまだ起きていないことだろう。

「ルラ〜!!起きろ!!」

「むにゃ?おはにょう」

「はい、おはよう」

 頭の上の耳をピョコピョコさせなが上体を起こしたルラは数秒間うつらうつらしているとまた体を倒し眠りについた。世界は変われどこの子の朝に弱い体質は変わらなかったか。

「こら!!起きなさい!」

「ふへぇ!?ごみんなちゃい」

 布団を思いっきり剥がして軽めの拳骨を食らわせる。アバターホーム内は安全圏に含まれるのでHPに影響はない。

 伸びをしてやっと目を覚ましたルラを確認してから部屋を出た。仮装の身体といえどお腹が空く感覚はあるので狩に出た時に手に入れた魔獣の肉などを使って軽食を作ることにしよう。

 パンのようなものに切り込みを入れレタスもどきの草と前から作ってあったローストビーフに似たものを挟んでサンドイッチを作った。飲み物は引き続きランダムに湧き上がるあのコップを使う。

 着替え終えたルラもやってきて二人でもきゅもきゅと食べながら今日の予定を組み立てた。

 いくら九十九階を突破した私たちでも氷の女王を倒すにはもっとレベルを上げなければならないしこの世界での動きに慣れなければならない。

「おっしゃ、一気に行くぞ〜。目標レベル八十五に達すること!」

「おー!」

 この世界には魔獣が溢れ出ている、という設定だ。魔獣を倒せば経験値とお金、その他アイテムが手に入る。経験値を一定以上貯めればレベルが上がる。お金があれば武器や装備も揃えることもできるしアイテムから錬金して他のアイテムを作ることだって可能だ。つまりは氷の女王攻略の近道は狩をすることなのだ。

 城下町の中央にある青く光る水晶は管理人である少女に行き先を言えばその場所へ飛ばしてくれるという便利な代物だ。

 早速少女にアンヘル湖へと告げて水晶に触れた。まばゆい光を浴びせられ反射的に目を瞑る。暖かい空気に包まれて浮遊したかと思ったら次の瞬間には水のせせらぎが感じられた。

 今まで何度もこの水晶は使ってきたが生身では初めてでこんな感覚だったのかと感慨深く思ってしまった。ルラも同じように思っていたのかしぱしぱと瞬きをしながら体に触れている。

 指定した場所はアンヘル湖。私の所属しているウンディーネ族領にある高難度のエリアだ。そのため高レベルの魔獣しか出てこない。魔獣は高レベルになればなるほど多くの経験値とお金、高価なアイテムを落としてくれるので、この場は経験値やお金を稼ぐのに最適なのだ。

 現在時刻は午前十時、たっぷりと時間はある。

加護魔法バフよろしく」

「はーい」

 アンヘル湖での戦闘は全て水中で行われる。そのために水中でも息ができるようになる魔法、自由に動ける魔法、その他加護魔法が必要なのだ。

 私はメインウェポンが双剣、サブで銃を使っている。攻撃は最大の防御と言わんばかりの攻撃力と筋力、俊敏力を身につけている。反対にルラはメインで杖を使っていて、回復魔法から攻撃、加護魔法まで全ての魔法を高レベルで使える。しかし、性格上ルラは前線で攻撃するよりもサポートタイプなので結果的に私が前衛、ルラが後衛のパーティで戦闘していた。

「メラン、右方向から〈ロザーンジュ〉が七、いや十匹近づいてきてる」

 魔法で視覚を強化しているルラは半径五百メートルの範囲にいる魔獣の位置が分かる。

「りょーかい」

 水中で右足を引き腰を落とし、左の剣を腰の横で右の剣を胸の前で構えると双剣が淡く緑色に発光した。これは特殊攻撃の準備ができた証だ。

 特殊攻撃はシステムが自動的にアバターの動きをアシストして通常ではありえない速度と威力で攻撃できる、いわば必殺技だ。特殊攻撃は数え切れないほど存在し、そのひとつひとつに所定の型がある。その型を最初に取らなければ特殊攻撃をすることはできない。ひとつ難点を挙げるとすれば特殊攻撃終了後に硬直時間を強いられるところか。

 菱形の体を持った大きなクラゲのような魔獣、個体名〈ロザーンジュ〉。三秒もすればその集団は目視できる距離まで迫ってきていた。

 あと、五十メートル、二十、十…今!!

 引いていた右足で踏み込むとシステムが行動を認識し加速していくのが分かる。

 左の剣を真横に切り払い、続けざまに右の剣で上から斬りかかる。その勢いのまま一回転したのち三撃目を斬りつけたところでアシストが終了し、魔獣も残光を残しながら消滅した。

「…ふー」

「お疲れ様、少し休憩にする?」

 メニュー画面を開いて時刻を確認すれば午後二時を少し過ぎていた。かれこれ四時間も休まず戦闘を繰り返していたようだ。

 そう考えると疲労がどっと押し寄せてきた。

「そうだね、そうしよっか。この近くに安全圏はある?」

「ちょっと進んだ先に宮殿があるみたい。そこは全域安全圏に指定されてるよ」

「それじゃ、宮殿までとばしていこー!!」

 軽く羽を震わせて一気に加速をする。システムのアシストがなくともそれなりのスピードは出るようであっという間に宮殿へとたどり着いた。

 今まで何度もアンヘル湖で狩をしてきたがこんなところ来たこともない。まるで人魚姫のお城がそのまま出てきたような宮殿に開いた口が塞がらない。

 大きな門を潜り宮殿の中へ足を踏み入れる。魔獣のいる戦闘エリアと違い清浄な水で溢れる宮殿内はとても居心地が良かった。

 少し探索していると座れそうな大きな岩を見つけた。それは円形に五個並んでいてご飯を食べるにはちょうど良さそうだ。

 座ってみると海藻に覆われてるおかげかふかふかで座り心地は良い。

 メニュー画面を開き持ち物の欄から包み紙を選択する。

「じゃーん!」

 包みを開けると中身は朝と同じサンドイッチが入っている。今日は一日中狩にこもる予定だったのであらかじめ用意しておいたのだ。

 目を輝かせてサンドイッチを見つめるルラに一つ手渡して自分もサンドイッチにかぶりつく。

 こうしてささやかな休息の時間を満喫し、宮殿内を散策する。

 東の隅にあった大きな塔の中には数多くの宝箱が置かれていて、開ければ中にはレアアイテムもあった。きっと誰もこの宮殿を訪れたことはなかったのだろう。

 外周部を一通り見て回り、最後に本殿と思われる建物に突入する。

 大きな扉を開けると中央に天使を催した像があるだけであとは何もなかった。

「なんだろうこの感じ。嫌な空気がする」

「なんか、寂しいね」

 そう、寂しい。……そうか、人がいないのか。かれこれ二十分ほどこの宮殿内を歩いているが一人も人に会っていない。私たちのようなプレイヤーだけでなくNPCも見かけていない。こんな大きな宮殿にNPC一人いないのは違和感でしかない。

 そう思いながらも無駄に広いロビーのような場所を歩く。部屋もこの部屋しかないようだ。外から見ると三、四階ぐらいありそうな高さだったが上に上がる階段すら見当たらない。

「ねぇ、メラン、ここになんか窪みがあるよ。ボタン…かな?」

 ちょうど天使像の後ろ。その壁にはスカートを広げながら振り返る少女が描かれていた。その少女が持っている花の中央にルラの言ったように窪みがあった。これは押してみる価値がありそうだ。

「ていっ!」

 ボタンを押すとズズズ、と重たい音が部屋に響き渡った。音が鳴りそうな場所といえば天使像ぐらいだろう。見れば案の定天使像が動いていて地下へ向かう階段が出現した。

 近づけば微かに人のいる気配が感じられる。仕掛けがとても単純で助かった。

「行く?」

「当たり前じゃ」

 この不可解な場所を解読するには行ってみるしかないだろう。目の前に問題を出されると解きたくなるのが私のさがなのだ。

 地下に続く階段を降りていくと暖かい水に変わっていった。上の冷たく寒々しい水よりこっちの方が良い。

 そしていかにも開けてくださいと言わんばかりの黒い扉。二人で頷きあって開けた。

「誰!?」

 大きな貝殻の椅子に座る人魚が一人。綺麗な光り輝く金髪の長い髪。海よりも深く透き通った青い瞳が恐怖でゆらめいている。触れたら消えてしまいそうなそんな幻想的な雰囲気を醸し出していた。

「はじめまして、私はウンディーネ族のメラン。こっちはケットシー族のルラ。あなたは?」

「やめて、近づかないで!」

 貝殻の椅子の上で後ずさる。よほど怯えているのだろう。

「分かった、ここから動かないからお話だけさせてくれない?」

「…分かったわ。そのかわり、私たちを助けてくれる?」

「内容にもよるけど全然良いわよ」

 目の前に紫色のプリズムが煌めいた。どうやらクエストイベントが発生したらしい。

 クエストを達成すれば経験値もお金も手に入る。こっちから話を振っている手前断る気もないので受諾ボタンを押した。

「助けてほしいって言ったけど何をすれば良いの?」

「仲間を助けてほしいの。私の仲間は全員、魔獣に襲われてバラバラになってしまった…。その隙に我が人魚族が所有している宝物を盗もうとしている輩までいるの」

「なるほど、だから人がいなかったんだ。で、具体的に私たちは何をすれば良い?」

「この宮殿から北に十キロメートル進んだ先に洞窟があるの。そこに私の仲間たちがいるって噂よ。けど、洞窟の中にはこの周辺の魔獣とは比べ物にならないぐらい強い魔獣がいるらしいの。だから、その魔獣を倒して仲間を救出してくれないかしら」

 涙ながらに語る彼女を見ると自分のことのように心が痛くなる。これはクエストじゃなくても助けてあげたい。

「分かった、あなたの仲間を助けに行ってあげる」

「本当に!?ありがとう」

 彼女は椅子から降りて私たちのところに来てくれた。どうやら心を許してくれたらしい。

「改めて私の名前はミーラシチ。よろしくね、メラン、ルラ」

「よろしく、ミーラシチ」

 手を伸ばして握手をする。

 座っている時は見えなかったが彼女の右羽がなくなっている。根元から消えてるわけではなく引きちぎられたような感じだ。きっと仲間が襲われた時に彼女は羽を失ったのだろうと容易に想像できた。たとえそれがNPCとしての設定だったとしても心が痛くなるのは私がもう身も心もゲームの世界に染まってしまった証拠なのだろうか。

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