第5話

「背に腹は代えられん……よし、キサマの条件を呑もう」

 ——では……。

「待て。オレはキサマを封じた術師の子孫なのだ。いつでもキサマを封じることができるぞ。それを肝に銘じておけ!」

 ——では……血をわしに与えるのだ。生け贄をわしに……! まずはそこの小娘だ!!


 再び、唸り声が地鳴りのように銅鏡から響いてきた。


「血、だと……!?」


 そんなことはどだい無理だし、生け贄などもってのほかだ。


 ——大量の生き血をわしに注がねば、力を与えぬぞ!


 声にせかされて、満夜は尾骨がもぞもぞしてきた。しばらく、ぬうとうなっていた。


「しかし、手持ちに小刀などないのだ……」


 ボストンバッグには独鈷くらいしか尖った物がない。


「芦屋先輩……」


 菊瑠が不安そうな声を上げる。


「白山くん! 何か尖った物はないか!?」

「尖った物……あ!」


 そう言って菊瑠が自分の鞄の中を探り、満夜の手にあるものを渡した。


「芦屋先輩、針がありました」

「針……ふふふふふ。よし、オレの血をくれてやる!!」


 そう言って満夜は右手の人差し指に針を刺した。


「っつう!」


 鋭い痛みとともに、プツッと赤い丸い玉が指に浮き上がる。

 その血を鏡面に垂らした。


 その途端——!


 鏡面から黒々とした塊が盛り上がってきた。その塊はあっという間に満夜の背よりも高くそびえ、見下ろしてきた。


「これっぽっちでは全く足らぬが、おまえに力を与えようぞ!」


 と言って、すさまじい勢いで満夜の心臓を黒い塊で貫いた。

 黒い塊はずるずると気持ちの悪い音をさせて、倒れた満夜の体の中へ潜り込んでいった。


「うおおおおおおおーー!!」


 満夜は苦しそうに叫び声を上げてのたうち回った。やがておとなしくなって、のっそりと起き上がった。


「芦屋先輩、大丈夫ですか?」


 菊瑠が心配そうに側に寄ってきた。


「おおおおお……」


 満夜が自分の両手を見つめて下を向いている。両手の指が何かを掴むような形で曲げられて震えているのがわかる。


「先輩!?」


 菊瑠が声を掛けると満夜が首をのけぞらせて叫んだ!


「ぬおおおお! 全身を魔の力がみなぎる! 怨霊の力がオレのものになったぁあああ! これでオレはあらゆる怪異に対し無敵になったのだぁ!!」

「先輩?」


 菊瑠が、さきほどと寸分違わない姿の満夜を不思議そうに見つめている。


「ぬおおおおお!」


 満夜はしつこく叫んでいたが、そのうち落ち着いたのか黙った。

 すぐに飽きたのか、汚れた膝をパンパンとはたく。


「さてと……白山くん。この! みなぎる力で! 我が部員、凜理を助けに行こうではないか!」


 親指を立てて、菊瑠に向かって爽やかに笑ってみせた。


「はい、芦屋先輩!」


 菊瑠も全然動揺していない。むしろ平然とこの事態をするーしているように見える。もしかしたら二人は同類なのかもしれないし、菊瑠にツッコミの才能がないだけかもしれないが、二人はためらいもなく荷物を担ぎ、公園へ向かい、再び走り出した。

 しかしたったの百メートルで勢いをなくし、またも満夜はゼエゼエと肩で息をして立ち止まった。


「お、おかしい! このっ、はぁはぁ、この魔の力はオレを根底から変身させたのではないのか!!」


 自分が怪物に変身を遂げたとでも思い込んでいたのか、無念な思いを顔一杯に浮かべて体を震わせた。

 ポケットの中から銅鏡を取りだして鏡面を見つめるが、うんともすんとも言わないし赤くも黒くもならない。


「力を与えたというのは嘘なのかっ!」

 オレは! オレは力を得たのではないのか——ッ!?


 叫んでいる満夜の横で、菊瑠が不思議そうな顔をする。


「芦屋先輩はいつもの通りですよ?」


 満夜の心を抉るような言葉を菊瑠が繰り出した。


「なんと言うことか……これでは公園まで一気に走って行けないではないか……」

「歩いて行きましょう、芦屋先輩」

「ぬぅ」


 無念……とつぶやいて満夜はとぼとぼと歩き出した。公園まであと二キロほどあるから早足でも十五分はかかるだろうが、たまに走ればもっと早く着くかもしれない……などと満夜が計算している。

 満夜はくっと悔しそうに顔を上げた。


「あいつを信じるしかあるまい……あいつにはあの力がある。我が部の最終兵器なのだ。簡単にはやられはしないだろう!」

「はいっ、そうですね」


 菊瑠はきっと満夜が何を言っているかわかってないだろう。満夜も菊瑠に凜理の力のことを知られてはいけないとわかっている。それが凜理との約束だったからだ。


「凜理! 待っていろ! 必ず俺がおまえを助けてやるからな!!」


 長くは続かないけども、満夜はまた走り出した。

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