第2話

「この男の魂は今、黄泉と繋がっておるのだ。生きたまま死んでいる状態ということだ」

「じゃあ、先生は死んじゃったんですか!?」

「早急に答えを求めるでない。魂は黄泉にあるが死んでいるわけではなかろう。おそらく魂が黄泉へと徐々に引き込まれていると言える。もしも完全に黄泉に魂が到達すれば、このものの命は尽きてしまうだろうな」

「やっぱり死ぬのではないか。どうすれば、先生の魂をこの世に戻すことができるのだ?」

「この男は今や死に至る眠りの淵におる。その眠りの淵に降り立ち、何がこのものをとどまらせておるのか突き止めるのだ」


 そこまで話すとベッドに備え付けられたテーブルに下りたって、満夜たちがお見舞いに持ってきた菓子折をバリバリと破り始めた。


「まて、どうやって眠りの淵に降り立てるというのだ!?」

「ていうか、そのお菓子は先生へのお見舞いやねんで。勝手に食ったらアカン」


 菓子折の中に顔を突っ込んでクッキーを貪り始めた鵺の体を菊瑠が持ち上げた。ジタバタともがくけれど、菊瑠の抱擁からは逃れることができなかった。


「放さぬか!」

「ダメです! ちゃんと眠りの淵に行く方法を教えてください!」

「そんな簡単なことも知らず術者を気取るとは実に愚かなことだ、従者」

「ええい、うるさい! 自分からほのめかして置いてもったいぶるな!」

「添い寝して、ともに眠りの淵に降り立てば良いだけだ。この中でその素養があるものは、この娘とおまえだけだな」


 そう言って、鵺は美虹と満夜を前足で差した。


「あたし? 口寄せとかするからかなぁ」

「やはりな! そうではないかと思っていたのだ! これこそオレに特別な力が宿っている証だ。よし! 早速眠りの淵とやらに行くとするか!」

「ふふん」


 満夜を見て鵺があざ笑うように鼻を鳴らした。


「だからおまえは愚か者なのだ。なんの下準備もせずにこの男の眠りの淵にいけるとでも思うたか!」

「むぅ……ではどんな準備をする必要があるのだ!?」

「まず香が必要だ。それからこのものを思い起こさせるもの。眠りの淵から戻るための絹糸。後は眠っておるものと寄り添って眠るのだ。仮死状態にならねばならぬ。深い眠りで眠りの淵におるものとつながり合わねばならぬ」

「香ってどんなものやの」

「白檀だ。上級のものでないとならぬ」

「うちの神社にあるはずや。持ってくる」

「思い起こさせるものってなんでもいいの?」

「そうだ。このものが身につけているようなものがよい」

「それならあたしが大学に行って探してくるよ」

「絹糸ってお裁縫道具の糸でもいいんですか?」

「絹でできてればなんでもよい」

「じゃあ、わたしの糸持ってきます」

「眠りを操るならオレは得意だ。なんなら幽体離脱もできるぞ! これなら仮死状態と同じだろう」

「確かにおまえの魂はたまに体から抜けておったからな」

「ほんまか!? 死んでしもたらアカンで!?」


 満夜が仮死状態にしょっちゅうなっていると聞いて、凜理は心配になった。


「大丈夫だ。オレは幽体離脱というものをよくわかっている。毎日の鍛錬のたまものなのだ」

「ではそれらを集めた後、おまえは肌身を男と沿わせて眠ればよい」


 満夜が眉を上げていぶかしそうに鵺を睨んだ。


「肌身を沿わせる? それはどういうことだ」

「裸身となって、男と寝るだけだ」


 それを聞いて、満夜が目をヒン剥いた。


「裸になって男と寝るだとおおぉぉ!?」

「やらぬのであれば、眠りの淵にはたどり着けぬ」

「美虹くんに……」


 満夜の視線が美虹に移る。いつかの夜、満夜を悩ませた体の柔らかさが脳裏に蘇った。

 ダメだ、頼めない。年頃の女子が真っ裸で昏睡状態の男と添い寝するのは公序良俗的に問題がある。

 できるならば、裸で男と一緒に寝るのだけは避けたかった満夜だったが、先生なくしてこれから先、平坂町のオカルト探求は成り立たない。


「くう……ここは私情を挟まず、鵺のいうとおりにせんといかんか」

「最初から素直にいうことを聞いておれば良いのだ」

「幸いなことに今日は準備ができていないからな……時間も遅い。今度の土曜日にでも集まって、その眠りの淵とやらを究明しよう」


 まだ四時半なのに、窓の外はすっかり日が暮れている。あかね色の空に黒いカラスが数羽飛んで行く。

 オカルト研究部部員たちは平坂病院を出て銘々帰路についたのだった。




 満夜はだんだんと暗くなる道を歩きながら、自分の肩の上の鵺に聞いた。


「南のほうにいっていたと聞いたが、何県とかいうのはわからんのか」

「わしに県名なんぞわかるか。熊襲くまその民が治めておった地よりも南に当たるのではないか?」

「鹿児島県か宮崎県といったところか。それにしても平坂に封じられた自分の体もわからんヤツがよく他県にある自分の体がわかったな。銅鏡ですらなかったんだろう?」

「ほんまやな。ガシャドクロのときもいざなみ教のご神鏡のときも気付かんかったもんなぁ」

「この地自体が封印された特殊な地なのだ。本来の力を発揮できなくなっているわしにとって、この地で自らの体を探すのは至難の業だが、この地から離れれば何のことはない」

「その調子で見つけてくれていれば、なんの苦労もなかったはずだが、自分が治めていたはずの平坂町がネックになっていたとはな。キサマも口ほどでもないな」

「生意気なわっぱが……わしの体を取り戻せしときは……!」

「けんかは止めや。今は眠りの淵のことを聞いたほうがええんとちゃう?」

「眠りの淵か……凜理のいうとおりだ。眠りの淵は黄泉に繋がっている場所で間違いないのか?」

「直接繋がっているかどうかはわしにはわからぬ。生きたまま死んだ状態になれば、人は黄泉比良坂や眠りの淵へと迷い込む。いざなぎがいざなみを取り戻しにいったときも同じような方法を用いた」

「いざなぎも同じ事を……」

「あやつは託宣以外にも遠見をおこなうために魂が体から抜け出す術法を使っておった」

「オレの親父も同じ事をしていたのだろうか……」

「それは知らぬ。おまえの父とはおうたことがないからな」


 凜理が心配そうな表情で、陰りのある顔を見せた満夜を見やった。

 満夜の父は病死ではない。ある日、部屋で倒れていたのだ。まさに八橋と同じ状態で。目が覚めないまま忠志は死んでしまったのだった。そのことを思い出したようだ。


「八橋先生を必ず眠りの淵から救い出す!」


 ぐっと拳を握って、満夜は決意するように言い放った。

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