8 怨霊鏡、封印を解かれる!?

第1話

 期末試験が終わり、夏休み初日。

 耳鳴りのような蝉の声と夏日の下、体が溶けたかのような滝の汗。

 いくら半袖の制服だといっても、皮まで脱いでしまいたいくらい暑い。


「暑い……」

っつ……」

「暑いです」


 バス停の前でオカルト研究部の面々が並んで立っている。

 平坂大学行きのバスは一時間に一本。朝に出発したかったが、満夜が寝坊したのだ。

 額の汗をふきふき、凜理が満夜をじろりと睨む。


「午前中ならまだ涼しかったのに!」

「仕方ないだろう! 昨晩は研究に余念がなかったのだ」

「まぁまぁ、先輩たち……」


 暑さで冷静さを失いいがみ合う満夜と凜理の間に入って、菊瑠が仲を取り持つけれど、二人の熾烈なにらみ合いは収まらない。

 一触即発と思いきや、ブルルルンとエンジン音が聞こえ、午後一番のバスが到着した。

 プッシュウと開いたドアから冷気がひんやりと流れて落ちてくる。

 三人は暑さから逃げるようにバスに乗り込んだ。




 バスは順調に千本鳥居の方角へ走っていき、やがて山並みが窓から見える田んぼの風景になった。まだ緑色の稲穂が日差しに照らされてキラキラと輝いているが、絶対外は暑い。

 そのうちバスは山の坂を登り始めた。

 ポツンポツンとあった民家も途切れて、すっかり周りは山に囲まれてしまった。

 もうこのまま山から出られないのではないかと思いきや、いきなり視界が開けた。

 大学の大きな建物が梢から垣間見える。何棟も連なる大学の建物の側にはおんぼろの大学寮もある。

 バスは何事もなく、大学の門の前に停まり、三人はバスから降り立った。

 じりじりくる暑さにまた苦しむのかと思っていたが、意外に外は涼しくて、ひんやりとした風すら吹いている。


「涼しいわぁ」


 凜理が大きく息を吸い込むと、爽やかな山の空気が肺を満たす。

 長いことバスに乗って凝った体を、伸びをして満夜はほぐした。

 菊瑠も凜理と同じように腕を広げて空気を吸う。


「環境はいいが、ここの夜はきっと不気味だろう。謎と不思議に満ちた大学だな!」


 いきなり満夜がぐるりと周りを見渡して一声を発した。少しだけ大学に興味を持ったらしく、周囲の森の木陰をのぞき見ている。


「着いていきなりそれかいな。満夜らしいなぁ」

「でも本当に森に一歩入ったら、前後不覚になりそうです」


 確かに山の木々は手入れされておらず、ヤブが密生していて見通しが利かない。日が暮れれば街灯がない分、夜目の利かない闇に包まれてしまうだろう。


「満夜、そろそろ構内に入ろ」

「うむ」


 やたら森を気にしていた満夜だったが、凜理にせかされて未練がましそうにその場から離れた。


「それにしても白山さん、オープンキャンパスに付き合わせてごめんね」

「いいえ、興味あったんで誘ってくれて嬉しいです! 大学って高校と雰囲気が違うんですね、人が全然いませんね」

「そら、今は夏休みやから」

「あ、そうでした」


 てへっと菊瑠が笑った。

 菊瑠はかわいらしいワンピースに麦わら帽子をかぶっている。凜理といえば、バンダナを頭に巻き、膝丈のパンツに襟付きのブラウスを合わせている。満夜は味も素っ気もないTシャツにジーンズ姿だ。

 構内に入っていき、まずは電話で問い合わせをした事務局へ向かった。

 前もって郵送されたパンフレットに案内が掲載されている。

 ただ、周りを見ると似たような学部棟が並んでいて、迷ってしまいそうだ。

 正門のすぐ側に警備員室があったので寄っていくと、たまたまなのか誰もいなかった。


「誰もいいひんわ」

「とにかく、我々の目指すところは民俗学科なのだ。パンフレットに書いてある通りに行くしかあるまい」

「勾玉よりも大学進学のほうを優先できひんの? せっかく見学にきたのに、どこも見ずに民俗学科に行くのん?」

「あーあーあー」


 満夜が耳を押さえる。なんだか、いつもの満夜らしくない。


「そんなに民俗学科に行きたいんやったら一人で行きや。うちらは構内をぐるっと見て回るから」

「オレ一人で行ってもいいのか? 何かあったとき、ねこむすめだけでは対抗できんだろう!? 本当にオレ一人で行っていいのか!」

「行きたいんか行きたないんかどっちや!」

「ぬう」


 満夜は困ったように眉を寄せた。実は鵺の言葉がずっと気にかかっていたのだ。勾玉で鵺の封印を解く場に一人で臨んでもいいものか、それとも部員とともに見守るか……しかし、何事か起こったとき、一人では対処できないだろう。ねこむすめがいれば、なんとかなるかもしれない。

 要は一人では嫌だった。


「別に付き合ってくれてもいいんだぞ」


 いいあぐねて結局偉そうにツンツンしてみた。


「はい、却下! 満夜の要望は後回しや。うちらと構内を見学すること!」


 ハラハラとその様子を菊瑠が見守っていたが、結局、満夜は凜理に腕を掴まれて、事務局まで連れていかれることになった。




 一通り見終わって、ついでに学生食堂でお昼を食べた三人は、今度こそ民俗学科の学部棟に向かった。

 学部棟は山に面したところに建っていて、他の学部棟に比べるとなんだかぼんやりと暗い印象があった。


「なんか薄気味悪い建物やな」

「壁にシミがたくさん浮いてて気持ち悪いですね」

「おおおお、不吉な予感のする素晴らしい建物だな!」


 満夜一人だけ喜んで興奮している。


「あんたの感性がよう分からんわ」

「何を言っている。この不穏な雰囲気から察するに、心霊現象が今にも起こりそうな予感がするではないか! ここに一晩泊まり込んで検証したい」

「頼めば泊まり込むくらいはさせてくれそうやなぁ」


 わいわいと話しながら、周囲の学部棟に比べて年季の入った民俗学科のある建物へと入っていった。

 入り口の案配板には『文化人類学部 民俗学科』と印字してあった。


「文化人類学というのか」

「人類の風俗風習の研究やからかなぁ」

「面白そうなところですね」


 学部棟の三階に研究室があるらしい。


「大学院も併設してあるんですね」

「ずっと研究に没頭できる仕組みか……」

「やっと興味持ったみたいやな。満夜にうってつけの大学やないの」


 しかし、満夜の学力が追いつかない可能性大!

 というのは置いておく三人であった。

 三階に行き、研究室に掲げられた名前を見ていく。民俗学科ともなんとも書いてなく、白いネーム板がドアに明示されているだけだ。


「どれが民俗学科の研究室かわからへんなぁ」

「一つ一つ開けていくのはどうでしょう?」

「それしかないか」


 凜理はそうつぶやくと、端から順々にドアに手を掛けてノブを回してみた。

 なかなか鍵の開いている研究室はなかったが、廊下の端っこのドアだけ、ガチャリと音を立てた。

 キイッと開けてみると、本の山、紙の山が眼前を遮っている。その山の向こうから、ズゾゾゾゾゾーッと、思い切り吸い込む音がした。

 ドアを開け放ち、音の所在はどこか、三人は覗き込んだ。

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