第4話

 言い終わるや、空に放り投げられた土偶の形が変化した。

 巨大な虎縞の体躯に茶色い手足、蛇の尾が空に揺らめいている。頭部のたてがみがなびき、真っ赤なあぎとを大きく開けて、獣が咆哮した。


 ぐわぉおおおおおお——っ!!


 その吠え声を聞いて、足音を立てながら走ってきていたヨモツシコメの足が止まった。


「今のうちに糸を辿って逃げるのだ! 決して途中で振り返ってはならないぞ!」


 男に再度促されて、満夜は八橋の重たい手を握ったまま先を急いだ。

 赤茶けた大地の日が暮れていく。次第に暗くなっていき、ピンク色の糸だけが煌々と明るく光を放っていた。


「先生、大丈夫か!?」

「大丈夫だけど、体が重たいんだ。もっと引っ張って」

「仕方ないな……強く握っていろよ?」


 男に言われたとおり満夜は先生を振り返らなかった。手の中で先生の手がむくんだり水気を含んだりと変化しても、絶対に振り返らなかった。

 振り返れば、そこにはヨモツヘグイをしてしまって変化した先生の姿があると知っていたからだ。

 振り返ることなく、この世に先生を連れ戻すことができれば、先生は生き返ることができる。

 いざなぎが犯してしまった過ちを、満夜は決して繰り返さないと何度も心に念じながら、いつの間にか坂になった道をどんどん登っていった。

 そして糸が途切れたとき、辺りにカッと光が満ちた。その途端先生の手の感触がなくなってしまった。

 満夜はうっかり振り返ってしまった。そこに先生の姿はなく、何もかもが真っ白な光に包まれていて、満夜自身の体も宙に浮いたようになった。


「あっ!」


 満夜が叫ぶと、いきなり辺りは真っ暗になった。かび臭く、洞穴のようになっている。満夜は這いつくばって地面を手探りしながら進んだ。そのうちに、洞穴に出口があることに気付き、そちらに向かって突き進んだ。洞穴は次第に広くなり、いつの間にかライトが当たっているのに気付いた。

 見覚えがある場所だ……と、満夜は周りに目を巡らせる。


「そうか……ここは古墳だ」


 いつの間にか満夜は平坂古墳の中にいたのだ。それも素っ裸で。


「せ、先生は……!? いない……?」


 さっきまで手をつないでいた八橋の姿はここにはなかった。おそらく、魂が肉体に戻り、病院で目を覚ましていることだろう。


「さ、寒い……」


 凍るような十二月の寒さに手足があっという間にかじかんでくる。しかも四つん這いのせいで寒さもひとしおだ。

 ライトが付いているということは、まだ開館時間だということになる。

 満夜は恥を忍んで、声を上げた。


「たすけてくれ!」


 まもなく、満夜は巡回していたガードマンに見つけられて、警察に補導されたのだった。




***




 事件性がないということで、警察に里海が迎えに来てくれて、ようやく満夜は解放された。

 二時五分頃、凜理たちがそろそろ布団に潜り込んだ頃だろうと様子を見に行ったときには、すでに満夜はそこにいなかった。

 満夜は二時五分過ぎに見学できるように解放されている古墳の中で見つかった。土だらけの素っ裸の姿で、手には何も持っていなかった。すべて、眠りの淵に置いてきたようだ。

 二時五分に目覚めた八橋は、喜んでいる凜理たちに驚いているようだった。すぐに看護師が来て、八橋の身体チェックが医師によっておこなわれたが、異常はなかった。

 凜理たちは満夜がいなくなったことに関して戸惑いはしたが、病室から追い出されて、バッグの中から聞こえた鵺の言葉に安心した。


「あの男が無事に目を覚ましたということは、あやつは無事だということだ。香が眠りの淵に案内し、八橋に由来しているものが眠りの淵に現れるヨモツシコメを退治する。糸をたぐっていけばいずれ用意したものと縁がある場所に出られるだろう」

「どこに出るかわかるのん?」

「それはわしにはわからぬが、あやつは土偶を持っておった。土偶に縁がある場所に現れるだろう。すでに現れているやもしれん」

「じゃあ、急いで古墳に行ってみましょう!」

「服がこのまんまだから、きっと満夜くん、素っ裸だよ」

「まずい! 警察に捕まるわ!」


 と言って、三人は急いで古墳に向かったが、すでに満夜は警察に補導された後だった。

 古墳のガードマンに事の次第を聞いた凜理たちは、とりあえず満夜の家に向かった。




 満夜の家のインターホンを鳴らすと、道春が出た。

「お、凜理ちゃん」

「こんにちは、道春おじいちゃん」


 満夜の家で道春が留守番をしていた。


「満夜は警察だ。何をしでかしたんかな……素っ裸だったらしいぞ?」

「オカルト研究なんや、道春おじいちゃん。ほら、服はここにあるで」

「まぁ、お嬢ちゃんたちも上がりな。お茶かジュースでも飲むか?」

「はーい、お邪魔します〜」


 三人はリビングに通されて、満夜が帰ってくるのを待った。

 ほどなくして、里海と満夜が戻ってきた。


「ただいま。あら、凜理ちゃんたち、来てたの? 満夜ならホラそこ。もう、恥ずかしくて表を歩けないわ」


 恥ずかしいとは、どうも素っ裸で古墳にいたことを指しているようだ。


「恥ずかしいとはなんだ。母ちゃん。おれはだな、八橋先生を目覚めさせるために崇高なおこないをしたのだ。裸は結果論だ。お、凜理」


 ジャージ姿の満夜がふとオカルト研究部部員の女子三人に目をやった。


「服持ってきたで」

「ご苦労だった」

「それにしても、古墳に現れるなんてどういうことやろか」

「うーむ。ここではなんだ。オレの部屋に行こう」


 四人は階段を上がり、満夜の部屋に入った。

 バタンとドアを閉め、里海が来てないことを確認した後、満夜はベッドの腰掛けた。


「無事にあの世に行って八橋先生を見つけて黄泉比良坂を登って帰ってきたが、先生は目を覚ましたか?」

「うん、先生、あんたと一緒になって五分くらいで目を覚ましたで」

「オレもほぼ同時刻に古墳に出られた。だがなぜ古墳なのか……あれは眠りの淵で出会った男と関係があるのだろうか」

「「「男?」」」


 女子たちが不思議そうに訊ねた。


「古代の服を着ていて、自分のことをいざなぎだといっていた。顔は父ちゃんそっくりだった……現世の肉体を脱ぎ捨てたといっていたから、生きていたらオレの父ちゃんだったんだろう……」

「忠志おじさんが?」

「だが、もはや父ちゃんではない。神話の人物となって、眠りの淵にいるのだ」

「その人が八橋先生を助けたんですか?」

「いや……先生の土偶が助けてくれた。空に投げた途端、土偶が巨大な獣になったのだ」


 いきなりバッグのチャックが開いて鵺が顔を出した。


「それはわしだ。わしをもした土偶からわしの姿が出現したのだ」

「あれがキサマだと!? こんなちんちくりんがあんな凄い獣になるはずがない!」

「失敬な! そうか。わしの土偶は古墳にあるはずだから、おまえは古墳に導かれたのだろう」

「それは謎だが、オレはあのいざなぎに導かれたように感じた。きっと眠りの淵の出口は古墳にあるのかもしれない。うむ……そうか! 今銅鏡がなく封印されていないのは、九頭龍神社といざなぎ神社、平坂高校、古墳だ。神を祀っている神域でもある神社の類いを別にすると、俺が現れる可能性があるのは平坂高校と古墳だ。だが、俺は古墳のほうに現れた」

「どういうことなん?」

「わからんのか、愚か者が。これらの場所にはヨモツシコメが出てくる穴がある。そのために封印していたのだからな。平坂高校に何らかの変化があったのだ! でなければ、古墳以外に俺が現れる場所は平坂高校でもおかしくなかったのだ!」

「平坂高校にどんな変化があったの?」


 美虹が首をかしげた。


「再度封印がなされた可能性があるな」

「「「封印が?」」」

「そうだ。その秘密を知るのは、キサマだ! 鵺!」

「わしは知らんぞ」


 鵺があからさまにしらばっくれた。


「例の三枚羽の謎の物体。それを隠したのが平坂高校だろう!?」

「さぁな。それよりなぜいざなぎが黄泉の近くにいたのか、だ。そちらの方が謎ではないのか」


 それを聞いた凜理が心配そうに満夜を見た。


「それは……おそらく、父ちゃんはオレと同じように眠りの淵へいったのだ。そしてそこでヨモツヘグイをしたのだと思う」

「「ヨモツヘグイ?」」


 白山姉妹が不思議そうに言った。


「ヨモツヘグイとは黄泉に行ったものが黄泉の食べ物を食うことなのだ」

「それは良くないことなんですか?」

「この世に自力で戻れなくなるのだ。現に八橋先生なぞガツガツ食っていたぞ」


 満夜の脳裏にお花畑の中で美女に囲まれてごちそうを食べる八つ橋が自動再生された。


「よう戻ってこれたな」

「オレが手を引っ張った。ヨモツヘグイしたものとこの世に戻るためにはこの世のものが連れていかねばならない。その際には決して振り返ってはいけないのだ」

「そうなんだ……いざなみ様を連れ戻すとき、いざなぎ様は振り返っちゃったから、一緒にこの世に戻れなかったんだね……。ちっ、クソいざなぎ様め」


 美虹がいざなみの肩入れをして文句を言った。


「とにかく、八橋先生は目を覚ました。次はいざなぎがなぜ黄泉にいるのか、三枚羽の物体の謎を探るのだ!」


 満夜が腕を振り上げて大きな声を上げた。

 ガチャ。

 ドアが開けられて、里海が顔を出した。


「満夜、調子こいてまた古墳で裸になって寝てたりしたら、覚悟しときなさいよ! 凜理ちゃん、お菓子持ってきたわよ」


 里海に睨まれて、満夜はしぼむようにしゅんと小さくなったのだった。

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