第4話

「どうしよう……」


 いざなみは毒を片手に、部屋のなかを行ったり来たりした。殺せといわれても、大好きないざなぎを殺すつもりは全くない。けれど、殺さなければ高天原にいる親族が粛正される。

 それ以前に鵺がいざなぎを殺すことを許さないだろうし、自分も鵺を怒らせたくない。

 どうしようもこうしようもない。答えは決まっている。


「大王を裏切るしかないんだわ……」


 気持ちが固まって、いざなぎの様子を見に行った。宴会はまだ続いている。けれど、いざなぎは何も知らず、敵を懐まで導いてしまった。鵺にこのことを相談するしかないと思った。

 鵺はいざなぎとそう遠くないところでグビグビとどぶろくを飲んでいるようだった。


「鵺様……鵺様……!」


 小声で鵺を呼ぶと、すぐに気付いてくれ、シュッと瞬間移動していざなみのもとへやってきた。


「どうしたのだ?」

「鵺様……ご相談があるのです」

「ほう?」

「わたくしの国が平坂国を侵略しようとしているのです。まず手始めにいざなぎ様を殺せと命じられましたが、わたくしにはそのようなこと、到底できません……でも、この毒薬を手渡されて……」

「ほう……毒殺しろと。不敬な奴らだ。天つ神といえど所詮ひと。どのように力がある者どもだとしても、このわしを侮るとは……」


 いざなみの頭を食いちぎることもできそうなほど大きなあぎとから牙を見せて、鵺がうなった。


「まずは……その毒だが、おまえが飲めばいい」

「え!?」


 いきなり鵺にそんなことをいわれて、いざなみは面食らった。


「やはり、鵺様も裏切り者のわたくしを生かしておく訳にはいかないのですね」

「そういうわけではない。おまえは平坂の地の底にある黄泉の存在を知っておろう」

「はい、いざなぎ様に教えていただきました。平坂でなくなったものたちが行く地でございますね」

「わしはそこへ好きに行き来できる。それに黄泉に行ったとしてもわしの力であればおまえを呼び戻すことができるのだ」

「そんなことが!? でも死んでしまったら生き返る事なんてできないのでは……?」

「黄泉の国に行ってしまえば、ただの人であっても特別な力を持つことが可能だ。特におまえのような天つ神の血を引くものであれば。黄泉ではおまえののぞむものを好きに手に入れることができるだろう。ただし、おまえの体をわしは食らわねばならない。そうしなければ魂と体を黄泉に送れぬからだ」

「わたくしを食らうのですか……でも! わたくしにできることならば何でもいたします。死ねとおっしゃるなら死んでみせましょう。くろうていただいても構いませぬ! いざなぎ様のお命が助かるなら」

「いざなぎのことならばわしに任せているのだ。黄泉に下ったおまえをわしが迎えに行こう」


 かなり安請け合いのような感じで、鵺はいざなみに簡単に黄泉に行けと命じた。いざなみも鵺が連れて帰ってくれるなら、毒を飲んでも怖くないと思った。


「かならず、迎えに来てくださいね!」

「おお、安心せい。任せておくのだ」


 いざなみはどぶろくを持って鵺とともに自分の部屋に行き、鵺に抱きしめられながらどぶろくと一緒に毒を飲んだ。

 いざなみはコトンと眠るように死んでしまった。




 気がつけば、いざなみは暗い坂道を下りていた。

 これが、いざなぎが言っていた黄泉比良坂なのだ。どんどん下っていくとやがて広いところへ出てきた。うら寂しいところではあったが、大きな屋敷が建てられていて、そこにたくさんの人たちがいた。

 いざなみは何もない寂しい場所に花を咲かせて、おいしい実のなる木を生やした。ぼんやりとしている死者たちに着るものを与えて、住む場所を作った。

 どのくらいの時間が過ぎたかわからなかったが、いざなみは木になった実を食べたり、機を織ったりして過ごした。


「一体いつになったら迎えに来てくださるのかしら……」


 いざなみは黄泉と平坂の時間の進み方が違うことを知らなかったせいで、ずいぶん待っている気になっていたのだ。

 でも実際にはそれほど時間は経っていなかった。




 宴から戻ってきたいざなぎはいざなみの様子を見ようといざなみの部屋を訪れた。いつもなら寝間着姿で自分が来るのを待っているいざなみの姿がない。

 代わりにあったのは、鵺に襲われて死んでいるいざなみだった。首だけになったいざなみの肉を食らっていたのだった。


「鵺様! いざなみに何をなさったのですか!?」


 最初いざなみが死んだことを信じられず、いざなぎは驚いて大声を上げた。


「まさか! いざなみをにえになさったのですか!!」

「ま、待て、これには訳があるのだ」

「鵺! 生娘おとめだからといってオレの妻を食らうとは、おのれ! とうとう人の情も解さぬ獣となったか!」

「待て!」


 いざなぎは頭に血が上っていて、鵺の言葉が耳に入らなかった。腰の十束の剣をとり、鵺に飛びかかった。硬い鵺の皮膚に食い込んだ刃を力任せに曳いたので、二本の刃が欠けて八束になった。

 それでも鵺の体を引き裂けるのはこの剣のみだった。

 鵺はいざなぎに牙も爪も向けず、無防備にやられるだけだった。腕の中のいざなみの体を食うことに専念した。全て食べなければ、いざなみの体を黄泉に送ることができないからだ。

 その間に、鵺の四肢は八束の剣で切断され、いざなみの首を呑み込んだときに首を切られた。

 首を切られても死なない鵺は、いざなみにもう一度言った。


「いざなみは黄泉におる。おまえの迎えを待っているぞ」


 それが、不幸なことにいざなぎの命も奪ってやると誤解された。


「おのれ! 鵺、決してキサマを許さない! 二度とこの世に出ることがかなわないようにしてやる」

「愚か者、わしを殺せば黄泉にいる化け物が平坂に溢れかえるぞ!」

「そうならない方法をオレは知っている。黄泉の入り口をキサマの体で封じるのだ。この飛翔輪と勾玉、八束の剣がキサマの代わりになってくれるだろう」


 四肢に備わっている飛翔輪をもぎ取って、それぞれの飛翔輪の中に四肢を封じる呪文を唱えた。そうやっていざなぎは勾玉に胴体を、八束の剣に頭を封じたのだった。




 いざなみは黄泉で退屈をしのぎながら、いつ鵺が迎えに来るか待ち続けた。その間に黄泉の化け物、ヨモツシコメも手懐けた。

 いざなみはそれまで魂だけのような気がしていたが、肉体がどうしてか戻ってきて、生きている頃と変わらないことに気付いた。


「これなら、平坂にいつでも戻ることができるわ」


 いまかいまかと鵺の迎えを待ち続けているのに、一向に来る気配がない。それどころか、黄泉に死者が溢れかえるようになってきた。


「確か、鵺様は平坂で死んだひとは黄泉に来るとおっしゃっていたわ……まさか!?」


 いざなぎの身に何かあったのではないかと、いざなみは心配になった。

 だからこそ、黄泉へいざなみを探しに来たいざなぎを見て、心から安心したのだ。

 そんないざなぎが頼みの綱の鵺を封じてしまったとは知らずに……。

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