第3話

***




 十二月初頭の土曜日、面会時間に合わせてオカルト部員全員が平坂病院に集結した。


「諸君、準備は良いか」

「はい! 芦屋先輩。絹糸はここにあります! 何色が良いかわからなかったので、ピンク色にしてみました!」

「お香、持ってきたで。量がわからんかったから、ばれん程度の量やけど……」

「あたしも用意してきたよ。先生の机の中にあったこれ」


 そう言って美虹が手の中にあるものを見せた。それは以前、古墳から出土したといっていた動物型の土偶だった。


「先生はあれからこの土偶についていろいろと調べていたのだな」

「かもしれないね。この土偶だけ、机に仕舞ってあったし」

「おれはいつでも幽体離脱できる心構えだ! いざ、参らん!」


 お昼過ぎの病室は、お昼ご飯のいい匂いがする。

 面会時間は一時から夜の八時まで。その間に二時、四時に検温。最後に夕方六時が夕飯だ。先生の点滴は大体二時間で交換なので、二時から四時までが眠りの淵へ行くチャンスだった。

 鵺をバッグに詰め込んで、先生のいる病室へ向かう。

 プライベートを守るために、病室のカーテンはそれぞれ閉められていて、先生のベッドのカーテンも閉め切られている。

 二時の検温が終わり、いよいよ眠りの淵へ行く準備を始めた。


「今日はこの間みたいに騒いだらアカンで。看護師さんが来てもうたら、中断せなアカンし。中断したら何が起こるかわからんからな」

「了解です!」


 それぞれが白い掛け布団の上に準備してきたものを置く。バッグから顔を出した鵺が満夜にいった。


「これらをおまえが身につけて、この男と添い寝をするのだ」

「ぬぅ……」


 覚悟を決めてきた割には、満夜の顔が曇る。それもそのはず。女子一同の視線が自分に集まっているのだから服を脱ぎづらい。


「そか……忘れとったわ。みんな一度部屋から出よ」

「頼んだ」

「オーケー」


 一人きりになった満夜はいそいそと服を脱ぎ、眠っている八橋を見下ろした。これで八橋の目を覚まさせることができたとき、裸の満夜が隣で寝ていたらどう思うだろうか……。

 なるべく……いや、絶対に誤解してほしくないと思いながら、満夜は布団に入った。手にはお香と土偶、糸を握りしめている。

 目をつむり、三十数えた。

 ストンと意識が落ちていく。細いトンネルを通り、だんだんと明るい場所へ向かっているのがわかる。意識ははっきりとしていて、自分の幽体が肉体から抜け出す感覚を味わっていた。

 まるで暗がりから明るい場所に出てきたかのような錯覚が起こる。

 満夜は病室の風景を思い浮かべていた。けれど、目の前に現れたのは白い病室などではなかった。

 灰色の曇天、生温かな風。音はないが、辺りからはお香の匂いがする。ピンク色の糸が地面に垂れ、ずっと遠くに向かって伸びている。転々と石が転がる赤茶けた荒野が目の前に広がっていた。

 いつの間にか服も着ており、自分の手の中にはちゃんと準備した品々が握られていて、満夜はほっとした。

 ふと気付くと、満夜の足下にはくっきりとした足跡が一人分付いていた。


「先生の足跡だな」


 なぜか、満夜は直感した。満夜の魂は添い寝することで八橋のいる場所にやってくることができたのだ。

 足跡を追ってどんどん先に進むと、遙か遠くに蜃気楼が見えてきた。水場でもあるのだろうか……。

 近づいていくと、おいしそうな匂いが漂ってきた。そこに見覚えのある人物をようやく見つけた。

 草も生えないような沼地の淵で、八橋が無我夢中で皿に盛り付けられたごちそうを貪っていたのだ。


「八橋先生、やっと見つけたぞ。さぁ、眠りの淵から帰るのだ」

「あれ? 満夜くんじゃないか。どうしたの? ごちそうがたくさんあるから君もどう?」

「ごちそうを食べてる場合ではないぞ。一体どのくらいここにいるかわかっているのか」

「うーん昨日かな……おととい?」

「何を言っているのだ。半月以上も先生は眠り続けているんだぞ?」

「眠っているって……ボクはこうして起きてるじゃないの」

「ここは眠りの淵といって、黄泉と繋がっている場所なのだ」

「眠りの淵……黄泉と繋がっているだって? けど、そんな感じは全然しないよ? こーんなに花畑が広がってて、綺麗なお姉さんが次々にごちそうを持ってくるんだ」

「ぬう」


 しかし、現実には花畑もお姉さんもいない。満夜は考えあぐねていたが、何かを思いついたように、手を打った。


「そうか! 先生はヨモツヘグイをしてしまったのか……あの世で食事をきょうされて食べてしまうと、あの世から帰ることができなくなってしまう。かのいざなみもいざなぎの迎えが遅いばかりにヨモツヘグイをしてしまったために、黄泉の人間になってしまったと書いてあった」

「ヨモツヘグイ……じゃあ、ここは黄泉なの?」

「まだ黄泉にはたどり着いてないが、いずれ、そう遠くない未来、先生は確実に死んでしまうだろう」


 それを聞いて、八橋も顔を青くした。


「それにレッサーパンダに二度と会えなくなるぞ」

「そんな……まだもふもふしたりてないのに! ごちそうよりももふもふしたい!」

「それでこそ、変人先生だ! さぁ、ここから離れるぞ」


 八橋が満夜に促されて立ち上がったとき——!

 沼から巨大な灰色の手が突き出した。


「ヨモツシコメ!?」


 満夜はたじろいで立ちすくんだ。


「何をしている! こっちにこい!」


 背後から見知らぬ男の声がした。

 二人が振り返ると古代の衣装を着た男が立っているではないか。その男が大きく手を振って満夜たちを呼んでいる。


「こっちに来るんだ!」

「かたじけない!」


 満夜は八橋の手を取って引っ張った。

 沼からヨモツシコメの両腕が出てきた。それがビタンビタンと沼の淵を叩いた。徐々に頭と肩が出てきて這い上がってくる。


「走れ! 糸を辿って走るんだ!」


 男に言われたとおり、満夜は赤茶けた地面に伸びるピンク色の糸を見つけてたどっていった。

 それなのに、八橋の足取りが遅い。


「ダメだぁ、ボクはこれ以上走れそうにないよ……満夜君だけでも先に行ってくれない?」

「何を言っている、先生! オレはわざわざここまで先生を助けに来たんだぞ!?」

「その男はヨモツヘグイしてしまった。死んではいないが、この眠りの淵から出るには自力では無理だ。おまえの手の中にある土偶を出すのだ」

「なぜ、俺の手に土偶があると知っている!?」


 満夜が驚いたのを見て男がにやりと笑った。その顔に満夜はなんだか見覚えがあった。


「おまえ……父ちゃんか!」


 仮死状態になり、やがて死んでしまった満夜の父が目の前にいた。


「いや、違う」


 それなのに、男は満夜の言葉をにべもなく否定した。


「オレはいざなぎだ。現世の体を脱ぎ捨ててわざわざこの地にやってきたのだ。さぁ、早く土偶を!」


 満夜はもっといろいろと聞きたいのを我慢して、土偶を男に手渡した。

 男がいきなり土偶を空に放り投げた。


「何をする!」

「見るのだ! この土偶の真の姿を!」

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