第4話


 白山邸から蛇塚までは近いけれど、そこにたどり着くまでが至難の業に思えた。

 六方向から迫り来るいくつもの巨大な人の影が空に映し出され、その人影の合間を横に走る雷光が閃く。

 ドンドロドンドロと太鼓を打つような雷鳴が鳴り響く上空に、鵺の大きなどす黒い雷雲が浮かぶ。

 雹はますます勢いを増して、今にも傘をへし折りそうだ。

 六方向から迫ってくる黒い巨人たちが迫ってくるに従い、空が炎に包まれたように赤く怪しげに光り始めた。


「フシャーーー! これはますます危ないにゃん!!」


 いつの間にやら危機を察知したクロが凜理の意識を乗っ取っていた。猫耳がぴょこんと頭から突き出て、長いしっぽが生えている。

 しかし誰もが空の巨人に気を取られていたので、変身するところを見られることはなかった。


「クロか! あれは実体があるのか!?」


 巨人を見上げて、満夜がクロに訊ねた。


「あるといえばある、ないといえばないにゃん。建物は壊せないけど、人を踏み潰したり食ってしまうくらいの力はあるにゃん」

「実体があるんじゃないか! 道を行く人々が襲われないように守ってやってくれ! 俺は蛇塚に急ぐ!」

「それはダメにゃ! 凜理が満夜を守ってほしいっていってるにゃん」

「くっ、俺には八束の剣があるから大丈夫だと伝えてくれ! それより後ろを付いてくる仲間を守るんだ!」

「わかったにゃん!」


 満夜は上空の雷雲から放たれる稲妻を見上げる。雷が次々に湧いてくる巨人の影を貫いているのがわかる。


 ぎゃああああ……!!


 遠くからすさまじいヨモツシコメの断末魔が聞こえてくる。

 けれど、鵺一匹ではヨモツシコメたちの進撃を押しとどめることはできないようだ。

 どんどん平坂町を囲むように巨人たちが集まってくるではないか!

 影は次第に立体感を持ち始めて、長く無骨な腕を振り上げて、建物や山を破壊しようとしているように見える。


「平坂町はどうなってしまうんだ!?」


 満夜は公園に入り、一心不乱に蛇塚を目指してダッシュした。


「ぜぇぜぇ、後もう少しだ! 後もう少しで……」


 後ろからオカルト研究部員たちが付いてきているのがわかる。平坂山の陰からぬっと巨人が顔を出した。

 世にも醜い、元は乙女だとは信じられないほどの異形の化け物が『がばあああああ』と不気味に吠えて、満夜を掴もうと手を伸ばしてきた。


「にゃあぁぁぁん!!」


 背後からいきなりねこむすめが飛び出してきて、ぴょんぴょんと木々の梢を渡り、ヨモツシコメの腕に飛び乗った!


「危ない! 凜理!!」

『ヨモツシコメよ! 退きなさい!!』


 美虹に降りたいざなみが大声で呼びかけた。

 一瞬、ねこむすめの攻撃といざなみの声にひるんだように見えたけれど、ヨモツシコメは再び腕を振り回し、ぴょんぴょんと身を躱すねこむすめを掴もうと追い始めた。


『お母様! わたしが九頭龍を呼びます!!』


 頼もしい言葉を、くくりひめが降りた菊瑠が発した。


 ぎゃおぉぉぉん——ッ!!


 空を覆う雷雲の裂け目から、チラチラと長い胴を見せ、首が九つある龍が吠えながら現れた!


「あれが九頭龍神なのか!?」

「龍だって!?」


 でかいレッサーパンダと比べるとはっきりとわかる威光ある姿に、八橋さえ目を見張った。

 グンと影を伸ばすヨモツシコメの頭を九つのあぎとが呑み込んでいく。


 ぎゃああぁぁぁぁぁっ!


 平坂山に迫ってきていたヨモツシコメがドオォンと地響きを立てて倒れるのを見届けて、満夜は蛇塚の前にたどり着いた。


「よし! 鵺の封印を解くぞ!」


 満夜は蛇塚の真上によじ登り、塚の頂上に石像を据えた。


「いくぞ!」


 かけ声とともに、石像めがけて八束の剣を振り下ろした途端——!!

 目を開けているのが難しいくらいの閃光が走り、辺りが昼間のように明るくなった。


 バキィーーーーンッ!


 鋭い金属音が辺りに響き渡った。


「うう!!」


 ビリビリと衝撃が満夜の両腕に走る。腕がもげそうな痛みとともに八束の剣が弾け飛んだ。


「失敗したのか!?」


 満夜はまぶしくて閉じていた目を開けた。八束の剣がビイインと音を立てて塚に突き刺さり音を立てている。

 そして、目の前の石像は粉々に砕け散っていた!


「やった……!!」


 それと同時にハッとして空を見上げた。

 雷雲がドロドロと轟きながら空を覆っていく。伸び上がって平坂町を呑み込もうとしていたヨモツシコメの影が萎縮していくのがわかった。


 ひいいぃぃぃぃっ!!


 悲鳴を上げながら、ドオォオオンという足音を残して、ヨモツシコメの影は消え、いつの間にか雹も降り止んでいた。

 それでも雷雲は平坂町の上空に垂れ込めたままだ。


「封印は解けたんじゃないのか……!?」


 呆然と立ちすくむ満夜が空を見つめてつぶやいた。

 仲間たちもぞくぞくと蛇塚のそばに集まってくる。


「鵺はどうなったん?」


 クロが引っ込んで元の姿に戻った凜理が満夜と同じく空を見て言った。


「雲が厚くて鵺ちゃんが見えないね……」

「まさか、封印は解けてないとか?」

「でも、先生。ヨモツシコメはいなくなりましたよ?」


 空を見たままバカみたいに口を開いて、オカルト研究部員たちは立ち尽くしていた。

 そのうちに雷雲が消えていき、星空が見え始めた。キラキラと冬の夜空に星がきらめいている。

 平坂町の上空の中心に、一際輝く姿が浮かんでいた。

 たてがみをたなびかせ、茶色の毛並みに金と漆黒の縞模様が胴に浮かぶ、レッサーパンダとは似ても似つかない巨大なけものがいた。

 その太く獰猛な四肢には音を立てて回る車輪とミサイルが付いている。炎がごうごうと車輪とミサイルから吹き上がる。

 中空に浮かぶけものが見えない階段を降りてくるようにぴょんぴょんと地上近くまで降りてきた。

 後もう少しで蛇塚だというところで足を止め、鋭い金色の瞳で舐めるようにオカルト研究部員たちを見つめる。

 シューシューと呼気を荒げている太い蛇尾が揺らめき、今にもみんなの頭に噛みつきそうだ。

 恐ろしいくらいの威圧感がそのけものから発せられている。

 満夜はゴクリとつばをのみ、封印が完全に解かれた鵺を見上げた。けれど、満夜はすぐそばに突き立っている八束の剣を握りしめて蛇塚から引き抜き、構える。


「約束通り、封印を解いてやったぞ」

「褒めてつかわすぞ、わっぱ」

「封印が解けたからと言ってえらそうにするな」

「しかし、わしがいなければヨモツシコメを封じることはできなかったはずだ」

「それは認める……だが、本当の戦いは今からだ!」

「戦い?」


 面白そうに鵺が目を細めた。


「おまえごときがどうやってわしと戦うつもりだ?」

「この八束の剣はおまえを殺すことができる武器だ。この剣がある限り、俺はいつまでもキサマを監視し続ける」

「監視するだと?」

「また生け贄を欲しがるのではないか!?」


 すると鵺が鋭くて大きな牙を剥き出しにした。


「ははははは! おまえごときに倒されるわしではないわ!」

「抜かせ!」


 臨戦態勢に入った満夜たちを阻むかのように菊瑠が叫んだ。


「もふもふちゃん! 生け贄の代わりをあげるっていったらどうします?」

「生け贄の代わりだと?」


 美虹も妹の言葉に気付いたのか、続けて声を上げた。


「そうだよ。鵺ちゃんが好きなお酒とお菓子、これでも充分捧げ物として成り立つんじゃないの?」

「命の代わりに食い物でわしをほだそうとするのか?」

「そうや、チョコが二度と食べられへんくなるよ!」

「いざなみ様とくくりひめ様はいつでももふもふちゃんに捧げ物をすることができます!」

「ちょこれーとが食べられなくなる……」


 ふいに鵺が考え込んだ。


「断れば、俺がこの剣でキサマの首を落とすからな」


 満夜は剣を構えたまま鵺の答えを待った。


「まぁ、いい……酒とちょこれーとも美味なり。別に魂を食わずとも死なぬ体だ。それにおまえなど歯牙にも掛けぬ」

「ほざいていろ! もし何かよからんことを企めば、いつでもキサマを葬ってやる!」


 鵺がにやりと笑い、塚の上にひらりと降りてきた。巨大レッサーパンダのときよりも二倍もある大きな体つきだ。ライオンよりもふさふさしたたてがみは金色に輝いている。

 間近に見ているとたてがみのあるライガーに似ていなくもない。


「愛玩動物から、猛獣に変わっただけか……」


 鼻筋の長い鵺の口元からギラギラと牙が覗いているのを見ると、満夜はひとときも気を抜くことができなかった。


 が——。


「もっふもふは変わらないね!」


 いきなり横合いから八橋が飛び出してきた。


 ガバァッ!


「な!?」

「うっ!?」


 鵺と満夜が驚いているそばで、恐れを知らない変態イケメンが鵺の首筋に抱きつき、顔をたてがみの中に埋めた。


「もふもふぅぅ」


 すると、それまで塚のそばに立ちすくんでいた菊瑠が目を輝かせて、塚の上までよじ登ってきた。

 八橋と同じように鵺に抱きついて顔でたてがみをスリスリし始めた。


「お日様の香りです!」

「まるで日に干したお布団だよ!」

「やめろ! 離れぬか!!」


 鵺が牙を剥きだして吠えるけれど、二人は構わずに抱きついたままだ。


「ここら辺でがぶっといくと思うんだが」

「いざなみの娘を食うわけにはいかぬが、この男は食らってもいいか?」

「いや、できれば容赦してやってくれ。少し噛みついて血を舐めるくらいなら大丈夫と思う……」

「では、遠慮なく」


 蛇尾が鋭い牙を剥き、八橋の頭にがぶりと噛みついた。


「いたたたた! あぁ、もふもふぅ!」

「くっ」


 だらだら血を流しつつも一向に離れない八橋を鵺が忌々しそうに眺めた。


「とりあえず、共闘関係は変わらないと言うことでもいいのか?」

「戦う相手は封じておるのにか?」

「平坂町には黄泉の入り口が封じてある。大昔に天つ神がそれを狙ったように、誰がここを狙うかわかったもんじゃない」

「仮想敵を作り上げるほどにおまえは臆病なのか?」


 ふふんと鵺が笑った。


「仮想敵じゃない。おまえもその敵の一人だ。俺は一度もキサマを仲間として見なした覚えはないからな」

「ぬけぬけと」


 それでも鵺は面白そうに鼻をならした。


「鵺は、ここで平坂町を守護するのん?」

「もちろんだとも。この地はわしのものだからな」

「ほなら、平坂を守ることに関しては意見が一致するやないの」

「む……そうだな」

「せやったら、一緒に守っていけばええんとちゃう? 反対意見は?」


 凜理に提案されて、満夜と鵺は目を合わせた。


「今のところ異存はない」

「わしは捧げ物さえあれば、さほど生け贄に飢えておるわけではないからな」

「じゃあ、とりあえず、お互い仲良うしたらええんとちゃうかいな」


 満夜たちを見上げて、にこりと凜理が微笑んだ。


「では、ひとまず休戦だな」

「よかろう……その前に、この二匹を引っぺがしてくれぬか」


 そう言って、鵺によじ登ってだらだらと血を流している八橋と、いつまでもスリスリしている菊瑠を見やったのだった。

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