第3話

「なんやこれ」

「動物園から逃げ出したんでしょうか?」

「レッサーパンダちゃんだ!」

「鵺……キサマは鵺なのか!?」


 四人が唖然と見守る中、レッサーパンダがもふもふの手を上げた。


「封印を解いてくれて礼を言うぞ。これで晴れて自由の身だ。さらば!」


 と言って、前足で満夜の手をどけて、銅鏡の上に二本足で立った。


「レッサーパンダちゃんがおちんちんしている……!」

 八橋が瞳をハート型にしてメロメロになった口ぶりで叫んだ。


 レッサーパンダが力んでぷるぷる震えている。


「キ、キサマ……何をしているのだ?」


 さすがの満夜もこればかりは理解しがたいらしくテンションの下がった声音で言った。


「と、飛べぬ!」


 レッサーパンダが悔しそうにうなった。


「凄い! レッサーパンダちゃんがしゃべった!」


 そう一声上げたかと思ったら、八橋がレッサーパンダに飛びついた。その弾みで勾玉が落ちそうになったのを、満夜が慌てて箱を掴む。


「か、かわいい!」


 もふもふの背中に頬を当てて、ぐりぐりし始めた八橋の頭を、どこから現れたのか蛇がひと噛みした。


「痛い! でもかわいい!」


 八橋以外の三人はレッサーパンダの尾が見事な白蛇だと頭で理解したが、レッサーパンダという認識を覆せなかった。それにしても立派な蛇である。


「離せ、離さぬか!」


 可愛いのかたまりが、もきゅもきゅと暴れている。それでも、満夜は頭を振り、レッサーパンダに声を掛けた。


「鵺なのか?」

「そうだ! わしはこの飛翔輪に封印されし鵺なるぞ。わしの飛翔輪がたった一つゆえ、空を駆けて残りの体を探しに行けぬ」

「飛翔輪って、その銅鏡のこと?」


 やっと、正気に戻った凜理が鵺に聞いた。


「銅鏡に見えるが、これは車輪だ。わしの足に備わっている物だ。それよりも、この男を離せ! いい加減うっとおしいわ!」


 鵺が毛皮に覆われた頭部に怒りのマークを浮かべて怒鳴った。しかも、もふもふの耳を震わせている。


「なんや、このかわいらしい生き物は……ほんまに鵺なん?」

「正真正銘の鵺だ!」


 いくら怒って見せても迫力が足りない。


「どう見ても人畜無害なレッサーパンダにしか見えんな」


 満夜も人差し指で鵺をつつくと指が毛皮に埋もれていく。


「わぁ、わたしにも触らせてください〜」


 椅子に座ってことの成り行きを眺めていた菊瑠も、堪らなくなって手のひらで、もふもふの毛皮を撫でつけた。


「柔らかい〜。もふもふです!」

「おまえ達、無礼なるぞ! わしから離れろ!」


 レッサーパンダは迫力のない姿で雄叫びを上げるのだった。


 みんなに触られてヨレヨレになった鵺がようやく床に下りられたのは数十分後だった。その間、何十回も抱きしめてくる八橋を蛇尾が噛みついたけど。

 たらりと額に流れる血を拭いながら、八橋が正気に戻ったのか、鵺を見下ろした。


「さっきから君たちは、このレッサーパンダちゃんを鵺と呼んでいるけど、どういうこと?」

「こいつは、その前足にくっついている銅鏡に封じられていたのだ。それをオレが見つけ出し、こうして手下……ぎゃっ」


 手下と言うことを口にした瞬間、鵺の蛇尾が満夜の足に食いついた。鵺の右前足の脇に、宙に浮くようにして飛翔輪がついている。どうやら、四肢にこの飛翔輪がくっつけば空を駆けることが可能らしい。


「見つけ出したって……古墳からかい? でも他に銅鏡はなかったけど……」

「これはオレの家の土蔵で見つけた物で、代々芦屋家に伝わる怨霊を封じ込めていた物なのだ。実際はこのレッサーパンダが封じられていたわけだが。こいつ! 何度も噛みつかせんぞ!」


 そう言って、満夜が蛇尾を両手でシュタタタタとかわした。


「怨霊?」

「崇徳院の怨霊だ」

「平坂町に崇徳院の伝説はないけどなぁ……」

「オレも調べ尽くしたが、この銅鏡の謂れは全くわからなかったが、封印されていたのは確かで、封印したオレの先祖がいたというのは事実だ」


 八橋が「うーん」と首をかしげる。


「そもそも勾玉はなんだったの?」


 満夜の手の中にある箱を見つめる。


「この勾玉が銅鏡の封印を解くからここに連れていけとこいつが言ったのだ」

「で、封印は解けたと言うことなのか。でも、伝説の中の鵺はこんなかわいらしい物じゃないよね」

「そうなのだが……」


 二人がじっと鵺を見下ろして顎を手で撫でた。


「わしの体が八つ裂きにされて封印された話をしたではないか。正確には六つに裂かれたのだがな」

「そういえば、そんなことをいうてたな」

「ええ……!? でもちゃんと五体満足じゃないですか?」


 凜理と菊瑠が不思議そうな顔をした。


「わしを封印した男はわしの体——魂を六つに分けたとも言える。神通力を六つに分けて封じ、わしが力を発揮できぬようにした上、飛翔輪も隠してしまったのだ。しかもわしの神器もバラバラにしてしまいおったが、こうして飛翔輪の一つと勾玉は戻ってきた。あとは八束の剣だけだ。おまえ、わしの勾玉を返せ」


 満夜の腕にもふもふが飛びついた。ぶらぶらとぶら下がっていた鵺が、よじ登って満夜の肩に掴まる。器用に前足を伸ばし、勾玉を掴んだ。

 勾玉が鵺の前足で掴めないほど大きくて持て余しているのを見た満夜が、鵺から勾玉を取り上げた。


「返さぬか! これはわしの爪と牙なるぞ」

「キサマに勾玉を渡して、平坂町が再び恐怖のどん底に陥れられないと言えるか!?」

「そんなことがあるわけがなかろう! わしは平坂の民の守護神なるぞ」


 満夜と鵺が言い争っている脇で、八橋がうらやましそうに見つめながら、凜理に訊ねる。


「八束の剣とか守護神と言っているけど、どういうこと?」

「全部、鵺の話してくれたことなんで真偽の程はわからないです。でも、八束の剣はうちの神社に伝わる神器なんです」

「そんな物が存在していたのか……その剣は今どこにあるの?」


 凜理はそこまで話した後、八橋に剣のありかを教えていいものか迷った。きっと満夜なら教えないのではないだろうか?


「わかりません」

「八束の剣とレッサーパンダちゃんの銅鏡。研究室に勾玉。これって立派な三種の神器だね」

「三種の神器の剣は天叢雲剣あまのむらくものつるぎじゃないんですか?」

「そう言われてるね。ただ、天叢雲剣は一度八岐大蛇の尾を刺したときに欠けているんだ。十握剣とつかのつるぎとも呼ばれていたけど、握りこぶし二つ分欠けたんだね。それで八束の剣と呼ぶ研究者もいるよ」

「はぁ」

「それにしても平坂町に三種の神器があったなんて……夢だなぁ」


 うっとりとした目をして両手を胸の前で組んで、八橋はため息をついた。


 当初の目的は勾玉で銅鏡の封印を解くことだったから目的は果たせたわけだけど、問題は鵺の存在を八橋が知ってしまったことにある。

 凜理は鵺と言い争っている満夜を横目で見て、八橋に言った。


「あの……このこと秘密にしてくれませんか?」

「どうして?」

「頭がおかしいて思われるからです」

「ふーん……確かに普通、レッサーパンダちゃんはしゃべらないし、尾っぽが蛇のレッサーパンダもいないしね」

「じゃあ、秘密にしてくれるんですか」


 凜理がほっとすると、八橋がにこりと笑った。


「いやいや、秘密にするとは言ってないよ。でも、条件を呑んでくれたら別だけど」

「条件てなんですか……?」


 嫌な予感が凜理の胸を騒がせた。


「ボクの研究に付き合ってもらうのはどうかな?」

「研究……ですか?」


 なんだかどっかのだれかみたいなことを言うな、と凜理は思った。


「そう。さっき言ったでしょ? ボクは平坂町の神々について調べてるって。宗教に関してもそうなんだ」

「……満夜と同じや……」


 凜理は八橋が誰に似てるかわかった。お騒がせオカルト野郎、芦屋満夜にそっくりなのだ。

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