第5話

***




 満夜が全力疾走できたのは約百メートルだった。


「くっ、健脚の呪符があれば!」


 などといいながら息を切らしている。

 そこへトスッと軽いものが肩に乗ってきた。


「従者が主人を忘れるでないぞ」

「誰が従者だ! 従者はオレの先祖でオレ自身ではないぞ」

「それならばわしの従者を代々引き継いでいく一族だ。それで文句はなかろう」


 そこで満夜は初めて不思議に感じた。


「そういえば、オレの先祖はなぜ従者になったんだ?」

「従者とはわしの巫覡ふげきのことだ。わしの言葉を聞き、わしの言うとおりにする。民草にわしの言葉を伝える。だからこそ、従者はわしの代弁者としてた身の上に立つことができるのだ」

「ようするに拝み屋みたいなもので、おまえを神として崇めて託宣を受けていたと言うことか」

「有り体に言うとそうだ」

「うーむ……いざなみ教と同じものだったとは……いざなぎは鵺の奴隷だったのか……」

「ある日、従者は女に入れ込んだ。それがいざなみだ。いざなみが従者をそそのかしたせいでわしを裏切ったのだから、いざなみもわしの敵だ」


 そこで、満夜ははてなと首をかしげた。


「と言うことはだ……いざなみは侵略者側の女と言うことか」

「そうだ」

「とにかく今はそのいざなみのいる黄泉への道、いざなぎが封じた黄泉比良坂をどうして父ちゃんが寄り強力にするために封じたかを知るのが先だ! キサマとはいつか決着を付けてやるからな」

「それはわしの言葉だ、わっぱ!」


 満夜は再び家に向かって全力疾走した。




 ヒイヒイ言いながら玄関を上がり、一直線に亡き父忠志の遺品のある仏間へ行く。


「満夜! 夕飯食べなさい!!」


 里海がすかさず声を掛けたが、今日ばかりは里海の言うとおりにはできない。


「後で食う!」


 満夜は古文書や走り書きなどをひっくり返し、父の日記を取り出した。数十冊に及ぶ日記には毎日の食事と天気しか書かれていない。それは百も承知だ。


「だが、ここにヒントがある……オレが見落とした何かがあるはずだ」


 そう言いながら、パラパラとページをめくっていく。これ全部を一人で見るのは一晩では足りなかった。


「何日かかろうとオレは手がかりを見つけてやる!」




 凜理と菊瑠はよたよたと満夜の家の前までやってきた。走り疲れるというか、何度もこける菊瑠を支えながら走ってきたせいで余計疲れたのだ。


「すみません、先輩」


 運動神経が壊滅的な菊瑠と運動神経抜群な凜理が合わさると満夜より遅くなってしまうようだ。


「ええんよ、白山さん。それより」

「はいっ!」


 菊瑠が意を決したようにインターホンを鳴らした。


『はーい、どなた?』

「おばさん、うちやけど。満夜おる?」

『あら、凜理ちゃん。どうぞ上がって!』


 里海に促されて二人は玄関を上がりリビングに入った。


「満夜なら仏間にいるわよ。あら、この間のお嬢さんも一緒なの? 満夜ったらもてるわねぇ」

「おじゃましまーす」


 凜理と菊瑠は急いで満夜のいる仏間に入っていった。


「満夜!」

「芦屋先輩!」


 二人がスパーンとふすまを開けると、血眼ちまなこで手がかりを探す満夜がいた。


「なにしとんの」

「見てわからんか! 父ちゃんがなぜ千曳の岩に封印の呪符を使ったのか手がかりを探しているのだ」

「いや、それは話したからわかっとるけど、その日記は死ぬほど読み返したんちゃうん?」

「最後の方はけっこういい加減に読んでたからな。見直しだ」

「じゃあ、うちらも手伝うわ」

「うむ」


 そう言って数冊、凜理と菊瑠に日記を手渡した。

 ヨレヨレの大学ノートの表には年月が書かれていて、どうもそれが能力に目覚めてから死ぬまでの間に書かれたものらしかった。

 三人は蛍光灯の下、黙々と日記を読み続けた。


「わぁ、なんか茶色い色彩のご飯ばっかりですね」

「まぁ、昭和の人やしかたないんちゃうん。うちは満夜が生まれてからやから、わりに色彩豊かな食卓やで」

「おまえ達、真面目に探せ! 食事もそれほど重要ではないはずだ」


 しばらくした頃、菊瑠が「あれぇ?」と言い出した。


「どうした、白山くん」

「芦屋先輩、このページ、なんだかひっついてるような気がするんですけど……」

「見せてみろ」


 菊瑠が手渡したのは最期の日記だった。最終ページが海苔か何かで貼り合わせてある。綺麗に貼ってあるため、満夜も気付かなかったのだ。


「うーむ。これならば、もっとよく読んでおくべきだった……」

「どうやって剥がしたらええと思う?」

「ページ全体にのりが付けられているようには見えない。四方を切れば中身が見られるんではないだろうか」


 早速はさみを持ってきて、満夜が慎重に四方を切り取った。

 大仰に貼り合わせていた割に書かれていた文字数は少なかった。


『オレはいざなぎだ』


 その言葉を見た三人は凍ったように固まった。


「父ちゃんがいざなぎだと……!?」

「お姉ちゃんは勘違いしてたんですね」

「でも、なんでおじさんが!?」


 満夜が俯いてわなわなと体を震わせた。


「く、ふふふふふふふ……」

「何わろうとるん、気色悪いなぁ」

「何か面白いことでもあったんですか?」

「これが笑わずにいられるか!」

 ——ふははははははっ!!

「オレが! なぜ! この平坂町の謎を解こうと必死だったかわかったのだ! それはオレの中にいざなぎの血が! それも直系とも言える血が流れていたからだ!」

「だから、先ほどもわしがそう言ったであろう」


 満夜の肩にずっと乗っかっていた鵺が初めて口を開いた。


「キサマの言うことは半分くらいしか信じてないからな」

「なんやの、満夜の先祖はいざなぎやっただけやないん?」

「いざなみが侵略者側の女で、いざなぎはこの地を治めるものだったというのだ」

「いざなみ様が侵略者……悲恋ですね」

「だが結局、破局した。敵同士は結ばれないのだ」

「いざなみは死んだってあったけど、殺されたとか?」

「それはわからんが、とにかくオレがいざなぎではないことは明らかになった。ふふふふ。重たい愛から解放される日が来たのだ! ついに!」

「あーあ、お姉ちゃん、ショックだろうなぁ……」

「まぁ、勘違いはたださんとアカン」




 ——と言うわけで、さっさと三人は白山邸に赴き、真実を告げたのだった。


「がーーーーん」


 美虹のなかのいざなみがショックを受けて大泣きしたのはここだけの話。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る